2018年10月29日月曜日

読書のちから(続)

 六十才をすぎてからの読書で「本読みの達人」に何人か出会った。丸谷と池澤を「名人」と呼んだのは、読書の腕前が想像を絶するほど凄い、と思っているからであって、これから挙げる「達人」は、読み方が専門的学問的で読みが深いという意味で使っている(勿論丸谷も池澤も達人にちがいないと思うが彼らの著作でその種の物を読んでいないからここでは取り上げなかっただけのことと察して欲い)。
 
 先ず第一は丸山真男の『「文明論の概略(福澤諭吉著)」を読む』(岩波新書、上・中・下1986)でプロはこんな風に本を読むものなのだと教えられた。次に挙げるなら堀田善衛で『定家明月記私抄』(ちくま学芸文庫1986)がそれだ。大江健三郎の『日本現代のユマニスト 渡辺一夫を読む』(岩波セミナーブックス〈8〉1984)もすぐれた「精読」のあり方を教えてくれる。小島憲之の『ことばの重み』(講談社学芸文庫1984)は上記の三冊とはおもむきを異にするが高度で専門的な読書術が展開されている書として読める。
 丸山と大江の本は読書会での講義をまとめたもので、福澤諭吉を尊敬し惚れている丸山が『文明論の概略』をテキストとして、また大江が恩師の渡辺の著作から「寛容論」と「ルネッサンス」を、学生に「読み解く」という形をとっているから、文字通り「本をいかに読むか」を教えている本、そのものである。堀田の場合は藤原定家の『明月記』を時代背景や定家の公家社会においてのあり方などを掘り下げながら和歌の解釈、新古今集の成立過程を明かしていく。『ことばの重み』は森鴎外の著作に現れる「語彙」を取り出してその出自を「顕微鏡的」に辿って、正しい意味と用例を明らかにするものなのだが、上代文学を専門とする小島が専門外と謙遜しながら造詣の深い漢文の知識をもとに、鴎外学者や諸橋轍次の『大漢和辞典』などの漢和辞典や辞書の誤りを正したり批判を加えながら、学問的に文学を読むことの「本道」を教えるという実に硬派な書物で何度読み返しても感動する名著だ。
 
 本の読み方はそれぞれだが「読んだ」ことを誇るために読むことの多かったこれまでの読み方をこれらの本は厳しく正してくれた。新書を読んでおおまかな知識を吸収して事足れりとしていた姿勢を恥ずべきことと気づかせてもくれた。正しい知識のあり方、知らないことを知らないという勇気を教えてくれたこれらの本に出合ったことを喜んでいる。
 
 本を読むことは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。(略)他人の考えがぎっしりと詰め込まれた精神は、明晰な洞察力をことごとく失い、いまにも全面崩壊しそうだ。(略)学のない人は、経験や会話、わずかな読書によって外から得たささやかな知識を、自分の考えの支配下において吸収する。/まさしくこれを学問の世界で思想家も行っている。ただし、もっと大規模だ。つまり思想家はたくさん知識が必要なので、たくさん読まねばならないが、精神がはなはだ強靭なので、そのすべてを克服し、吸収し、自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体を、ますます増大する壮大な洞察の支配下におくことができる(ショーペンハウアー著鈴木芳子訳『読書について』光文社古典新訳文庫より)。
 社会の支配層――政治家や官僚のトップクラス、企業の上層部を占める人たちは、受験勉強をしのいで受験資料や本を多く読みこなして受験の点数を高めることに特化して高学歴を手にして現在がある。それは読書の価値とはまったく異なった誤った本の読み方をしてきたことを意味している。「自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体を、ますます増大する壮大な洞察の支配下におくことができる」という読書ではなく、「思想体系」を「受験技術の熟練」に置き換えてそこに収斂させた読書をしたのだ。その結果知識が『体化』していないから、感情が知識で補強されず「失言」を口走ることになる。
 お手本のない未知の領域にある今の世界状況の中で未来を切り拓く創造力が求められる現在、「自分の思想体系に同化させ、有機的に関連づけた全体」こそが有力なツールになるはずで、ITでもAIでもない、アナログな『読書術』が必要とされているのではなかろうか。
 
 読書することが仕事のようになって、午前三時間、午後三時間の読書に追いかけられるような毎日を過している。読書が楽しみばかりでなくなったことは確かだが、読書に読書ノートとコラムの作成で一日が埋められて、日常が以前とはすっかりちがうものになった。毎朝のトレーニングと公園のゴミ拾いが体力アップにつながっているようで、心技体がほど良いバランスを保っている。
 喜寿で百冊!などという愚かな挑戦を試みて、結果として老いてからの新しい生活――生き方に踏み出せたように感じている。健康で元気な老後は望ましいが、社会との結びつきと日々の成長と充実感、これが伴う生活が実現できれば生かされていることを喜べるような気がする。
 読書はそんな道を拓いてくれるよすがになってくれるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿