2023年10月30日月曜日

末法の世

  ロシアとウクライナのいつ果てるともない戦争、イスラエルとパレスチナのガザ地区での紛争、世界の至る場所で絶えることのない内紛や地域戦争、世界中で移住をつづける難民、北朝鮮の挑発的な核開発、アメリカと中国の軍拡競争。ベルリンの壁が崩れて冷戦が終結したとき(1991年12月)、世界に自由と民主主義の時代が来るであろうと『歴史の終わり』(フランシス・フクシマ)をよろこびました。しかしそれから30年、そんな楽観主義を嘲笑うかのように世界は混乱とカオスの様相を呈しています。

 

 昨年は『古今和歌集』を窪田空穂の手引きで読み込みました。今年は『古事記』を読む予定だったのですが、古今集を精読することで和歌というものが歴史書の歴史とは異なった位相から時代性を表現していることを知って西行の『山家集』を読んでみたくなったのです。『山家集』は勅撰集の『古今和歌集(905)』と『新古今和歌集(1205)』の間に位置する「私歌集」ですが古今集と新古今集の間にわが国に大変革が起こります。平安時代(794~1185)から鎌倉時代(1185~1333)の変化は公家社会から武士社会の変革という政治面の変化のみならず精神面では仏教の「末法の世」を迎えるのです(永承7年1052年)。加えてこの時期にわが国災害史上最大級の養和の大飢饉(1181)と寛喜の大飢饉(1230)が起こっていますから庶民の生活は「末法」そのものの悲惨な状態に陥いります。この間の惨状を描いた『国宝 餓鬼草紙』は庶民が飢餓に苦しむ姿がリアルに描かれています。政体の変更は支配者階級の交代ですから被支配階級に下落した層は悲惨を極めます、庶民は政権確立に必要な財政基盤確立のために徴税が強化されます、そのうえ大飢饉が襲うのですから精神の安寧を求める機運は当然高まりそこに「鎌倉仏教」が出現するのです。法然(1133~1212)日蓮(1222~1282)の出現は末法の世に待たれた存在だったのです。

 

 末法思想というのは釈迦の入滅後年代が経つにつれ釈迦の教えが廃れ悟りが開けず現世での救いが困難な時代が来るという思想で1000年後あるいは2000年後に来ると言われています。1000年後が永承7年(1052)にあたりその伝でいくと2000年後は2052年ということになります。今の混沌とした世界情勢はこのままいけばまちがいなく2050年ころ世界の大変換が起こるにちがいありません。まさに現在は「末法の世」へまっしぐらの時代になっているのです。

 

 佐藤義清(のりきよ、西行の俗名、1118~1190)は保延6年(1140)出家しますが、清盛(1118~1181)と同時期に北面武士として仕えていましたし待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)との悲恋も経験しました。清盛隆盛の対極に没落して人生の悲哀をなめる元支配層もあり彼らの多くは「出家遁世」の道をたどりました。しかしすべての人が都の花やかな生活から山里深い草庵生活に順応して平穏な精神生活に安住するとは限りませんから出家できずに逃げ出す人もあります。そんな事情を詠んだ歌が『山家集』には収められています。

 

 待賢門院は久安元年(1145)崩御しますがお仕えしていた多くの女房たちは先を争って「出家遁世」しました。これは当時の慣例で志あるものは出家することで救いの道に入れると信じていたのです。西行は出家したのちも宮廷の女官たちとの交流は途絶えなかったのですがなかでも待賢門院の女房との親しみは深く中納言局、堀川局、尾張局などが仏道に入りますがその間には西行の力添えはあったにちがいありません。堀川局の妹に兵衛局があり彼女も姉に従って仁和寺奥の山里に引籠ります。しかし俗世への未練が断ち切れずいくらも経たないうちに都に逃げ帰るのです(上西門院からのお誘いがあったのも影響しているかもしれません)。そんな事情を知らない西行が仁和寺の草庵へお見舞いにゆくと兵衛はすでに都へ帰った後でした。西行がそうした事情を兵衛局に書いて遣ると

 立ち寄りて柴の煙の哀れさをいかが思ひし冬の山里(兵衛)と歌が贈られてきます。 私の草庵へお立ち寄りいただいたそうですが、冬になっても柴を煙らすばかりの寂しい風情をどのようにご覧になりましたか。

 惜しからぬ身を捨てやらで経るほどに長き闇にやまた迷ひなん(兵衛) 捨て惜しむほどもない卑賤の身ですが、出家しないでそのまま在俗する内にまた欲が出て、迷妄の無明長夜の闇に入ってしまいそうです。

 これに応じて西行は

 山里に心は深く入りながら柴のけぶりの立ちかへりにし(西行)と返します。 出家されたと聞いてあなたの住まわれているであろう草庵を深い草を分け入りながら柴の煙の素晴らしさに私は心から深く共鳴いたしました。

 世を捨てぬ心のうちに闇こめて迷はんことは君ひとりかは(西行) 世を捨てられず出家の道にすすめず煩悩の闇が立ち込めて迷うのは、あなた一人だけではありません。誰しもそうなのです。

 さらに西行は思い悩む女房連を見ていたのでしょう、落ち込む兵衛になぐさめの書を届けます。あなたの親しかった女房たちもみな同じように悩んでおられるとお思いなさいと。

 兵衛の返し。

 なべてみな晴れせぬ闇の悲しさを君しるべせよ光見ゆやと(兵衛) 誰もが皆、悲しいことに晴れることのない心の闇に迷っています。どうぞあなたが道案内してください。悟りの光明が私たちにも見えますかどうか。

 西行の返し

 思ふともいかにしてかはしるべせん教ふる道に入らばこそあらめ(西行) 道案内しようと思ってもいったいどうしたらあなたたちを悟りの光明に導くことができましょうか。あなたたち自身が出家して仏の教える道に入る以外に道はないのですよ。

 

 同じ末法の世ですが11世紀には仏門に入るという救いの道がありました。しかし21世紀の今宗教は無力化しています。カオスからの脱却は至難の業です。私たちにその力はあるのでしょうか。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

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