2018年7月30日月曜日

権力の終焉・読書ノート

 『権力の終焉(モイセス・ナイム著加藤万里子訳日経BP社)』がFacebookマーク・ザッカーバーグ主催のブッククラブ第1回の課題書に選定され全米でベストセラーとなった。トランプの出現やイギリスのEU離脱など現在世界は混乱を極めている。これを読み解くキーワードとしてナイムは「権力の衰退が世界を変えた!」と分析する。そしてこうした状況を惹起したのは「3つのM革命」があったからだという。
 ひとつ目はMore(豊かさ)革命だ。この革命の特徴は、国家の数から人口規模、生活水準、識字率、市場に流通する製品の量まで、ありとあらゆるものの増加による。ふたつ目は、Mobility(移動)革命。この変化によってヒト、モノ、カネ、アイディア、または価値観そのものが、これまで想像もつかなかったスピードで世界のあらゆる場所(かっては人里離れた連絡の取りにくかった場所を含む)に向って移動している。旅行と輸送のたやすさ、そして情報、金、価値観をより早く、より安価で移動させる手段は、必然的に挑戦者たちの生活を楽なものに変え、支配者たちの日常を困難にするのである。そして、三つ目はMentality(意識)革命。これは、先の二つの革命に伴う考え方や期待感、願望における大きな変化を反映している。この三つの革命が世代間の意識、そして世界観の隔たりを否応なく際立たせている、と解析するのである。
 
 今日はこの書の中から現在の我国政治状況を理解するために有効な部分に限って拾ってみたい。
 
 40歳未満のアメリカ人全員、政府が正しいと思われることをしていない、と国民の過半数が信じている国で生きてきた」。アメリカの政治状況を語るカーネギー国際平和財団ジェシカ・マシューズのこの言葉がそのまま今の我国の40歳未満の国民にもあてはまっていることは驚きだが、こうした『諦観』が『右傾化』に繋がっていることは明らかだ。更に書中には「民主主義が健全に機能している国で、三分の二から四分の三の国民が政府はほぼ常に正しいことをしていると信じていない」という論述もあり、こうした『あきらめ』や『白けムード』が世界共通だということが分かる。「権力の衰退は権力を不安定化させ、私たちの生活も目先の利益や不安に支配され、将来の行動や計画が決めにくくなる」。だからこそ「右傾化」―すなわち現状肯定志向に向うのだ。
 スウェーデン元副首相レナ・イェルム・ヴァーレンは「仲介者としての役割を失う政党」として「政治の経路の短縮と単純化は『政党が掲げる抽象的で包括的なイデオロギーよりも、自分たちに直に影響が及ぶ単独の問題に動かされる人たちのほうが多いのよ』」と投げやりな慨嘆を口ばしる。
 トランプの出現が一層先鋭化させた今日の混乱はアメリカの弱体化による「無極化した世界」の出現によることは論をまたない。それは1970年代にMITのチャールズ・キンドルバーガー教授の述べた「覇権安定論――犠牲の大きい危険な国際的混乱を防ぐ最善策は、世界秩序を守る特異な能力と意志の両方を持ち併せたひとつの支配国が存在することである」が本質を突いている。
 
 現在の無気力な「自民党一強支配」の政治状況を読み解く概念として、社会科学者たちが「集団行動問題」と呼ぶジレンマをナイムは提示する。「自らの一存で変化を起こすことができるプレーヤーがひとりもいないのにすべてのプレーヤーが、誰かが代わりにやってくれるまで、何のリソースも使わずにただ待っている状態。結局のところ、全員が利益を受ける状態でも、変化が実現されることも決してない」。
 そしてこうした社会状況に潜むリスクとしてナイムは「五つのリスク」を上げ、権力の弱体化は社会福祉と個人の生活の質を短期間のうちに貶め、将来反動や大惨事さえ引き起こす可能性がある、と警告する。
 そのリスクとは①無秩序熟練の解体と知識の喪失社会運動の陳腐化集中力の持続時間の短縮疎外感である。無秩序は今の我国の政治状況を表すのに最も当てはまる言葉だろう。一強を良いことに好き放題の国会運営と官僚操作を行ってこの国をある方向に向わせようとしている現状は、我国憲政史上類を見ない「手続き=秩序」を蔑ろにした政権といえる。IR(統合型リゾート)法案などはその際たるもので国民の反対意見の多いこの法案を僅かな審議時間で成立させてしまったが、これは安倍首相のトランプ大統領へのプレゼントだという見方さえある。即ちカジノの運営・経営のできるノウハウは日本にはないから世界のカジノを仕切っているアメリカ資本に頼らざるを得ず、その資本の多くがトランプ氏のお友だちだというのだ。日本はすでに年間約28兆円を費消するギャンブ大国(パチンコ約23兆円競馬約3兆円競艇その他の公営ギャンブル約2兆円)である。従ってカジノ市場の主たるターゲットは外国人ということになろう。ということは外国資本が経営して外人さんが楽しむカジノに日本が場所を提供して僅かな税収を得る、という構図になる。これがまともな「民主主義国家」のやることだろうか。イージス・アショアもそうだ。昨年北朝鮮問題が緊迫化してスグにも戦争という状況下でサッサと2基導入が決められた。しかしその時には1基700億円で総額1500億円という触れ込みだったがそれが2000億円になり今や4000億円にまで膨れ上っているが、これもトランプ氏のお友だちである軍需産業へのプレゼントなのだろうか。トランプ氏がお友だちに日本の安倍首相を使って利益供与を図っている一方で、我国総理は自分のお友だちや知人に便宜を与えている。こんな輩が二大民主主義国のトップに座るなどまさに『無秩序』そのものであろう。
 こんな輩ということば繋がりでは、「すべてを単純化する危険な輩」が人々の憤りと失望につけこみ、彼らに訴えかけることによって権力を手に入れようとするが、「極端に物事を単純化する」とともに、最終的には詐欺的な約束をする扇動政治家たち、とヤーコプ・ブルクハルトが表現する権力者の存在でナイムは「熟練の解体と知識の喪失」リスクを訴える。歴史ある旧政党の機能不能をついてシングル・イシューで国民の軽薄な人気を博する政治家――これを読んで思い浮かぶか政治家と云えば、トランプ氏であり我国の総理ではなかろうか。
 「社会運動の陳腐化」について云えば、エフゲニー・モロゾフの「スラック(怠慢)ティビズム低関与で影響力の小さい参加」という概念をナイムは提示する。「怠惰な世代の理念系の活動主義で、バーチャル・スペースで大々的な運動ができるなら、わざわざ座り込みストライキをしたり、逮捕されたり警官に暴行されたり、拷問されたりするリスクを冒す必要はない」という社会参加の仕方である。インターネット上の嘆願やフォロワーの数や「いいね」に熱中しすぎることが、もっとリスクの高い、もっと得るものの大きい活動を展開している組織から潜在的な支持者を遠ざけ、リソースを奪い去る恐れがあり、こうした若者を主とした「社会参加の姿勢」が大きなリスクになっていることは現状を見れば明らかだ。
 
 これまで述べてきたのは『権力の終焉』のほんの一部であることからもこの書が名著であることが分かろう。簡単に読めるものではないがそうした努力を避ける風潮が「熟練の解体と知識の喪失」をもたらし、今日の政治状況を招来したということを肝に銘じる必要がある。
 
 
  

 

 
 
 
 
 

2018年7月23日月曜日

西日本豪雨を考える


 西日本豪雨被害の激甚さは想像を絶する。何故こんな事態に至ったのであろうか。
 
 自動車旅行で山間部を走っていると、こんなところに人が住んでいるんだと驚かされることがある。その集落を挟んで手前の村とも先の町とも数キロも離れてポツンとあるこの村は何故ここにあるのだろうか。
 
 徳川幕府は日本国を300余に分割して大名に経営・統治させた。当時は農業経済だったから主たる産物「米」を統治指標として幕藩体制を築いた。即ち「石高制」である。石高制の原則は農業の最も基本的な生産手段である耕地を、田・畑・屋敷の三地目に分類して検地帳に登録し、米生産量(実際に米を生産しない畑・屋敷も含めて)、をもって評価して、一村一ヵ年分の村内総生産物量を「石高」として算定。領内各村の生産石高の総計として各藩の石高が定められた。
 各藩の経済力(戦力に直結する)は米生産力に比例するから各藩は「新田」開発に注力した。その結果我国の耕地面積は、中世の室町時代中期を一とすれば、江戸時代初頭の徳川幕府成立時には一・七、中期の享保期では三という飛躍的な拡大を遂げた。ところがこうした各藩のムリな開発はいわゆる「乱開発」となり、十七世紀後半には全国各地で大洪水が続出、水田の荒廃化がすすむ。新田開発の対象となった土地は山林原野・湖沼河海などであり、材木の伐出は山林の保水能力を弱め、水源涵養林としての役割を果せなくなったからである。そこで寛文六年(1666)に「山川掟三カ条」が定められ乱開発防止と治山治水が重要視されるようになる。「山川掟三カ条」には河川上流部への植樹の義務化、草木の根を掘ることの禁止、河川敷の耕地化の禁止などが定められていた。
 治山治水に関しては「入会」で里山管理を周到に行った。入会は村内の田畑以外の山林原野を村民相互で共同利用する村中入会と同一地域内の他村と競合する外山について村々相互で共同利用する村々入会があり、草肥・飼料・燃料・食材をはじめ、用水土木工事の用材、家屋の建築用材、屋根葺きの萱、木製農具に及ぶ広汎な利用で農民の生産と生活に深い関わりあいをもっていた。
 
 このように国民経済の中心産業であった農業生産の生産性を高めるために我国国勢のギリギリまで耕地の拡大を進め、乱開発を戒めて治山治水につとめた結果、明治初年における全国物産生産総価額三億七千万円余の三分の二を米を中心とした農業生産などの第一次産品が占めていた。この傾向は第二次世界大戦期までつづくが、戦後製造業が日本経済の中心産業となり「高度経済成長」を実現して世界第二位の経済大国に押し上げることになる。
 しかしこうした産業構造の転換は「都市化」を必然たらしめ、そのためには都市住民の住宅確保が必須の条件になる。これに対して国は「持ち家政策」で対応した。即ち、戦後復興を最も効率的に行う政策として「裾野」の広い「住宅建設」を採用したのだ。建築、家具・什器、金融など広い産業を刺戟する「持ち家政策」は政治の目論み通り景気拡大をもたらした。
 問題は「宅地」の拡大にあった。先にもみたように徳川時代の「耕地拡大」のために地勢の限界まで開発した我国に、本来宅地開発の余地は残されていないと考えるのが妥当だろう。したがって農地の宅地転換が都市近郊で大規模に行われたがそれだけではまかないきれず、山を削り海を埋め立てて新規開拓された。数年前から毎年のように自然災害被害を受けている、広島市北部の安佐北区や安佐南区はその顕著な例で地勢の限界を超えた「乱開発」と呼ばれても仕方のない無理な開発は全国各地に散らばっている。
 更に問題なのは今回の西日本豪雨でも見られる「治山治水」の『破綻』だ。「里山」を農民が入会で周到に丁寧に管理・維持してきたが、「農法」の改革によって里山の採集物需要が消滅し里山が手入れされないで放置されて荒廃している。そのため流木や大岩石が流出し小河川の氾濫をまねきそれが今回の豪雨被害を甚大なものにした。
 もうひとつ、我々の認識を根本的に改めなければならないのは、我国の河川が他国のそれとはまったく様相を異にしていることだ。明治時代、オランダの技術者が日本の北陸地方の川を視察して、「これは川ではない。川は水が流れるものであるが、日本の川は水が流れているのではなく、水が落ちている滝である」と表現したというエピソードが物語っているように、我国の「治山治水」は西欧諸国の知見をそのまま適用できない独特の「地勢」をしているという事情をかんがみ、我国独自の河川管理手法を開発すべきなのだ。
 
 少子高齢化の急激な進展とIT産業を含めた「第三次産業化」の亢進を前提とすると、今後ますます「都市化」はつづくに違いない。何年か前から「限界集落」ということばがある種の危機感を持って使われるようになってきたが、今回の西日本豪雨では「孤立可能性集落」という概念も用いられた。こうしたことばや概念は今の政治経済の制度を前提として語られておりこのまま「発想転換」なしに放置しておけば、十年もしないうちに全国各地に住むひとのいない「消滅集落」が日本地図を「虫食い」状態にしているにちがいない。住民不在となれば「治山治水」は今以上に悪化して少しの雨や台風で自然災害が多発することは明らかだ。さらに、こうした地区を「外国資本」に買い占められると「国土保全」が危機的な状態になる可能性もある。
 
 都市化と国土保全を同時に、効果的に、行える体制を本腰を入れて考える時期に至っている。そのマスタープランを国民に提示するのは政治家の責任だ。
 それにしては現今の政治状況はあまりな『惨状』である。
 
 

2018年7月16日月曜日

演歌とは何だったのだろう

 赤いリンゴに 口びるよせて/だまってみている 青い空/リンゴはなんにも 云わないけれど/リンゴの気持ちは よくわかる/リンゴ可愛や 可愛やリンゴ
 これは終戦直後の1945年に並木路子、霧島昇が歌って流行った「リンゴの唄」である。戦後日本映画第1号『そよかぜ』の挿入歌として発表された楽曲で作詞サトウハチロー、作曲は万城目正である。ちなみに4番の歌詞は次のようになっている。「歌いましょうか リンゴの歌を/二人で歌えば なおたのしい/皆で歌えば なおなおたのし/リンゴの気持ちを 伝えよか/リンゴ可愛や 可愛やリンゴ」
 
 次に流行った唄が1947年の笠置シズ子『東京ブギウギ(作曲服部良一、作詞鈴木勝)』だった。歌詞の一部を記すとこんな風である。「東京ブギウギ リズムブギウギ/心ズキズキ ワクワク/海を渡り響くは 東京ブギウギ/ブギの踊りは 世界の踊り/二人の夢の あのうた/口笛吹こう 恋とブギのメロディ(略)世紀のうた 心のうた 東京ブギウギ ヘイー」
 
 「敗戦」という現実をどう受け入れていいか、いまだに納まりのつかない二ヶ月後の10月に公開された映画―敗戦の重み、暗さ貧しさ、苦しさを発散させるための娯楽といっても最大のメディアはラジオくらいしかなかった時期に公開された映画に庶民は飛びついた。歌手を目指した少女のスター誕生を描いた音楽映画で評価は散々だったが挿入歌「リンゴの唄」が庶民の心をつかんだのは歌詞の「無色透明の軽さ」にあったのではないか。とにかく「明るくいこう!」、唄でも歌って―ふたりで歌って、みんなで歌って明るくなろう!そうでないとやっていられない!そんな庶民の気持ちを「リンゴ」という最も庶民的な果物―それでさえ満足に流通していないし、たとえあったとしてもおいそれと買うことのできないものではあったけれども―に託して歌いあげたことがこの唄がヒットした原因だった。云ってみれば、もって行き場のない「ヤケクソ」の庶民のエネルギーは二年後の『東京ブギウギ』で頂点に達する。意味不明の歌詞に笠置シズ子のこれまでの「流行歌手」の概念をブチこわした歌唱方法。「もうええやん!」、いつまでも敗戦をひきずっていても仕方ないじゃないか。このへんでもうふっきって、前に進もうじゃないか。1947年には「配給」だけで生活を賄おうとした裁判官山口良忠が餓死するという事件もあって、「闇市」が公然と国民経済に組み入れられるという「無茶苦茶」な「先行き不透明」、だけれども何故か無性に「明るさ」だけがあった当時の「空気」。それは多分庶民がはじめて手に入れた『民主主義』と進駐軍アメリカさんの「豊かな社会」という『夢』が、あの「貧困の極み」の、けれども「皆が平等に貧困」だった(現実はそうではなかったのだけれども)「明るさ」の「真空地帯」のような当時の庶民の心情とぴったりと合致した『東京ブギウギ』だったと思う。
 
 一方こどもの歌に眼を転じると『里の秋(作詞斉藤信夫、作曲海沼實)』が1945年12月の「外地引揚同胞激励の午後」というラジオ番組で川田正子が歌って人気を博していた。
 静かな静かな 里の秋/お背戸に木の実の 落ちる夜は/ああ 母さんとただ二人/栗の実 煮てます いろりばた ∥ 明るい明るい 星の夜/鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は/ああ 父さんのあの笑顔/栗の実 食べては 思い出す ∥ さよならさよなら 椰子の島/お舟にゆられて 帰られる/ああ 父さんよ御無事でと/今夜も 母さんと 祈ります
 
 これは何という対照だろうか、おとなの唄の「能天気さ」と較べて、明らかに外地で終戦を迎えた軍人の父の無事帰還を願う母子の現実と向き合った切実な心情が描かれている。この歌は戦中に『星月夜』としてつくられた歌のリメイクで、戦争協力的な部分がきれいに削除されて戦後的な歌詞に展開されている。実はここにわれわれの既成概念の誤りがある。子どもの歌である「童謡」や「唱歌」に『思想的』なものは入っていない、芸術的な詩情が描かれている、という既成概念は歴史的にも正しくないのだ。
 
 まずは明治時代の音楽教科書をつくった福井直秋の次の一文を読んでほしい。「小学校生徒は(生まれた土地をはなれたことがないから)故郷という題目は(理解できないのではないかという)人もあろうが、我現在成長しつつある処即ち故郷は此の如く懐かしいものであると云う感じを吹き込むつもりで作ったのである。郷土を愛するの念は、これ国家を愛するの念なり。郷土を思ふの念は郷土を離れた始めて沁みじみと感じられる思ひである。郷土を離れたものの愛郷の情を想像させることは調育上智育上格好の材料ではあるまいか(カッコ内は筆者が現代文に書き改めている)」。
 教育を『管理』する国家権力は現在の中国や韓国との「歴史問題」にみるように為政者の都合の良いように教科書をつくる。明治維新政府にとって「日本国」という意識を国民に自覚させ、愛国心を醸成することが必務であった。そのためには『郷愁』と『抒情』が最も効果的であろうと推定して、福井は子どもに『故郷』という概念を「吹き込み」、成人したとき「徴兵」や「派兵」で故郷を離れたときに『郷愁』という感情をもち、それが『愛国心』につながることを図って音楽教科書をつくった。更に「唱歌教育で不可欠とみなされた音階練習の導入が、実は単に音楽の領域で西洋式七音階に順応させることだけを狙ったものではなく、むしろ、発声器官を動かす訓練を通じて日常言語の発音そのものを矯正し標準化しようというかなり重要な国家目的をもって発案されていた」ことも分かっている。
 ところが福井のように遠慮深謀をもった者ばかりでなかったようで、直接的におとなの道徳観や価値観を押付けるものが多く、こうした唱歌教育に北原白秋は敢然と挑戦した。「全く其処は純真な子供の天性を歪形ならしむる、妙に規則的な、子供に縁のない、何の楽しみもない、大人の子供の為に造った一種の牢獄であった。其処では私たちの童謡と何ら関係のない唱歌というものを無理に教えられ、私たちの郷土的な自然の生活と全く違った世界の中で、全く違った大人の遊戯を強いられた。/全く無理だ、不自然だ、不自由だ、不愉快だ。今思ってもその当時の学校教育は子供の本質を虐殺するものばかりだった。」
 ところが白秋も結果的には戦争翼賛に利用されてしまったのだから国家権力というものは底知れず不気味なものであると思わねばならない。
 
 「演歌」は1960年代から二十世紀のあいだ、全盛を誇ったが今や気息奄々の状態に陥っている。まさに「高度経済成長」とともに隆盛を極め、その終焉とともに命脈が尽きたことになる。
 演歌とは何だったのだろうか。そして誰が何を『企図』していたのか。それは今後の宿題である。
本稿は『詩歌と戦争』中野重雄著に多く負っています
 
 
    
 
 
 

2018年7月9日月曜日

若さは素晴しいか


 ここ十年程のあいだに読んだ本の中で妙に気に入っている話が二つある、ひとつは「老子の『役立たずの木』」、もう一つは「オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』」である。『賢者の贈り物』はこんな話になっている。
 
 デラとジムは貧しい貧しい若い夫婦です。今日はクリスマスなのにデラはジムにプレゼントをするお金がありません。そこでジムが大好きなご自慢のブロンドの髪を売ってお金を用意しようと思いつきます。おじいさんからお父さんにそしてジムが引き継いだ立派な金時計が古い革ヒモの鎖がみずぼらしくてコソコソとしか時間が見られないジムがかわいそうでならないデラは今年こそ立派な鎖をプレゼントしたいのです。
 そんなデラの思いが通じたのか髪は鎖を買うに十分な値段で売れました。短くなった髪の毛を見たらジムはがっかりするかも知れません。でも、髪の毛はスグに生え変わるから…。
 ワクワクしながらジムの帰りを待っていると階段を上ってくる足音がしました。ドアが開いて、ジムに飛びついてキスをしながらデラはプレゼントを差し出します。ジムは茫然としてデラを見つめています。「どうしたの?」といぶかるデラにジムが手渡したプレゼントはデラの美しいふさふさとした自慢の髪を飾るひとそろいの飾り櫛だったのです。
 お互いを心から思い遣ったふたりのプレゼントをオー・ヘンリーは「賢者の贈り物」と名づけました。胸が痛くなるほどの愛しさを若いふたりに感じると同時に貧しさに負けないで希望を持って明日から生きていくであろうふたりを勇気づけたオー・ヘンリーの深い思いに年長者の慈しみを感じずにはいられません。
 
 「役立たずの木」はこんな話です。 
 櫟社というやしろの神木になっている櫟(くぬぎ)の大木に匠石は目もくれません。その弟子がたずねると、「舟を造れば沈むし、棺桶をつくれば腐るし、道具をつくればこわれてしまう…。全くとりえのない木だ使いみちがないからあのように長寿が保てたのだよ」と匠石は答えました。それから何十年かたって弟子がまた櫟社を通りかかると一段と大きくなった櫟の葉陰に大勢の人がだかりがあって涼をとっています。さびしかった門前に市が立ってにぎわっています。師匠の匠石が「役立たずの木」と馬鹿にした櫟は誰にも見向きもされなかったおかげで超大木に育って、さびれた村に市がたつほどのにぎわいをもたらし立派な「村おこし」をしたのです。
 
 6月20日新幹線のぞみ車内でナタを振り回して3人を殺傷した無職・小島一朗容疑者(22は、「俺は生きてる価値がない」「自殺をする」などと4度も家出したあげく、「誰でもいいから殺そうと思った」と無差別殺人に及んだ。伝えるところでは、就職しても長続きせず、対人関係にもゆきづまった結果とみられるが、なにより両親や肉親の愛に恵まれず見放された生い立ちが彼の心を蝕んだようである。
 
 彼に、価値の多様性を説くのは簡単なことだ。しかしそれと同時に世間全体の誤った価値観を改める必要がある。『若さ』に対する過剰な価値の置き方、こんな考え方とはもう縁を切ろう、最近とみにそう感じている。平均年齢が伸びて高齢者が増えて、「アンチエイジング」などということばが溢れかえって老いも若きも「若さ信仰」に走っているが、そもそもこうした考え方が社会を狂わせているのだ。いくつまでを「若い」というかは人各々だろうが若い人たちはせいぜい30歳までを「若い」と感じているような気がする。そして若いうちに自分を咲かせたい、才能を開花させたい、そうあせっている風に思えて仕方がない。だから若いうちに自分を生かせる職を得て将来に道をつけたい、もしそれが果せなかったら自分の人生はもうおしまいだ、そんな考えに取り付かれるのも当然のことなのだと思う。
 我が身を振り返ると学校を出るころは『未熟』と感じていた。とにかく就職はしなければならないが自分に何が向いているか、まったく分かっていなかった。勤め先で、先輩に指導を受けながら実力をつけ40歳代50歳代と成熟していきたい。大体皆そう考えていたのではなかろうか。ただひとり、弁護士になった友人だけは20歳代で一人前の仕事をしていて羨ましいと思った。
 今の時代そんな悠長なことを言っておられない、企業は「即戦力」を求めている。若い人はそういうに違いない。なるほど経団連などの企業側は大学に「即戦力」を求めて、役立たずの「人文系学部」軽視の傾向がはびこっている、自分たちは人文系出身なのに。
 こうした風潮を改めないと「革新的」な商品開発や技術革命を引き起こすことは望めなくなる、ノーベル賞クラスの発明・発見はもう我国では起こらないという悲観的な意見を述べる識者が多いのも、今の近視眼的な物の見方への批判からきている。
 
 若いということに格別の意味が生じたのは明治期からで、青春もそれ以来の流行語である。江戸時代には若い奴というのは未熟者、青二才、半人前、若造でしかなかった。(略)対照のために十八世紀までを見れば、ヨーロッパ文学はドンキ・ホーテ、ガルガンチュア、ガリヴァー、などなど成熟した大人が主役を担う話が主流だった。若い未熟な者の煩悶などそもそも書くに価するテーマではなかった。(略)誠実もまたキーワードである。自分が誠実に悩んでいれば世間はその誠実さ故に猶予を与えてくれる。そういう甘えがあって、実際に世間はそれを許したのだろう。『伊豆の踊り子』の主人公は旧制高校の生徒という特権的な地位にあるからこそ成り立つ話である。中也さんだって我がまま放題、家からの送金で暮らしを支えていた。藤村も太宰も地方の名家の出だった。(略)(青春と青年は三浦雅志のいうように1986年を境に使われなくなった)若者は成熟など目指さず、煩悶することもなく、ネオテニー(幼形成熟幼態成熟)を体現してヤンキーかオタクかのどちらかになっている。
 これは池澤夏樹の『詩のなぐさめ』からの引用だが、「若い奴というのは未熟者、青二才、半人前、若造でしかなかった」という語は、おとなの確然たる『自信』の裏づけがあるからでてくる言葉である。今の大人にそれだけのものがあるのかと問われると腰がひける。
 
 若いということは皆が思っているほど素晴しいものではない、そう大人たちが若い人に自信を持って言えるようになれば、きっと世の中は変わってくる。そんな思いに到った昨今である。
 
 
 
 
 

2018年7月2日月曜日

自主防災を考える

 本論に入る前にサッカーについて一言。サッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会1次リーグの最終戦、対ポーランド戦の後半終了前約10分に日本がとった「パス回し戦法」に対する賛否が喧しいが私の見方はこうだ。この戦法の伏線はこの試合の先発メンバーにある。西野監督は6人メンバーを入れ替えた。下馬評では3戦全敗を予想された日本チームがコロンビアに勝ちセネガルに引き分けた。ポーランドに勝つか引き分けたら決勝トーナメント出場が決まるこのゲームで勝ち運に乗っているこれまでのメンバーを変えることは冒険―無謀と言っても過言ではない。それを敢えて西野監督がメンバーを変えたのはこの先を見据えてのことと考える以外にない。これまで我国は二回ベスト16に進んでいるが、しかしそこまでで終わっている。今回のメンバーは決勝トーナメントで勝てる可能性を十分備えている、西野監督はそう信じている。しかしこのままだとまた決勝トーナメント緒戦で敗れてしまう、そうならないためにはメンバーのレベルアップが不可欠になるが、その最適の方法はまだ先発で戦ったことのないメンバーに先発経験させることだ。西野監督はそう考えたに違いない。加えてこれまで戦ってきたメンバーは比較的年齢層が高いから疲労が蓄積している、それを休養させる効果もある。どんな戦法をとってでも決勝トーナメントに進んでベスト8、ベスト4、そしてその先へ。西野監督の頭にはそれしかない。そのためのメンバーの大幅チェンジであり「パス回し戦法」だったのだ、私はそう思う。そしてベスト8、あわよくば決勝進出して優勝を目指して欲しい。今回のメンバーとチームの団結力なら決して夢ではないし今回の大会の流れならあり得ないことではない。
 
 本題に移ろう。6月18日の大阪府北部地震は怖かった。ドンときた揺れは阪神淡路のそれより大きかった。当時は西陣の古い家に住んでいたから今のコンクリート造りの集合住宅より揺れは強かったはずだがまちがいなく今回の方が余震を含めて怖かった。いわれるまでもなく「歳のせい」もあるわけで、それだけ精神が弱くなっていることも影響しているかも知れないのだが…。
 今週「次の日曜日に自主防災の訓練がありますのでご参加下さい」という案内を組長さんからいただいた。しかしわたしはお断りした。主催する「KH自主防災会」という組織を信用していないのだ。
 もう二年近くなると思うが、ある日郵便受けに「無事」と印刷されたカードが入れてあった。13㌢×18㌢角の黄色の紙に大きく無事と印刷されたカードには「自治会員の皆様に」という説明書が添えてあった。災害時の安否確認を効率的に行うために配布するもので、地震や水害などの災害時に玄関に吊り下げて使用して欲しい、そんな内容になっている。やっとわが学区でもこんな取り組みが行われるようになったかと喜んだのだが、問題はその配布先にあった。説明書きにあったように「自治会員」に限定されていたのだ。昨今の住民意識から類推できるように自治会の組織率は低い。特にわが家のような集合住宅では50パーセントに満たないことも珍しくなく、特に高齢者の参加は極めて少ない。というもの学童のいる家庭は学校の連絡や、とくに地蔵盆があるせいで参加意欲が強いが高齢者には自治会の意義を認めないひともいて自治会に入らない人も多くなる。しかしそれはそれで、災害時の安否確認は全くの別物であろう。自治会という組織が役所とどんな関係にあるのか定かには知らないが、いずれは行政の地域コミュニティ活性化組織の下部組織となっているにちがいない。行政の防災組織の一翼を担っているとしたら災害時の安否確認は自治会の参加不参加に関わらず地域が全体として果さなければならない責務のはずである。それが如何なる事情があるにせよ月額400円の負担如何によってその組織から抜け落ちるとしたら緊急時のリスクになりかねない。このカードがどれほどの効果を発揮するかは予想できないが、カード不配布のもたらす「混乱」は決して小さくないであろうことは想像に難くない。
 更にこの自主防災会の避難計画には重大な欠陥がある。災害時の第一次避難場所がU児童公園で二次避難場所がKH小学校の二階になっていることだ。児童公園は桂川の堤防のすぐ隣にある。桂川は「天井川」で児童公園は堤防より3メートルほど下に位置している。もし桂川が氾濫したとしたら児童公園は最も危険なところにあることは自明である。勿論災害は水害ばかりではないからすべての時に桂川の氾濫を想定する必要はないが、しかしこの地区で最も可能性の高い災害は桂川の氾濫であることは全住民の共通認識である。この避難計画は根本的に誤っている。
 この公園には「災害時緊急トイレ」が設置してある。2011年東日本大震災の特別予算を流用して作られた「いわく付き」の施設である。ところがこのトイレの使用に関しては行政の上下水道部の直接管理下にあって公園の隣にある消防分団も自主防災会もまったく関与していない。緊急時どんな経路で使用可能になるのか住民にも一切説明がなされていないし、自主防災会はそもそも興味すら示したことがない。
 
 また大阪府北部地震の際には京都市の「帰宅困難者ガイドマップ」が機能していなかったことも明らかになっている。ガイドマップでは災害時、JR京都駅など交通機関は外国人観光客に向けて日・英・中・韓国語で情報をアナウンスしたり、JR京都駅近くのキャンパスプラザ京都や京都アバンティが休憩所を設置する協定を結んでいたにもかかわらず職員不足を理由に要請を拒否したり打診のメールに気づいていなかったりと、防災体制が機能していなかったと京都新聞が報じている(2018.6.27「取材ノートから」報道部竹下大輔記者)。
 
 自主防災を考えるとき、自衛隊の「シビリアン・コントロール(文民統制)」を思う。どちらも言葉と組織は「紙の上」では出来上がっているようだが、実際時に機能するのか、効果に現実性があるのか。極めて「危うい」ものを感じるのだ。
 そして原発事故は自主防災に含まれているのだろうか。 
 
 お役人や自主防災会の役員さんの「晴れ舞台」で終わるだけの「訓練」であってはならない。