2016年5月30日月曜日

ダービーを楽しむ

 第83回ダービーの枠順が決まった。1枠1番ディーマジェスティ、2枠3番マカヒキ!決まった!この二頭が優勝する!そう直観した。そして天皇賞のキタサンブラックを思った。
 今年の第153回天皇賞はズバ抜けた主役馬不在の混戦模様(実際フタを明けてみればゴールドアクターが一番人気だったが3.8倍で10倍以下が6頭もいてファンの困惑が透けて見えた)。しかし枠順が発表になったとき、1枠1番に入ったキタサンブラックが勝利に大きな一歩を踏み出したことを予感させた。逃げたい同馬にとって内枠、それも1番枠は願ってもない好条件、まして鞍上が名手武豊であれば1番枠は逃げ切り勝利をほとんど手中にしたも同然の幸運であった。演歌で頂点を極めた歌手北島三郎さんの強運を印象づけられた。レースは予想通りキタサンブラックの逃げで始まり最終コーナーを回って直線に入ったときほとんど勝利は確実に思われた。ところが終始キタサンのすぐ後を周っていたカレンミロティックの猛追がはじまった。ゴール前100m附近でカレンが一歩前に突き抜ける。あぁ、キタサン敗れた!そう思われたときキタサンが抵抗する。懸命に食い下がって30m近く両馬が拮抗する。そしてゴール直前、キタサンがグイと鼻面を突き出した。名手武豊はキタサンに余力を残しておいたのだ。天皇賞男の面目躍如の手腕であった。
 ディーマジェスティが1枠1番を引き当てたとき、天皇賞で1枠1番に入った北島さんと名手武豊の強運を思い起こすと同時に、ディーマジェスティに乗る蛯名騎手24回目のダービー挑戦の執念に天が微笑んだと思った。
 
 さぁ、馬券だ。まず1と3の単勝、3連単は1と3で1着2着固定3着に人気馬から穴馬まで手広くいく。よしこれでいい、サトノダイヤモンドが気にかかるが今回のダービーはどうしても『日本人騎手』に勝って欲しいからルメールには遠慮してもらおう。勝つのは執念の蛯名騎手とクラシック5冠(皐月賞、ダービー、菊花賞、桜花賞、オークス)に挑戦するマカヒキの川田騎手だと勝手に決めた。そう決心したのだがエアスピネル=武豊がひっかかる。レース展開は先行して絶好のポジションを占めるであろうエアスピネルがどうみても有利だ。おまけに天皇賞をキタサンで逃げ切った名手であり今年は世界を駆け回って活躍する運気充満の武豊騎手だ。迷った末にエアスピネル5番の単勝と5から1と3の馬連を追加する。
 
 レースがはじまった。14万人近い大観衆の歓声が唸りをあげる中、マイネルハニーが逃げて第1コーナーに各馬が殺到する。そんなに早くないラップ(最初の1000m通過タイム60秒0)であるにもかかわらず縦長でレースが進む。エアスピネルが絶妙のレース運びで前から4、5頭目につけている。そのすぐ後ろにサトノがいる。あっ、その直後にマカヒキがいる、エアマジェスティがつづくが手が動いている。いつもより前すぎる、皐月賞より前すぎる。不安が過(よ)ぎる。
 レース前、パドックから本馬場へ移る途中の地下馬道を通る馬列がテレビに映し出されたとき、顔面蒼白で顔がひきつった蛯名騎手に普段と異なる雰囲気を感じた。
 4コーナーを回って直線半ばを過ぎたとき、エアスピネルがトップに躍り出た。スッーと後続と差がつく。と思った瞬間マカヒキがエアに並ぶ。懸命にサトノが追いすがる。馬上の川田が体を上下に激しく揺らしながらマカヒキを追う、まるで地方の騎手のようだ。マカヒキが出る、サトノが食い下がる、エアが下がる、マジェスティがエアをかわす。ゴール!マカヒキか?サトノか?ゴール板を過ぎたところで川田とルメールが手を握り合っている、ふたりにはどちらが勝ったか分かっているのだ。
 
 1着マカヒキ、2着サトノダイヤモンド、3着ディーマジェスティ、走破時計2分24秒0、単勝400円馬連700円3連単4,600円。マカヒキの単勝400円はおいしい配当だった。負けたが大負けはしなかった。
 蛯名騎手はまたしてもダービージョッキーになり損ねた、ヴェテランでもダービー1番人気の重圧には克てなかったのか?川田騎手はこれで武豊、池添謙一、岩田康誠騎手らにつづいて8人目の5大クラシック完全制覇した。「ダービーオーナーになることは一国の宰相になるよりも難しい」、サトノダイヤモンドの里見オーナーはこう嘆いているのだろうか。
 
 今年のダービーは楽しかった。競馬自体も好勝負だったが大負けしなかったことも幸いだった。三連単のお陰である、射幸心を煽ると危惧されたが結果は逆で少ない資金で競馬を楽しむファンが増えた。
 競馬は楽しい!勝ったらもっと楽しい!

2016年5月26日木曜日

第83回ダービー2016

 今年のダービーは大混戦だ、しかも相当ハイレベルの。というのも皐月賞が1分57秒9のレコード、トライアルの青葉賞がレースレコードに0秒1差に迫る2分24秒2という高いレベルの熱戦がつづいているからだ。ここ数年のダービーは2012年(ディーププリランテ)2分23秒8、13年(キズナ)24秒6、14年(ワンアンドオンリー)23秒2、15年(ドゥラメンテ)24秒2という高速決着で終っており、出走馬の能力は年々高まっているから良馬場で行われる限り能力の絶対値が問われるレースになる可能性が強い。
 
 専門家でない素人の視点で今年のダービーを見るとき、『馬主』と『騎手』に興味をひかれる。
 ドゥラメンテの強力(ごうりき)にねじ伏せられたとはいえ僅差の2着3着に愛馬を擁していた里見オーナーの執念はセレクトセールで2億4150万円で落札したディープ産駒サトノダイヤモンドを出走させた。しかも2月7日のきさらぎ賞に快勝しながら前哨戦を使わずにあくまでもダービーを狙ってあえて皐月賞にはぶっつけの6kg増で挑むという必勝体制でダービーに臨む『決意』を示した。鼻筋にはっきりと浮かび出るダイヤモンドの白い紋章はサトノの栄光を燦然と輝かすために天の与えた奇跡かも知れない。
 金子真人オーナーはこれまでキングカメハメハ(2004年)、ディープインパクト(2005年)と二度もダービーオーナーに輝く強運の持ち主である。その彼が今年はマカヒキ、プロディガルサン、イモータル、マウントロブソンという4頭の大軍を送り込んできた。勿論マカヒキが優勝の筆頭候補ではあるが皐月賞馬ディーマジェスティ、必勝体制のサトノダイヤモンドなど有力馬が目白押しだけに実力だけではダービー馬の幸運を手にすることのできないことは金子オーナーが一番よく知っているであろう。とすれば幸運を呼び込むためにチームプレーで挑もうとするのも当然である。素人考えで思いつく戦法は先行馬マウントロブソンでペースの攪乱を図り好位でレースをすすめるであろうサトノダイヤモンドやリオンディーズを眩惑することである。ルメール、デムーロという名手が相手だけにそう易々とことが運ぶとは思えないが、手を拱いているわけにはいかない。金子オーナーの下専門家軍団があらゆる手段を講じて三度目のダービーの栄冠を目ざして挑戦すること必至である。
 
 騎手蛯名正義は今年騎手生活30年目で通算2167勝の名騎手であるにもかかわらずこれまでダービージョッキーの名誉を手にしていない。アパパネで2010年牝馬三冠を、牡馬三冠は皐月賞(2014イスラボニータ)、菊花賞(2001年マンハッタンカフェ)とそこまで手が届いているのに、とりわけ2014年のイスラボニータは皐月賞快勝後ダービーに臨んでワンアンドオンリーに4分3馬身の2着に後塵を拝するという不運に泣いた。ディーマジェスティでダービーに挑む彼も今年47才、そうそうチャンスはない。皐月賞は共同通信杯を勝って中9週間というゆったりとした間隔で勝利しているからレコード勝ち後の疲労も他の有力馬に比べてそれほど過酷ではない(レース過程ではサトノダイヤモンドが同様に余裕のある臨戦過程を踏んでいる)。ダービーでは「キャリア4戦以下の馬は連対なし」というデーターがありサトノダイヤモンド、マカヒキ、リオンディーズより有利な情勢にあるだけに、今度こそ悲願を達成したいと蛯名は念じていることだろう。
 
 ノーザンファームの生産馬の快進撃が止まらない。先週のオークスは1、3着がディープ産駒、2着がキンカメ産駒で上位独占。昨年のオークスは1~3着馬がノーザンファーム生産馬、ダービーも1~3着がノーザンファーム生産馬で1着がキンカメ産駒、2着がディープ産駒。完全に東京2400m勝利のノウハウを手中にしている。今年も10頭がダービーにスタンバイしている。ディープ産駒がサトノ、プロディガルサン、マウントロブソン、マカヒキ。キンカメ産駒がリオンディーズ。他にヴィクトワールピサ、マンハッタンカフェ、ハービンジャー、ステイゴールド、ゼンノロブロイ産駒のノーザンファーム勢がひしめいている。これだけの勢力を示されては今年もノーザンファーム生産馬にダービーをもっていかれそうな気配を感じずにはいられない。
 
 素人なりの勝ち馬予想を畏れずにしてみよう。ディーマジェスティ、マカヒキ、スマートオーディン最有力にサトノダイヤモンド、リオンディーズを加えた5頭の優勝争い。穴はエアスピネル、レインボーラインとレッドエルディスト。結論は枠順をみてから。なんといってもダービーは内枠有利、特に1~3番枠有利で10番枠までで優勝馬は決まっている。内枠で4コーナー8~10番手以内で通過できる各馬で馬券は決まる、とデータは語っている。青葉賞勝ちの良血ヴァンキッシュランは無理なローテーションを嫌って消す。

2016年5月23日月曜日

支那浪人

 子どもの頃、「支那浪人」「大陸浪人」という言葉がまだ流通していた。何を意味するのか、一体どんな浪人なのかは分からなかったが「…一旗上げる」という文句と一緒に語られることが多かったから「中国へひとりで金儲けに行った野心的な人」ではないかと、おぼろげに考えていた。
 昨今のぎくしゃくした日中関係を修復する『核心』あるいは『キーワード』は案外この辺りに潜んでいるかも知れない、と最近考えることがあった。
 現在の円満ならざる日中関係を当然視している両国の市民―人民は、日本は明治維新から日支事変、満州事変、大東亜戦争へと、国をあげてまっしぐらに軍国主義に突進したと思っているかも知れない。しかし両国が戦争をはじめる相当前、利益のための中国侵略ではなく、ほんとうに心からの大東亜を願い、白人の植民地と化した中国の開放を私欲ぬきで考えていた幾人かの右翼思想家、中国革命を援助し孫文などをもかくまったりした支那浪人たちがいたことを、もう一度思い起こすために一冊の小説をひも解いてみたい。
 それは高見順が「文学界」に昭和35年1月号から昭和38年5月号まで35回にわたって連載した『いやな感じ』である。(原文は旧漢字、旧仮名遣いであるがすべて現代仮名遣い、新体漢字で表記している。なお引用は勁草書房刊『高見順全集第六巻』による
 
 「悲堂先生の話を聞くと、現在の右翼の大物のほとんどは支那革命の援助者だ。面白いもんだな」「面白い…?」「自由民権論者が国家主義者になっている。日本とはそういう国なんだ。今に見てろ、今度は社会主義者が国家主義者になる」(略)「悲堂先生は自由民権運動に挫折して、支那革命に身を投じた。自分の主義主張を支那革命のなかに生かそうとしたんだ。その支那革命が成就して、やっと今日のような形になったと思うと、やれ排日だ、打倒日本帝国主義…」「そのため、せっかくの支那革命の援助者たちを国家主義者にしてしまった?大アジア主義の志士を右翼の国家主義者に追いこんだのは支那のせいだと言うわけか」(p306)
 「この排満興漢とは、もとは満人の専制にたいする民族自治の要求だった。」(略)「東洋の平和を今は支那のほうで乱しているのではないでしょうか。なぜなら、日本に対する態度など、排日どころか、正に侮日です」「侮日に対しては武力を用いねばならぬ?国内問題とちがって、対支問題の場合、侵略と見られるような武力を用いるのは、わしは賛成できん」(略)「昔は純粋な情熱から支那を愛していた者が、今は利権漁りに狂奔して、昨日の支那の友は今日、支那の敵になっている。支那革命の援助者が今は、支那側から言わせれば売国計画の中心人物になりはてている。いわゆる支那浪人の徒輩だ。これがまた、支那の言う蚕食、日本の侵略の手先となっている。今、加柴君の言った矢萩大蔵などがそれだ。ああいう支那浪人がいるために、排日抗日をどのくらい煽り立てることになったか分からない。」(p400)
 維新政府に排除された憂国の志士が、その情熱を植民地化した中国の解放に転換し成就した途端、無目的化し金儲けに盲進し現地人の反感をかって「排日・侮日」の憂き目にあう。 
 
 「排日が支那全土の運動になった、そのきっかけを作った済南事変、たとえばあれを見ても、日本側の報道だとこうなっている。済南の在留邦人が略奪に合っているというしらせで、日本軍が出動した。邦人保護で出て行くと、支那側からいきなり発砲してきたので、日本軍もやむなく応戦した。それで戦争開始となって、事が大きくなって、日本軍の済南城占領というところまで行った。日本側の発表はこうなっているが、支那のほうでは、日本側が日支の衝突を挑発したのだと見ている。日本の謀略だとみている。残念ながらそれは事実のようだ」(p400)
 (こうした叙述は、現地邦人や同盟国の船舶に同乗した邦人の救出を集団的自衛権容認の論理的背景として例示した、現政権の企図にひそむ危うさを浮かび上がらせる。)
 それでも三千年の歴史の過程で征服者の残虐と過酷な搾取を通り抜けてきた中国一般人民はすぐには戦争に加担しなかった。
 上海の中国人は、今度の戦争を中国人と日本人の間の戦争というより、日本の軍部と中国の蒋介石政権との戦争だと見ている。一般の民衆には関係ない戦争だと見ている。/大体が戦争、政争といったものに対しては、/「――阿拉勿闕アラブクエ」/知らん顔というのが中国人の伝統で、/「民衆同士、人間同士は仲良くやっていこうというわけですよ」/と老上海ラオシャンハイの雑貨商は言った。(p437)
 しかし圧倒的な軍事力を過信する軍部はやみくもに開戦に突入していく。
 「支那本土へ日本軍がはいって行くのは考えもんだな。矢萩大蔵は欣喜雀躍かもしれんが、わしは不賛成、反対だ。あの大陸へ手を出したら、泥沼にずるずるとひきこまれるようなもんじゃ」/相手は一応、抗戦してくるだろうが、きっと退却戦法をとるにちがいない。日本軍は進撃、勝利がつづいて大喜びだろうが、その実、占領地域がふえて大変な負担だ。向うはそれを狙っているのだ。日本の武力や財力をそうして消耗させる寸法なんだ。ずるいというか、利口というか。/「それに英米がかならず出てくる。出てくるように支那はしむける。そうなると、せっかく満州をおさへたのに、元も子もなくなってしまう恐れがある」(p398)
 「それだけでもないさ。どえらい戦争をはじめたら、きっと日本は、しまいには敗けるにきまってる。どえらい敗け方をするにちがいない。だっていまの軍部の内情では、戦争の途中で、こりゃ敗けそうだと分かっても、利口な手のひき方をすることができない。派閥争い、功名争いで、トコトンまで戦争をやるにきまっている。そうした軍部をおさへて、利口な手のひき方をさせるような政治家が日本にはいない。海軍がその場合、戦争をやめさせようと陸軍をおさへられれば別問題だが、海軍と陸軍の対立はこれがまたひどいもんだから、陸軍を説得することなんか海軍にはできない。逸る陸軍を天皇だっておさへることはできない。こう見てくると、戦争の結果は、どえらい敗戦にきまっている。そのとき、日本には革命が来る」(p413)
 
 西欧諸国の搾取と迫害に耐える隣国・中国を救済しようとその解放を願った「隣人愛」が、『侵略』に変貌した、その不幸な歴史過程が未だに両国を『隔絶』している。しかし中国革命成功の幾ばくかの力として支那浪人―日本人の援助があったことを、両国の共通認識として共有することは膠着した日中関係打開の一石になるに違いない。そのきっかけとして埋もれた日本の小説が意外と有効になるのではないか。
 
 荒川洋治がいう「文学は実学である」という言葉が生きてくる。
 
 

2016年5月16日月曜日

現実主義者は思考停止である

 一ヶ月ほど前、交通違反で取締りを受けた。一旦停止違反であった。図書館の往き帰りに利用する狭い道(片側一車線の住宅街を走る生活道路)で十字路ごとに一旦停止の標識が立っている。結構車の多い路なので以前から丁寧な運転を心がけていた。件の十字路も何故停止の標識が設けてあるのか疑問に思うほどの場所だったが『一応停止』は怠らない運転を習慣としていた。
 その日もいつも通り―いや、ひょっとしたらいつもより心もち短い停止時間だったかも知れない、それでもブレーキペダルを踏んで左右確認をして進んだ。少し進行した「死角」から警官が数人現れて停止を命じられた。
 一旦停止について、警官との認識の違いで折り合わず小一時間押し問答がつづいた。その間も車の往来は絶えることがなく何台もの車が通過したが一旦停止の形はまちまちで、少なくとも警官が主張するような車輪が完全に停止して2、3秒はその状態が保持されているような「停止」をする車は皆無だった。
 押し問答をつづけるなかで「どうすれば彼を説得できるか」「彼(現場の責任者)が部下に示しがつくようなかたちで収拾するにはどのようにすればいいか」を考えた。「3年前に友人が交通事故を起こしましてね。怪我は大したことはなかったのですが、君も気をつけろよと忠告を受けてからは安全運転を心がけてきました。私の認識とあなたのおっしゃる『一旦停止』は異なるようですが、ここ何年かの私の努力がこんな形で失敗するのは残念です」。
 私が『現実主義者』なら面倒を背負い込むより七千円の罰金を支払うほうが利巧だと考えただろう。しかしそうはしなかった、裁判をしてもよいと覚悟しつつあった。スピード違反にしろ飲酒運転でも機械化が進んで機器による客観的データにもとづいて違反の判断が行われているのに「一旦停止」が一警官の主観的判断で決しられている現状を公の場で訴えてみよう。警官との押し問答の繰り返しのなかでこんな考えを固めていた。とにかく『猶予』を設けよう。
 「分かりました、とりあえずキップは受け取りましょう。一日考えて見ます。だからあなたも考えて下さい。そして明日電話を下さい。そのうえでどうするか決めましょう」。
 翌朝警官から電話があった。一週間罰金が支払われなければもう一度納付書が送付されます。それでも振込みがない場合は催告状が送られます。これ以降は罰金に利息が付きます。督促状が発行されてそれでも応じなければ裁判になります。警官はそう告げて電話を切った。
 以来もう一ヶ月以上経っている。二度目の納付書は届いていないし督促の電話もない。彼は私の『異論』を受け入れてくれたのだろうか。一日おいたことで、彼独りの判断が下せるような環境ができたのだろうか。でもまだ安心してはいけない、最近の警察のことだから事務処理遅滞で半年経ってひょっこり督促状が届くかも知れないぞ。そう戒めている。
 
 閑話休題。もう何年も『非戦』を信条としてきた。昨年の安倍首相の集団的自衛権容認―安保改定については容認派の面々と激しく対立した。私の主張は「集団的自衛権の同盟相手がアメリカであり、アメリカという国は同盟国として全幅の信頼を置くに足るとは言い難い相手である」という一点にあった。
 原爆を投下した国である、ということが最も大きな『不信』の原因である。そのことを「戦争の早期終息には不可欠であった」と国民の多くが考えていることも不信を増幅させた。そして戦後70年、覇権国としてアメリカは特権をほしいままに行使して世界経済を蹂躙してきた。その膝下に屈している限りにおいて、アメリカ経済が順調である限りにおいて『鷹揚に』振舞うが、その均衡が崩れたときには『自己保身』に豹変するのが常であった。蛇足だが、アメリカが地上戦で単独で、一国だけで勝利していないことも危惧した。
 日米安保条約は当初「赤化の極東の防波堤」として締結された。ソ連の暴発に備える西側最前線として有効であった。東西冷戦が終結して、中国の勢力拡大とアメリカの相対的国力低下が新たな緊張を醸成、日米安保条約の質的変容を促した。
 日米安保の発足から今日に到るまで『現実主義者』はその時々の『現状』を安易に「容認」して安保の変質と我国の軍備拡張を是認してきた。今回の集団的自衛権容認も中国(と北朝鮮)の脅威を『現状』としてアメリカとの『同盟力』を補強するために不可欠と考えたものであった。
 今年のアメリカ大統領選挙の共和党候補としてトランプ氏が最有力になった。彼は「安保条約不平等論者」としてアメリカ軍駐留費用の全額負担を要求し日本の核軍備化すら強制しかねない人物である。「現実主義者」はこれを『現実』として受け入れるのだろうか。そして我が国経済の持続性が不確実な状況下で「軍事費」の飛躍的な拡大を容認するのか。
 「豪州の潜水艦受注に失敗」という記事が、誠に残念!という論調でマスコミを賑わした。潜水艦は紛れもなく『武器』である。戦後堅持してきた「武器輸出三原則」が2014年に「防衛装備移転三原則」に衣替えした。その際にはマスコミもなにかと批判めいた論陣を張って政府攻撃を加えた。それが僅か2年のうちにかくも『風化』してしまうものなのか。
 
 現実主義者には想像力が欠如している。「アメリカの歴史」を冷静に思考、分析する能力に欠けているから同盟国としての適性に『厳正な評価』を下せなっかた。きらびやかなアメリカ文化に眩惑されて政治的経済的アメリカの本質を見誤って『トランプ氏的』人物の出現を予測できなかった。中国三千年の歴史と文化を戦後教育は『軽視』してきたから10年後の「中国の姿」を相当な確実性をもって思い描くことができないで、目の前の中国政府の振舞いを過大評価して強迫観念に襲われることになる。
 現実主義者は「現状に安住」することを『怠惰』とは思わない。現状の変化に『怯懦』して愧じるところがない。
 
 「現実主義(者ではない)」と「思考停止」は同義ではない。
 

2016年5月9日月曜日

スポーツ二題

 今年の天皇賞(第153回)は北島三郎さん所有のキタサンブラックが平成の天皇賞男武豊の騎乗でめでたく戴冠した。一番人気のゴールドアクターは入れ込みが激しくスタミナをロスして直線半ばで失速、12着に沈んでしまったしまった。ゴールドの敗因は調教の失敗で体重がギリギリまで絞られ馬のテンションが上がりすぎてしまったことによるが、それとは別にひょっとするとこの馬は出張競馬が苦手なのかも知れない。
 それにしても人間の『運』というものの不思議さをツクヅク思い知らされたレースであった。。演歌歌手として頂点を極め最高の『幸運』を手にした北島三郎さん、JRAで3818勝をあげ重賞レース307勝、うちGⅠ70勝という前人未踏の記録を更新し続けている『強運』の名騎手、このふたりがコンビを組んだ途端(2レース目)に京都競馬場の天皇賞3200Mで最適枠の1枠1番を引き当てたのだから勝利のお膳立てはレースの始まる前に調っていたというべきだろう。予想の段階ではゴールドアクターが実力で一枚抜けていると判断していたが枠順発表されたとき、キタサン勝利の確信に近い予感を感じた。一方のゴールドは最悪の8枠17番、調教師の中川公成は開業11年目の中堅だがこれまで重賞勝ちのオープン馬はゴールド以外に現5才牝馬マジックタイム1頭だけという経歴で、ゴールドが昨年暮れの有馬記念を人気薄で優勝したものの天皇賞という古馬最高のレースで1番人気を背負って出馬させるような経験はゼロだった。ノウハウの蓄積のなかった結果は調教をヤリ過ぎて激しい入れ込みにつながり馬の能力を封殺してしまった。ゴールドの騎手吉田隼人は33歳で12年目だがGⅠ勝ちは昨年のゴールドでの有馬記念まで一度もなくGⅡすらゴールド以外では僅かに1勝という戦績では天皇賞7勝の武豊とは雲泥の差といわねばならない。おまけにレース展開の非常に難しい8枠17番になったのだからゴールドアクターにとってはあらゆる面で不利極まる条件となっていたことになる。
 天皇賞の結果を踏まえても実力ではゴールドがうえだと思っている。しかしキタサンブラックは4才、まだまだ成長するに違いないからこれからのこの二頭の勝負に期待が高まる。中川調教師、吉田隼人騎手もゴールドアクターと共に成長して暮の有馬記念で雌雄を決してくれることを楽しみにしている。
 
 元読売巨人軍の笠原将生投手が野球賭博事件での有罪が確実になってきた。笠原投手がこの事件で他の誰よりも罪深いのは彼が父栄一の期待を無残にも裏切ったことにある。しかし、だからこそ、この事件があったのかもしれないのだが。
 笠原栄一は群馬県立佐波農業高等学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校出身で1984年のドラフト会議でロッテから1位指名をうけてはなばはしく球界入りを果した。140km/h超の速球を武器とした本格派は往年の名投手でロッテの監督も務めた金田正一の背番号34番を与えられたことでも期待の大きさが分かる。しかし結果は12年間の現役生活で1勝もできずに引退することになる。
 その無念な気持ちが通じたのか息子の将生2008年のドラフト会議で巨人に指名されて入団4年目の2012年5月3日島東洋カープで先発しプロ野球史上初の親子先発を果たすという好運に恵まれる。そのときテレビに映し出され栄一の姿が印象的だった。そして同年9月12日の広島戦で栄一氏の成し遂げられなかったプロ初勝利を挙げ父の『悲願』に応えたことが今となっては将生の最高の「親孝行」だったかもしれない。最速151km/hの速球と多彩な変化球を武器としたが制球が思うにまかせず通算4年で80試合の登板の多くはロングリリーフで使われ勝利数は7勝止まり、父の期待ほどの成績をあげることはできなかった。
 弟の笠原大芽福岡ソフトバンクホークスに所属する文字通りの『野球一家』に育った将生への父栄一の期待は人気球団読売巨人軍に入ってテレビに映し出される機会も多くいや増したことだろう。その重圧に堪えるには弱冠25歳は弱すぎたのか『賭博』に走ってしまった。その罪はこれからの人生で購うほかないが、しかし、この罪は彼だけに負わせてよいものだろうか。
 所属した読売巨人軍の組織としての欠陥を明らかにすることなしに再発防止はできないであろうし、「使用者責任」として監督の責任も不問に付すには影響が大きすぎるのではないか。ところが笠原元選手在籍時の監督原辰徳氏は2015年のペナントレース敗戦の責任を取って意想外の退団、ナベツネこと渡邊恒雄氏もあれほど固執したオーナー職を事件発覚と同時に放棄して引責辞任してしまった(渡邊氏はオーナー職を白石與二郎氏に譲って球団最高顧問という名誉職についていたが実質的オーナーは渡邊氏と世間はみていた)。突然の原辞任であったので後任監督として最有力だった松井秀喜氏に就任を断られ窮余の一策として弱冠41才のヨシノブ―高橋由伸氏が現役引退即監督というドタバタ劇が演じられた。
 原辰徳元監督の責任は追求されずナベツネ氏についても一切が不問に付されるとしたらあまりにも不明朗ではないか。球界の盟主と驕り「紳士たれ!」と選手に誇らせたナベツネ氏の『矜持』はどこへいってしまったのか。笠原ほか選手の糾弾だけという「トカゲの尻尾切り」でこの問題が終息するとしたらNPB日本野球機構の『後進性・閉鎖性』の改革はまた遠退くことになる。
 
 管理を委託されている近くの公園の野球場のゴールデンウイーク後半の予約は5日(木)に2時間あるだけで他は空白になっていた。こんなことはこれまでなっかたことで、少年野球(の親たち)も大人の野球愛好家も『家庭サービス』一辺倒に様変わりしてしまったのか。
 一抹の寂しさを覚えるのは私だけだろうか。

2016年5月2日月曜日

厄災の畏れ方

 先日関西のお笑いコンビの一人が熊本大地震の避難所のニュースを見て「この光景、阪神淡路大震災のときと全然変わってへんやんか」と叫んだ。物知り顔の誰かが「行政もお金がないから」と挟むのに「そやけど政治の優先順位からいったらこっちの方が優先やろ、こういう時に助けるのが政治違うんかいな。何にも学んでないやんか」。十年一日の如く災害のたびに小学校などの公共施設へ着の身着のまま避難して体育館の床にブルーシートを敷いて毛布などを身にまとって家族が体を寄せ合う構図が繰り返されている。そしてその先には終点の見えない「仮設住宅暮らし」が待っている。彼がいう通り何も学習していない「政治」!
 
 1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、そして今回(2016年)の熊本大地震。この間に2004年に新潟県中越地震があり1995年には「地下鉄サリン事件」、2011年には「福島第一原子力発電所事故」がある。僅か20年余の間にこれだけ『未曾有』の天変地異と事故事件が続けば昔の人ならば、平安時代や室町時代の人なら「これは何かの『祟り』にちがいない」と『畏れ』を抱いたことだろう。そして原因と考えられる『御霊』を祀って不遇のうちに抹殺された『怨霊』の鎮魂を祈ったことは間違いない。ところが我々現代人は「地震予知」であったり防潮堤や耐震構造や防災・減災を『科学的』に思考することに専らである。
 
 古人にならって「何かの祟り」と考えるとしたら、誰が今日の我々のあり方を怒(いか)っているだろうか。すぐに思い浮かぶのは第二次世界大戦で亡くなった兵220万人民間人80万人の300万人余の死者である。無謀な開戦も、無惨な敗戦にも、明確な責任所在のあいまいなままに、尊い生命を失われた同胞がもたらしてくれた平和、民主主義と基本的人権、男女平等そして『不戦の誓い』を我々は大切にしてきただろうか、そして『原爆許すまじ!』の怒りを!
 基本的人権も男女平等も民主主義なればこその恩恵であり平和は民主主義の拡大によってグローバル化してきたから、300万人の犠牲によって我々が享受した恩恵は「民主主義」に集約してよかろう。それを我々は敗戦によって「棚ボタ」的に手に入れたわけだが、現行憲法の発布した1947年と今と、民主主義がより機能しているのはどちらだろうか。どちらの時代が『生きやすい』だろうか。
 
 一体『300万人の戦死者』にはどれほどの『重み』があるのだろう。
 1930年(日中戦争の始まった)の人口は6445万人であり男の人口は3239万人だったから人口の4.7%、男の6.8%が死んだことになる。更に子どもと年寄りを除けば人口の一割以上の成人男子が死んでいるのだ!1945年次の軍人総数は約800万人(陸軍550万人海軍250万人)と推定されるから220万人の軍人死者数はすべての軍人の27%以上になる、ということを我々は考えたことがあるだろうか。更につけ加えれば現在の我国の都道府県別の人口で300万人を超えるのは東京圏の4都県以外は北海道、静岡、大阪、兵庫、福岡以外になく京都も広島も埋没する死者数であり、世界の188の国で300万人以下の国は58カ国もある。
 戦死者数300万人の重みを認識するとき、それによって我々が享受している「民主主義」についてもういちど熟慮する必要があるのではないか。
 
 「民主主義は、その言葉の全的な意味では、つねに理念以外の何物でもない。良かれ悪しかれ、人は地平線に近づいて行くのと同じで、決して全的にその理念に到達することはありえない。この意味において、あなた方もまた、単に民主主義に近づきつつあるのである」。これはチェコスロバキア大統領ヴァツラフ・ハーヴェルの米議会での1990年の演説の言葉である。ところが政治家というものは鈍重かつ鈍感であるから、民主主義を既成のものと看做している、そして我々もこれについては同罪である。戦後70年が経過して民主主義的『自由』が当たり前になりそれについて深く考える習慣が稀薄になるにつれて「自由が不寛容に容易に転化しうること、(略)不寛容なナショナリズム(民族主義)が何を生むか」と堀田善衛が『天上大風』で示した危惧が我国で、世界のあらゆるところで顕在化している。
 
 我国に限らず世界中が未曾有の天変地異に見舞われている。これに科学的に対応することは当然としても、古人に倣って「怨霊の祟り」と畏れを抱く『歴史的な感じ方』があってもいい。そして今を『再考』することが「歴史に学ぶ『賢明』さ」につながる謙虚さなのではなかろうか。