2022年6月27日月曜日

日本は変わらねば

  参院選がはじまりました。その報道を見ていて「日本は駄目だなぁ」とつくづく思うのです。プーチンの狂気――ウクライナ侵略に対応する各国のトップの何と女性の多いことか、そして若い人たちが多いことか。それに反してわが国は相も変わらず「おっさん」と「年寄り」ばかりが威張っていて、しかも細田何某のように「セクハラ」の醜態をさらすのですから前途に希望のかけらもありません。日本は本気になって変わらないと今世紀中には消滅するかもしれません。

 

 消滅といえばいわゆる「2050年問題」で、2050年に人口が1億人を割り込み2100年には6千万人に半減するという国立人口問題研究所の推計が声高に喧伝されて社会保障制度の破綻が現実味をもって語られています。マスコミはこの発表を真に受けて日本経済の危機を訴えていますがこの推計も破綻の予測も、現状をそのまま延長したものであるという「前提」をまるで検証していません。世界が女性と若者を活用し男女格差、老若格差を解消して「全人活用」に道を開いている一方でわが国が相変わらずの女性差別、若年層差別をのさばらしている現状がそのまま2050年にも2100年になっても残存していると考えているのです。誰が考えてもこのまま人口減少に手を打たなければ経済制度がもたなくなるのは明かなのですから賢明な日本国民が対応策を取らないはずがないではありませんか。

 女性の労働力率(女性の労働人口――2824万人に占める就業者数の割合)は49%強です(2014年)、これを男性並みの75%弱に高めると約700万人労働人口が増加します。その上女性の非正規雇用率は50%を超えていますからこれを正規雇用に転換すると(非正規の月間就業時間数約90時間、正規を180時間とすると)労働時間数はまちがいなく倍増しますから非正規雇用者――2064万人(2021年)が増加することになります(正規に換算すれば約1千万人)。また定年延長が進行していますから65才から70才に延長されれば労働人口は1割強増加することになります。加えて若年層の失業率が4%弱、男性の非正規雇用者数約700万人という数字を考慮するとこれだけでも1千万人近い労働人口増が見込まれます。

 労働力の側面から見れば、女性の活用、非正規雇用の正規雇用化、定年延長、若年層の失業者を雇用するなどの施策を実施すれば1億人に減少する減耗分の補填は決して不可能ではないことが分かります。更にAI化、ロボット化は今後急速に進展するでしょうから単純な数字上の労働人口減少は国の取り組みによってまちがいなく解決できます。

 

 もうひとつわが国の大きな問題は「東京一極集中」です。人口と企業が東京圏に異常に偏在して地方の疲弊が放置されていることです。東京圏への人口集中は人口の約3割に達していますがこれはパリの18%ロンドン13%ニューヨーク7%と比べて異常さが際立っています(ただソウルは50%弱になっています)。グローバル企業の集中度でも東京は70%を超えています、これはソウル75%、パリ65%、ロンドン70%を別にすれば北京の45%が最高で他はニューヨークの13%ですから偏在ぶりは如実です。

 地域別の生産性を「1人当域内総生産(2018年)」で見ると、東京は774万円でダントツ、2位愛知543万円、3位茨城488万円、46位沖縄311万円47位奈良278万円ですから地方の生産性の低さは明らかです。

 これまで何度も繰り返し「地方創生」が叫ばれてきました。しかしそれは掛け声だけで為政者の本心はたとえ地方を犠牲にしても東京に世界競争で競える能力をもたせることで日本全体の地盤沈下を抑えるという戦略を貫いてきました。しかし人口減少が本格化する中で今後も東京一極集中を放置すれば「日本全体の国力」の効率的活用が損なわれてしまいます。地方に蓄積された資本を無駄にしないような「国家経営」で国全体としての生産性の向上を図らないといけない時期が必ず来ます。そのための第一歩は国と地方の税の配分を6対4の現状を逆転させて国4に対して地方6にすることで地方の権限を大幅にアップし中央の支配から解放するのです。

 国全体を遍く豊かにする「国家経営」、これが人口減少時代を乗り切るもうひとつの処方箋です。

 

 日本の駄目なもうひとつは「公務員・官僚の劣化」です。コロナの持続化給付金の東京国税局職員詐欺事件が大きく報じられていますが、同じ交付金詐欺で経産省のキャリア官僚が逮捕された事件もありました。入札情報の漏洩事件も後を絶ちませんし性犯罪、飲酒運転など公務員の不祥事が年々増加しているように感じます。どうしてこのような「公務員の倫理意識の低下」が起こるのでしょうか。

 断言しますが安倍元総理の「森・加計事件」「桜を見る会」などの一連の事件と「内閣人事局制度」の悪弊が原因です。行政のトップ人事を内閣人事局が握るようになって行政府の独立性が毀損されてしまいました。行政機関と政治が互いに独立性を保つことで行政の中立と継続性が維持されてきたのが内閣人事局制度の総理大臣(と内閣府)の悪用によって行政機関の内閣への隷従が起っています。言い方は悪いですが「親分が守ってくれた」――若い官僚がやりたいことをやって失敗しても組織が守ってくれた――、それが無くなってしまったのです。それどころか「記録の保護――公文書の作成・保全」という公務員の最低の規律さえも権力の介入で毀損されてしまうに至って行政機関は完全に権力に隷属するようになったのです。最近も「日銀は政府の下請け」と安倍さんはホザキました、とんでもない暴言です。

 親分は守ってくれない、国民に奉仕しようという使命感は蹂躙される。これでは公務員の倫理観が低下するのも当然です。公務員が劣化すれば国力は衰えます。日本の駄目な情けない姿がテレビに映し出される毎日になったのです。

 

 女性と若い人が生き生きと活躍できる社会。公務員が使命感に燃えて働ける環境。これなくして「日本再生」はありません。政治家の責任感が今ほど問われている時代はないのです。

 フランスもドイツもイギリスも日本の半分くらいの人口で日本より豊かな国をつくっています。人口減は決してマイナス要素ではないという認識を共有することが大事なのです。

 

 

2022年6月20日月曜日

資産倍増計画の罠

  株が暴落しています。17日東京市場の日経平均株価は前日比468円20銭安の2万5963円で、13日からの1週間の下げ幅は1861円29銭に達しています。一方アメリカ株式市場のニューヨーク・ダウ平均は3万ドルを割り込みました。アメリカの急激な金利上昇は日米の経済に甚大な影響を及ぼす展開になってきました。しかしこうした事態は少し経済の分かった人なら早くから予想していた事態で、経済の専門家集団である日銀、大蔵省、財務省の官僚ならずっと早くから危険性を認識していたにちがいありません。

 であるのに、なぜ今「資産倍増計画」なのでしょうか。

 

 株式市場のバブル感(平均株価が正常値からどれほど乖離しているか、高くなりすぎている)の判断指標として「バフェット指数」があります。これはその国の株式時価総額を名目GDPで割って100を乗じたもので100を超えると「割高」と判断されます。このバフェット指数が2021年アメリカ株は200を超えたのです。コロナ禍の景気下支えのため行われた金融緩和が原因とされていますが、今年に入った当初から暴落の噂はささやかれていたのが急激な金利上昇で一挙に現実化したのです。日本株はアメリカに連動していますから、連れて日本株もいずれは下落することは覚悟されていました。

 コロナが一応終息しポストコロナになればジャブジャブと交付された支援金・交付金も打ち切りになるでしょうし、世界経済が正常化してくれば日本の「異次元の金融緩和」もいずれは「出口戦略」をとらなくを得なくなるのは当然の道すじです。

 にもかかわらずこの期に及んで日銀はまだ「金融緩和の継続」の姿勢を崩しません。

 

 これも予想されたことで、金利を上げれば即国債の利払いに影響します。仮に普通国債の残高を1000兆円(すでにこのラインを超えていますが)とすれば金利1%の利払いは10兆円です。国家経済への影響は甚大です。国が無節操に発行した国債を際限なく引き受けてきた日銀の抱えている国債を減らして金融正常化を図ろうとすると「国債の暴落」を招きます。これは日本の国際信用を毀損してしまいます。唯一残された金融正常化の方策は禁じ手の「株式保有」で日銀に積み上がった株式を「放出」することしかないのです。もちろん株価は下落しますが、もし放出した株を誰かが引き受けてくれれば株価下落を防ぐことも可能ですし、最悪をさけてショックを和らげることも期待できます。投資信託を組成して放出株を紛れ込ませればなおのこと影響を薄めることになるでしょう。

 そこで「所得倍増」を「資産倍増」に衣替えしたというわけです。値下がりする可能性の高い株を一般庶民に買わせようとする政府の、権力の「たくらみ」が岸田内閣が公約として打ち出した「資産倍増計画」の不都合な真実です。

 

 「資産倍増計画」は「アベノミクス」の尻ぬぐいです。当然それを考えたのは安倍さんであり黒田さんです。自民党の権力を、退任した元総理が握るという「いびつ」な構造が、分配重視、富裕層への増税という「新しい資本主義」を後退させ旧態依然の企業、富裕層優遇という「アベノミクス」を生き残らせたのです。そして安倍さんの失敗のツケを最も弱っている一般市民に押し付けようとしているのです。

 大体日本の株式市場は昔の「株屋体質」からどれだけ近代化したでしょうか。SMBC日興証券の幹部が東京地検特捜部に起訴・逮捕された株価操縦事件があったのはほんの二三ヶ月前のことです。それ以外にも証券会社の不祥事は枚挙にいとまがありません。またインサイダー取引も後を絶ちません。結局大きなお金を操る人が不当に利益を上げられる体質が根強く残っているのです。

 そんな海千山千の巣食う株社会へ「貯蓄から投資へ」の美名をもって無力な庶民を誘導しようというのですから「あこぎ」極まる手管ではありませんか。「森友・加計問題」や「さくらを見る会」はお友達に権力の恩恵を与えた「不平等な事件」で公平な競争が踏みにじられました。しかし今度は自分の犯した国家的失敗を庶民を「おとしめ」て尻ぬぐいさせようというのですから罪深さのレベルが違います。岸田さんも何故拒否できないのでしょうか。お金持ちと権力者ばかりが得をしていつまでたっても恵まれないままの庶民がやっと救われると自民党に期待した「新しい資本主義」はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 

 一体安倍さんは誰のために政治をしたのでしょう。デフレ脱却と日本経済の成長を謳ってアベノミクスを強力に推進しました。非伝統的、異次元の施策を強引に採用し企業が成長すれば「トリクルダウン」で給料は必ず上がると企業減税を行ないましたが結果は社内留保と株主還元ばかりで――会社と金持ちだけが恩恵を被って働く人の給料はまったく上がりませんでした。失業者は減ったけれどもそれは見せかけで、非正規雇用者が4割を超えました。成長できなければ結局パイの分捕り合戦になるのが道理で弱い立場の人にシワ寄せがいくのは当然の帰結です。

 

 安倍さんがアメリカの要求を全面的に受け入れて作成したのが「アベノミクス」です。日米経済調和対話でアメリカ側から提出された要望を忠実に実行したのです。この対話という組織は1989年に設定された「日米構造協議」が1993年に「日米包括経済協議」と名を変え、以後「年次改革要望書」、対話と今日に続くもので、壊滅的な打撃を受けたアメリカ産業再生を果たすために強権的に日本経済の構造変革を迫るものです。なぜこのような理不尽とも思える片務的な要求を受け入れて来たかといえば「安全保障」でのひけ目と従属関係があったからでしょう。製造業に変わって金融と情報と軍事で世界を制しようというアメリカの意図をタッグを組んで実現する忠実な同盟国に安倍さんは日本を仕立てたのです。異次元の金融緩和は日米同時株高を演出し、巨大情報プラットフォームの跳梁を許したわが国は厖大な情報量の管理の自由度をアメリカに握られてしまいました。

 結果として「小アメリカ化」は当然の帰結で格差と差別の拡大が日本を覆いつくしているのです。

 

 日米地位協定と日米経済調和対話を甘受しているうちは日本の「独立」を語る資格はないのです。

 

 

2022年6月13日月曜日

物価の番人

  子どもの頃社会科で日銀の役目を「物価の番人」と教わった人は多いと思います。ところが今の日銀総裁である黒田さんは「物価は上がっていますが家計(国民)はそれに耐えるだけの蓄えをもっています」と堂々と発言したのです。もちろん経済の専門家で賢い人ですからこんなあからさまな表現ではなく、「家計の値上げ許容度が高まっている」と言いましたが素人に解るようにかみ砕いていえば上のようなことを言っているのです。そしてその理由は、コロナで厳しい外出規制があって旅行やショッピングなどが行なえなかった「強制貯蓄」が50兆円もあるから、というのです。

 当然のことながら猛烈な反発が起こりました。庶民の実情を知らない日銀の「公家体質」が露呈した、「#値上げ受け入れていません」、コロナで収入が減って貯蓄などできるわけがない、どこの国の話、などなど。

 

 この問題が起こるちょっと前、「悪い物価上昇」ということがマスコミでさかんに言われました。給料が上がらないのに物価だけがドンドン上がっていく状態を言っているのですが、ということは、給料が上がって物価が上がる、あるいは給料と物価が同時に上がるのを「いい物価上昇」というのでしょうか。しかしそんな物価と給料の関係は歴史上一度しかありません、高度経済成長のときですがこれは「異常」な時期です。戦後復興という稀有な時代のことです。そもそも中央銀行がなぜ生まれたかを考えてみれば、イギリスのイングランド銀行がフランスとの戦費調達のために設立されたのが最初ですが、多くは戦争を契機とした異常な物価上昇――インフレ、20世紀前後を境として戦争が頻発しそのたびに酷い物価上昇が起こり、銀行が破綻することも珍しくなく、国を後ろ盾とした中央銀行に物価抑制の役割を負わせなければならなかった、そんな背景で中央銀行が設立されたのです。これによってそれまで幾つかの銀行が発行していた銀行券――通貨の発行権を中央銀行に集約するとともに、「最後の貸し手」として市中金利――銀行の貸出金利の調整も行なうようになったのです。

 経済が成長して給料が上がる、物(財とサービス)の量は市場の景気状態を予想して企業が増減しますから給料が上がったからといって同時に増やすことはできません。その結果、市場に出回っている商品の量と給料の総額としての通貨の流通量がアンバランスになって――通貨の量が商品の量を上回る――お金(通貨)の価値が下がることによって物価が上がってしまう。これがいわゆる「いい物価上昇」が描いているインフレの状態です。しかしこれは経済の専門家が描く「理想のインフレ」であって実際は、戦費調達のために公債を発行して通貨量が増えてインフレになったり、戦争が終わって物の量が極端に減って国民全部に行き渡る量が足らなくなってインフレになったり、石油危機でトイレットペーパーが不足するというフェイクニュースが広まってほかの物価も同時に狂乱して、など「理想型インフレ」などめったにないのです。たとえどんな物価上昇であってもそれに対応して「物価の番人」としての役目を果たすのが中央銀行――日銀の役目です。それを果たさずになにが「日銀総裁」なのですか。

 

 日銀の役目は「物価の番人」です(アメリカの中央銀行FRBは「最大雇用」の実現も目標としています。なぜ日銀がこれを目標にしないのでしょうか)。それを実現するために「通貨流通量の調整」と「金利の調節」という方法を用いる、ということも社会科の教科書に書いてありました。

 金利が高いと企業が資金を借りる時、借入を控えるか借入額を少なくするでしょう。いわゆる「金融の引き締め」です。もちろん住宅資金にも影響しますから家を建てる人も減少します。全体として社会の経済活動が沈静しますから過熱して高かった物価が下落します。

 物価は市場に出回っているお金の量――通貨の市場流通量を調節することでも調整できます。今物の量とお金の量が100対100のところにお金を20増やすとします。結果100円で買えていたものが120円出さないと買えなくなってしまいます。黒田さんのやった「異次元の金融緩和」という政策がこれです。バブル崩壊後の20年30年、物価が上がりませんでした。給料も上がらないから日本経済は停滞したまま「セロ成長」がつづきました。そこで黒田さんはお金をドンドン市場に供給したのです。金利をゼロにして政府の発行する国債を際限なく買い入れ、それでも足らずに禁じ手の「株式の購入」にまで手を出しました。それでも物価は上がらなかったのです。そんなところに思いもかけずプーチンが狂気してウクライナ戦争が起って物価が上がったのですから黒田さんは勿怪の幸いと思ったことでしょう。少々の痛みは国民に我慢してもらって「物価上昇基調」を醸成したい――物価上昇を受け入れるムードを演出したい。こんな黒田さんの「本音」が「国民は物価上昇を受け入れている」と言わしめたのです。そうでありながら「金融緩和」――ゼロ金利と国債の買い入れはつづけます、と言うのですからこの人は「狂って」います。

 こんな人に中央銀行を任すことは危険極まる選択です。

 

 黒田さんはだれのために働いているのでしょうか。先日安倍前総理が「日銀は政府の下請けだ」と発言しましたがまさか黒田さんはこんな発言を受け入れはしないでしょうね。「中央銀行の独立性」は世界の中央銀行トップの矜持です。もしそんなプライドも投げうって「アベノミクス」の『下僕(しもべ)』に徹して日銀総裁にしがみ付くのなら今すぐ辞任しなさい。

 

 金融はITなどの最新技術と同様に「ブラックボックス」になっています。素人には分からない理論がまかり通っています。しかし人間の考えることですから真理は案外単純なのではないか、最近そんな思いが募っています。「お金を増やせば物価は上がる」、こんな簡単なことは誰でも思いつく「理屈」です。

 

 しかし世の中はいろんな人間が無数に居て成り立っているのです。単純な理屈では理解できないというのが庶民の知恵です。賢い人には世の中が「単純」に見えるのでしょうか。

 

 

 

2022年6月6日月曜日

顧客志向というけれど

  テレビの競馬中継がレース途中でCMに切り替わるという前代未聞の事件がありました。それもオークスという競馬の最も権威あるレースさ中のことでしたからファンの不満、批判が爆発したのはいうまでもありません。おまけに系列のキー局フジテレビはレース終了まで放送したというのですから関西テレビの不手際は責められて当然のことです。

 なぜこんな事態が発生したのか?決まり切ったことです、視聴者よりもクライアント――広告主の方が大事だからです。日頃は視聴者のため、顧客ファーストを謳っていますがそれは建て前で大事なのはクライアント、おまえらはタダで番組を見せてやっているのだという心のウラが図らずも剥き出しになってしまったという次第なのです。

 

 この種の不祥事は頻発しており最近も吉野家の「生娘をシャブ漬け」発言があったばかりです。吉野家の重役が経営者志望向けのセミナーでウケを狙ってドギツイ表現をした「ジェンダー(性差別撤廃)」と「ダイバーシティ(多様性)」の風潮に逆行したとんでもない発言だという批判を受けて件の重役は即刻辞任に追い込まれました。しかし根本は、高学歴のエリートサラリーマンが自社の商品をバカにしていて――牛丼なんてどんなに体裁つくろったところで所詮貧乏人の食う安モン商品でわれわれエリートの食べるものではない――それをハイセンスな経営戦略でトップクラスの商品にでっち上げているのだという、鼻持ちならない似非エリート意識が露呈しただけのことなのです。消費者を「単なるデータ」と捉えた傲慢なマーケティング手法であり「まやかし」の顧客志向が彼の心の底には巣食っていたのでしょう。日本の最高学府とアメリカのエリート経営学を学んだ彼の経歴は日本の、いや世界のトップクラスに位置しているエリート層の浅薄な学識――語学と狭い専門分野の蓄積だけでのし上がれる現在の経済界の病巣を浮き彫りにしました。

 

 昨今マスコミを賑わしている「阿武町誤送金」問題も顧客――町民をないがしろにした「行政の隠蔽体質」がもたらした事件に他なりません。世間では使い込んだ若者への批判ばかりですが――勿論彼に問題がないとは言いませんがそもそも誤送金がなければ起こらなかった事件であって、それを棚に上げて町長はじめ阿武町側が被害者づらしているのは怪しからんはなしです。4600万円といえば町の年間予算の1%~2%を占める大金であるにもかかわらず誤送金が明らかになったその時点で口座を閉じて現金の移動をストップさせるべきであったのに受取人と内々に事を繕おうとした姑息な態度がこれほどの事件を引き起こしたのです。失態を公にしたくない――責任を問われるから、話せば納得してくれるだろう、まさか使い込むとは……、などなど公金――税金を預かっているという行政マンとして当然の規範意識が微塵もなく、その内何とかなるだろうという無責任な態度は町政をあずかる身としてあり得ない態度です。顧客――町民に向き合った真摯な行政マンとしてまことに恥ずべき態度と言わねばなりません。

 なおこの報道でほとんどのメディアが伝えていた、不慣れな新人に大事な難しい仕事をまかせていたからこんな問題が生じたのだという論調には納得がいきません。金額は大きいですが、名簿があってそれをチェックしてデータ化するだけの作業は誰にでもできる仕事で、ダブルチェック、トリプルチェックの体制さえとっておけば何でもない仕事です。こんな仕事を難しいと言っていては役所は務まりませんし、役所だけでなくどんな企業だってこれ以下の仕事はないと言っていいほどの仕事です。いい加減なことを知ったかぶりして言うコメンテーターには困ったものです。

 

 広告がらみで不満を言えば、日曜朝の定番「サンデーモーニング(TBS10:00~)」の広告は多すぎるのではないでしょうか。15分毎くらいで挿入される5本の広告が長すぎて興味を削がれてしまいます。それで何年か前から録画して「広告飛ばし」で見るようにしました。サンモニ以上に広告が多いのが昼間の再放送のドラマです。1時間物で4回ほど広告タイムがあるのですが驚くなかれ30秒広告が6~7本も差し込まれるのです。じれったさは半端ではありません。これも「録画→広告飛ばし」で見ています。

 

 テレビが「おわコン」と言われて久しいですが、詰まるところ「顧客志向」でないからに決まっています。内容もさりながらこうした視聴者を無視した広告の問題も大いに影響しているのではないでしょうか。私のように広告飛ばししている視聴者も少なくないはずで、そうなるとクライアント――広告主の期待する効果がでるはずないわけですからクライアントのテレビ離れも進むことになって益々「おわコン」化するという悪循環に陥っています。

 

 情報化時代になってメガデータが営業戦略の重要な手段になっていくのは避けがたい現実ですが、データ化された「無個性」の「消費者像」ばかりを追求する『顧客志向』は必ず破綻するにちがいありません。供給側は何万人何千万人のうちの一人の消費者にすぎないでしょうが、買う側――消費者にとっては一つ一つが自分にとって大切な商品なのです。お金があれば別に安い牛丼でなく上等の和食なりイタ飯を食べたいのですが毎日のことで財布に相談して選ぶ「牛丼」は安くておいしい――心のこもった商品であってほしいのです。

 

「顧客志向」は正しい考え方ですが消費者に心が伝わる伝え方であってほしいのです。