2026年5月18日月曜日

マルジナリア

  この春のドラマでは「月夜行路」を見ています。勿論志賀直哉の暗夜行路』のもじりですがドラマのキーワードが「マルジナリア」というのはちょっとシャレています。「マルジナリア」はラテン語の「margo(縁、余白)」に由来した言葉で、本の欄外の余白に自分の考えや疑問、感想などを書き込む読書法のことです。主人公の初恋の男性がなぜ突然絶縁を突き付けたのかを蔵書のマルジナリアが解き明かすという仕立てになっています。しかし私がこのドラマを選んだのは主演がお気に入りの女優ふたり――波瑠と麻生久美子だったからで毎回堪能しています。

 

 最近書斎の書架を何となく眺めるているととても落ちつくのです。齢八十四を数えるに至ったそれなりの来し方が去来してそれに身をまかせてぼんやりしてしまうのです。文庫本、新書、単行本別には分類されていますがそれほど整然としてなくて分野別、作家別に並べているようです。それぞれに濃淡はあっても記憶はあって、でも中にはほとんど内容が思い出せないのも混じっているのは面白くなかったり理解できなかった本なのでしょう。

 再読三読している本もあります。漱石の『思い出す事など』、子規の『病牀六尺』、金子兜太の『養生訓』の三冊はよく手に取ります。老病死にまつわる本ですから晩年が進むにつれて身に迫ってきます。赤線とか付箋が貼ってあって歳を取るにしたがって「マルジナリア」が増えています。こんなことに赤線が引いてある、浅いなぁ。この言葉はここにあったのか、などと読み返すたびに訴えてくること、感じることが変化します、これが本を読むことの醍醐味なのでしょうか。

 もし机の上にタブレットが1台ポツンとあるだけ、そんな書斎は何とさびしく味気ないことでしょうか。紙の本の良さはその存在感と繰り返し読むときのなつかしさ、自身の成長の確認にあるあるように思います。

 

 AI(生成)は「紙の本の良さ」をこんな風に書いています。

 紙の本の最大の良さは、五感(触覚・視覚・嗅覚)を通じて情報を得られ、デジタル機器に邪魔されずに内容に集中できる「体験」そのものにあります。ページをめくる感覚や本の匂い、読了後の達成感(物理的な厚味)により、記憶が定着しやすく、深い読後体験が得られます。

 とあってさらに、機能性と愛着(紙が手に馴染んでくる感覚の楽しみ。充電不要で貸し借りや売却が容易)、インテリア性と所有欲、装丁(デザインの楽しみ、本棚に並べてインテリアとして機能させる)が書かれています。一方で保管場所が必要、物理的な重たさがある、購入までにタイムラグがあるという側面も、本との出会いや体験の質を高める要素として捉えられています。

 

 大変うまくまとめれられていますが上に書いた肌感覚のようなもの、赤線、付箋、マルジナリアといった「参加性」、本と読み手の「時間制、歴史性」は含まれていません。これはAI最大の弱点である「身体性」、そこから派生する読み手との「関係性」の欠如に起因するものです。しかしそれこそが「人間性」そのもではないでしょうか。「人間性」のないAIは好きではありませんし信頼できません。そんなことを言っても

AIは時間が経てば、早ければニ三ヶ月でネット上の情報を取り込んで学習して私と同じような答えを出すにちがいありません。しかしそこにこそAIの信用のなさを見出すのです。

 信用のなさの一例が最近ありました。陸自部隊のロゴ問題です。このロゴは「チャットGPT」に「ゾウ、かっこいい、青い炎、擬人化」などの単語を入力して作成されたもので、迷彩服を着たゾウが小銃を持ち人の頭蓋骨や青い炎を配したデザインになっています。ゾウはロゴを採用した第1普通科連隊第4中隊のシンボルですが、「好戦的」「悪趣味」などの批判が相次ぎX(旧ツィッター)に公開してすぐ使用中止になりました。Aiが受け手の感情を判断できなかった結果で「人間性の欠如」を見事に証明しているではありませんか。

 

 にもかかわらずAIは飛躍的な進歩を遂げています。最近も化物AI――クロード・ミュトスが発表されました。人間の手作業では半年、いや2,3年かかるようなシステムの穴(システムの脆弱性)をほんの数分で見つけ出す高性能AIモデルです。悪用されたら金融システムに破滅的な損壊を与える可能性が懸念されています。それでなくても私たちの知らない間に武器システムにAIは活用されていて人間の手を介さない武器がウクライナやガザ、イランの戦争で使用されているのです。

 生成AIは膨大な情報量を必要としますから巨大データセンターが必須となりその電力を賄う発電所の開設も含めて何兆円何十兆円の投資が求められています。しかしこの投資は人間を幸福にする投資になるでしょうか。

 

 ここで思い出すのは原発(原子力発電)です。わが国は原発の建設費用として67兆円超(立命館大学の試算/19662016年)を投じて33基建設しました。加えて福島原発事故の処理費用として23兆円超を計上しています。しかしこの数字は少なく見積過ぎていて原発所在地区への毎年の補助金や福島原発の廃炉費用は僅か8兆円しか予定されていません。なんやかやで100兆円を超える投資を行った「夢のエネルギー」は今やわが国のお荷物に成り下がっています。使用済み核燃料の処理、廃炉問題を等閑にしてメリットに目がくらんで見切り発車した報いを今われわれは受けているのです。われわれだけでなくわれわれの子孫まで原発の負の遺産を負わせなければならないのです。

 

 生成AIがそうならないという保証がどこにあるのでしょうか。ミュトスなど今でもその危険性から公開先はごく少ない企業・機関に限定されています。これまでもシステムの脆弱性が攻撃されて市民生活が攪乱された例は枚挙にいとまありません。

 そもそも今蓄積されているデータのどれほどが利用されているのでしょうか。もし廃棄されることなくこの先どこまでも無制限に投入され続けるとしたらそれはもう「シーシュポスの神話(絶望的な無間地獄)」ではありませんか。

 

 AIは科学技術の大転換点です。このまま進歩と活用に制限を設けずわれわれ人間のすべとをAIに委ねることは危険極まります。そうならないように今こそ世界の人びとが全知を集結して人間を守る動きに出るべきです。そのためにはまず「平和」な世界を取り戻さねばなりません。

 頼りは「国連」しかないと覚悟しましょう。

 

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