2023年11月20日月曜日

 鵺(ぬえ)

  岸田さんの支持率低迷に歯止めがかかりません。このままでは総裁退陣になる可能性も出てきました。

 岸田さんで忘れられないのは自衛隊の戦車に乗ったときの嬉しそうな顔です。ちょっと控え目な笑いですが、子どもが欲しかったものを買って貰った時に見せる抑えても抑えきれないあふれ出る笑み、そんな笑いでした。この人はこの日のために総理になったんだろうな、そんな気がしました。そしてそれは内閣が記念撮影する階段で身内を並べ立てて撮った写真で見せていたご子息の子供じみた得意顔と一脈通じるところがありました。世俗の頂点を極めた親の威光を我がことと錯覚して浮かれているやんちゃ坊主といった未熟な、幼い傲慢な顔と。

 

 岸田さんが「新しい資本主義」というキャッチフレーズで登場したときには大いに期待しました。なんといっても政策集団の宏池会――自民党のなかではどちらかといえばリベラル寄りの派閥ですから行き詰まった「グローバル新自由主義」を世界に先駆けて改革に導いてくれるのではないかという期待を抱いたのです。「分配重視」を打ち出したスタート時には期待は更に高まりました。それが半年も経たないうちに「資産倍増」に変わり「防衛三原則の改悪」「集団的自衛権にもとづく敵基地攻撃力の保持」さらに3.11の教訓から導き出された自然エネルギー重視の方向から「原子力発電の主源電力化」に至っては唖然とするばかりでした。

 結局岸田さんは「聞く力」を国民から「党内力学」に方向転換して「派閥別主力政策の大棚ざらえ」することで「総裁任期の長期化」を狙ったのです。とにかく総理の座にとどまりたい、そうした欲望をあからさまにしたのです。

 総理には二種類ある。「何かをやりたくてなる」総理と「何でもいいからなりたい」総理、と。政界のこの常識にしたがえば岸田さんは紛れもなくゴリゴリの後者です。ということは彼の頭にあるのは「選挙に勝つ」しかないのです。党内派閥の均衡の上にのって総理にありつづける、それしかないのです。

 

 保坂正康さんが首相のタイプ(戦争にどう向き合ったか)を4つに分けて昭和10年代の広田弘毅から鈴木貫太郎の9人の総理を分類しています(2023年11月14日京都新聞「現論」より)。

(1)状況に流されて眼前の強硬論しか考えない東条英機型

(2)哲学、思想はあるが、優柔不断に対応する近衛文麿型

(3)迂回しながらも政治的目標の完遂を目指す鈴木貫太郎型

(4)信念欠如、思想欠落の無気力型

 この中で1と4は最も歴史感覚のない総理で東条英機をはじめ広田、林銃十郎、平沼騏一郎、阿部信行、米内光正、小磯国昭をあげています。そして岸田さんを東条英機型に分類してその理由をこう述べています。

(1)自分と周囲の利害得失でしか物事を判断しない

(2)人事で有能の士を遠ざける

(3)大局より小事にこだわり、その実践を誇りとする

 要は状況をつくるのではなく、状況の流れの中でしか判断しないのである。(略)唐突な所得税減税論を見ていると、本質から遠いところで大衆人気を考えている構図にがくぜんとする。(略)今この首相に望むのは、果たせずとも対米開戦回避を目指した近衛型と、継続論を抑えポツダム宣言受諾に導いた鈴木型の長所を取り入れた首相像の確立である。

 

 保坂さんには申し訳ないですがもう岸田さんに期待をかける時期は過ぎてしまっているのではないでしょうか。世上云われるところの「青木法則」――内閣支持率と政党支持率の合計が50を下回ると首相退陣が近づくという見方によれば内閣21.3%政党19.1%を足した40.4%(時事通信11月調査による)は50より遥かに下ですからほとんどご臨終状態です。政務三役の相次ぐ不祥事にも打つ手なしですから浮上の可能性はゼロで、うがった見方をすれば岸田さんを見限った派閥がわざと脛に傷もつ連中を知って三役に送り込んだのではないかという可能性も否めません。

 

 鵺という架空の怪鳥がいます。顔がサル、胴体がタヌキ、四肢がトラ、尾はヘビなどとされる怪獣ですが、平安時代源頼政が退治した鵺を葬った塚が左京の岡崎公園にあったと伝えられています。その鵺にたとえて「鵺のような存在」という表現があります。ウィキペディアによれば、政治家などの人物であり「得体が知れない」「奇妙な」「底が知れない」「食わせ者だ」「薄気味の悪い」といった意味合いを含む表現と記されています。わざわざ「政治家などの人物」という注が付くように政治家によくいるノラリクラリと自分の意見を表わさずに時の権力者に阿って自分の地位をいかに保つかだけを願って政治家であり続ける人を指しているのです。まさに岸田さんにピッタリではないでしょうか。

 

 岸田さんが自慢する「聞く力」をもし「国民の声」に耳をかしておればこんなことにはならなかったでしょうが、結局彼は誰の声も聞いていなかったのではないでしょうか。

 

 

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