2023年12月11日月曜日

もし今が幕末だったら

  今年は幕末ものを何冊か読みました。たとえば川路聖謨(かわじとしあきら)を描いた吉村昭の『落日の宴』(講談社文庫)や最近なら阿部正弘の『群青のとき』(今井絵美子著角川文庫)など。なぜ幕末に興味が湧くかを考えてみると歴史の大変革期だからではではないでしょうか。幕末は「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)」と庶民が落首したように、250年の鎖国の間に産業革命を経て圧倒的な経済力を蓄えた欧米列強の軍事力に開国を迫られた「外圧による政治制度の大変革期」。今はやっと欧米先進国に追いつけ追い越せたと思ったら国際情勢が溶解して国際新秩序を求める混沌の時代となった世界の大変革期のなかでわが国をどのような国家に改造すべきか「模索の大変革期」です。どちらも既存の社会制度の大変革期であることは共通ですが、幕末には明らかなモデルが存在していたのに対して現在は新しい価値体系を創造しなければならないだけ乗り越える困難さは断然現在の方がハードルは高いでしょう。それにしては現在の政治家、財界人のレベルに疑問符が付かないでしょうか。

 

 幕末の幕閣にとって「アヘン戦争」は強烈な脅迫意識であったにちがいありません。千年以上に亘って国の進むべきお手本としてきた「大中国帝国」がいとも易々と新興イギリスに征服されたのですから驚天動地と感じたにちがいありません。加えて国内は「尊王攘夷」の嵐が吹き荒れていましたから執政者はかじ取りに悩んだことでしょう。国力=軍事力の差は歴然でしたから戦火を交える選択肢はありません。しかし攘夷論者たちは「竹槍戦法」でも「玉砕覚悟」で主戦論を唱えるばかりです。いかに戦端を開かずに不利な条件を可能な限り少なく「和親条約」を締結できるか、それが彼ら幕閣の生命線でした。

 反して現在は無極化した国際情勢のなか米中ロの覇権闘争の狭間で確たる進路を見出せずに竦み脅えるばかりの自民党=岸田政権。断然たる列強が存在した幕末と覇権に陰りが見えるアメリカに盲従するばかりの現在。

 

 攘夷論の「夷」は欧米列強ですが現在の「夷」は中国でありロシア、そして北朝鮮になるでしょう。国是は幕末は祖法――国交断絶、鎖国政策だとしたら現在は憲法――九条と非核三原則が相当するのでしょうか。

戦争の脅威のなかで開国を迫られた幕末の執政者は「祖法とは国を護るための法、今、祖法を破るのが国の安全を護ることになる(『群青のとき』より)」と開国を選択しました。攘夷論者も開国派の執政者も「国を憂う心はひとつ。だが、憂うだけで、現実に目を向けないのであれば、真にわが国の未来を考えているとは思えない(『群青のとき』より)」と阿部正弘をはじめとした幕閣は開国を選択したのです。しかし国力の圧倒的差は如何ともし難く「日米和親条約」にせよ「日露和親条約」にせよ片務的不平等条約ならざるを得なかったのです。この国辱を晴らすために明治新政府は臥薪嘗胆、苦節50年――明治44年(1911)遂に条約改正を勝ち取ったのです。陸奥宗光、小村寿太郎たちの不屈の執念が明治政府の最重要外交課題を解決に導いたのです。

 第二次世界大戦に敗戦したわが国はその教訓を憲法九条に昇華させて「戦争放棄」と「非核武装」を国是としました。米ソ冷戦の緊張状態の高まりは日本政府に「日米安全保障条約」の締結という選択肢を取らざるを得ない状況に追い込みました。しかしこの条約も彼我の国力の差と軍事力を持たないという非対称性によって「日米地位協定」という不平等条約とならざるを得ませんでした。しかし1960年から早や60年以上経ちますが未だに改定の兆しもありません。最近もオスプレイの墜落事故がありましたがわが国の飛行停止要求は無視され事故調査権もわが国には無いのです。明治政府は不平等の解消を国辱を晴らすための最重要課題として取組みましたが戦後保守政権が不平等解消に真剣に取り組んだ形跡を認めることはできません。

 

 幕末政府で老中首座として執政した阿部伊勢守正弘は備後福山藩第七代藩主で25才で老中になり12年間首座として混沌期の幕末を戦争を回避しながら開国に導きました。彼の下で日ロ和親条約締結に尽力したのが川路聖謨です。アメリカが高圧的な脅迫外交を展開したのに比べてロシアのプチャーチンが終始紳士的な交渉姿勢を崩さなかったのは相手国でさえも魅了した川路の外交手腕に負うところが大きかったのです。この条約にある国境策定条文を精査すれば現在紛糾している日ロ国境問題に新たな展開があるのではないでしょうか。

 

 阿部正弘の出た備後福山藩は現在の広島県福山市周辺を領していましたから奇しくも岸田総理と同じ広島出身の日本国最高政治権力者になります。阿部正弘は混沌の幕末を破綻なく列強支配の国際情勢の中へ軟着陸することに成功しました。川路聖謨という優秀な外交官も存在しました。同じ広島出身である岸田総理は「新しい資本主義」という現在の混迷する国際世界を新秩序に導く可能性を感じさせるキャッチフレーズで登場しながら何ひとつ改変することなく、ただ既存政治勢力の「大棚ざらえ」政策で調整――ご機嫌を取りながら総理の座に執着するだけの「鵺(ぬえ)的存在」として日本政治史に汚点を残すことになりそうです、自民党政権最低の政権支持率で総裁交代したという。

 

 幕末の若い幕閣と現在の政治家を比較したとき、理念と矜持のあまりの差に愕然とするばかりです。勿論政治には権力闘争の側面は否定できません。しかし国と国民をあるべき方向に導く「理念」のない政治は単なる「政治ゴッコ」です。そして矜持のない政治家は権力の亡者に堕するばかりです。

 阿部正弘と川路聖謨。彼らに比肩しうる人材の出現が待たれます。

 

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