2018年10月29日月曜日

読書のちから(続)

 六十才をすぎてからの読書で「本読みの達人」に何人か出会った。丸谷と池澤を「名人」と呼んだのは、読書の腕前が想像を絶するほど凄い、と思っているからであって、これから挙げる「達人」は、読み方が専門的学問的で読みが深いという意味で使っている(勿論丸谷も池澤も達人にちがいないと思うが彼らの著作でその種の物を読んでいないからここでは取り上げなかっただけのことと察して欲い)。
 
 先ず第一は丸山真男の『「文明論の概略(福澤諭吉著)」を読む』(岩波新書、上・中・下1986)でプロはこんな風に本を読むものなのだと教えられた。次に挙げるなら堀田善衛で『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫1986)がそれだ。大江健三郎の『日本現代のユマニスト 渡辺一夫を読む』(岩波セミナーブックス〈8〉1984)もすぐれた「精読」のあり方を教えてくれる。小島憲之の『ことばの重み』(講談社学芸文庫1984)は上記の三冊とはおもむきを異にするが高度で専門的な読書術が展開されている書として読める。
 丸山と大江の本は読書会での講義をまとめたもので、福澤諭吉を尊敬し惚れている丸山が『文明論の概略』をテキストとして、また大江が恩師の渡辺の著作から「寛容論」と「ルネッサンス」を、学生に「読み解く」という形をとっているから、文字通り「本をいかに読むか」を教えている本、そのものである。堀田の場合は藤原定家の『明月記』を時代背景や定家の公家社会においてのあり方などを掘り下げながら和歌の解釈、新古今集の成立過程を明かしていく。『ことばの重み』は森鴎外の著作に現れる「語彙」を取り出してその出自を「顕微鏡的」に辿って、正しい意味と用例を明らかにするものなのだが、上代文学を専門とする小島が専門外と謙遜しながら造詣の深い漢文の知識をもとに、鴎外学者や諸橋轍次の『大漢和辞典』などの漢和辞典や辞書の誤りを正したり批判を加えながら、学問的に文学を読むことの「本道」を教えるという実に硬派な書物で何度読み返しても感動する名著だ。
 
 本の読み方はそれぞれだが「読んだ」ことを誇るために読むことの多かったこれまでの読み方をこれらの本は厳しく正してくれた。新書を読んでおおまかな知識を吸収して事足れりとしていた姿勢を恥ずべきことと気づかせてもくれた。正しい知識のあり方、知らないことを知らないという勇気を教えてくれたこれらの本に出合ったことを喜んでいる。
 
 本を読むことは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。(略)他人の考えがぎっしりと詰め込まれた精神は、明晰な洞察力をことごとく失い、いまにも全面崩壊しそうだ。(略)学のない人は、経験や会話、わずかな読書によって外から得たささやかな知識を、自分の考えの支配下において吸収する。/まさしくこれを学問の世界で思想家も行っている。ただし、もっと大規模だ。つまり思想家はたくさん知識が必要なので、たくさん読まねばならないが、精神がはなはだ強靭なので、そのすべてを克服し、吸収し、自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体を、ますます増大する壮大な洞察の支配下におくことができる(ショーペンハウアー著鈴木芳子訳『読書について』光文社古典新訳文庫より)。
 社会の支配層――政治家や官僚のトップクラス、企業の上層部を占める人たちは、受験勉強をしのいで受験資料や本を多く読みこなして受験の点数を高めることに特化して高学歴を手にして現在がある。それは読書の価値とはまったく異なった誤った本の読み方をしてきたことを意味している。「自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体を、ますます増大する壮大な洞察の支配下におくことができる」という読書ではなく、「思想体系」を「受験技術の熟練」に置き換えてそこに収斂させた読書をしたのだ。その結果知識が『体化』していないから、感情が知識で補強されず「失言」を口走ることになる。
 お手本のない未知の領域にある今の世界状況の中で未来を切り拓く創造力が求められる現在、「自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体」こそが有力なツールになるはずで、ITでもAIでもない、アナログな『読書術』が必要とされているのではなかろうか。
 
 読書することが仕事のようになって、午前三時間、午後三時間の読書に追いかけられるような毎日を過している。読書が楽しみばかりでなくなったことは確かだが、読書に読書ノートとコラムの作成で一日が埋められて、日常が以前とはすっかりちがうものになった。毎朝のトレーニングと公園のゴミ拾いが体力アップにつながっているようで、心技体がほど良いバランスを保っている。
 喜寿で百冊!などという愚かな挑戦を試みて、結果として老いてからの新しい生活――生き方に踏み出せたように感じている。健康で元気な老後は望ましいが、社会との結びつきと日々の成長と充実感、これが伴う生活が実現できれば生かされていることを喜べるような気がする。
 読書はそんな道を拓いてくれるよすがになってくれるだろう。

2018年10月22日月曜日

読書のちから

 六月も終わり七月になって、今年ももう半分が過ぎてしまったかとその早さに少々うすら寒さを覚えながらフト、五十冊を超えているのでは…と「読書履歴」を見てみると六月末で丁度五十冊になっていた。今年の読書傾向は例年より小説を多く読んでいて、それも全集の中の一編を読んでも一冊に勘定していたことも手伝って毎年のほとんど倍のペースになっていた。よし、今年は百冊を読もう!そんな「野望」が湧き上がった。「喜寿で百冊!」に挑戦だ、ととんでもない「愚挙」を思い立った。
 
 五年前から「読書履歴」をつけはじめた。2006年(平成18年)からコラムの連載を始めて、書くためには読むことが必須だと気づいて一挙に読書量が増えた。毎年六十冊前後がペースになって、小説三分の一、文庫・新書と専門書もそれぞれ三分の一が平均的な構成になっている。そのうち、読んだ本を忘れて重複することが何度かあったので「読書履歴」をつけることにした。読了日、書名、作者、出版社と20字程度の読後感を表にまとめている。同じ頃「読書ノート」もはじめた。図書館で借りる本が多くなって、いい本だと内容や書中の気に入った文章や語彙を記録する必要を感じたからでそのせいもあって「読みっぱなし」の悪弊を改めることができて読書が蓄積になっている、と自惚れている。
 
 本選びに「はずれ」がないのは『書評』のお蔭だ。特に毎日新聞の書評(日曜日掲載)を頼りにしている。なかでも「今週の本棚」は当時の編集長が「とにかく朝日にないものを、朝日を超えるものを」と丸谷才一に全幅の信頼で任せきってはじめたもので期待に違わず出色の「書評」として評価されている。その後池澤夏樹が後を継いで今日に至っているが、2012年に『愉快な本と立派な本―毎日新聞「今週の本棚20年名作選(1992~1997)』として出版され読書人の良き手引きとなっている。
 新刊の小説をほとんど読まない私が今年『光の犬』(松家仁之著新潮社)と『平城京』(安倍龍太郎著角川書店)というおもしろい本に出会ったのも書評の恩恵だ。前書は年代記物の傑作で『楡家の人々(北杜夫)』以来の感動を受けたし、後書は平城京の造営を壬申の乱と百済対新羅・唐連合軍の確執を絡ませた壮大な構想の娯楽小説で二冊とも今年の収獲となった。
 ネットの「松岡正剛の千夜千冊」も書評としてハイレベルなもので重宝している。相当詳細な論評が加えてあるから読む前のガイドとして用いてもいいし、読後の評価基準として参考にするにも適している。
 書評本の傑作は丸谷才一の『快楽としての読書(海外編)』『快楽としての読書(日本編)』『快楽としてのミステリー』(いずれも「ちくま文庫」2012)の三部作が出色だろう。なにを読もうか思案するとき、いつも良い助言を与えてくれるから助かっている。丸谷才一と池澤夏樹は読書の名人だと思う(池澤夏樹は福永武彦を父として池澤夏樹個人編集の世界文学全集と日本文学全集を発刊するという超人読書人である)。
 丸谷の『快楽――』が古典や評価の定まった本のガイドとすれば、『愉快な――』は今の、新しい本の選択を手助けしてくれる指導書として位置づけることができよう。
 もうひとつ読書の手がかりとして有効なものに「脚注と参考文献」がある。脚注は引用文の出典として本文の中に(註)として呈示されている書物であり、参考文献は巻末に挙げられている理解を深めるために作者が読者の便を図ったものと理解しているが、要するに今読んでいる本と関連の深い書物であり著者が評価したものだから悪かろうはずがない。
 書評で見つけた一冊から脚注や参考文献にある本に導かれて一つのテーマを深め広げていく、こんな読み方がひとつの典型としてあることは確かだし読書の醍醐味と云っていいだろう。最近特にそう思うようになった。
(つづく)

2018年10月15日月曜日

反省なしでいいのか

 勝負事には「ここは絶対に勝たねばならない」という『勝負時』がある。今年のジャイアンツの場合、8月24日からの東京ドームでの阪神戦の3ゲーム目がそれだった。2連勝してこのゲームも今村、上原とつないで7回まで8対3のワンサイドゲームで進んでいた。8回定石通り澤村につないだのだがこれが絶不調、四球押し出しやら梅野のツーランホームランなどで一挙6点を奪われて逆転されてしまった。今年の巨人は調子に乗れずなかなか5割に届かずじれったい展開が続いていたが、この試合に勝てばやっと『5割』に到達できる、そういう大事な大事な節目の試合だった。澤村の不調は早い時期に見てとれた。もう替え時だ、もう替えなければ、と言っているまにズルズルと6点を奪われ池田にスイッチしてやっとこさこの回を終えたがすでに「時遅し」だった。もしこの試合を物にしておれば今年のセリーグのペナントレースはまったく別の様相を呈していたかも知れない。
 高橋由伸監督は3位という、それも負け越しという屈辱的な戦績の責任を取って「引責辞任」を申し出た。首脳陣はこれを簡単に受け入れて後任を原元監督の復帰で取りつくろおうとしている。しかしこれは随分不可解な監督辞任であり復帰劇だ。2015年シーズン終了と共に原監督は辞任したのだが、東京ヤクルトの2位におわったとはいえ、決して責任を問われる成績ではなかった。なぜなら原巨人は2012年から3連覇を達成しておりうち一年は日本一にもなっている。その原監督がなぜ辞任したかと言えば、「球界の盟主」で「紳士たれ」を誇っていた名門巨人軍が「ギャンブル八百長騒動」で揺れに揺れていた、その収拾を避けて『頬かむり』して逃げ出したのだ、「選手ごときが!」と『君臨』していたナベツネこと「渡邉恒雄オーナー」ともども。そんなチーム事情があったから後任を引き受ける人材がなく、コーチ経験さえもない高橋由伸氏に無理矢理「火中の栗」を拾わせたのだ。初年度は広島の2位におさめたが昨年は4位、そして今年は負け越したが3位に踏み止まってCS(クライマックス・シリーズ)進出を果している。丁度選手層の新旧切り替え時期にあたったこの3年間をうまく切り抜け、今年は岡本という若手スラッガーを4番に定着させ、投手陣の整備もようやく形になってきたこの時期に、チーム事情不始末の犠牲者で『功労者』の高橋由伸氏を『追い出し』て、『戦犯』原氏を監督に復帰させるなど『もってのほか』の交替劇ではないか。また、原氏も「責任放棄」して逃げ出した醜態を『反省』することもなく「ヌケヌケ」と復帰するなど「恥を知れ!」といいたい。
 願わくば、CSで広島を倒し、日本シリーズでパリーグを倒して日本一になってほしい。そのとき、巨人の首脳陣はそれでも「原監督」を強行するだろうか?「由伸・巨人よガンバレ!」。
 
 反省しないといえば、スーパーボランティア尾畑春夫さんばかりが有名になりもてはやされている「藤本理稀君行方不明事件」の「山口県警(柳井署)」は一向に「反省の弁」を発しないのはどういう訳なのだろう?150人体制で3日間捜索を続けたが手がかりはつかめず、終局的にはため池や水路に捜索先を絞っていたというから、もう生きている可能性は少ないと判断していたことがうかがわれる。ところが尾畑さんは、捜索開始すぐの30分足らずで理稀君を発見してくれた。それも県警の捜索対象としていなかった「山側」から。
 もし尾畑さんが現れなかったら理稀君は死に至っていたかもしれない。それほど重要な「捜索方法の過誤」についてなにひとつ、反省の弁も「誤った捜索」についての「説明責任」も果されないまま、尾畑春夫さんの美談とスーパーぶりだけが世間の耳目を集めてこの事件の終息を迎えることはあってはならないことだ。にもかかわらずマスコミは尾畑さんを追っかけるばかりで山口県警を追及しないのは無責任ではないか。
 
 反省しないといえば、樋田淳也容疑者の逃走をゆるした富田林警察署も同罪だ。やすやすと逃走されたばかりか、48日間も逮捕に至らなかった責任をどう感じているのか。この事件は逃走に至った警察の管理責任ばかりでなく48日間1000人体制とも1500人体制とも云われたこの間の「捜索費用」の負担と責任も重大だ。そうであるのに、逮捕以降のマスコミは樋田容疑者の逃走経路がどうとか、その間の容疑者の振る舞いであるとか所持品の入手経路であったりと、逃走から逮捕に至る警察の「無能さ」「捜索方法の過誤」はそっちのけの枝葉末節ばかりを表面に出している。なぜなのだろう。警察サイドがこうした情報のリークで世間の非難を交わそうとしているのだろうか。いずれ総括的に大阪府警が説明責任と捜索費用の分担責任と管理責任のすべてを明らかにすべきである。
 
 最後に日本政府の反省を求めてひとつの『事件』を考えて見たい。ほとんどのマスコミはニュースレリーズ(政府発表の)を報じたばかりで追求する姿勢を示していないが事の顛末はこうだ。東京オリンピックを控えて急増している外国人観光客に合わせて、羽田空港発着の国際線を増便することを計画したがアメリカの同意を得られず難航しているというのだ。増便する新ルートは米軍横田基地が管制権を持つ空域を一時的に通過するため米国側の合意が必要とされているから、というのが理由とされている。
 横田空域(横田進入管制区)は1都8県(東京都・栃木県・群馬県・埼玉県・神奈川県・新潟県・山梨県・長野県・静岡県)にも及ぶ広大な管理区域で、この空域はアメリカ空軍の管制下となっているために民間航空機であっても当該空域を飛行する場合は米軍による航空管制を受ける必要があり、戦後からずっと日本の心臓部の飛行ルートがまったく使えない状態になっているのだ。
 こんな馬鹿な、屈辱的な政治体制が戦後70年以上もたった、世界第三位の経済大国にして、独立主権を擁しているはずの、アメリカと『対等で良好な』友好関係を保っているはずの、我が日本国に残存しているのだ。
 米軍基地の負担の多くを沖縄に押しつけて本土は知らんぷりをしていると一般的に認識されているが、とんでもないことだということが明らかになった。2割少しの負担で本土は安全と安心を米軍に守ってもらっている積もりかもしれないが、首都という日本の中心であり「顔」をアメリカに握られているというこの『屈辱』を、政府は国民に対して大っぴらにすると共に深く「反省の弁」を述べてもらいたい。
 
 米朝関係が改善され朝鮮半島の非核化が決して絵空事でなくなってきた今、わが国のことだけでなく世界の平和を構築するあらたな構想をわれわれが「創造」する時期になっていることを知らねばならない。
 
 
 
 
 

2018年10月8日月曜日

渡辺一夫の『寛容論』を読む

 第4次安倍改造内閣が発足した。顔ぶれをみれば安倍一強を恃(たの)みとしたゴリ押しの論功行賞的抜擢が数々見受けられる。「安倍一強」と「格差拡大」と「分断」が蔽(おお)い被さる「閉塞観」の横溢する今こそ、『寛容と忍耐』が望まれる。そこで「ラブレー研究者にして『寛容論』の人――渡辺一夫(1901~1975、作家大江健三郎の東大時代の恩師としても知られている)」を読むことにしよう(『ちくま日本文学全集・渡辺一夫』による)。
 
 全集の中で寛容論を書いた章のタイトルは「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」という切実なものになっている。
 人間の歴史は、一見不寛容によって推進されているようにも思う。しかし、たとえ無力なものであり、敗れ去るにしても、犠牲をなるべく少なくしようとし、推進力の一つとしての不寛容の暴走の制動機となろうとする寛容は、過去の歴史のなかでも、決してないほうがよかったものではなかったはずである。(p308)
 こうした寛容にとって苦しく悲しい歴史は寛容の武器が余りにもはかないものであるからだ。 
 寛容と不寛容が相対峙した時、寛容は最悪の場合に、涙をふるって最低の暴力を用いることがあるかもしれぬのに対して、不寛容は、初めから終わりまで、何の躊躇もなしに、暴力を用いるように思われる。今最悪の場合と記したが、それ以外の時は、寛容の武器としては、ただ説得と自己反省しかないのである従って、寛容は不寛容に対する時、常に無力であり、敗れ去るものであるが、それはあたかもジャングルのなかで人間が猛獣に喰われるのと同じことかもしれない。ただ違うところは、猛獣に対して人間は説得の道が皆無であるのに反し、不寛容な人々に対しては、説得のチャンスが皆無ではないということである。そこに若干の光明もある。(p307)
 
 寛容が不寛容と戦った歴史の証言をアメリカの裁判記録から抜粋しよう。
 「我々と同じ意見を持っている者のための思想の自由ではなしに、我々の憎む思想のためにも自由を与えることが大事である。」(オリヴァー・ウェンデル・ホームズ米最高裁判事/1929ロジカ・シュウィンマー事件において(p319)
「反対意見を強制的に抹殺しようとする者は、間もなく、あらゆる異端者を抹殺せざるを得ない立場に立つこととなろう。強制的に意見を劃一化することは、墓場における意見一致をかちとることでしかない。しかも異なった意見を持つことの自由は、些細なことについてのみであってはならない。それだけなら、それは自由の影でしかない。自由の本質的テストは、現存制度の核心に触れるような事柄について異なった意見を持ち得るかいなかにかかっている」(ロバート・ジャクソン米最高裁判事/1943バーネット事件において(p319)
 
 渡辺の結論は次のようなものだ。
 人間を対峙せしめるような様々な口実・信念・思想があるわけであるが、そのいずれでも、寛容精神によって克服されないわけではない。そして、不寛容に報いるに不寛容をもってすることは、寛容の自殺であり、不寛容を肥大させるにすぎないのであるし、たとえ不寛容的暴力に圧倒されるかもしれない寛容も、個人の生命を乗り越えて、必ず人間とともに歩み続けるであろう、と僕は思っている(p318)
 
 グローバルの時代になって弱肉強食を当然としてアメリカもロシアも中国も(そして残念なことに我国でも)戦争という高価な犠牲を払って手に入れた「国際協調」を拒否するトップが権力構造の頂点に蟠踞している。二十世紀のふたつの世界大戦を「寛容」というまだるっこしい精神と手続きで総括した「国際協調」と「自由貿易」を「不寛容」と対峙しながらもう一度世界のすべての国々と共有する長い戦いが二十一世紀の最重要課題となっている。
 
 この全集にある『ノーマンさんのこと』という追悼文のような随筆は、「友情」や「敬愛」というものを誠意をもって綴られた佳作で今年読んだ諸作の中でもっとも心打たれた作品である。そのなかに現在にもっともふさわしい一文があったのでこれを引用して終わりたい。
 なおノーマンさんというのは日本生まれのカナダ人で第二次世界大戦直後カナダ公使として十年近く日本に勤務されたハーバードー・ノーマンさんで渡辺や丸山真男を始め我国文化人と深い交流のあった外交官・知識人である。1957年のスエズ動乱当時カイロ駐在のカナダ大使となり動乱の拡大阻止に尽力し世界戦争の危機を救った。しかしアメリカの一部の勢力がこれを心好とせずレッドパージ(赤色分子摘発運動、1951年にアメリカで荒れ狂ったのち一旦終息したように見えたがこの頃上院議員ジェンナー・モリスを中心として再燃した)の槍玉に上がり、追い詰められ、カイロのホテル屋上から街路めがけて投身自殺をとげられた。渡辺はノーマンさんの死に深い悲しみと悲憤の筆致でこの文を書いている。
 
 我々は、原子爆弾に恐怖を抱いているが、原子力が爆弾に応用され、これが実際に使用されるような条件を作り出すのが、正に「神馬」のごとき「神童」たちであると考える時、原子爆弾以上に恐怖すべきものは、正に「機械的に頭の良い」人間であるということにもなる。/頭の良い人間が機械的になったら、思いやりや、話し合いや、自己の行為の意義への反省や、未知なるものに対する畏怖、有限な人間能力への認識などを喪失してしまった非人間になるはずである。(p357)
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 

2018年10月1日月曜日

過去を軽んじていると

 早いもので今年ももう十月だ、余りの時の速さに唖然とする。毎日が日曜になって、発見も付け加えるべき新たな習慣もない繰り返しでは日日の重みが無くなってしまうのも致し方ないというものか。
 二三年前から近しい友人がぽつぽつと亡くなっていく。学校時分と勤め関係の親友だけでなく今年は幼友達が急死してショックの種類が少々ちがうのに戸惑った。本人でなく連れ合いを喪った友人も何人かいるがこれも始末が悪い。子どもが独立しているから当然独りずまいになるわけで、それを思うと寂しさが身に沁みて切なくなってくる。十二月には喜寿になり妻も今年後期高齢者入りした老夫婦としてはそんなに先にならないうちにどちらかが欠ける可能性が高まっているわけで、わが身がひとりになる実感がリアルになってくるにつれて寂寥感がつのるのをおさえ難くなる。
 
 今年読んだなかで最も心に残っていることばを探してみると井上ひさしの「いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来から軽んじられる」が浮かんだ。これは彼の「絶筆ノート」にあるもので全文はこうだ。
 過去は泣きつづけている――たいていの日本人がきちんと振り返ってくれないので。/過去ときちんと向き合うと、未来にかかる夢が見えてくる/いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来に軽んじられる/過去は訴えつづけている
 
 過去――歴史というものが時の権力者の都合のいいようにつくられることは古事記・日本書紀の古から連綿とつづいてきている事実だ。近い例では戦前の「神国日本の不敗神話」だろう。いわく、蒙古襲来は神風が吹いて大軍を退けることができた、日清・日露の戦争も大国の戦力を神国の霊力で圧倒した、と。しかし実は我国黎明期の「白村江(はくすきのえ/はくそんこう)の戦」では惨めな敗戦を喫しているのだがこのことは歴史の教科書から削除されていた(戦後教育の第一期生であるわれわれも一切教えられなかった)。ちなみに白村江の戦とは天智二(663)年百済の再興をめざして天智天皇が四万近い軍勢を送って百済王の支援を図ったが唐と新羅の連合軍に敗れた戦いである。
 不敗神話を信じさせられた日本国民は我国をはるかに凌駕する物質力を有する米・英・諸国との無謀な戦争に導かれ「一億玉砕」寸前に終戦した。人類史上初めて「原爆」という非人間的な殺人兵器の洗礼に見舞われ『不戦』を誓ったことを軽んじて『自衛力』を保持している。明治維新以来の富国強兵・殖産興業による「近代化」という『進歩・成長志向』の誤りを教えられたことも軽んじて戦後経済の高度成長路線を邁進し、「オウム真理教」による「地下鉄サリン事件」を招き、「3.11福島第一原子力発電所事故」という未曾有の惨事に遭遇した。サリン事件は明治以来の近代化・進歩成長志向の『精神的破綻』であり、福島原発事故はその『物質的破綻』の究極の証拠であるにもかかわらず『進歩・成長』を信奉する陣営の力は一向に衰える気配もなく、社会からますます『寛容』さが失われつつある現状はいかんともしがたい。
 
 ここ数年の自然災害の過酷化はすさまじいばかりで「地球温暖化」の影響は否定し難い。しかし河川の氾濫や土砂崩れによる甚大な被害は徳川時代以来の歴史の教訓を「軽んじた」結果であることは明らかだ。
 徳川幕府が「諸国河川掟(しょこくかせんおきて)」を示したのは寛文六年(1666年)のことである。三百余に分割、地方分権された諸藩は新田開発を競い、また、山間地の樹木が大量に伐採され山林の荒廃を招き土砂流失が水害の発生を助長する結果となった。これに危機感を覚えた幕府が乱開発を抑制するために諸藩に示したものが「諸国河川掟」であった。「一、山林伐採で草木を根こそぎ掘り取ってしまうから雨風が激しいと土砂が流出し河川を堰き止めて水害を発生させてしまう。今後は根を取ることを禁止する、二、河川上流の乱伐したところにはこの春以後木苗を植栽すること、三、河川敷への田畑の開発、山中での新規の焼畑はこれを固く禁ずる」の三か条が老中名義で通達された。この時期やその後の水害や津波の教訓を表した石碑などが今も多く残っていることを身近に見聞きした人も少なくないであろう。
 乱伐を控えるどころか山を切り崩して宅地を造成し、河洲に田畑を作るのではなく海を埋め立てて土地造成する。なおかつ、里山の乱開発、坊主山に植林せずに放置する。どうみても「河川掟三カ条」の教訓が無視されている。
 
少子高齢化、財政赤字の累積、社会保障制度の先行き不安、これらの示す「未来」は予測不能で不透明だ。政治はこれらの問題に真剣に取り組む姿勢を示さないばかりか、自説に反対する考えを無視し、自身の進め様としている一部の勢力に有利な政策に与する学説だけを採用し、短期的で自陣に有利な勢力の受け入れやすい政策ばかりを採用している。
 これでは次ぎの世代に果すべき責任を誰一人、現世代は負っていないことになる。井上ひさしさんは「やがて未来に軽んじられる」と云ったがこのままでは「未来の人たちが軽んじられる」ことになってしまう。しかしそれは、やがて結果として、未来に軽んじられることを意味していないか。
 
 もういちど噛みしめよう、「いつまでも過去を軽んじていると、やがて未来に軽んじられる」ということばを。