2025年11月13日木曜日

AIとカン

  菊花賞は惜しかった。カンを信じるべきでした。

 本命と対抗は人気通りで仕方ないとして穴馬を探って、結果⑫ゲルチュタールと⑭エキサイトバイオにたどりつきました。まず目についたのはエキサイトでした。夏レース直前のラジオNIKEI賞(GⅢ、1800m)を勝って能力に目途をつけた調教師は夏を全休して菊花賞にそなえた、そんな陣営の姿勢から菊花賞に賭ける強い意志を感じました。もう1頭がゲルチュタールです。ダービートライアルの青葉賞を3着した底力と初出走以来2000mから2400mの長距離路線を選んできたステップに加えて近年菊花賞で良績を上げている日本海ステークス(2200m)を勝ち上がってきた戦績はいかにも菊花賞向きと判断したのです。さてどっちを選ぶか?

 ゲルチュタールでした。菊花賞は3000mです、どの馬も未経験の過酷なレース。初出走から長距離路線を歩んできたデータは陣営の並々ならぬ菊花賞への執念を感じます。一方のエキサイトも2000mの中距離路線を選んできましたが勝ったGⅢが1800mというのがひっかかりました。そして最後は騎手です。坂井瑠星と荻野極、この差は大きい。

 結果はご存じの通り1、2着は本命対抗のエネルジコとエリキングで3着がエキサイトバイオ、ゲルは4着でした。何故ゲルチュタールを選んだかといえばカンよりデータに重きを置いてしまった、そして最後の最後に13番人気よりも5番人気の安全性へ走ってしまったのです。

 

 2年前にケイバを止めようと思いました。でも競馬は好きなのでレースを見るのですがあまり面白くない、勿論検討はしますがどこか緊迫感がないのです。そこで思い出したのが虫明亜呂無氏です。60年ほど前、第一次競馬ブームのころ――シンザンが戦後初の三冠馬になって競馬人気が盛り上がった当時の競馬評論家で「文学系」競馬評論の先駆けでした。競馬評論家なのに「馬券は複勝200円券1枚」しか買わないという変わった人でした。当時の私は、そんなもん馬券とは言わん、と嘯いていたのですが、今度馬券はGⅠだけ、それも「複勝500円」と決めてレースを見てみると買わない場合より格段に面白いのです。私もやっと虫明氏のレベルに達したかと少々悦に入ったものでした。

 

 もともと馬券は下手な方です。それがコロナ以降パソコン購入に変更して猶更当たらなくなってしまいました。現場の喧騒と鉄火場めいたヒリヒリした緊張感のなかでのヒラメキの決断とヌクヌクとした日常生活のユルイ環境での馬券では決定的な乖離があるのでしょうか。出馬表も電子版はだめで競馬新聞(またはスポーツ新聞)、それも横書きではなく縦書きでないとシックリこないのです。でんま(出馬)表を下の欄(直近のレース)から上に舐めるように見上げているうちにヒラメキが来る、それが「カン」なのです。同じようにこうした作業を繰り返しても馬券を買う買わないでは「没入感」がまったく異なるのです。

 データだけでなくお金を賭けるという緊張感の中で繰り返し繰り返し馬券を買って、スッて痛い目にあって、反省して、勉強して知識を深めて、ようやく身に着いたのが「カン」というものです。

 お金を賭けて馬券を買って、こうした作業を繰り返して「カン」ができ上がる、この過程をAIはプログラム化できるでしょうか。競馬の「カン」とは知識やデータを飛躍した「ヒラメキ」のことだと思います。

 AIは「カン」をプログラム化できない、そう考えます。

 

 生成AIがブームです。この流れを止めることはできないでしょう。あっという間にあらゆる分野でAIは活用されるにちがいありません。それほどAIは有効で便利です。生産性は飛躍的に向上して少子高齢化による「労働力の不足」は相当部分解決されるにちがいありません。ただその時の社会のかたち――人間とAIの役割分担の予想図が明らかになっていませんし、だから社会的合意も醸成されていません。にもかかわらず膨大な投資が行われ社会は一方向へ傾斜を強めています。

 極めて危うい状況です。

 

 特に危惧しているのが「教育」です。

 これまでの教育は――特に日本の教育は極言すれば「AI的人間」をつくることを目指してきたのではないでしょうか。広く知識を吸収して適応力の高い、配置された場所で要求される能力を速習して定められた機能を遂行できる人材の養成を国家は教育に求め管理してきました。明治維新以来高度成長期までこの教育モデルは成功してきました。しかし新自由主義のグローバル経済社会になって破綻しました(不登校児童35万人、全小中学生の約4%というデータはその一端を表しています)。独創性と批判精神の欠如がこの教育制度の欠陥です。しかも今要求されている能力はこのふたつです。

 生れたときから高度なIT環境の中で育つこれからの子どもたちはAIを簡単に使いコナすでしょう。しかしAIのもたらす結果を批判的に受け入れる能力は身につけているでしょうか。AIの答以上の創造力を発揮することはできるでしょうか。結果、AIに使われる「奴隷」に成り下がらないと自信をもって言えるでしょうか。

 電子教科書さえまだ根づいていないわが国の教育環境。偏差値でランク付けされた学校制度に公私の社会組織(企業も役所も)がベースを置いている日本社会。教育を根本的に改革しないと本当にAIに支配される社会になってしまのではないか。そんな恐れを抱いています。

 

 天皇賞3着したジャスティンパレスも実力馬が宝塚記念3着で復調気配を見せて4ヶ月半休養、そして好走のパターンです。次のGⅠエリザベス女王杯もこのパターンがあるかも知れません。

 やっぱり競馬は楽しいですね。