2023年11月27日月曜日

持て余す長寿

  今年は四年ぶりという再会が幾つかありました。「コロナ自粛明け」をキッカケに待ちかねた飲み会を解禁したのです。コロナを挟んで80才を超えた連中が多かったのですが思った以上に顔色が良かったので安心しました。しかし考えてみれば無理やり規則正しい生活を強いられそれなりに栄養のある食事をしていたのですからそうあっても不思議はないのです。話すうちに肝臓やら腎臓やら咽喉だったりを悪くしたり手術したりしていて、なかでもペースメーカーを3つ入れたのがいたのには驚かされました。80才を境に身体が変わるといいますから、それにコロナが加わったのですから仕方ないのかもしれません。 

 呑んで会話がすすむうちに一様に長寿を持て余しているように感じました。無理もないのです、我々世代は終戦直後「人生僅か五十年、うまくいってもあと十年」で育ったのですから。それがあれよあれよという間に平均寿命が60才から70才、そしてついに2010年ころに80才を超え(男性)今や「人生百年時代」を迎えているのです。だから「多病息災」ながらもまあまあの健康状態で飯を食ったり酒を吞む会に出てこられるのに途惑いを覚えているのです。

 30代で平均寿命が70才になり50代で75才になって、60才の定年になったあとの老後が15年もあるのだと思ってもあまり現実感はなく、それが60才の一応定年を迎えるころになると75才が平均寿命になり、リタイアしなければならなくなった70才代になると80才を超えてしまったのです。そんなわけで私たち世代は生きているうちに老後が10年になったり15年になったり20年に増えたり、そしてとうとう40年(70才からなら30年)――「人生百年時代」になってしまったのです。

 丁度高度成長時代の真中を生きてきましたからとにかく「24時間、戦えますか?」で青壮時代を走り抜け、60才手前でようやく老後のことを考えて、まあ65才くらいまで嘱託で働いてそれからの老後の10年はのんびり「晴耕雨読」でたまに女房と旅行でもして暮らそうか。退職金もあるから家のローンは終わってるだろうし10年くらいの生活費は年金もあるから大丈夫だろう。そんな心づもりできて、気がつけば80才を超えてあと10年?15年?視力の衰えと根気がつづかなくなって本を読むのがつらくなってきて、ゴルフもコロナで止めてしまって、旅行は長距離はムリでせいぜい日帰り。テレビも見たいものが少なくなってたまの外食かショッピングが今の気晴らし。これが平均的なわれわれ世代の日常で折角手に入れた「長寿」も現実となってみればなかなか手強いものであった、というのが実感ではないでしょうか。

 

 今となっては人生をやり直すこともできませんが人生の見方を改める必要があります。

 「育ちと学び―被扶養」期(~20才)、「働く―稼ぐ」期(20才~65才、70才)、「遊び―使う」期(65才、70才~)。人生の区切りを3期にわけて、晩年をはっきりと「遊び」の時期と位置づけて20年なり30年を投入して実現できる「遊び」を準備しなければならなくなるでしょう。(「遊び」というのは「生活(人生)資金を稼ぐ労働」以外のすべてをいいます。)

 そしてまず「健康寿命の長期化」のために「健康診断」の幅を広げます。現在は内科的な検診が主体ですがQOL(クオリティライフ)を考えれば食事を自分の歯で一生楽しむための「歯科」、難聴はは認知症の原因になりますから「耳鼻咽喉科」、読書を生涯の楽しみにするために「眼科」、痒みと乾燥肌は高齢者の不快感の原因ですから「皮膚科」も。40代からはじめるべきでしょう。

 

 遊びについて最近気づいたことがあります。友人たちを見ているとそれなりの学歴と職歴を持っているのですが、彼らのもっともすぐれた「才能」が「勉強」だということを完全に忘れているのです。いや「勉強しか能のない」といってもいいのです。それが勉強以外に遊び(趣味)を求めて結局何もないことに愕然として晩年の過ごし方に途惑い持て余しているのです。「いい年をして今さら勉強なんて」というテレが邪魔しているのでしょうが、立花隆さんは堂々と「結局私は勉強が好きなんですね」と死ぬまで勉強しつづけたではありませんか。何を恥ずかしがっているのですか、それこそ「生涯学習」です。

 

 トーマス・モアが『ユートピア』(1516年)で余暇の過ごし方について傾聴すべき考えを述べています。

 余暇を知的に過ごす暮らしぶりを「幸福」の極致とみなし、精神の自由な活動と教養を培うことこそが余暇の有意義な活用法であり、人生の「幸福」は余暇の知的活用によりもたらされる、というのです。彼らの余暇はどのようにしてもたらされるかというと、奴隷を用いたのです。

 私たちはロボットとAIの活用によって今ある仕事の半分近くを自動化する可能性をもっています。そして「究極の技術革新」と呼ぶにふさわしい生成AIは、16世紀初頭にモアが創作した、生産労働から解放された人々が余暇の活用に「生き甲斐」を求めた「ユートピア」に私たちを導いてくれるかも知れません。(京都新聞「天眼――AIで『ユートピア』到来?」佐和隆光/より

 

 大学進学率は50%を超え(2020年)短大を加えると60%(58.1%)に迫っています。高学歴化は知的レベルを高めますからモアの理想郷を実現する土壌をつくります。芸術、文学、歴史、哲学、数学、自然科学などリベラルアーツへの関心を高める啓蒙を社会全体でつづければ人びとの晩年――余暇の過ごし方の変化を実現できるにちがいありません。

 

 われわれ世代が長寿がもたらしてくれた余暇を持て余しているのは「人生の見取り図」の描き方が寿命の延びに追いついていなかったことが大きく影響しています。趣味や遊びの考え方も狭くて固定観念に捉われていました。なにより健康への向き合い方が「短期的」すぎました。

 「人生百年時代」にふさわしい「幸福」な「晩年」をすごしたいと願うばかりです。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿