2024年1月8日月曜日

このままでは渡せない

  新年明けましておめでとうございます。

 昨年は孫の成長に驚かされつづけた一年でした。4月から保育園に通いだしたのですが歩行が安定した6月頃、赤子から幼児になって認知力が急速に高まり明かにヒトになって「この子」という感覚がめばえだすにしたがって「この子に今の社会を、日本を引き渡すことはできない」という気持ちが強く起こりました。世界をこのままで、地球を今のままこの子に引き継ぐことはできないという思いが痛切に胸を打ちました。

 

 折りしもこの正月、令和6年能登半島地震が起こりました。1995年1月17日阪神淡路大震災、2011年3月11日東日本大震災と福島原発事故、2016年4月14日熊本地震。僅か30年の間に4回もの大地震(震度7以上)が頻発しています。地震以外の自然災害は温暖化どころでなく「沸騰化」して、豪風雨も山火事も旱魃も容赦なく人間社会を蹂躙しています。化石燃料の使用が原因の温暖化ガスを早急に排出規制・中止するようCOP(国連気候変動枠組み条約締結国会議)で約束しておきながら大国はエゴを剥き出しにして真剣に取り組む気配も見せません。わが国は「環境先進国」は遠い昔のこと毎年のように「化石賞」を突き付けられても恥じ入ることもなく「火力発電依存」を止めず、あまつさえ「3.11」の教訓も忘れて「原発主力電源」指向に方向転換さえしているのです。こんな状態を孫世代に引き継ぐことはできません。

 

 最大の「環境破壊」である『戦争』は冷戦終結を境に終息に向かうとの期待も空しく、イラン・イラク戦争(1980~1988年)、湾岸戦争(1990年)、アフガニスタン紛争(2001年)とまるで安易な外交手段でもあるかのように通常化したあげく、ロシアのプーチンによるウクライナ侵攻、イスラエル・ガザ戦争と問答無用の侵略戦争が国際世界の注視の下で非難を無視して終戦の糸口も見出せないままでいます。国連の無力化は無惨です。第一次世界大戦という人類未曾有の総力戦の経験を反省して形成された「世界共存の思想」という『人類の知恵』が空しく踏みにじられ『人類の進歩』という希望は完全に『退歩』してしまいました。こんな状態を孫世代に引き継ぐことはできません。

 

 有限な資源を最も効率よく活用できるシステムとして創出された「資本主義」という制度は、実はビルト・イン・スタビライザー(自動安定化装置)としての『戦争』が定期的に起こることで「自己矛盾」としての「蓄積・格差・分断」のサイクルを「リセット」する制度だということを知らなかった、学習しなかった人間社会は戦後80年という戦争のない時代=平和という幻想を安穏と享受するばかりで「自己矛盾」を「知恵」で「新しい資本主義」に改造する努力をしませんでした。その結果「格差の極大化」と「修正不可能な分断」を国内的・国際的に引き起こしてしまいました。あまつさえ「金融資本主義」という『幻想』をリアル資本主義社会の敗者である基軸通貨国アメリカに強制されたことによってグローバル資本主義は終焉を迎えようとしています。こんな状態を孫世代に引き継ぐことはできません。

 

 国内に目を向けると安倍一強の驕りの腐敗物である「安倍派裏金問題」で「民主主義」が存亡の危機に瀕しています。この件に関しては年末のニュースショーで元明石市長の泉さんが政治評論家田崎史郎さんに噛みついて話題を呼んでいます。田崎さんが「政治には金が要りますからね」と言ったのに対して「田崎さんがそんなことを言うからいけないのです。金のかかる政治をやっているから金が要るんです。田崎さんにも責任がありますよ」と至極正論を投げかけたのがSNSで反響を呼んだのです。

 「金のかかる政治」は「世襲議員の政治システム」そのものです。古の「ムラ社会」を引き継いだ「ジバン、カンバン、カバン」で「地元の親分」連中を縁故と金で組織した制度がいまだに基本的な政治システムとして厳然と生き残っているのが現代日本社会の政治制度なのです。それと並行して「県会議員―市・村会議員」のヒエラルキーが存在しこれにも盆暮の付け届けが要りますから金がかかります。21世紀の現在に明治から連綿と続いた「世襲制度」が根を張っているから新しい血が流れ込まないのです。日本の政治の革新は「世襲制度」と「金のかかる選挙制度」を廃止しないと実現できません。こんな因襲塗れの政治制度の状態を孫の世代に引き継ぐことはできません。

 

 孫の世代を考えるとき「教育」は最も改革の求められているものでしょう。戦後の追いつけ・追い越せ時代には画一的で同価値観の一定レベルの能力を持った、与えられた仕事を効率的に遂行できる人材が求められました。そのためには「国定教科書」を採用した「一斉授業」が適していました。しかしグローバル化が進行した現在、既存の価値観にもとづいた商品の「陳腐化」は著しく、絶えず「新奇」の創造がないと「グローバル・スタンダード」を獲得して「創造者利益」を独占、競争を制覇することはできません。教育制度を現在のままの状態で孫世代に引き継ぐことはできません。

 もうひとつ、学校教育法にもとづいた「公的教育」の一斉授業の限界を補完して「知識教育」を専門的に付与していた「公的外教育」――塾、予備校、家庭教師等の廃止または改編も行なう必要があります。本来であれば必要費用を投入して「少人数」「多教師」「専門化」教育が公的教育で行なえれば公的外教育は不必要なのですが、公的費用がOECD国中最低レベルの低額なせいでこれまで個人負担の公的外教育が存在していたのですが、これが原因となって国家的な才能の「未利用」という損失を被ってきました。そしてこれが原因となって「国際競争力」の喪失につながり「貧困の固定化」と「格差拡大・分断激化」を招いていたのです。こんな状態を孫の世代に引き継ぐことはできません。

 教育分野への公的費用の拡充こそ孫世代への必要不可欠、最大の引継ぎ事業です。

 

 初孫を授かってわれわれ世代の子弟教育がいかに間違っていたかに気づかされました。あとどれほど時間が残されているかは分かりませんができるだけのことをして、孫世代に引き継ぎたいと願っています。  

                                          

 

 

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