2017年10月30日月曜日

企業の論理を政治と学校に持ち込むな!

 哲学者ハンナ・アレントは著書『人間の条件』のなかで、政治の条件は複数性であると述べている。「複数性とは、人間が必ず複数人いるということである。人間が複数人いるということは、そこに必ず不一致があるということだ。したがって政治とは、そうした不一致がもたらす複数性のなかで、人々が一致を探り、一致を達成し、コミュニティを動かしていく活動に他ならない」。
 「一致を探る」基準として我国の政党は(1)憲法9条(「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」)を変更するか護持するか(2)私権の制限を最少に保つか、大きな政府を志向するか(3)原発推進かゼロか、などで大きく色分けされている。識者でも時々誤っているのは、自民党は右も左も幅広く包含している政党であるとあいまいに捉えている人がいるが(1)に関しては「改憲」で全党員一致している。ところが民進党は護憲派と改憲派が混在した方向性の一致していない不明瞭な政党だった。それが災いして政権奪取を果したにもかかわらず散々の態をさらして党勢衰亡の一途を辿ったのである。
 今回の衆議院総選挙で希望の党の小池代表が「踏み絵」を提示して『排除』の論理を持ち出したのは、民進党の轍を踏まないために「護憲派」を受け容れず「改憲」で『純化』を図ろうとしたに過ぎない。ただ、『言葉』の選択を誤った。なぜそんな過ちを犯してしまったのか?
 
 株の格言に「もうはまだ也、まだはもう也」というのがある。その意味するところは、もう底だろうと思えるようなときは、まだ下値があるのではないかと一応考えてみなさい。反対に、まだがるのではないかと思うときは、もうこのへんが天井かもしれないと戦術転換する警戒心が望まれる、というのである。
 小池新党(「都民ファーストの会」)は先の東京都議会議員選挙で「前代未聞!空前絶後!」の『大勝利』を果した。本当の勝負師なら「これほどの大勝ちはめったにあるものではない。ソロソロ甲の緒を締めねば」と自戒するのが常道だが小池氏は「図に乗って」しまった。自らを「大権力者」でもあるかのように「驕り高ぶった」。並居る議員を「睥睨」し党発足メンバーである若狭氏や細野氏を子ども扱いして「リセットします」とシャシャリ出た。あのときの、体面を踏みにじられ憮然とした両者の顔つきを見た多くの庶民は、完全に小池氏に背を向けたに違いない。弱者であったはずが『強者』に変貌してしまった彼女に安倍首相が二重映しになっていた。
 『風』は止む、『逆風』が吹く。地方組織は無い、党是も無く党則もにわかづくりの「ハリボテ政党」から「カリスマ党首」が消えてしまえば結果は明らかだ。「無節操」議員たちの『醜悪さ』がみじめだった。
 
 小選挙区制になって、二大政党で政権選択を競う政治環境がつくりだされて政党が主になり、政治家個人が埋没してしまいがちな政治状況だが、それでも政治は市民に負託された「政治家」ひとりひとりと彼らの『政治信条』が集約した『政党』が緊張関係を保って運営されるのが本道だろう。ところが実際は小選挙区比例代表制と政党交付金制度が相乗効果となって「政党の優位性」を不動のものにしている。「政治の論理」よりも「選挙に勝つこと」が至上命題になってしまった結果、「一致を探る基準」ではなく選挙という市場で勝つ―「市場競争の論理」が幅を利かすようになっている。この勘違いを疑問視することなく受け入れる風潮が一般化して、「都民ファーストの会」の幹事長(代理?)が議員に送られてくるマスコミなどのアンケート対策として、すべて党本部経由で回答するように規制したことを批判されて「企業なら当然のことでなぜ批判を受けるのか理解に苦しむ」というに至っている。彼は政党と企業が根本的に異なっていることを理解していないのだが、小池代表ですら「結党者」というべきところを『創業者』というのだから何をか言わんや、である。昨今この類の人物が政党を牛耳っているところに『政治の劣化』が見て取れる。
 
 企業は「最少のコストで最大の成果」を上げ、市場競争に勝って利潤を最大化する組織と見ることができる。「調整」よりも「統制」が効果的な組織でもある。企業以外にもこうした論理が有効な組織やコミュニティは少なくないかも知れない。しかし、政治と教育は企業の論理を持ち込んではいけない最たる分野である。政治は「一致を探る」組織であり、教育は「自治」を最も基本とするコミュニティだからだ。行政や病院も企業の論理以外に重要視すべき価値と論理があるように思う。
 
 市場型資本主義が優勢な現在、あらゆる分野で資本の論理や企業の論理が幅を利かす風潮が強いが、価値が多様性した現代社会はそれほど単純ではない。

2017年10月23日月曜日

なぜ「社内留保」が積みあがるのか

 20世紀は「専業主婦」の時代であった。「夫婦子ども二人の四人家族」が「標準家庭」として当たり前のように考えられていた。政府や地方公共団体が種々の統計や計画を立てる場合にも「夫婦子ども二人の四人家族」が社会の基礎的単位として採用されていた。夫は「会社人間」で毎日の残業は当然、仕事のあとは接待で午前様の帰宅も珍しくなかった。土日の休みも接待ゴルフで家庭に居ない夫、お父さんでも家族は不満を云わなかった。たまに子どもがグズって駄々をこねるようなことがあれば「お父さん、頑張ってお仕事してくれるから皆んなが安心して暮らせるのよ」と妻が諭したものであった。
 そうなのだ、あの頃は『夫の収入』だけで家族四人が暮らせて、ローンを組めば持ち家も可能だったし子どもも何とか大学へ行かせられた。
 
 平成になって状況は一変した。1991年(平成3年)バブルが崩壊し2008年(平成20年)のリーマンショックで事態は更に深刻化した。1980年、昭和55年専業主婦世帯は約1100万世帯、共働き世帯は600万超世帯だったのが2016年(平成28年)にはそれが664万世帯と1129万世帯に逆転している。バブル崩壊から僅か5年―1996年に共働き世帯が専業主婦世帯より多くなり社会構造が大転換した、それからもう20年以上経過しているのに社会システムの変革がそれに追いついていない。
 日本の多くの企業は「新卒一括採用」で採用した社員を社内外の研修やOJTの現場教育で教育訓練して使えるように、戦力化した。終身雇用と年功序列の「日本型経営」は生活給型の給与制度を採用して年齢とともに給与が上昇したから結婚すれば「配偶者手当」、子どもが誕生するごとに「扶養家族手当」が支給され「夫だけの収入」で家族を養うことができた。大企業では社宅が完備していたから住居費を割安で済ませられたし中小企業でも「住宅手当」が支給されることが多かったから40才代でローンを組んで持ち家を手にすることも可能だった。高額の高等教育の授業料を負担して大学を卒業させた子どもたちが独立する頃には親を引き取って面倒を見る家庭も多く見られた。
 要するに、戦後我国の社会福祉政策はその多くを社員の雇用維持・保障と福利厚生制度によって企業に機能分担させてきたのである。政府は高度経済成長による税収増を減税に回して納税者に還元し、公共事業で企業に仕事を提供しその乗数効果で日本全体の雇用を維持することを図った。経済成長と企業の努力と労働運動と政府の施策の総体として日本における社会保障システムは機能してきたのである(実際の仕事は専業主婦たる女性が分担することが多かったが)。
 バブル崩壊とリーマンショックと経済のグローバル化はこうした「日本型経営」の維持を困難にしたので、企業は終身雇用・年功序列の改変と成果配分型の給与制度への移行、系列の解消などによって「企業経営の自由度」を高め、グローバル競争に対抗できる「スリムな企業体質」を獲得しようとした。
 
 「脱日本型経営」の進行とともにサラリーマンの平均年収は2001年(平成13年)の505万7千円を最高に2015年(平成27年)には420万円にまで減少した(厚労省賃金構造基本統計調査)。雇用に占める非正規雇用者の割合は2016年(平成28年)には37.5%にまで上昇し、平均給与は正規雇用者が418万円非正規雇用者が171万円で250万円近い格差になっている。男女別でみると正規雇用の男性521万円女性276万円で男性は女性の約1.9倍の収入を得ている。貧困率(相対貧困率/厚労省国民生活基礎調査による)は1980年12%、2000年15.3%、2012年16.3%と年々上昇してきた。
 こうした状況を背景に介護保険制度が2000年(平成12年)に施行された。「子育て支援」は1994年(平成6年)に「エンゼルプラン」としてスタートしたが保育所の整備によって潜在的保育需要(働いてはいないが就労を希望する子育て世代)が掘り起こされ、また認可外保育施設利用者が認可保育所に入所を希望するようになったことなどによって保育所不足は今も深刻な社会問題とになっている。
 
 社会保障制度の大きな部分を企業が負担することで「低負担中給付」を可能にしてきたのだが、「グローバル対応」の大義のもとに企業がその多くを放棄したために社会保障制度を維持することが困難になってきている。低成長で国の経済はほとんどセロ成長であるにもかかわらず企業のいわゆる「内部留保」は増加の一途をたどり2016年度の「内部留保金融業、保険業を除くは前年度よりも約28兆円多い4062348億円と、過去最高を更新した財務省法人企業統計によるちなみに1998年度の内部留保は131.1兆円であった
 内部留保の積み上がりのすべてが社会保障制度の負担分返上によるものとは云わないがそれも可なり影響していることは否めない。そのうえ、社員の戦力化を高等教育(大学)に肩代わりさせようとするのは身勝手が過ぎるというものだろう。
 
 戦後ここまで「アメリカ追随」「アメリカ方式の採用」でまあまあの国家経営ができてきた。市民、企業、政府の関係も偏りを最少に保ってきた。しかしここにきて、企業が突出して利益を得ているように国民の多くが感じている。北朝鮮、中国、ロシアとの東アジアでの勢力争いの名目で「戦力強化」費用が高騰しそうな情勢が迫っている。結果として「格差」がさらに拡大しそうである。過去の歴史の教訓は「格差拡大」は社会不安につながっている。
 折りしも「総選挙」である。保守・革新の程好いバランスが保てるような結果が出ることを願う。

2017年10月16日月曜日

教育無償化の嘘

 今回の衆議院議員総選挙の争点の一つに「教育の無償化」があった。そして無償化を公約に掲げたいずれの党もそれが「党が独自に、恩恵として」国民に付与するものであるかのように訴えていた。しかし、これは『大きな嘘』である。教育の無償化は国際人権規約に定められた「社会権」のひとつであり、我国はこの規約を批准しており「国民に」「国際的に」速やかに実現すべき責務を負っているにもかかわらず、今日まで実現されていないのは「政治の怠慢」であり、それを赦しているのは「国民の無知」に他ならない。
 
 国際人権規約の「社会権規約――国際人権規約A」は1966年国連総会において採択され、1976年発効した。これによれば「第13条1 この規約の締約国は教育についてのすべての者の権利を認める」とあって「(a)初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること」としている。さらに「(b)項では中等教育、(c)項では高等教育について『すべての適当な方法により、特に、無償教育の、漸進的導入により』すべての者に対して機会が与えられることを締約国が認めなければならない」と規定する。
 要するに、教育の権利はすべての者に平等に保障された権利であり、小学校は義務教育、中、高等学校と大学はすべての者に平等な機会が与えられ、漸進的に無償教育を実現するように、義務づけられているのである。
 我国はこの社会権規約を1979 年6月に批准したが、中等教育・高等教育の適用に当たり「無償教育の漸進的導入」という部分に拘束されない権利を留保した。すなわち、高校、大学の無償化は『直ちに実施することができないので暫く猶予が欲しい』としたのである。それから30年以上経過した2012年9月、日本政府は同留保を撤回した。ということは、「無償化を現実問題として実現に具体的に取り組む」と国際的に約束したことになる。
 
 こうした事情を知れば、憲法に定める「教育を受ける権利および義務教育に関する規定」は極めて『あいまい』かつ無償化の範囲が『限定』されているように思われる。即ち「第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」の条文からは、『能力に応じて』『義務教育は、これを無償とする』と権利が『限定』されているから国際人権規約との『整合性』を考えるとき、戦後70年の間に「人権」自体が大幅に「権利拡大」を果たしていることが分かる。そしてこうした国際的な潮流に我国の政治家が追いついていないのは誠に残念なことである。
 しかし中学校に関して我国は早くから「義務教育」としていたし、高校教育について2010 年3月に「高校無償化法」が成立し同年4月1日に施行された。同法は、公立高校について、原則として授業料の不徴収を地方公共団体に義務付けるとともに、私立高校等については、原則、公立高校の授業料相当額を就学支援金として生徒に支給することとしている(低所得世帯には加算支給あり)。また大学教育に関しても、2011 年及び2012 年に大学の授業料減免比率の引上げや奨学金充実等の経済的負担軽減策が採られ、関連予算が拡充されている
 
 以上から窺えることは、私たち国民は「義務教育は小中学校までであり、高校と大学は個人の経済的余裕と子どもの学力に応じて応分の高校、大学に、授業料を個人負担して子どもを通わせるもの」という既成概念を抱いているが、これは間違いなのだということをしっかり認識する必要がある。「高校無償化」を「お上の恩恵」と有り難がっていたが、ここまで高学歴化が進み、進学率が高まっている現在、当然の政策で実施が遅すぎたのだ。奨学金の多くが「貸与制」で、社会人になってから利用者の多くがその返済で「生活破綻」しているのを「自己責任」と突き離していたことがどんなに「無知」で「思い遣り」のない誤りであったかを反省すべきなのである。
 
 一旦『留保』を撤回して、中等、高等教育の無償化を実現すると約束したからには、国際的に、また国民に対して『誠実』にその実現に向って努力すべきである。そのための方策として次のようなものが考えられている。
(1)世界的に見ても高額であるとされている大学の学費を漸進的に低額化すること(2)貸与制しかない奨学金制度の抜本的な改革(給付制の創設など)(3)授業料減免措置を国公私立の区別なく充実すること(4)私学助成(50%助成)の完全実施(5)高等教育に対する公財政支出(対GDP比0.6%)をOECD諸国の平均(1.2%)とする、などである。
 
 グローバル社会が進展、定着した今、そして「AIと人工知能」の実用化がすぐそこまで来ている現在、教育は国家運営の基礎であり中心的な施策とならねばならない。戦後ここまで進めてきた「工業化社会」に対応した教育体制は時代遅れになっており、人工知能に「使われない」創造性と独創性に富んだ人材を育成するためには教育システムを根本的に改革する必要があり、そのためには「高等教育(大学・大学院)の充実」が最重要課題になってくる。
 
 国民はもっと「教育を受ける権利」を堂々と主張しよう。「お上の恩恵」ではないのだ、ということを肝に銘じて。それと同時に若者に「多様な選択肢」を提供することも重要な「おとなの責任」だということを、政治家だけでなく、われわれも自覚する必要がある。
本稿は外交防衛委員会調査室中内康夫氏「社会権規約の中等・高等教育無償化に関わる留保撤回」を参考にしています
 
 

2017年10月9日月曜日

科学性欠く核ごみマップ

 9月26日の京都新聞に島村英紀・武蔵野学院大学特任教授の現論『科学性欠く核ごみマップ』」という記事が掲載されていた。非常に重大な警告を訴えているので概略を下に記す。
 
 地球物理学やプレートテクニクスが進歩して、日本は四つのプレートが衝突している世界でも珍しい場所だということが分かった。それゆえ、大地震も火山噴火も避けられず、活断層も多い。実際世界のM5を超える大地震の5分の1、陸上にある火山の7分の1が面積では世界の0.25%に過ぎない日本に集中している。
 その日本で原子力発電所を建設しようという計画が始まったのは1957年12月で、原子力委員会1975年までに700万キロワットの原子炉を稼働させる目標を発表した。だが当時の地球物理学の知見からは、福島の原発が日本の太平洋沿岸沖に太平洋プレートが押し寄せてきて巨大な海溝型地震が起きる可能性の高い場所にあることも、静岡県の中部電力浜岡原発の近くで南海トラフ地震という巨大な海溝型地震が起きることも知られていなかった。その結果2011年3月11日東日本大震災による東電福島第1原発の事故が起こってしまったのである。
 2017年7月28日経済産業省は核ごみの地層処分について「高レベル放射性廃棄物の最終処分に関する科学的特性マップ」を発表した。これによるとマグニチュード(M)8の地震が想定されている静岡県の静岡・清水地区が緑色(安全地帯)になっているなど、今まで大地震が起きたり、これから起きることが分かったりしている地域が「緑」とされているのだ。歴史文書には記載がないが近年の地質学的な調査から若狭湾など日本海側にも昔、大津波が来たことが分かりつつあるなど、沖合で起きる「海溝型地震」で大規模な津波に襲われないと保証できる沿岸地域は、地球物理学の観点からは日本のどこにもないのである。
 なぜこんな地球物理学の知見を無視したマップが「科学的」と称されて公表されたかと云えば、単に好ましい範囲の要件・基準として「陸上での長距離輸送は困難なことや、廃棄物が重量物であることから、海岸線から20キロを目安」にしているからにすぎない。その結果、日本全体の海岸線沿いの多くを緑色(安全地帯)が占めるという『無謀』な結果を招いたのである。
 今回の「科学的」と称する地図には、地球物理学の知見は入っていないのだろうかと疑わざるを得ない。『現在』の科学の知見から見て、取り返しのつかないことを始めてしまった日本の原発政策だが、まずはこれ以上、核のごみを増やすことだけは避けなければなるまい。(以上概略
 
 「3.11」は国民の原発に対する不信感を一挙に高め、核ごみ処分場の受入れについてもどの地方自治体も応募しなくなった。そこで政府は地層処分の安全性を国民にアピールしようと「科学的」と『擬装』して、またぞろ『安全神話』を植えつけようとしたのが今回の「核ごみマップ」である。今回の「科学的」の根拠は「地質学的条件」に準拠したとされ、適地とされたのは国土面積の約65%、適地を持つ市区町村は全体の8割超の約1500自治体に上るという『暴挙』である。しかし「核ごみの安全性」は地質学的条件のみで『保証』できるものではなく、地球物理学、歴史地理学など多方面から検討されるべきはずのものだ。
 そもそも政府や安倍首相は「我国の安全基準は世界一厳しい」と胸を張って云っているがとんでもない話で、上に書いたように我国の立地条件は『世界一不適切』な国土なのだから「世界一厳しい」のは当然で、他国と比較してどうのこうのではなく、我国土を地質学、地球物理学、歴史地理学などあらゆる知見を総動員して『我国独自』の「安全基準」を策定すべきなのだ。
 また「原子力発電機」自体も1970年代から90年ころまでに建設されたものだから非常に古く、第三世代を迎えている最新のものと比較すれば「構造的な安全性」に問題を抱えていると云わねばならず、まして建設から40年を経過したものの「再稼動」を認可するなど、我国原子力政策の「安全性」に対する姿勢は極めて疑わしいものがあると云わねばなるまい。
 
 かって経験したことのない異常な気象のもたらす過酷な自然条件、世界で頻発するテロ、北朝鮮の核ミサイル危機など我国の原子力発電をとりまく環境は前世紀とは比較にならないほど『危機的状況』に迫られている。南海トラフ地震に備えた「ハザードマップ」が公表されているが、何故か原発への影響は考慮されておらず、原発事故に起因する『危険度』はまた『想定外』と言い逃れする積もりのようだ。
 
 「3.11」を『想定外』とした我国原子力政策の『安全神話』は今また、「核ごみ処分」を『安全神話』で擬装して国民を『想定外』の危険にさらそうとしているのだろうか。

2017年10月2日月曜日

 横入り

 「日文研30周年記念公開講座」を26日(火曜日)聴講してきた。西京区の桂坂にあるこの施設(国際日本文化研究センター)ははじめてで、阪急桂駅東口から送迎バスに乗って約20分、国道9号線を亀岡方面へ行く急坂を沓掛から更に桂坂街区を上った桂坂小学校の隣に日文研はある。20年ほど前知人が桂坂に新築したお祝いに伺って以来だから周辺の様子はほとんど覚えていないが老人にはキツイ街だと思った。京都市内の雑踏と懸け離れた瀟洒なたたずまいに憧れさえ抱いた20年前には考えもしなかった、買い物はどうするんだろう、車椅子では動き難いだろうなどと老人めいた町への好みの変化に20年という歳月の移ろいを感じずには居られなかった。
 講演は第1部が大塚英志教授の「柳田国男と日本国憲法」、第2部が今人気の呉座勇一助教の「内藤湖南、応仁の乱を論じる」だった。大塚教授は柳田国男の民俗学者としての二面性――巷間広く認められている妖怪や地域の民衆の歴史を掘り起こしたロマン主義民俗学を奉じる学者としての柳田と枢密院顧問官として「日本国憲法」の成立に深く関与した「公民の民俗学」者という一般にはほとんど知られていない側面を併せ持った存在であることを易しく説き起こしてくれた。私自身まったく知らなかった柳田の一面だったので新鮮かつ興味をもって講演に聞き入った。民俗学が妖怪学などと曲解されている現在、柳田の意図した民俗学の多面性と深みに回帰すべきと諭された想いだった。
 呉座勇一助教はベストセラーの岩波文庫「応仁の乱」の著者として今が旬の人気の若手だが、内藤湖南という明治大正期の著名な中国史学者が応仁の乱を如何なる視点で眺めていたかという意表をついたテーマを語った。辛亥革命を中国再生の起爆剤と期待した内藤が、その後革命が反動に転じむしろ歴史を後退させるような展開を見せるに至って、中国は一旦全破壊して根本から建造し直さなければ生きる途はないと認識、それを我国の「応仁の乱」に範をとって講演した、その内藤を批判しつつしかし歴史学者が時代性に制約と拘束を受けることを認めることで内藤の誤りを日中の歴史における大正末期にあった歴史学者の限界として評価する。「応仁の乱」という史実がこれまでどのように評価されてきたかを検証しながらまったく新たな視点で見つめ直した若い学者がそのひとつの例証として内藤湖南を取り上げて実証したユニークな講演であった。
 
 ハイレベルな講演を市民講座として無料で一般公開(受講者はほとんどが七十才前後の老人だった)してくれた「日文研」に感謝の念を抱かずには居られなかったのだがその終幕に信じられない事態が起った。司会をした坪井秀人副所長の総括と閉会の挨拶が始まるや否や、最前列に座っていた数人の聴衆がサッと立ち上がると退席してしまったのだ。それを見て後列の何人かも会場を後にして場がざわつき坪井教授の挨拶が一時聞き取れにくくなった。なんという『失礼』な振る舞いか。
 閉会して帰りの送迎バスの待合場所へ行くとなんともう百人以上がひしめいている。すぐ前の女性の云うには、後半の呉座さんの講演の途中からゾクゾクとバス待ちの列ができたらしい。さすがに堪りかねた係りの人が「失礼ですから戻ってください」と制止したが応じなかったという。バス5台、せいぜい20~30分の待ち時間である、別に急ぐ用とて無い「閑な老人」たちである、どうして「無礼」を犯してまで帰りのバスにいち早く乗りたいのか。今日の講座の内容と日文研という施設からして参加者のレベルは相当インテリ層のはずである。それがこの体たらくだ。年寄りの道徳観――講演会を実施してくれた日文研と講演者に対する『礼儀』を失することにたいする「申し訳なさ」「無礼な振る舞い」に対する罪悪感、インテリらしい彼等彼女らにはそれがない。
 そう云えば最近こんなことがあった。太秦天神川を起点にバスや地下鉄を利用しているが70系統のバスは天神川が始発で一時間に二本の運行なのでバス待ちの行列が長くなることも珍しくない。先日のこと、15分前に並んだ私は前から三番目だった。発車定刻直前に行列のはずれ、私と前の待ち人の丁度横にひとりのご婦人がツト並んだ。人品骨柄卑しからぬ、着る物もそれなりに上質なものを身に付け教養もあり気な澄ましたタイプである。バスが来た。ドアが開いて順番に行列がバスに乗り込むとやおら件のご婦人が私の前に「横入り」したのだ。唖然とした。およそ十五、六人が整然と順番待ちをしているその列を『平然』と乱して恥じることの無い『インテリ風セレブ気取り』のご婦人が『横入り』する。多分地域の行事やボランティアの集いでは「奥様」と呼ばれているであろう彼女が「自分を知らない群集」のなかでは厚顔無恥の振舞いを平然と犯すのだ。
 一方はインテリ風の「じいさんたち」、片方は「一見セルブ風の老女」。彼ら彼女らが、些細だが厚顔無恥の振舞いを平然と犯す。自分が、誰と特定されない、匿名の場所では、平然と倫理に違反して恥じるところがない。これはインターネットの『匿名性』の蔭で頬かむりして「独断と偏見」を、「罵詈雑言」を浴びせる輩となんら変わるところがない。
 
 トランプのアメリカ、マリーヌ・ル・ペンのフランスと西洋の先進諸国は右傾化が顕著である。我国も小池新党が10月の総選挙で躍進すれば自民党が少々議席を減らしたとしても自民・公明、維新、小池新党の「改憲勢力」が三分の二以上の議席を獲得するのは明らかだ。改憲勢力は「保守勢力」であり、誤解を恐れずに極言すれば、保守とは「私権の制限を最小限度に止めようとする考え方」である。私権の最大は、これも誤解を恐れず極言すれば、「既得権」であり老人は厚い既得権に守られた存在である。右傾化がこのまま進めばますます老人が「社会の主役」にしゃしゃり出る。
 そうでなくても老人と若者、壮年者層、障碍者との格差は拡大している。彼らの尽力、力添えによって老人社会は保たれている。この事実を理解して老人は「謙虚」に、「倫理的」に振舞わなければ日本は円滑に機能しなくなるに違いない。
 
 最近遭遇したふたつのささやかな「老人の暴挙」からこんな感懐を抱いた。
 「老人よ驕る勿れ!」。そう強く思う。