2026年6月22日月曜日

アヘン戦争

  子どもの頃――1955年ころ――学校でアヘン戦争を学んだ記憶がほとんど残っていません。年表的に「1840年アヘン戦争」とサラッと飛ばされたのか、とにかく近現代はまったく教えられなかったように記憶しています。

 では今の子どもたちはどうでしょうか。山川出版「高校 世界史」の記述は以下の通りです。

 18世紀後半、イギリスは茶の輸入が増大して輸入超過となり、中国へ大量のが流入していた。イギリスは銀の流出に対処するため、19世紀にはインドから中国にアヘンを、中国からイギリスへ茶を、イギリスからインドへ綿製品を輸出する三角貿易をおこなった。/清朝のアヘン貿易取り締まりは機能せず、中国から銀が流出したことで財政難におちいった。そこで清はアヘン厳禁をはかって林則徐を広州に派遣し、外国人商人からアヘンを没収して廃棄した。イギリスはこれれを口実に、自由貿易の実現をはかり、アヘン戦争をおこした。/清はイギリスに敗れ、南京条約を締結し、上海・寧波・福州・厦門・広州を開港、香港島の割譲、賠償金の支払い、行商(こうしょう)を通じた貿易の廃止などを認めた。

 さらに不平等条約、第2次アヘン戦争(アロー戦争)を記述、図表・写真も添えて4ページにわたって詳述しています。

 

 私の時代とは様変わりして大凡の内容は理解できる体裁になっていますが誤りがふたつあります。一つは中国には国家機関としての「貿易(外交)担当省庁」が存在していませんでしたから正式には「(三角)貿易」ではなかったのです。このことはインドについてもいえ、当時イギリスは東インド会社を通じてインドを実効支配しほとんど植民地化していたのですからインドが自主的に三角貿易を行なっていたかのような記述は誤りです。

 もうひとつ、アヘンは正式なルートに乗った貿易ではなく「密輸」されていたのですからこれを「貿易」と呼ぶのはいささか問題ありです。「清朝のアヘン取り締まりは機能せず……」の記述は「清朝の密輸撲滅はイギリスの圧倒的な軍事力を背景にした抵抗により機能しなかった」と書き改められるべきなのです。

 

 清朝の、というかアヘン戦争に敗れるまで「世界の中心」だった中国の外交(貿易)政策は次のようなものでした。

 「天朝ハ物産豊盈(ほうえい)、有ラザル所ナク、原トヨリ、外夷ノ貨物ニ藉ッテモッテ有無ヲ通ゼズ……」要約すると「わが天朝は、およそ無い物はないほど豊かであるから、外国と通商して有無相通ずる必要など、もともとないのだ」ということなのです。そして「外国は茶葉、陶器、糸斤(生糸・絹織物)などの必需品がなく、それを求めて来航するのだから」天朝は「――遠人ニ恵ヲ加エ、四夷ヲ撫育スル。」という慈善の精神で交易しているに過ぎない、とする考え方なのでした。一方的に恩恵をほどこすのであって、平等互恵という通商の根本精神は、どこをさがしてもなかったのです(清朝・乾隆皇帝が通商を迫った英国のマッカートニーに託した英王ジョージ三世に与えた勅諭からの引用)。

 (なお清朝がはじめて外交機関として総理各国事務衙門を設立したのはアヘン戦争後の1861年です)

 このような政策の下唯一開港して貿易を許可していたのが首都・北京から1880キロメートル離れた広州(緊急交通で約20日要した)での私貿易でした。商社に相当する「公行(コンホン)」が貿易(外交)を担当したのですからその責任は重大で何か問題があると1880km離れた朝廷にお伺いを立てないといけないのですから相手側の不便は相当なもので自由貿易が喫緊の希望だったことは容易に理解できます。半面公行の利益は莫大で同業組合のトップを務めた公行総商の伍紹栄の蓄財は当時世界一をうたわれたロスチャイルド家に匹敵したと言われています。当然この利益に群がる勢力もあった訳でこの賄賂が国を危うくするのです。

 

 アヘンはもとは医薬品として取引されていたのですが清朝・嘉慶後半から道光時代になって急速に広まります。嘉慶22(1817)年約3700箱(60kg/箱)約400万スペインドルだったものが道光18(1838)年には2万8千箱1980万スペインドルにまで増大しました。しかしこれは表向きの数字で実際は4万箱、清朝銀換算で1500万両に達していたと考えられています。これは清の国家予算が当時4000万両だったことを考えるとその膨大さが迫ってきます。

 当然禁止令は出されます。しかし政府には公行の賄賂を収賄する勢力もあって禁止令を骨抜きにしてしまうのです。そこで業を煮やした道光皇帝が厳禁令を出すに及びます。1838年給食者は死罪、アヘンは業者から没収、二度とアヘンを持ち込まないという誓約書を提出させる。こんな厳しい禁止令を実効させるために広州に欽差大臣(特命全権大使)として派遣されたのが林則徐でした。

 

 結果は教科書にある通りです。

 何故アヘンが中国庶民に流行したかについては貧困化が大いに影響しています。人口が倍増(1757年1億9千万人から1830年3億9千万人)したにもかかわらず耕地が18パーセントしか増加しなかったのです。加えて中国の相続制が日本のように長子相続でなく兄弟同等でしたからネズミ算式に小農化、貧困化します。さらに特殊な貨幣制度と納税制度が影響しました。すなわち流通貨幣は銅銭なのに納税は銀納のため銀の流出によって交換比率が大幅な銅安になって貧困化に拍車がかかった側面も否めません。

 貧困化によって食っていけなくなった農民が逃散する、流民化して結社して反乱する。その最たるものが太平天国の乱となって清朝崩壊に至るのですがこれらについては詳細は避けます。

 

 ここでどうしても触れておきたいのはイギリスにも正義を信奉する強力な反対勢力があったということです。戦争を決定する議会で行われた次の演説を記しておきたいのです。

 保守党のジェイムズ・グラハムは三時間にわたって「このような不正義の戦争には、たとい勝ってもいかなる栄光も得られない」と非難しました。更にグランドストンは次のような演説をしたのです。「……その原因がかくも不正な戦争、かくも永続的に不名誉となる戦争を、私はかって知らないし、読んだこともない。いま私と意見を異にする紳士は、広東において栄光に満ちてひるがえった英国旗について言及された。だが、その旗こそは、悪名高い禁制品の密輸を保護するためにひるがえったのである。現在中国沿岸に掲揚されているようにしか、その旗がひるがえらないとすれば、われわれはまさにそれを見ただけで恐怖をおぼえ、戦慄せざるをえないであろう。」

 こうした反対意見がありながら英国議会は当時政権を握っていた自由党の賛成多数でこの不正義の戦争――戦費支出を承認しました。その投票は、「賛成 271票、反対 262票」の僅か9票差で、英国は世界史に大汚点を残したのです。

(この稿は『実録 アヘン戦争(陳舜臣著/中公文庫)』に依拠しています)

 

2026年6月2日火曜日

騎手のダービー

  今年のダービーも白熱したレースでした。それは着差がアタマ差という僅少で走破タイムが2分22.7秒というレースレベルだけでなく騎手の葛藤が凄かったからでもあります。

 レース前の予想ではロブチェンが1頭抜けていましたが単勝オッズが3倍前後だったようにディ-プインパクト(110円)やナリタブライアン(140円)ほど絶対的強さではなく2番人気のリアライズシリウス以下10頭ほどが鎬を削る様相になっていました。

 

 こんな時には騎手から迫ってみるのが意外と勝ち馬予想の近道になるものでとくにダービーは「お手馬から勝馬がでる」というジンクスがあるから余計です。このジンクスは3年前のタスティエーラで勝ったレーン騎手に破られたのですが、それでもGⅠ、重賞で勝ちまくっているルメ―ル騎手でさえレイデオロの1勝に終わっていることがこのジンクスの確かさを証明しています。お手馬というのはその馬の新馬初戦から継続して唯一人の騎手が騎乗している馬のことでそれだけ人馬の関係が深く緊密でないと勝てないレースがダービーであるということを意味しているのです。

 今年のダービーでお手馬に乗る騎手は1番枠のライヒスアドラーの佐々木大輔、11.リアライズシリウス・津村明秀、13.パントルナイーフ・ルメール、16.グリーンエナジー・戸崎圭太、17.ロブチェン・松山弘平の5頭5騎手です。

 佐々木騎手は若さと1番枠というダービーでは最も手腕の問われる難しい枠なので除外。津村騎手はリアライズシリウスがロブチェンとの勝負づけが終わっていると見て外します。皐月賞は予想外のロブチェンの逃げでレースが展開し終始2番手につけたリアライズが直線半ばで並びかけましたがロブチェンが踏ん張りゴールでは1馬身まで着差が開いていました。この差は着差以上の実力差を表しておりひょっとしたらリアライズは距離的限界があったのかもしれません。そんなわけで津村騎手は捨てますが想定外の前日落馬というアクシデントもありなおさらこの取捨を後押ししました。

 もっとも買い気をそそられたのは戸崎騎手です。この10年間彼は3頭で2着という口惜しい思いをしています。とくに24年は1番人気皐月賞馬ジャスティンミラノでダノンデザイルに2馬身の完敗を喫しています。今回は4頭出し上原祐紀厩舎の最低人気馬グリーンエナジーですから逆に闘志に燃えているのではないか、そんな思い入れをしたのです。

 

 問題はルメールです。先にも述べましたが彼ほどの騎手がダービーはレイデオロの1勝に終わっているのですから思い入れは人一倍でしょう。加えてパントルナイーフを出す木村哲也調教師は開業16年目の54才、GⅠ15勝の敏腕トレーナーですがダービーは未勝利です。皐月賞馬ジオクリフ、ホープフルS勝ちのレガレイラであと一歩のところまで来ているのですからダービーにかける熱意は尋常ではないでしょう。その厩舎が主戦とも言えるルメールを初戦から配してここまできたのですからパントルナイーフにかける思いは一入のものがあるはずです。

 ここでさらに深入りすれば木村調教師は藤沢和雄元調教師の弟子です。藤沢さんはJRA1570勝、重賞勝利数129勝うちG135勝の名調教師でありながらダービーだけは勝てず「競馬界の7不思議」と言われたほどでした。彼はルメールがJRAの免許を取得して以来の盟友で藤沢―ルーメールは黄金コンビと言われ数々の重賞勝ちを収めました。その藤沢さんがようやくダービーを勝ったのが定年5年前のレイデオロで鞍上は勿論ルメールでした。

 こんな因縁のある木村調教師ですからダービーに賭ける思いはわれわれの想像以上のものがあるにちがいありません。そんな彼がダービーに送り込んだパントルナイーフ、しかも必勝を期した皐月賞が思いもかけぬ大不利を被った敗戦でしたから今度こその思いがあったはずです。それはルメールも同じで名手の彼が不利を受けるような騎乗をすることは万に一つもないレアケースですからその悔しい思いをここで晴らさずにおくものかと必勝を期していたにちがいありません。

 

 ここまで考えてきた末の結論はロブチェンに挑むルメール(=木村哲也)のパントルナイーフ、これでほぼ決まりだがひょっとしたら戸崎のグリーンエナジーがあるかも知れない。こんな結論でした。

 

 結果はご存じの通りロブチェンの勝利と松山弘平のダービージョッキ戴冠で終わりました。17番枠という不利な条件を逆手にとって好位よりも一段後ろの中段待機で爆発力温存、直線もルメールの追い出しに一呼吸遅らせ一瞬ヒヤッとさせたがゴールではアタマ差抜け出す絶妙の騎乗で松山がルメールを葬り去りました。逃げて勝った皐月賞、不利な外枠から中段差しで勝利をもぎ取ったダービー。ロブチェンという馬はとんでもない強い馬かもしれません。菊花賞は勿論春の天皇賞、有馬記念も制して海外に飛躍する希望を感じさせます。

 松山弘平騎手36才27年目。重賞勝利数58勝うちGⅠ11勝、デアリングタクトで牝馬三冠をすでに達成しているだけにもしロブチェンで牡馬三冠を成し遂げれば武豊騎手とは別の名騎手になるかもしれません。

 

 第93回ダービー(東京優駿)は私にとって「騎手のダービー」として記憶に残るダービーになりました。