2024年1月29日月曜日

マイルストーン

  正月は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし  一休禅師

 

 誰か知らないが余計なことを言ったものです、人生百年時代などと。どこかの評論家輩が命名して今頃したり顔でいるのでしょうが、浅墓です。自分の命がいつ果てるか知れないからこそどんなに齢を取ろうが不安ながらもどこか能天気に暮らしていけるのですが、こうもはっきりと「百年」と区切られたのでは82才ともなればあと幾つと数えてしまうではないですか。百才という数字が今になってはそれだけリアルなのです、平均寿命がアレヨアレヨと伸びつづけて70才を超え80才もこえてソロソロ限界だろうなと思い始めたころにバーンと「百才」と決めつけられたのでは「そうだよなぁ」と皆が納得してしまうではないですか。いくらなんでもこれ以上は無理だよなぁ、そりゃなかには百十才のひともいるだろうけど「ふつうのひと」は百才が限界だよなぁ、そう思い込んでしまうのです。私のようなものは今でさえよくここまで長生きできたものだ、それも思いもしない健康で。欲をかいてはいけない、百才なら上出来、「年貢の納め時」というではないか。そう合点して自分の余命の限界がいつのまにか「百才」になってしまうのです。余計なことを言ってくれたものです。

 そんなことで今年の正月は珍しく行く末を考えてしまいました。コラム連載千回は来年の春頃だからこれはいける、あの子(孫)の小学入学は86才だからなんとか大丈夫だろう……などと。そして問題は妻ではないかという思いに至ったのです。結婚以来ヘルペスで寝込んだ以外は健康そのものだった妻が二年ほど前からチョコチョコ風邪を罹くようになって、膝が思わしくなくシャガムのが窮屈になり、睡眠が十分でないのかうつらうつらすることが多くなってきて。それで一番恐れているのが私と反対に夜型なので夜遅くの入浴中に眠り込んでしまわないか、知り合いにそれで亡くなった人がいて心配の現実感はかなり切迫するものがあるのです。二時ころ目が覚めて襖の向こうから妻の寝息が聞こえてこないとひょっとしてなどとツイ思ってしまうこともあるのです。以前娘の引越を手伝いに行って一週間ほど留守にすることがあったのですが、それまではひとり生活に不安はなくかえって過ごしやすいとさえ思っていたのですが、自己中だからひとりの方が向いていると妻や娘にいわれてもいたのですが、そのとき初めてひとり暮らしに不安と孤独を感じたのです。若い頃自炊したことがあって家事はなんとかこなせるので障害になることはないと思うのですが孤独に耐えられるかどうか自信を失くしてしまいました。

 

 昨年は5月の連休に肺炎に罹った影響もあって「老い」を痛感させられました。80才になったら衰えるだろうという覚悟は杞憂に終わって毎日のトレーニングの効果かと喜んでいたのですが、コロナがいけなかったようです。

 そこで健康を維持するためにどうすべきかを考えてみました。結論は「睡眠」と「排泄」です。二ヶ月ごとにかかりつけのクリニックに循環器系の定期検診に行くのですが、多くの年寄りが「睡眠剤」の投与を受けているのに驚きます。でも仕方のない一面もあって常用しなければ、十日に一度くらいは薬を服()んででも熟睡する方が健康法としては理屈に適っているのかもしれません。後期高齢者――それも80才も半ばを超せば運動量が極端に減りますから、まして寒い冬の間は外出する機会もほとんどなくなり一日中ソファに寝転んでテレビを見る、そんな生活になってしまいますから7時間も8時間も寝られるはずもないのです。せいぜい5時間、夜中の目覚めをはさんで6時間も寝られたら十分なのです。たとえ眠りに入れなくても暗い寝床で横になって目を瞑って安静にしておれば9割方睡眠と同様の休養は得られますから実際の睡眠が3、4時間でもそんなに心配はないのです。テレビのニュースショーで8時間睡眠を最高レベルであるように喧伝しますがそれは仕事をもった健康な成人の場合であって、そんな年寄りの弱みにつけ込んで毎日何回も「睡眠薬まがい」の健康食品の広告が繰り返し放映されますから気弱な年寄りは「強迫観念」におそわれてなおさら「睡眠恐怖症」になってしまうのです。人間死にそうになったら勝手に身体の方が熟睡できるようになっています。

 私は晩酌を毎晩していましたのでそれを週2回か3回に減らすことにしました。加えて運動量を少しだけ増やす工夫をしました(寒い間は控え目に)。お医者さんは飲酒は睡眠の質を悪くするといいますし私の経験でもそれを実感しているので良い睡眠が得られることが期待できます。幸いなことに多種多様な「ノンアルコール飲料」が出るようになってわりあい簡単に節酒はできそうです。晩酌は習慣で「酔い」も半分は「プラシーボ(偽薬)効果」のようなものもありますから慣れればノンアルで十分です。

 

 問題は「排泄」です。年を取ると排泄のための括約筋が衰えますから排泄困難になります(ゆるい便秘薬を使用している人は結構います)。若いうちは一日一回の排泄で十分ですが年寄りはそうはいきません。必ず起床とともに便器に座る、コップ半分ほどの「白湯(さゆ)」を飲んでから。座ったらお腹を10回凹ます、そのあと腹筋を深く3回して徐々に凹ます部位を上げ筋肉を引き下ろす――便を押し下げるような感覚。この作業で私の場合は必ず排便します、分量は少なくても。シャワーと紙の刺激でもう一度便意を催すことも少なくありません。立ち上がっても便意があったらもう一度座ると排泄することが少なくありません。便意は一日に2、3回ありますが感じたら必ず便器に座るようにしています。結局日に3回ほどは排便していることになります。筋肉の衰えた年寄りには若い人のように「快便一発」というわけにはいかないのです。

 

 80才も超えた年寄りが健康を維持するためには最低限、良質な睡眠と十分な排泄に努める、加えて栄養を考えた食事と効率的な運動。さらにトーマス・モアが「ユートピア」で最高の快楽と称賛している「知的生活」が実現できれば「望ましい老年期」を送れるのでは。そんなことを考えた今年の正月でした。 

 

 あらたまの年 ハイにしてシャイにして  後藤比奈夫 〈白寿の詠〉

 

 

 

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