2019年7月29日月曜日

吉本を考える(続)

 吉本の岡本社長の記者会見を見ていて日大アメフト部の危険タックル事件を思い出した。危険タックルを教唆された(?)少年がスポーツマンシップに反する行為であったと反省して単身記者クラブで会見して謝罪と贖罪を表明したにもかかわらず、教唆したであろう監督とコーチはそれを否定し選手の任意なプレーであったと強弁した。大人である上位者が事件の不関与を主張し実行者である下位者たる少年は真摯に反省の意を貫いた。
 今回の吉本の芸人による反社会的勢力主催のイベントに出演しギャラを受け取ったにもかかわらず受け取っていないと嘘をついた事件に対する芸人の赤裸々な真実(?)の吐露と謝罪の会見と、会見を阻止しようとした会社側社長のパワハラと隠蔽否定の会見は、上位者下位者の構図が日大アメフト事件とまったく同じであることに驚きを禁じ得なかった。
 今や吉本という会社の存在をめぐる社会問題にまで発展し経営アドバイザリー委員会という第三者委員会を設置して終息を図らねばならなくなっている。
 
 この事件について(続)を書こうと思ったのは、基本的な問題が検討されないうちに上っ面の「解決」が図られようとしている流れを鑑み、改めて問題の根っこから糺してみようと思うからである。
 
 吉本芸人でもある「カラテカ入江」なる人物の手引きによって宮迫、ロンブー亮ほか10人ほどが出演したイベントが(1)「反社会的勢力」の主催であったことを芸人たちは知っていたのか、ギャラを受け取ったことを「嘘」をついたとされているが(2)吉本は「嘘」をつかれたのか?吉本は「嘘」を見破れなかったのか、の二点がふたつとも当然のこととして『前提』となってことが進められているが、これはどちらも「知っていた」「嘘をついた/騙された」のだろうか。
 まず「反社勢力」であるかどうかについては宮迫氏たちが確かめた時点で、カラテカ入江が「吉本の主催したイベントにもスポンサーとして参加している会社ですから問題ありません」と説明している。これを信用して芸人たちは出演を了承していたとしたら芸人は一方的に責められるべきだろうか。脇が甘かったことは批判されて当然だが不可抗力な側面もあり一片の斟酌はあっていいのではないか。
 
 ギャラを受け取っていないという芸人からの訴えを吉本はそのまま受容れ「騙された」態を装っているが、これについて松本人志氏が日曜日放送の「ワイドナショー」で、「宮迫からギャラは受け取っていないと打ち明けられたとき、宮迫それは世間的に通らないでと正直に言うようさとした」と当初から言明している。素人の私でさえ十何人が舞台狭しと演じている写真を見れば、これだけの芸人がノーギャラで出演するとすれば、この会社に一方ならぬ「義理」があるか、カラテカ入江にこれだけの芸人を従わせるだけの「力」がある、というような事情しか考えられない。「義理」はありそうにないしカラテカ入江にそれほどの「力」がないことも明らかだ。だとすれば、「ギャラは受け取っていない」という芸人の嘘は、吉本という総合エンタテーメント会社の海千山千の経営者、興業界の裏も表も知り尽くした吉本の上層部が見抜けないはずがない。にもかかわらず、「騙された」態を装って一旦芸人たちの「嘘」が通ったのにはそれはそれなりの「事情」が吉本サイドにあったのではないか?
 反社勢力から芸人がギャラを受け取っていたことが明るみに出れば芸人ばかりでなく会社も批判を受けるから会社が芸人に騙された、としておけば一時的にでも会社は非難を免れるからというのが最も分かりやすい方便だろう。しかしそうではない見方もできる。島田紳助が反社勢力とつながりがあった事件をキッカケに吉本が反社勢力撲滅の体制を構築したとされているが内情はまだ不十分なところがありそれを隠したいのではないか?という見方。特に今問題になっている反社のスポンサーとこれまでも何度か付き合いがあったらしいという噂もある。
 とにかくわれわれの知らない吉本が芸人たちの嘘に騙された方が都合のよい事情があったのではないか。このことをマスコミは是非糺すべきだ。「なぜ吉本ともあろう会社が芸人たちの嘘を見抜けなかったのか?」、これはどうしても明らかにして欲しい。問題の本質は案外このあたりに有りそうな気がしている。
 もしこれが明らかにされなければ、ノ岩暴力事件の際にモンゴル力士達と同席していた鳥取城北高校の相撲部監督の責任がいまだに明かされていないと同様の『闇』が今後も引き摺られていくにちがいない。
 
 さてこの問題の解決方法だが、これも簡単なことなのにマスコミやコメンテイター、識者の誰も発言しないが、「経営のプロを吉本の社長に据える」これしかない。一連の報道に接していて吉本という会社は資本金1億円、年間売上高700億円の大企業にもかかわらず、「製造部門」「営業部門」はあっても「経営部門」がまったく脆弱なことで、それは今回会見に立ち会った弁護士の質をみても明らかだ(お粗末過ぎた)。大崎会長という人は現在のエンターテイメント業界屈指の才能らしいが、それなら彼は今のまま会長に残しておけばいい。在京、材阪五社のテレビ局が株式の持合をしているらしいから彼らが吉本再建にふさわしい経営のプロを選任し代表権のある社長にしてガバナンスを確立する任に当たれば今の騒動は確実に解決されるであろう。
 
 SNS全盛になってSNSに振り回されて事の本質が解明されないまま感情的に問題が処理されがちな昨今であるが、こんな時こそ「マスコミ」と「知識人」の役割が問われる。知識人の奮起を望む。
 
 
 

2019年7月22日月曜日

吉本を考える

 一昔前まで、芸人は師匠に弟子入りして修行を積み師匠のお許しを得て独りだちするというのが一般的なコースであった。中学校を出るか出ない頃に弟子入りするのが普通で――高校を出るのは珍しかった――住み込みで最初の二三年は行儀見習いと下働きばかりで芸を教えてもらうのはその後で、そうなっても師匠の鞄持ちや楽屋での身の回りの世話は大事な仕事だった。何年か経って少しは芸に見込みがつくと師匠連の前座で舞台に立たせてもらって、勿論お金の取れるような芸でないから出演料というようなものはなく「たばこ銭」程度が出れば良しとした。この間は師匠の家か師匠手配の弟子部屋住まいで食事は師匠のうちでおかみさんに振舞われる家庭料理があったから「住まいと食事」に心配はなかった。小遣い程度は貰えたかもしれないがそれも師匠の気持ち次第でその代わり季節ごとに着る物は支給された。何年か前座をつとめて師匠方に「藝」が認められてようやく「一人前」になって商売になる。これが「芸人への道」であった。席亭(小屋主)は師匠に応分の出演料(暗黙の了承で弟子の養育費込みの)を払うだけでお弟子さんは師匠の丸抱えという「かたち」が普通だった。
 こうした「徒弟制度」は今でも相撲界には残っていて親方の経営する「部屋」に入門したら芸人同様の修行時代を経て実力ある者だけが「関取(十両以上)」に昇進してプロとして通用する社会である。関取になるまでは「小遣い」程度が相撲協会から師匠を通じて支給されるが妻子を養えるほどのものではないから関取になる見込みがなければ早い時期に親方が引導を渡して廃業させるのが親心とされている。ここでも住居と食事は親方が保障しておりその原資は相撲協会から「弟子預り料」として応分額が支払われている。
 芸人や相撲ばかりでなく料理人も理容美容界も徒弟制度であったし日本の多くの職業がそうであった。余り知られていないが製造業の大企業には学校があって職人技の「仕込み、継承」が図られていた。例えば三菱(重工や自動車)や島津(製作所)にはそれぞれ「三菱学校」「島津学校」があって中卒で入学、二年か三年が修行年限で、社員として採用もされていたから「給料」が支給され「ボーナス」も社員並にあったのが他の徒弟制度と大きく異なるところである。こうした技術の養成・蓄積が高度成長時代の日本経済大躍進の原動力になっていた。
 
 大きな変化はNSC(吉本総合芸能学院)が1982(昭和57)年に創設された時であった。理容美容学校や料理学校、服飾専門学校などが戦後早くから創設されていたにもかかわらず芸人だけが師匠―弟子関係をもとにした「徒弟制度」を頑迷に固守していたのがこれをしおに一挙に崩壊し、芸人は学校に入学して「芸の基本を学ぶもの」という時代に突入した。NSCの修養年限は1年で学費は40万円(現在)。入学者数は大阪東京でそれぞれ約500人、卒業生が100人くらいと言われている。吉本興業HDの現在社員数は865名、所属タレント数約6000人。事業所は大阪・東京本部のもとに全国11箇所を擁し、直近の吉本興業HD全体で約700億円の売上高を誇り純利益も7.1億円を上げている。
 この近代企業の若手芸人の出演料が1ステージ約500円で月1回のチャンスしかなく、契約形態も口約束の「諾成契約」をいまだに守り通している。
 
 連日のように吉本のお笑い芸人の『闇営業』がマスコミで物議をかもしている。こうした現状を踏まえて毎日新聞が吉本の大崎会長にインタビューをこころみてこんな回答を掲載(2019.7.14)している。
 ◆吉本の場合、ほとんど諾成契約。100年以上の歴史で、契約書を超えた信頼関係、所属意識があって、吉本らしさがある。
 ――紙の契約書にする考えは?
 ◆ない。芸人って、吉本のドアをノックしたときから、一生の付き合いやな、という関係ができているので、この方が吉本らしいし、かつ僕はマネジメント、エージェントとしてもいいと思っている。
 ――最低限の生活保障をすべきだとの意見もある。
 ◆一つの方法かもしれないが、本当に果たしてその子のためになるかといえばならないと思う。つらい仕事も乗り越えて、一生かかって自分のスタイルを目指すというのが、正しい芸の道と思う。
 
 マネジメント、エージェントという横文字を使いながら内容は100年以上前の「徒弟制度」に基づいた契約であり出演料方式をひきづっている。1ステージ500円というのは「たばこ銭」でありそれは師匠の庇護のもと「住居と食事」が保障されていたから通用した制度であってそれを「本当に果たしてその子のためになるかといえばならないと思う」というのは勝手な言い分だ。この考え方が「中堅」になっても継続した出演料を強制しているから「直営業」でピンハネのないギャラを欲しがった結果が今回の不祥事につながっているのだということを会長はどう考えているのだろうか。
 100年以上の歴史で、契約書を超えた信頼関係、所属意識があって、吉本らしさがある/吉本のドアをノックしたときから、一生の付き合いやな、という関係ができているので、この方が吉本らしい、というのも経営サイドのひとりよがりなもの言いであって、エージェントというのならそれなりの現代にマッチした契約制度に更新すべきではないのか。
 
 全員が会社と「雇用契約」を結ぶというかたちは『芸能』というジャンルにはそぐはないかもしれない。それでも「社会人」として芸人を遇する道はあるはずでそれを模索するのが近代企業としての「吉本興業ホールディングス株式会社」のつとめであろう。「吉本のドアをノックしたときから、一生の付き合いやな、という関係ができている」のであればそれが実質を伴った形にするのが「歴史ある吉本」なのではなかろうか。
 
 今回の吉本の対応について世間の目は非常に厳しい。折りしもジャニーズ事務所の元SMAPの三人の事務所脱退者にたいする圧力に対して公正取引委員会が注意を促した。
 時代は大きく動いている。
 
 
 
 

2019年7月15日月曜日

歌集 夏・二〇一〇(抜粋)

 歌人永田和宏の妻で歌人の河野裕子さんが亡くなったのは2010(平成22)年8月12日でした。この歌集は妻の死をはさむ2007年から2011年までの永田の歌を集めたものです。河野裕子の遺稿集は『歌集 (せん)(せい)』(青磁社2011.6.12初版)として発行されています。なお、河野の乳癌発病からの十年を『波(新潮社の読書新聞)』紙上に連載した永田のエッセーが『歌に私は泣くだろう』にまとめられています。
【平成十九年(2007)】
あとさきのはかなきを言ひまた言へり無人駅舎に散る夕ざくら(あとさきp13)……巻頭歌
右から左へどんどん歳をとってゆく駒落としのやうな春夏秋冬(カミツレp16)
ただ黙つて気づかふといふやさしさのまだできていない君にも我にも( 〃 p18)
 
【平成二十年(2008)】
消しやうのない傷を抱へておほかたは笑つて家族とふ時間を捗る(おとうとp74)
あなたにもわれにも時間は等分に残つてゐると疑はざりき(午後の椅子p87)
ある日ふと人は消ゆるなり追ひつけぬ時間はつひに追ひつけぬまま( 〃 p88)
 
【平成二十一年(2009)】
もうおやめきみの今夜のさびしさは脱臼してゐるそのはしやぎやう(日々p110)
不安を自分で迎えに行つてはいけないと家を出るときまたくりかえす( 〃 〃 )
空き壜を窓辺にならべすこしづつ忘れることをおぼえてゆかう(四階 p112)
狭き部屋のその狭さこそ楽しくて泣くあり走るあり本を読むあり( 〃 p113)
この顔にそろそろ慣れてゆかねばと地下鉄の窓を見るたび思ふ(猫玉p117)
歌は遺り歌に私は泣くだろういつか来る日のいつかを怖る(歌は遺り歌に私はp119)
帆をたたみ(かぜ)()てをする舟のやう じつと怒りの過ぎ行くを待つ(バイパス手術p135)
あんな老後はわたしたちにはもうないと悲しきことばは聞きながすのみ(儀与門堂荘p146)
三日ほど籠もりて何もなさざりきただきみとある無為がたいせつ(こうすぐ夏至だp147)
縁側がこんなにいいものだつたとは きみはよろこび猫は眠れる( 〃 p148)
それはきみの病気が言はせた言葉だと思へるまでの日々の幾年( 〃 p150)
覚悟などあるはずもなしなりゆきがわれの時間を奪ひゆくのみ(覚悟p166)
 
【平成二十二年(2010)】
あと五年あればとふきみのつぶやきに相槌を打ち打ち消して、打つ(天窓p178)
沸点といふがあるなら耐へ耐へて笛吹きケトルのごとく叫ぶか(沸点p181)
こののちにどれだけの死を見届けて死に馴れ死に飽き死んでゆくのか(ふたりの老後p197)
いつの間にか携帯の電池が切れてゐたそんな感じだ私が死ぬのは( 〃 p197)
あほやなあと笑ひのけぞりまた笑ふあなたの椅子にあなたがゐない(あなたの椅子p209)
こんなものではない筈いつかどつかんと来るさびしさに備へておかねば( 〃 p211)
 
【平成二十三年(2011)】
きみがゐない初めてのこの元朝に積もれる雪をひとり我が見る(二人の時間p235)…元朝(がんちょう―元旦の朝
時間が癒してくれますからと人は言ふ嫌なのだ時間がきみを遠ざくること( 〃 p237)
もうもはやさほど未練はあらざるをこの世には梅の花 白梅の花(飲まう飲まうp242)
わたくしは死んではいけないわたくしが死ぬときあなたがほんたうに死ぬ( 〃 p246)…巻末歌
 
『歌集 夏・二〇一〇』永田和宏著/青磁社/2012年7月24日初版/2,600円
 
 
 
 
 
 

2019年7月8日月曜日

百歳時代の結婚を考える

 若い頃、「人生結婚二度説」というのを聞いたことがあった。確か林髞(たかしという大脳生理学者で推理小説(筆名木々高太郎で)も書いていた学者の説で本人がそれを実行したのでマスコミが飛びつき一躍有名になった。四、五十代の女性が二十代の男性と結婚し、七十代で女性が亡くなったあと、五十才代になった男性が二十代か三十代の女性と再婚するというようなモデルだった。勿論女性と男性を入れ替えてもいい訳で、性生活を中心に面白おかしくマスコミが書きたてたので青春真っ盛りだったわれわれ世代は酒の席などで大いに盛り上がったことを覚えている。丁度その頃奈良林祥の「How to  Sex」という本がベストセラーになりそれまで「秘めごと」だったセックスが堂々と昼日中話すことに何憚ることのなくなった時代だった。
 「人生百才時代」が大っぴらに語られる昨今、視点を変えて「人生二度結婚説」を考えてみてもいいのではないか。
 
 昭和の説はセックス面から考えて、若い未熟なものが熟達した異性に導かれて充実した性生活を送るということが強調されていたが、今考えようとしているのは「長寿時代の人生を豊かにする」ための「二度説」だ。
 これまでの「結婚」は、種の保存をキーコンセプトとしていた。二十、三十才代で結婚して子どもを最低二人以上はもうけ、子どもを成長させ家庭を持たせて彼らにも子どもを、という繰り返しを「前提=目的」とした「結婚制度」だった。生殖と家庭経営が機能として求められていたから「生活のエンジョイ相手」としての「伴侶=配偶者」という側面は二次的なもの――無視されていたといってもあながち的外れでなかった。平均寿命が七十才代であった頃まではこのモデルは有効だった。しかしいつの間にかそれが延びていって気がつけば八十代後半までになって百才が夢物語でなくなりつつある今、「ふたりだけの時間」が二十年三十年になってくると「価値観」に隔たりのある「生活のエンジョイ相手」としては不適合な相手と「無味乾燥」な「共同生活」、いや単なる「同居人」として暮らすことは決して「ベストチョイス」とは言えないのではなかろうか。
 もしそうだとすれば、ふたりが「家庭の共同経営者」から「生活エンジョイ相手」へ変貌するための努力あるいは約束事を交換するかして同じ相手と一緒に後半生を共に暮らすか、思い切って結婚生活を解消して別の相手と「共同生活」を送るか、のどちからを「選択」することを考えてもいいのではないか。年金分割や相続の問題があるから離婚―再婚という選択が面倒であれば、お互い納得づくで「別居」または「事実再婚」であっても構わない。「卒婚」などというのもこの考えの一種であろう。
 お互いに相当な年齢に達して、セックスレスになって、どちらも健康状態にそんなに不安もない、こんな夫婦がこれからドンドン増えてくるにちがいない。そうでありながら、もう顔を見るのもイヤと思っている夫婦も珍しくなくなっているとすれば、後半生をどのようなかたちで過ごすかについて「社会的な共通認識」が成立してもいいのではないか。そんな意味で「人生結婚二度説」を考えてみた。まだまとまりがつかないが、私の考えと同じような人も多いはずでもっと論を練っていい方向に進んでいくことを願っている。(晩婚化あるいはシングルマザーやファーザーが増えている現状は「種の保存」=「人口問題」から解放された結婚制度についてもっと論議されていい。)
 
 さてそこで少しでもふたりの生活快適度がアップするためのレッスンをしてみよう。先日(6月25日)NHKクローズアップ現代で放送されていた「『夫婦の会話』を科学する~不満解消の秘訣は!?~」はこんなことを教えてくれていた。
 まず夫婦の会話に不満のある人は4割あるという(しかしこれはちょっと少なすぎないか?)。こうした現実を踏まえて番組では、脳科学や言語学などの専門家の知見、そしてAIなども活用して夫婦の会話を分析。浮かび上がってきたのは3つのポイントだった。仕草、話し方、話題を工夫することで、会話の満足度が向上し、夫婦の絆も強まるという結果だった
 最初に意外な研究があった。「夫婦喧嘩は長生きのもと」というアメリカのある研究所のデータで、喧嘩を我慢した夫婦の早く死亡する割合は喧嘩する夫婦のおよそ2倍にも達しているという。これは無視できない数字だ。しかし最悪状態に達していた夫婦が喧嘩をすれば離婚の引き金になるだろうから、喧嘩できるだけの関係を作っておくことが大事になる。そのためにも会話は日常生活のキータームだ。
 もうひとつ言語学者の言っていた「ビジネスでの会話は『交換』、夫婦の会話は『贈与』」という言葉が心に残った。見返りを期待しないで相手を思いやる、相手を喜ばすという心がけが夫婦の会話には必要なのだろう。
 さて最も参考になったのは「離婚する夫婦の会話 特徴的な四つの要素」というものだ。①非難②侮辱③自己弁護④逃避この4つが相手を傷つけ断絶を深めていくという。これは分かりやすい。①と②は相手を攻撃するもの、③と④は自己防御に関係している。攻撃は破壊につながるから日常生活の継続を望むなら用いてはならないものだろう。しかし反省すると無意識のうちに攻撃していることは少なくない。特に「同居人状態」になってしまうと、自分のことばかり考えて自分の環境を乱されることに関して異常に防護的になっているからそれを犯されるとついつい攻撃してしまう。細心の注意が必要だ。③と④は関係修復を諦めている状況になると必然的に多用するやりかたで、「向かい合う」覚悟をつくらねばならない。
 会話の改善策はどんなものがあるのだろうか。①相づちなど②語尾の重なり③雑談④アイコンタクト⑤体の動きや姿勢の五つがあげられている。何気なく雑談が交わせるようになっていればこんなことは考える必要もないわけでそこを目指すために①相づちを打つことからはじめてみよう。「そうやね」「そらそう思うわ」、これだけで会話がスムーズになるのは分かる。語尾の重なり、というのは相づちと同じようなことで「そう思わへんか?」「思う、思う!」というようなやり取りで仲の良い人との弾むような会話には必ずこれがはさまれている。アイコンタクトは姿勢と関係があって、ソッポを向いていてはコンタクトはなくて当たり前で、向かい合って、相手の目をときどき見つめて感情をまじえながら話すようになれば会話は楽しくなってくる。
 どんな会話がいいか?という問いかけに「愚痴」だとか「直してほしいところ」とかを上げて分析していたが設問が不適当だから省くことにする。
 参考になっただろうか。
 
 とにかく人類未経験の「百歳時代」を迎えようとしているのだから「前例」がないことを覚悟して、ふたりで解決していく他ないのだということを知っておくことが肝要だろう。
 

2019年7月1日月曜日

荒唐無稽

 来年のNHK大河ドラマが明智光秀を主人公に戦国ドラマを描く『麒麟がくる』に決まった。光秀といえば「本能寺の変」――信長暗殺が思い浮かぶがこれについては諸説あり今度のドラマがどう描くか興味あるところである。
 戦国時代を平定した武将として「信長―秀吉―家康」が語られるが人それぞれに好みがある。若いころは単純に最下層の農民から関白にまで上り詰めた秀吉の出世譚に憧れたが社会人の中期になると家康の権謀術数と管理能力に魅力を覚えた。近年少しは歴史を知るようになっていわゆる「教科書歴史」に疑問を抱くようになると、家康の鎖国政策を正当化する歴史観一辺倒で理解できるほどあの時代は単純なものではなかったのではないかと思うようになる。そのような眼で歴史を見つめ直すと「信長暗殺中国陰謀説」などという荒唐無稽を夢想するに至り、酒を過ごして酩酊の度が深まると声高に陰謀説を喚き立てて周りの顰蹙を買うことになってしまう。今日はシラフで自説を開陳したいと思う。
 
 信長は長篠の合戦で700挺とも3000挺ともいう莫大な数の鉄砲を使用したと伝えられているがこの数量はたとえ700挺としても当時の世界最大の「破壊兵力」といって良いものである。加えて石見銀山で産出される銀の生産量は当時の世界総生産量の三分の一を超えており他にも金および銅の産出量も世界有数を誇っていた。もしこの「兵力」と「経済力」で信長が『世界制覇』に打って出ればその野望は決して夢物語ではなかったであろう(信長ほど世界情勢を理解していなかった秀吉も家康も「世界大」での日本経営は構想しえなっかた)。信長のそうした志向は「キリシタン政策」に窺える。信長はキリシタンを許可していないが保護はしている。京都に教会とセミナリオ(学校)が建設され南蛮寺遺跡も残っている。こうした信長の姿勢から世界制覇のためにはイエズス会の世界規模での布教活動を無視することはできない、制圧するのではなく利用する方が得策と考えていたとみる見方も成立する。もうひとつ南蛮貿易に対する信長の意欲は一方ならぬものがあった。鉄砲を使うには硝石(火薬)や鉛が必要で、どちらも日本でとれないため輸入に頼らざるをえずそのための輸入ルートを開発できていたから厖大な鉄砲の生産が可能だったわけで、平和時の銀を主力とした経済力、非常時の火力―厖大な鉄砲による兵力の威力を信長は認識していたにちがいない。それはやがて国内平定を遂げた後に「世界制覇」に野望が拡大したかもしれないと考えてもおかしくない。
 折りしも大航海時代の真っ只中にあって中国の覇権は新興ヨーロッパ勢に席巻され磐石ではなっかた。そこに日本が圧倒的な軍事力と経済力で参加してくるようなことがあれば中国の地位はますます危うくなってくる。わが国の対明貿易には永い歴史があり信長自身も対明貿易で巨利を得ておりそれが基盤となって南蛮貿易に進出できたのだが、それだけに中国はわが国国内にそれなりのインテリジェンス(情報活動)の根を張っていたことは想像できる。そのネットワークを利用して光秀に信長暗殺を働きかけたという「空想」は可能性として一蹴されるべきだろうか。これに比べれば「ジンギスカン義経説」の方がもっと「荒唐無稽」であってその「―義経説」が学者連まで巻き込んでまことしやかに流通したことを考えれば「信長暗殺中国陰謀説」は一顧の価値はあると考えるのだが「荒唐無稽」だろうか。
 
 現状に目を転じれば、トランプばかりか世界中でポピュリズムとナショナリズムが跋扈している。これについても我が「荒唐無稽」を陳べてみよう。
 古代権力が「税金」と「苦役」のために「戸籍」を作成してあいまいながらも「国家」を「画定」してから三千年か四千年、生産力にめざましい変化がないまま十八世紀の半ばに至って「産業革命」が起り爆発的な『転換』が起った。それまでの「自然」に制約されていた生産力がその桎梏から解放され資本力――土地と生産手段を増大すれば「無限」の生産力を手に入れることが可能になったのだ。しかしそれはイギリスを中心としたヨーロッパのわずかな国とイギリスの出先機関――アメリカに限られていた。彼らは原料と労働力を求めて世界の非ヨーロッパ地域=アジアをあさり尽しそれまであいまいだった「国境」を厳密に画定し、まるで地図上に鉛筆で線を引くように植民地や属領を拡大していった。フロンティア――非征服地をめぐる二度の戦争――第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に覇権国がイギリスからアメリカに変わり植民地と属領は先進国と同様に「国民国家」に変貌、七十年をかけて経済のグローバル化が起こり「世界の一体化」が加速度的に進展した。
 国民国家は人権の一部を国家に負託する代わりにその他の人権の保障を獲得する仕組みであり人権の「制約」に見合うかそれ以上の「分配」が約束される限りにおいて国家は安定する。ところが戦争による破壊的な『格差解消』が起らないまま七十年もの時が経過して『格差』が『許容範囲』を超えてしまうと「見捨てられた人たち=被差別層」の不満が高まり国家の「安定装置」が機能しなくなってしまった。しかし、支配層――体制内インテリ層を含めて――は解決策を構想できないから被差別層の不満を掬い上げる――吸収する以外に政策を打ち出せなくなっているのが「今」である。すなわち『ポピュリズム』の跋扈である。被差別層は分配を保障してくれていたころの「旧い仕組み=既得権」の恢復を願うから「ナショナリズム」というかたちを取らざるをえなくなる。
 解決策はなにか?これまで「戦争」という『予期せざる―望まざる』装置によって「格差破壊」を起こして一旦格差をチャラにして社会の「再建」を繰り返してきたが、それを人工的に行う他に方法は見当たらない。『再分配制度』の確立、これ以外にない。しかし現在、経済は「国民国家」の枠をはみ出してグローバルに生成しているのだから「旧い国民国家」の枠組みの中では制度は創れない。であるにもかかわらずあくまでも今の「旧い国民国家」を守るのなら「分配の源泉」を世界に拡げるしかない。それはGDP(国内総生産…国内生産に限定した付加価値の総計)からNI(国民所得…国外からの価値の移転を含めた総所得)に分配の基礎を置き直すことであり、そのためには「経済圏」としての国家と「生活圏」としての国家を『統合』するような『国家』を創り出す他に道はない。
 
 それがどんなものになるのか?「人智」を世界大で集めて新しい「国家像」を模索するしかないがそれは結局世界のひとと「仲良く」するということになるのではないか。
 なんという『荒唐無稽』か!