2021年7月26日月曜日

コロナはいつ終息するのか

  人類はこれまで幾度もパンデミックを経験してきました。そしていずれの時も経済圏の拡張――グローバリゼーションと同時的に発生してきたのです。

 

 人類が初めてグローバリゼーションと呼ぶにふさわしい世界的な経済圏の拡張を経験したのは「13世紀グローバリゼーション」とも呼ばれるジンギスカン率いるモンゴル帝国による旧大陸=ユーラシア大陸の統合でした。これが「陸路」による世界制覇だとすると次のグローバリゼーションは16世紀の「海路」によるアフリカと新大陸=アメリカ大陸を含めた大統一経済圏の形成となった「大航海時代」のグローバリゼーションです。スペイン、ポルトガルの先導した大航海時代の経済統合に比べて1800年前後に起こった「産業革命」はイギリスを中心とした「生産力革命―エネルギー革命」という特色をもち、その圧倒的な生産力を背景とした大英帝国の植民地主義はアジアを中心に世界各国を侵食しました。1914年から1918年の第一次世界大戦は人類が初めて経験する「総力戦」で植民地争奪戦の一応の終結となるのです。

 私たちが渦中にいるパンデミック――新型コロナ感染症を生んだのは、1980年代以降の新自由主義的グロバリゼーションにより地球社会が急激なスピードで広域統合されていったことに原因があります。市場万能主義を信奉する新自由主義は資本の「競争」を極限まで追求して「勝ち組」と「負け組」に世界を分断、「格差」が放置できない程度にまで亢進させてしまいました。その反動はまず〈9・11〉となってあらわれグローバルズムのなかで周縁化され排除された少数派による命懸けの反逆は一度も戦場になったことのないアメリカに衝撃を与えたのです。

 

 これらのグローバリゼーションはまず14世紀のペスト禍をもたらします。モンゴル帝国がユーラシア大陸を制覇し旧大陸全域で人やモノの移動が活発化します。大陸的統合によって中国北部で広がった疫病は容易に黒海に達しそこから海洋ルートでヨーロッパ全域に襲いかかることになったのです。

 十六世紀の南北アメリカ大陸では、天然痘がすさまじい勢いで広がり、先住民に大量死をもたらしましたが、これはスペインの大航海者たちが持ち込んだ病原菌で、大航海時代と不可分の関係にあります。米大陸の先住民社会には天然痘に対する免疫がまったくなかったため、コルテスたちが持ち込んだ天然痘が多くの部族を全滅させたのです。

 1817年にインドからコレラが世界に拡散し、その後も十九世紀を通じてコレラ禍が世界各地で起きています。これは産業革命を背景にした大英帝国のアジアでの発展と不可分の関係にあります。コレラはカルカッタで流行した後、大英帝国の交易圏となっていたアジア各地、中東、アフリカに広がり、ヨーロッパを恐怖に陥れました。ちなみに、コレラが日本を襲うのは1858年、ペリー来航で日本が開国した直後です。これも、グローバル・システムへの編入と感染症蔓延の表裏の関係を示す典型例といえます。

 1918年にスペイン風邪大流行します、すなわちインフルエンザ禍です。それが、第一次世界大戦で大量の兵士がグローバルに移動したことと不可分だったのは周知の通りです。兵舎が感染の温床となり、米国の参戦で大量の兵士がヨーロッパの戦地に移動したことで感染は世界的に広がり、悲惨な大戦を終わらせる要因の一つともなったのです。

 

 人類史のなかで繰り返されてきた感染症パンデミック発生の背景には、常に様々な時代のグローバリゼーションが存在しました。ローカルな疫病をグローバルなパンデミックに転化させる主犯はいつも人間の移動と接触の拡大だったのです。だから感染予防は、古代から現在にいたるまで、一貫して「移動制限」が基本となります。グローバル化とパンデミックは、歴史を通じて同じコインの表裏にあるのです。

 

 人類史的視点からコロナ禍をみると終息は数年以上、ひょっとすると10年近い年月を要するかもしれません。少なくともワクチン接種が人口の6割を超え「集団免疫」を得ることのできる今年いっぱい、遅くとも来年春頃などという楽観論は期待だけに終わるでしょう。デルタ株などの変異株はこれからも幾つか現れるでしょうし、感染力が高まる可能性も排除できません。ワクチンの有効期間が1年もつのか、それより短い間しか保証されないかも分かっていません。日本などの先進国でワクチン接種が行き渡っても途上国ではなかなか接種が進まない状況が続くなら、そちらからの感染が再発を誘発する可能性は無視できません。全世界が一応のワクチン接種を終えるのはあと2~3年後になるのではないでしょうか。

 ワクチン接種は新型コロナウィルスが消滅しない限り毎年接種しつづけないといけないでしょうから、来年もまた接種を覚悟しておく必要があります。治療薬が開発されるのはいつになるでしょうか。ワクチン、検査薬、治療薬の3つが進化して新型コロナが人類の「アンダーコントロール」になるまでにはまだ相当の時間が必要となるのはまちがいありません。

 

 一方で「接触感染」のリスクはほとんど考慮しなくてもよいという研究結果も報告されています。飲食店のテーブルや椅子の清拭や公園の遊具使用禁止は不要になるでしょう。新しい研究成果を絶えず「公開」して「賢く」恐れる「コロナと共生」する社会の模索がこれからもつづくことになります。                  

本稿は吉見俊哉著『大学は何処へ』岩波新書に依っています

 

 

 

 

 

2021年7月19日月曜日

モネと資本主義

  朝青竜は「横綱の品格」がないと散々バッシングを受けました。白鵬を何故批判しないのでしょうか、マスコミも世間も。 

 

 先週の「モネ…」は登米の山の御神木――樹齢300年のヒバの木の伐採がメインテーマです(モネはNHK朝ドラ『おかえりモネ』)。伐採木の芯――能舞台の芯柱となる木は乾燥に50年を要するため保存を引き受ける家探しが難航します。その中で林業家の「わしも50年後林業をやっているかどうか分からんし子どもに林業の将来をきかれても答えられないからね」というセリフが気にかかりました。

 

 ここ数年考え続けているのですが、一次産業、二次産業、三次産業がなんの制限もなく同じ市場で競争しなければならない「無修正」の自由競争を前提とした資本主義をこのままにしておいていいのかという問題です。林業を例にすると植樹してから伐採まで早くて30年以上はかかるでしょうしドラマのヒバは300年という途方もない成木期間があったうえに製品化する乾燥工程に50年を要するのです。おまけに広大な「山」という資産が必須の「投下資本」です。一方で株式投資を中心業務として「株式売却益」を元手にM&Aなどで業容を拡大していく『投資銀行』や『IT業』などは土地建物や生産機械などの投下資本はほとんど不要で「貨幣」や「株式」「情報」という『無形』の商品を時間の制限をほとんど受けることなく(毎日、毎時間、毎秒)商取引できるのです。木材という「有形の商品」は「総価格」に制限がありますが貨幣や情報という無形の商品はある意味で「総価格」は無限です。このふたつの株式が同一の「株式市場」で取引されるのですから結果は明らかです。無限に近い膨張を可能とする「金融やIT」の株式と材木という有限価値の「林業」株の株式市場での「競争」は前者の勝ちに帰することは自明の理です。にもかかわらず金融やIT関連企業株式の「時価総額」を元手とした資金で「林業株」を買収する「取引」が常態として行われているのが現在の株式市場なのです。

 これが『公正な競争』と呼べるでしょうか。

 

 もうひとつ資本主義には大問題があります。資本主義の成立を何時とするかは諸説ありますが今1800年前後とすると、それ以来二百二十年の間で第二次世界大戦後の76年という『長期間の平和』を経験したことがないのです。ということは戦争の破壊によって、それまでに蓄積した『(資産)格差』が消滅してゼロから再スタートするという、「強制的」な『修正』が行なわれる「資本主義」以外に人類は資本主義を経験したことがないのです。

 1789年のフランス革命以後1914年の第一次世界大戦まで世界中に極地戦争が継続します。第一次世界大戦が人類の経験したはじめての総力戦でしたが、このことによって戦争はパラダイムシフトをおこし、一旦戦争が勃発すれば少なくとも当事国は国土と国民のすべてを注入せざるを得ない状況に追い込まれる「勝者のない戦争」を覚悟することになるのです。1919年に終結した20年後第二次世界大戦が勃発、1945年原爆投下によって人類が経験したことのない『悲惨』な被害をわが国が被ることで二回目の総力戦争が終結し今日に至っています。

 

 ふたつの世界戦争で唯一国土が戦場にならず、国民の生命と資産が毀損されずに済んだ国がアメリカでした。戦後の復興で圧倒的な生産力を誇ったのは当然無傷のアメリカで、ゼロどころかマイナスからスタートせざるを得なかった諸国に比べて、蓄積とイノベーション力の優位さで世界経済を先導したアメリカは世界第一の経済大国として君臨します。そしてその「アメリカ型資本主義」が最も優れた経済システムとして世界中が採用する趨勢となります。資源と富の配分は「市場の見えざる手」に委ねる『市場万能主義の資本主義』が最上の経済システムとしてわが国など多くの先進国で採用されるに至ります。その延長線上に「グローバル資本主義」が形成され世界が一つの市場に統合されるのです。

 ところが76年という長期の平和は「アメリカ型資本主義」にとって『試練』となって立ちはだかることになるのです。1%の富裕層と99%の恵まれない人たちという『格差』を生み、『分断』という国民国家存続の危機を露にしました。アメリカの後追いをしたわが国も程度の差はあっても格差と分断の様相はこのまま放置しておけない危機的状況を現しています。

 

 アメリカの繁栄は決して「アメリカ型資本主義」のシステムとしての「優位性」に由来するのではなく、二つの世界大戦で無傷で済んだという『僥倖』のもたらした「幸運」にすぎないかった、と言ってもあながち間違いではないのです。

 

 76年の平和という「奇跡」は「戦後処理の世界体制」にも齟齬をもたらしています。大国の「拒否権」を支柱とした「国連」は戦後処理を早期に、効果的に行うための『臨時的』措置として形成されたもので、いずれ拒否権は解消しなければならないものと予定されていたかも知れません。また平和が50年以上継続するとは予想されていなかったかもしれません。世界中に200国近い国民国家が成立し、経済が世界大で統合されるなどという事態は想定外だったにちがいありません。

 76年の平和は「戦後処理の世界体制」としての「国連」の機能不全を現出してしまいました。

 

 「アメリカ型資本主義」も「戦後処理の世界体制」としての「国連」も制度疲労を来しています。

 資本主義は他の経済システムよりも有効性の高いものでしょう。しかし「アメリカ型」は欠陥が多すぎます。何らかの『修正』を加えないと「平和のシステム」としては不適格です。戦勝大国をベースとした「国連」も「平和のシステム」としては機能不全にに陥っています。

 

 高度成長を知らない若い人たち。戦争を知らない、平和が当たり前としている若い人たち。彼ら以外に新しいシステムを創造できる人はいないのではないでしょうか。老いた今、彼らへの期待が唯一の光明です。

2021年7月12日月曜日

人類の強欲と蒙昧のあかし

  最近つくづく思うことは吉田茂のような老獪な政治家が欲しいなぁということです。吉田茂に限らない、野中広務時代までの政治家は保革を問わず「クレバー」であったと思います。老獪ということは、広角で長期的と言い直してもいいし清濁併せ呑むともいえるし、敵の敵は味方という狡猾さを胸底に潜めていた「嫌な奴」と言ってもいい。ようするに底が浅くない「食えない」存在であったのです。加えて「教養」もそれなりにあった人たちでした。森、麻生、安倍、菅の歴代の総理・総理経験者に教養のおもかげを求めても無理な相談と言えば彼らは怒るでしょうか。いや多分一顧だにしないでしょう、彼らはそこに一片の価値も認めていないでしょうから。

 言いたいことはこうです。もし菅総理をはじめオリ・パラ開催当事者が本気で「国民の命と健康」を守ろうと願っているのなら、少なくてもボランティアの方々がワクチンの2回接種が完了するまで開催を延期するのは当然ではないかということです。丸川五輪相が「1回の接種でまず一次的な免疫を…」などという非科学的な発言で接種の遅れを糊塗して見切り発車を正当化しようとしていますが感染防止効果は極めて疑問です。8万人を超えるボランティアが移動するのですから感染者が出るのは当然として開催に臨むべきで、デルタ株の感染力の強力化を考えればかなりの感染者の発生は覚悟しなければならないでしょう。そうなると選手、関係者、オリンピックファミリーそしてボランティア同士の感染も予想できるわけで、その結果五輪後の爆発的感染拡大――国内だけでなく世界的な拡大も覚悟しなければならない事態も予想できます。もしそんなことになれば開催責任が厳しく問われる可能性があります。菅総理はG7の支持でなにか「お墨付き」を得たような言葉振りですが感染爆発となればそんな言質はなんの責任回避にもつながりません。

 勿論これは最悪のシナリオですが可能性として十分考えておくべきでしょう。

 

 私が「老獪」というのはここなのです。選手も関係者もワクチン接種が完了していてPCRの検査体制も整っているとしてバブルから漏れる可能性が唯一予見できるのはボランティアです。そうなら感染爆発を防ぐためには「ボランティアの2回接種」が必須の条件になってきます。これはIOCもIPCも説得できるはずです。これを利用するのです。ボランティアへの接種状況がどうなっているのか詳細は知りませんが2回目の接種までの3週間と抗体発現の1週間~2週間を考慮すると8月下旬か9月初旬が開会式というスケジュールになります。勿論こんな事態に至ったワクチン接種の遅れというわが国の政治責任は厳しく問われるでしょうがそれは仕方ありません。それもこれも吞み込んでシレーっとIOC(IPC)に延期を申し入れるのです。もしIOCが「ノー」をいえば感染爆発の非難は彼らに集中することは明らかですから彼らが拒否することはないでしょう。菅総理お得意の「専門家の先生方のご意見」で延期の必要性を強化すればIOCの受諾はより容易になります。

 今の東京の感染状況だと事体はさらに悪化するかもしれません。そうなったらワクチン接種が人口の4割を超える10月中旬頃まで(11月末までに希望者全員に接種完了するという思惑は大幅にズレ込みそうですが)開催を延期することも可能になるかもしれません。そうなればベストな開催条件を整えることになります。

 コロナ禍という史上まれにみる悪条件下の五輪開催です。ギリギリの切羽詰まった今だからこそ「老獪」政治家のごり押しがきくのです。だから菅さん、「はら芸」を演じてほしいのです。(タイミングとしてはもう遅いのかもしれません。でも『今』ならギリギリのギリギリなのです)。

 

 こんな「はら芸」をだれも思いつかないのは現在の「オリンピックのあり方」について真正面から考えたことがないからです。二言目には「アスリート・ファースト」をいいながら2020東京五輪がそうなっていないことは皆わかっています。暑熱の日本の7月後半から9月初旬にかけてオリ・パラを開催すること自体無茶な話ですし競技時間が早朝だったり夜遅くに設定されることも選手を無視しています。一流選手が参加しない可能性がありますし日本に来ても練習が十分に行なえないからトップコンディションで競技に臨めないかもしれません。全競技の最後にマラソンのゴールが閉会式会場であることがどれほど観客に興奮を与えるかは誰にでも想像できることです。これらを皆無視してオリンピックを開催しなければならないのはオリンピックの「商業主義」のセイです。そしてその根元はアメリカのテレビ局事情にあることは周知の事実です。なぜこんな「傍若無人」の振る舞いが許されるのかといえば「IOCの金満体質」にあるのです。今のIOCはヨーロッパの一部エリートが権力を独占する体制になっていて彼らに巨額のリベートが入る組織になっています。そしてその最大の金主がアメリカのテレビ局なのです(数年前に組織改革されましたが金満体質はまったく改善されていません)。

 

 もしこれが中国であったりロシアであったら西側諸国のマスコミはその横暴を一斉に騒ぎ立てることでしょう。アメリカだからそれが許されるとしたらこんな理不尽なことはありません。もうそろそろこんな馬鹿げたオリンピックに見切りをつけるべきです。

 

 アスリートが最高の条件で、最高の競技ができる、オリンピックに参加することがアスリートの名誉であり、勝利することが世界最高であるような、そんな「アスリートファースト」なオリンピックに改革する。その第一歩が2020東京オリ・パラになったらこんな素晴らしいことはありません。

 これこそ『レガシー』なのではないでしょうか。

 

 

2021年7月5日月曜日

CMをどこまで信用するか

  最近大発見をしました。

 ご多分に漏れず「かすみ眼」がひどくなってきて朝は普通に読書できるのですが(勿論老眼鏡は掛けますが)夕方――3時ころからかすみ具合がひどくなってスムースに読めなくなるのです。ソロソロ「ルテイン配合のかすみ眼薬」を服まないといけないのかなぁと思案していました。そんなとき妻が「これ使わはります」と自分の予備の眼鏡を貸してくれたのです。掛けてみるとこれがスゴクいい、ぼやけが消えて濁音・半濁音まではっきりと見分けられるのです。「ええわ、これ貸してくれる」「度数が進んだんとちがいます」。

 考えてみると老眼鏡を誂えたのはもう20年も前です。以来同じ眼鏡を使い続けてきたのですから合わなくなって当然の理屈です、六十才から八十才になるのですから。早速眼鏡屋さんへ行って検眼してもらうと「お客様の眼は特殊ですから眼科へいってキチンと測定してもらってください」と。かかりつけの眼科で測ってもらうとこれがまた一面倒、特殊な乱視が混ざっているので検眼が難しくほとんど一時間近くかかってしまいました。眼鏡ができてきて、はめてみて、「眼が開ける」ような感じがしました。これであと五年は快適に読書できることでしょう。

 

 コロナになってテレビを見る時間が多くなって、昼間のBSなどにあふれる「健康薬品」「健康補助食品」のCMの多さにあきれます。眼とひざ・腰、認知症が三大CMでそれ以外にも老人病とよばれる症状別のCMが次からつぎへと画面をおおいます。価格設定が極めて巧妙ですから――たいがいのものが数千円、それを初回は5割引き、7割引きになっていますから、いやいやなかには初回「無料、しかも送料無料」のもあって年金生活者でも容易に手の出せる値段になっていてついつい電話してしまう構図になっており「これから30分はオペレーターを増やしてお待ちしております」という案内が後押しするものですからなんのためらいもなく電話してしまうのです。(初回だけのつもりが気がつくと定期購入の契約になっているとか、送料が何千円もとられるとか、不正契約も多いようですから用心が欠かせません)。

 

 しかし落ち着いて考えてみれば、ブルーベリー由来の健康補助食品でかすみ眼がなおるのであれば眼科医へいって専門薬を処方してもらう方がより確実なのではないでしょうか。ひざや腰の関節痛がのみ薬で改善されるのなら整形外科はいらなくなります。やっと治療薬開発の緒について希望がほの見えてきた認知症が「いちょうの葉っぱ」でなおるものなのでしょうか?

 政府はここ二十年ほどの間に医薬品以外に数々のプロテインや疑似医薬品を承認してきました。健康補助食品も支援してさも薬効があるかのような「よそおい」を認可しています。一方で高齢者の医療費負担を優遇して後期高齢者の1割負担が社会保障費の重荷になって財政逼迫の一因になっています。

 高齢者の医療費は1割負担で月平均6千円足らず(医療費は約7万円)という恩恵を受けているのに健康食品等に5千円近い出費をしています。国内の健康食品市場は9千億円に届こうかという勢いで機能性表示食品だけでも2千億円を超える売り上げをほこっています。はっきりいって「効くかどうかもあやしい」ものに3千円も4千円も平気につかっておきながら医療費負担が500円増加しようものなら目に角立てて不平を言い募るという現状はどう考えてもおかしいのではないでしょうか。

 老人といえどももうすこし「科学的」な思考をする工夫が要るのではないでしょうか。

 

 早朝に散歩していて思うのですが、行き交う人(他人)がほとんどなく、たとえ出会っても無言で会釈するだけの時間帯にどうしてマスクする必要があるのでしょうか。コロナの前は30度を超える夏日になればしっかりエアコンをつけましょうと厚労省は薦めていましたがコロナになると「換気が重要」だから窓を開けてエアコンを活用するよう警告しています。しかし暑さを感じる程度は気温だけでなく湿度と風通しに影響を受けますから湿度が60%以下ならたとえ室温が30度でもたまらないほどの暑さは感じないものです。逆に28度でも湿度が70%なら我慢できない蒸し暑さになります。テレビの天気予報は東京中心だったりキー局の都合をいいますから、地元の気象情報とかけ離れた警報や警告を伝えます。自分の感覚で、湿度計などの工夫もして自分なりの生活管理をするような賢さが求められているのです。

 

 しかしこれはなにも年寄りだけの問題でなく最高権力者をはじめとして政策担当者にも必要な素養です。ワクチン接種者1日100万人、という大号令をかけた菅総理大臣ですかが100万人達成の僅か十日足らずで「ワクチン供給不足」を宣告しなければならないのですから一体この国の政策は「科学的エビデンス」というものをどの程度採用、信頼して策定されているのでしょうか。ワクチンは外国頼りで無尽蔵にいつでも供給できるものではありませんから、供給スケジュールがキチンとあるはずです。いくら総理大臣が号令しようともスケジュールをオーバーするようなことがあれば接種体制に破綻を来すであろうことは素人でも予想できます。地方の行政にまかせていたのでは100万人どころか7月末の高齢者接種完了もおぼつかないと見てとった総理が、政治のいうことなら無理でも聞いてくれる財界――大企業(そりゃ賃上げさえも政府の言いなりなのですから)と文科省の支配下にある大学に接種促進をお願いしたところ、予想外の参加があってあっという間にパンクしてしまう体たらくを表わしたのです。この状況を想定外とする総理の取り巻きは相当能力に疑問のつく人材だと言われても反論の余地はないでしょう。

 

 コロナ禍とオリンピックで明らかになったことは、わが国はいまでも根性論の「精神主義」の国だということです。