2022年2月28日月曜日

コロナの功罪

  コロナに「功」などあるのかと訝る向きもあると思うのですがこれがあるのです。「高齢者の貧富の格差」が解消されたのです。若い人には想像できないでしょうが高齢者の格差は深刻で、なにしろ四十年、五十年の積み重ねですから、順風満帆、平穏無事ばかりではありません有為転変、波乱万丈の人生を送った人もあるわけで、また昭和という浮き沈みの激しい時代を経て来た世代が今の高齢者ですから「格差」は激しいのです。最低でも週一回の外食、年に二三回の旅行、そのうち三四年に一度は海外旅行、奥さんのショッピングは思いのまま、こんな富裕層もあるかと思えば月6万5千円の国民年金だけという人もいる、いや国民年金さえ満足に貰っていない人もいるのが現状です。ところがコロナの「強制自粛」は外食も旅行もショッピングもほとんどできなくなってしまって半径二キロ以内のテリトリーを自転車と歩きで生活するのが標準になってだれもが同程度の生活水準で我慢せざるをえなくなった――「コロナ禍の高齢者の生活」はほとんど『格差』がなくなってしまったのです。「毎日なにしてる」と無聊をかこつ贅沢三昧を謳歌していた知人からメールが届く事態が如実にそれを物語っています。

 

 コロナ禍の顕著な傾向として「シニア女性のスマホ普及急拡大」が報じられています。10年前はゼロだったのが今や9割超になろうかというのですからこれは驚異です。この勢いはコロナで加速されたようでスーパーなどのスマホ決済と動画の視聴、LINEなどSNSの利用増加が目立っているということです。我が妻もご多分に漏れず「コロナスマホ」のひとりで、娘たちとのLINEやスーパーのスマホ決済に加えて「ゲーム」をするようになったのは予想外でした。しかしもっとも彼女が恩恵に浴しているのは「かけ放題」で娘や姉妹との電話を毎日二時間三時間楽しんでいることでしょう。

 

 かくいう私も「スマホ人生」を満喫している「派」でいまやスマホなしでは過ごせないほどハマっています。私の場合一番は図書館です。これまでもHP(図書館のホームページ)で検索して近くの図書館で受け取るというサービスで随分読書生活が充実していたのですが、なんといっても読みたい本をメモしてPC(パソコン)のページを開くというテマが面倒でツイツイ見逃してしまうという弊がありました。それがスマホで即[HP→予約]ですからこれは有りがたい限りです。もうひとつ、メモ魔にとって即[メモ(アプリ)]は折角のヒラメキを無駄にすることなく保存できて「しまった!忘れた!」という後悔せずにすみますから結構なことです(ミュージシャンは浮かんだメロディや歌詞を音声録音するのが常識なようです)。今最もスマホの機能で感謝しているのは[YouTube→コンポスピーカー]でクラシックやジャズをコンポのスピーカーの上質な音で楽しめることです。それも「名演」が選べますからたまりません。これまで敷居の高かったオペラやアリアも自由に選べますから「自宅がコンサートホールの実感」は最高の毎日です。

 

 最近よく目にするのは「リアル市場」の制約を受けていた中小零細な生産者が「ネット市場」で脚光を浴びて業績を飛躍的に伸ばしたというサクセスストーリーです。インターネットの最大のメリットはこれかもしれません。螺鈿などの伝承技術や老舗菓舗の銘菓が廃業寸前で再生できることは文化の継承という意味でも貴重なことでまことに目出度い限りです。

 CF(クラウドファンディング)は最近悪用も多くなって心配な側面もありますが善用できれば有効なネット機能です。これについてはわが国の「寄付法制」の改革が伴えばもっとすそ野が広がっていくはずで、滞留している莫大な「余剰資金」――タンス預金や実質ゼロ金利で金融所得の枯渇にあえいでいる市民の預貯金など――が有効活用されれば経済の活性化にもつながるにちがいありません。政府や官僚は「株式市場」への資金誘導を企んできましたがわが国の株式市場はいつまでたっても「健全化」が実現できないできましたからいまだに一般市民は株式に手を出さずにきています。CF市場が健全な生長を示すことを祈るばかりです。

 

 コロナもあって何年も会っていなかった友人に久し振りに再会して驚かされるのは「考え方が異常に偏っている」ことです。高学歴でリベラルで柔軟な思想の持ち主と思っていた彼が非常に偏った読書をしているのを知って唖然とさせられました。聞くうちに彼が毎日2~3時間も「ネットサーフィン」しているというのです。「エコーチェンバー」というネット障害があります。AI(ネットの人工知能)が個人の趣味嗜好・思考傾向を読み取ってその傾向の情報を選択して送りつけることで個人を「偏向」させる現象です。多分彼は気づかないうちに「エコーチェンバー」に侵されたにちがいありません。もともと人間は「自分に都合のいい意見や考え方」を好む志向をもっています。SNSという「閉じられた空間」で仲間内だけで通用する言葉を使ったり考え方を共有して思考の柔軟性、多様性を失ってしまっている人々で社会が分断されています。

 

 溢れる大量の情報――これをいかに選択するか、ネット社会の最大の問題点です。解決方法はひとつ――「ネット遮断」、これしかありません。ネットにふれる時間を制限する、そして「瞑想」「思索」の時間を持つことです。朝起きてすぐスマホを開く、歩きながらもスマホが手放せない、仕事の途中でもLINEがくれば即返信、食事中もネット交信、ベッドに入ってもスマホで「おやすみ」。こんな生活をしていては「自分」が溶けてしまって当然です。

 

 全ての生活基盤がIT化された現在においてわれわれは国家と巨大IT企業――GAFAの二つの『権力』に管理されています。国家の『専制』は「民主主義」で辛うじて抵抗できる体制が築かれていますが、「GAFA」には彼らの恣しいままの『支配』を許してしまっています。

 ネット社会をわれわれのモノにするためには「GAFA」の『専制』を打ち砕く必要があります。

 

 われわれが対すべき『帝国』は、今や、GAFAです。

 

 

 

 

2022年2月21日月曜日

220兆円あれば今すぐ世界は平和になる

  ウクライナといえば「ヨーロッパの穀倉地帯。ソ連への穀物補給の重要地域。ロシアとは歴史的に深いつながりがある」、中学校の世界史教科書にそう書いてあったように覚えています。1950年代の教科書ですからその後冷戦が終結して旧ソ連領の多くが国民国家として独立しNATOに加入した、そう思っていましたから今になってロシアとNATO加入について紛争が起こっていると知って自分の勉強不足に恥じ入っています。

 NATOというのは「北大西洋条約機構」と訳されますがそれでは何がなんだかその実体が分からなくなって、ヨーロッパ諸国のうちの民主主義国家の経済的協力機関で軍事的な連携も保った組織でもあるかのように認識している人も多いかもしれませんが、れっきとした『軍事同盟』です。軍事同盟というからには「仮想敵国」が想定されているわけでNATO発足当時は紛れもなくそれは「ソ連」でした。その共産勢力の中核的存在であったソビエト社会主義共和国連邦が解体したにもかかわらずNATOが存続したことが不思議ですが、そしてそれを普通に受け入れていたのは、NATOが軍事同盟であることに「知らないフリ」をしていたからでしょう。

 ロシアとウクライナは歴史的に深いつながりがあり、ついたり離れたりがありましたがそれだけに両国とも親ロシア(ウクライナ)派も反ウクライナ(ロシア)派も混在しているにちがいありません。しかし「離反」「対立」は避けたいのが本音でしょう。ただし「プーチンのロシア」は嫌だ!というウクライナ人は相当多いかもしれません。今のゼレンスキー・ウクライナ大統領はポピュリストといわれていますから国民のうちにある「反プーチン」の高まりをついて「NATO参加」に踏み切る可能性はあるかもしれません。その辺の{危うさ」を懸念してプーチン氏は強硬手段に訴えようという「素振り」を装っている、いや実態はそんな生半可な悠長なものではなく緊迫していると捉えるのが「世界政治の常識」であり、世界はその方向に強く傾いているようです。

 

 世界には現在も10近い軍事同盟があります。旧ソ連のワルシャワ条約機構も形を変えて存続していますがNATOほど加盟国は多くありませんしその存在感もワルシャワ条約機構ほどではありません。そんな状況でロシアを仮想敵国と想定しているNATOにウクライナが参加するとなればロシアは穏やかでないでしょう。旧ソ連の同盟国であった国がいくつもNATOに加盟していますが、そしてロシアもそれを許容してきましたがウクライナの加盟はロシアの許容範囲を越えているのです。両国の国民感情も微妙なバランスに揺れているのでしょう。そんな複雑で微妙な問題を他国が自国の利害関係から介入することにプーチン・ロシアが反発するのにも一片の理屈を認めるという考え方もあり得ます。

 とにかくNATOは「対ロシア軍事同盟」なのです。

 

 冷戦解消後一挙に増加した自由主義陣営が21世紀に入って徐々に減少し2020年にはほぼ均衡(自由陣営92ヶ国対反自由陣営87ヶ国)する事態に至っています。勢力が均衡しているということは対立も激化する可能性が高まるということで2021年の世界の軍事費は220兆円(1兆9200億ドル)にも膨脹しています。一方世界の武器貿易額は1兆円(950億ドル2017年)という統計もあります。

 軍事費(2020年)の世界1位は米国で7780億ドル(約87兆円、世界の39%)、2位が中国で2520億ドル(13%)以下インド、ロシア、イギリスとつづいて日本は9位491億ドル(2.5%)、韓国は10位457億ドル(2.3%)となっています。

 武器輸出額は1位米国93.7億ドル(約1兆円、世界の37%)、2位ロシア32億ドル、3位フランス20億ドル(8.2%)以下ドイツ、中国、英国、とつづいて韓国は9位(2.7%)です。

 また世界の武器製造や軍事関連サービスの世界上位100社の2017年の売上高総額は約4000億ドル(約44兆円)と発表されています(勿論アメリカのロッキード社がナンバーワンでアメリカ企業で2255億ドル6割り近くを占めています)。

 

 カントは18世紀中頃、世界は戦争状態が通常であり平和は一時的な「休戦状態」に過ぎないと喝破しました。それ故「世界平和」は世界人類が究極の目標として絶えず「創り上げていくもの」であらねばならない、とある種の諦念の思いを込めて提言しています。それから300年近く経って、2回の世界大戦――無差別の全面戦争を経験したにもかかわらず、規模においても破壊力――殺人能力においても最悪の事態になっています。

 

 アメリカという国はほんの数年前まで「世界の警察国家」を自認して、自由と民主主義の盟主として君臨してきました。それでありながら世界最大の『死の商人』であり、アメリカの意に添わぬ国を「仮想敵国」に仕立てて世界最大の「常備軍」を保有しているのです。こんな裏表のある矛盾に満ちた国家を「世界の指導者」としていていいのでしょうか。制限のない競争をほしいままにして資本主義の蹂躙を許して世界中を「格差と分断」の状況に追い込んでもいます。

 われわれ自由主義陣営に属する国々の市民は、中国を、ロシアをそして専制主義的な権力が支配している国々を「世界平和」の『攪乱者』として一方的に『反平和勢力』と糾弾してきました。しかし、われわれ自由陣営は平和的に振舞ってきたでしょうか。アメリカという国は本当に信じていいのでしょうか。

 

 220兆円の軍事費1年分を世界の貧困対策に投入すれば明日にでも飢餓がなくなる可能性は100%あるといっていいはずです。戦争の究極の目的が世界制覇であり世界という「自国領土」の「無戦争状態」の『支配』であるとするなら、それは「暴力」による一時的な「世界平和」の達成に他ならないでしょう。そうであるなら考え方を180°転回して220兆円の軍事費の貧困対策という絵空事も決して「夢物語」ではないかもしれません。ただしカントは暴力による世界国家の実現よりも敵対する国家の並立状態の方がまだ望ましいと言っているのですが。

 

 いずれにしてもアメリカという国を無条件に信じて「盲従」していくことは決して賢明な策ではないことにそろそろ気づくべき時期になっています。

 

 

2022年2月14日月曜日

勤皇志士の哲学

  八十も超える歳になると浮世ばなれが嵩じて時々飛んでもないことを思うことがあります。発想の飛躍といえば聞こえはいいのですが他愛もない「妄想」にすぎません。先日も「天皇」ということばを考えていて「天子」と「皇帝」の合成語ではないかとフト思いついたのです。もしそうなら中国はもちろんのこと朝鮮だって気を悪くするでしょう、アジアの東端の小国の王に過ぎないくせに生意気な、と。その伝でいえば「中国」だって尊大極まりない呼称です、「世界の中心の国」というのですから。しかし中国は実際蒸気船が発達して欧米緒国が制海権を握るに至る18世紀後半までは世界最大の帝国――文化文明の先進国として、軍事的にも世界最強国として君臨していました。その中国(清)が夷(えびす)――粗野な蛮国、イギリスにアヘン戦争(1842年)でイトも簡単に敗けたのですからその衝撃は強烈で幕末の尊王攘夷運動を加速させたのはまちがいありません。

 

(以下は『現人神の創作者たち(山本七平著)』を要約したものです) 

 アヘン戦争の敗北以上にわが国の思想界に衝撃を与えたのは「大明国」の崩壊でした(1644年)。卑弥呼の時代から遣隋使、遣唐使の時代を経たのちも宋、元、明に朝貢し畏敬してきた中国――この「中華の国」が韃靼の国すなわち「畜類の国」に一変したのですから思想界は混乱しました。

 この混乱を収拾するために浮上したのが、「華・夷」とは文化的水準を意味する一般的基準乃至はその基準を基とした「先進・後進」ともいうべき基準にしようという考えです。この基準で計れば「日本=華、中国=夷」という場合ももちろんあり得ますから、「中国」乃至は「中国思想」を普遍的原理として日本を規定することで混乱を正そうというわけです。そしてこの考えに基づいて、日本的体制それ自体を「中朝」として絶対化する方向へとまず向かったのです。それを代表するものが山鹿素行の『中朝事実』ですがこの傾向は当時の日本の思想界のある意味で共通な認識となっていました(素行は中国と書いて日本と読ませるまでしました)。

 当時の官学は林家の主宰する「朱子学」でしたが朱子学が採用したのが「朱子の正統論」で、まず天皇の正統性が強調され、その天皇から将軍に宣下されたがゆえに徳川家は統治権を行使できる。これに対抗しようとするものは正統性を無視した叛逆者であり、従って徳川家に刃向かうものは叛逆者であるという論理です。では一体なぜ天皇家は正統性をもつのでしょうか。

 林羅山がこの問いに対して出してきたのが「天皇=中国人論」です。天皇は呉の泰伯の子孫、中国から下がってきたがゆえに「天孫」であり、「夷」である日本人を支配する正統性を保持しているというわけです。今では奇妙に聞こえるかもしれませんが、中国思想をもって統治思想とするのがその頃のわが国の考え方となっていたのですから、「華」が「夷」を支配するというこの説はすっきりしていたのです。

 

 徳川政権が落ち着いて日本の「正史」をつくろうとします。それを担ったのが水戸光圀率いる水戸の彰考館であり『大日本史』に結実します。そのときお手本にしたのが中国の正史といえる『資治通鑑』だったのですがここに思わぬ大きな落とし穴が潜んでいました、「将軍」なるものの位置づけができないのです。中国にはそんなものは存在しないからですが、さらに叛臣伝・逆臣伝ともなると幕府に忠誠で天皇に反抗した者(たとえば伊賀光季)の取り扱いなどが当然に問題になってきます。さらに正閏を論じると北朝を偽朝として足利氏を叛臣に入れれば現に存在する天皇家の正統性を否定し、幕府の統治権の根拠も否定されてしまうことになります。これを論理的につめていけば、「幕府の存在は非合法であり、日本の歴史はまちがっていた」という結論にならざるを得ず、これは「歴史の誤りを正す」という政治運動の温床となりうるのは明らかです。

 一方で「天皇の正統性を絶対化するなら、個人の規範はかくあらねばならず、その規範を守ったものは、たとえ非合法政権=幕府の法によって処刑されても正しい」という「個人の絶対的規範(グルント・ノルム)」が求められるようになるのも自然な流れで、それを提供したのが浅見絅斎(あさみけいさい)の『靖献遺言(せいけんいげん)』でこの書はまさに明治維新への突破口を開いた重要な書物になります。そして「ある種の規範を絶対化してそれを行動に移した者は、法で処断されても倫理的には立派である」を論証するような結果となったのが「赤穂浪士」でした。

 

 尊王攘夷を促したもう一つの書物が栗山潜鋒の『保建大記(ほうけんたいき)』で、天皇家から武家への政権の移行は天皇家の「失徳」によると論じました。「あるべき天皇像」として後白河や後醍醐が厳しく批判されるのですが、この「反面教師」の逆で過去を再構成すると天皇家そのものが日本人が考えた「中国型皇帝理想像」になってきて、これが後の「皇国史観」つながっていくですが、それへと誘導したものが水戸の『大日本史』になるのです。結局、「あるべき天皇像」から「日本の歴史の過ちを自ら正す」という形を貫いていくと徳川幕府の統治権の根拠が否定されて大政奉還に帰結してしまいますし、その帰結が予定されれば『靖献遺言』で「こりかたまった」男たちが、その方向へと命を捨てて動き出すことになってしまって当然になるのです。

 『靖献遺言』と『保建大記』が維新の志士の「聖書(バイブル)」になり「歴史の過ちの結果生じた幕府」を倒して正統なる「天皇の親政」を樹立するという「朱子学的革命」への明確な方向づけに収斂したのが、日本の歴史を中国の歴史的尺度で検証するという作業の帰結となってしまったのです。

 

 『現人神の創作者たち』という本は元となった文献の引用が多く非常に難解な書物です、従って私の理解も中途半端に終わっていて分かり易くお伝えすることが出来なかったかもしれません。しかし千五百年の長きにわたってお手本とし畏敬してきた大国が崩壊し、なおかつ天皇制の権威の正統制の淵源でもあった中国が「畜類の国」に成り下がり蛮国イギリスに敗れさった衝撃を、中国の価値観を援用して納得しようとした試みは現在のわが国にも通じるものがあります。

 

 コロナ禍後の世界はこれまでの延長線上ではなくまったく新しい価値観の創出を必要としています。その試練にわれわれは耐えることができるのでしょうか。

 

 

 

 

2022年2月7日月曜日

ニュースの裏側

  『メディアの未来(ジャック・アタリ著)』という本が評判になっていて私も読んだのですが、文字情報からSNSに到る長い歴史が教えるのは「情報は独占と捏造とフェイク」の歴史であったということです。ネット情報の怪しさが取り沙汰される昨今ですがこれまでも決して「不偏不党の真実」だけが報道されてきたわけではないのです。日本は比較的、特に近現代のメディアは欧米先進国ほど資本の独占に犯される傾向は少なかったのですがそれでも戦前戦中の「大本営発表」を垂れ流し戦意高揚に協力した報道のあり方は大いに反省すべき禍根になっています。近年はSNS全盛になって情報の速報性も広告量の豊富さも既存メディア(新聞・テレビ・ラジオ)はネットのプラットフォーム(GAFAなど)より劣ってきて、その結果記者などメディアに携わる人材に以前ほど優秀な学生が集まらなくなっているようです。そのせいもあってか報道に鋭さが無くなってきたと感じるのは私だけでしょうか。

 

 最近の例で言えばアメリカの大統領にオバマ大統領の副大統領だったバイデン氏が就任したとき、私のように戦後のアメリカ政治を現在進行形で見てきた世代は一抹の不安を感じたのですがそうした報道は皆無で、とにかくトランプが負けたことの歓迎、祝福の記事に満ちていました。戦後アメリカ大統領で副大統領から昇格した人は3人――トルーマン(ルージベルトの副大統領)、ニクソン(アイゼンハワーの)、リンドン・ジョンソン(ケネディの)、そしてバイデンです。ジョンソンは可もなく不可もなしですがトルーマンは原爆投下の責任者ですしニクソンはウォーターゲート事件を起こしています。資質として大統領と副大統領では根本的に異質なものが要求されるのではないでしょうか、それはわが国の総理大臣にもいえるわけで、そんな経験からバイデン氏に一抹の不安を抱いたのです。これまでの彼の実績を評価すれば失敗とされる判断が少なくなかったし、中ロの「のさばり」、中東の混乱、北朝鮮の挑発など外交的にも手腕に疑問符が付くと言わざるを得ません。

 マスメディアの盲点のひとつがこうした「歴史的」な物の見方の弱さです。

 

 もうひとつの弱点は政府が打ち出す「政策」を「斜に構えて」批判する能力――時にはそうした姿勢が本質を見抜くこともあるのですが、最近はどうも真面目過ぎる記者が多いように感じます。最近でいえば「ガソリン高騰抑制策」です。軒並みつづく値上げ傾向の中心的なものとして「ガソリンなどの燃料油価格高騰」の抑制が物価対策として重要と考えて打ち出された施策ですが、これはどう見ても「石油元売り業者(と小売業者)補助金(支援策)」以外のなにもでもありません。それは事業の目的にも「(この事業は)価格を引き下げる制度ではありません」とうたってあるのです。しかし報道の仕方もあって一般消費者はガソリンスタンドの値段が下がるものと理解しています。そういった意味でこれほど分かりにくく、政策の費用対効果の不明瞭な施策は今までになかったのではないでしょうか。そのあたりを厳しくついたマスコミの報道がほとんどなかったことは残念です。

 案の定1月27日に初発動した3円70銭(/1ℓ)の補助金はスタンドの価格抑制には効果が薄く1月31日時点で前週調査と比べて70銭高い170円90銭だったと経産省が発表しました。そこで10日には補助額の上限5円を適用することになるようです。

 

 この制度の正式な名称は「(令和3年度補正予算事業)コロナ下における燃料油価格激変緩和対策事業」といい予算総額800億円が組まれています。「原油価格高騰が、コロナ下からの経済回復の重みになる事態を防ぐための激変緩和措置として、燃料油の卸売価格の抑制のための手当を行うことで、小売価格の急騰を抑制することにより、消費者の負担を低減することを目的としています」。そのうえで「消費者に直接補助金を支給する制度ではありません。また、小売価格の高騰を避けるための制度であり、価格を引き下げる制度ではありません」という注意書きがつけてあります(経産省HPから)。

 制度のあらましは「緩和措置期間中(3月31日まで)、全国平均ガソリン価格が1リットル170円以上になった場合、1リットルあたり5円を上限として、燃料油(ガソリン・重油・灯油・経由)元売りに補助金を支給します」となっていて「支給開始後4週間は170円、翌4週間は171円、翌々4週間は172円、さらにつぎの4週間は173円」と支給発動価格を段階的に引き上げていく設計になっています。

 この概要をまとめると「燃料油価格の高騰がコロナ下の経済回復の障害にならないように170円を超える小売価格の高騰分を元売り業者に補助金を支給して卸売価格を抑制し、小売価格高騰を抑制することで消費者負担を軽減する」という制度設計になっているにもかかわらず「小売価格の高騰を避けるための制度であって価格を引き下げる制度ではありません」という但し書きをつけているのです。「小売価格の高騰を避けるための制度でありながら、価格を引き下げる制度ではありません」という但し書きはまったく意味不明ですし、価格を引き下げないで一体どうして高騰を避けることができるのでしょうか。「消費者に直接補助金を支給する制度ではありません」ということをどうしても理解してもらうために、意味不明の但し書きをつけたのでしょうが、こうした矛盾をあからさまに「言い訳」しなければならないのはこの制度に「後ろめたさ」があるからなのでしょう。

 

 石油元売り業者は最大の需要層である自動車産業が燃費効率の改良、ハイブリット化電気自動車化が進んでガソリン需要の減少は既定の事実であり、環境問題が化石燃料離れを加速して経営環境が悪化しておりそれにどう対処するかは喫緊の課題となっています。経産省としても打開策を早急に打ち出す状況に追い込まれている折から、物価対策に名を借りて業界支援を図ることができれば願ったり叶ったりです。今回の燃料油高騰対策事業は紛れもなく石油元売り業界支援策に外ならずガソリンスタンドの給油価格の低下という消費者向けの物価対策として効果があるかどうかは経産省にとって二の次三の次なのです。マスコミはどうして「物価対策」の側面ばかりを伝えるのでしょうか。 

 わが国のお役所の慣例として「予算は必ず年度内に費(つか)い尽くす」ことになっていますから800億円の予算は元売り29社に必ず支給されるでしょう。

 

 ネット上に氾濫する情報のリテラシーがうるさく言われる昨今ですがマスコミの報道も「裏読み」できる能力を身につけないと世の中の動きに取り残されてしまう――そんな難しい時代になってしまったようです。