2020年10月26日月曜日

刀狩と憲法9条

 国のゆたかさが領土の広さから解放されてまだ百五十年もたっていないのではないでしょうか。百五十年前まではまちがいなく国力(国富)は領土の広さ(と肥沃さ)に規定されていましたがそれはGDP――国の総生産の九割近くが「農業」によって占められていたからです。農業の生産力は土地の広さと投入される労働量に比例します。ロシアは広大な領土の多くを生産性の低い極寒のステップやツンドラが占めていますから歴史上早くから温暖な土地を求めて「南下政策」をとり領土的野望をあからさまにしてきました。またアメリカは広大な領土に比べて圧倒的に労働力が不足していましたからアフリカの黒人奴隷を使役するという汚点を歴史に刻まざるを得なかったのです。

 主産業が農業である発展段階において「領土の拡張」は国にとって最重要事項でありそのための『軍事力』は国土を拡大するための必須能力でした。農民(国民)にとって保有する土地の「安全」は最低限の条件であり他国からの「侵略」を『防御』する『軍事力』は国に求める第一次的機能であり『軍事力の保持と独占的行使権』は国民が国に委ねる「権能」の第一等の位置を占めざるを得ないのです。

 これを別の表現で表すと「国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である(マックス・ヴェーバー著『職業としての政治』脇圭平訳岩波文庫)より」「つまり国家が暴力行使への『権利』の唯一の源泉とみなされている」ということになるのです。

 

 わが国において武力を国家が独占するようになったのは「秀吉の刀狩」を嚆矢とするのではないでしょうか。国のかたちが未完成でしたから家康の徳川幕府の成立をまって本格的な独占が達成されたのですが、「兵農分離」が権力者によって実施されたという意味で刀狩は重要な歴史の転換点だったと思います。

 群雄割拠の戦国時代に至って戦闘形態が大転換します。それまでは武将同士の一騎打ちが主たる戦闘形態だったのが鎌倉幕府によって武家政権が成立して以降、足軽の採用が急速に進み室町幕府の時代からそれが本格化、戦国時代に至って足軽を主戦闘集団とした戦法が主流になり「農=百姓の兵力化」が軍事力の主体を占めるようになります。平時は農民として生産活動に従事し戦時には武器をもって兵士となる。そんな時代が百五十年ほどつづいた末に秀吉の国家統一が完了し「武力の独占」の必要性が生じ「刀狩」を実施したのです。

 国家として実効的に「軍事力の独占」をしたのは明治政府です。しかし「国民国家」としての歴史が浅く統治システムが不完全だったために「軍事力の管理」に破綻をきたし、日清、日露、第一次・第二次世界大戦と「破滅の行程」をたどったのです。

 

 次にわが国の領土のうつり変わりを考えてみましょう。最近盛んに「わが国固有の領土」ということをいう人が多いからです

 鎌倉に幕府が置かれるまで関東以北と鹿児島など九州南部は蝦夷、熊襲(えみし、くまそ)と呼ばれて日本の領土ではありませんでした。というよりも京都の朝廷に服属する勢力がそこまで力を及ばすほどに成長していなかったと言った方が事実に即しています。その後武家政権が確立・勢力伸長するにしたがって東北も鹿児島(薩摩)も日本の国土になり、やがて北海道も琉球(沖縄)も日本に編入され大体今の日本の領土が形成されるのですが、それは明治政府の成立と軌を一にしています。ここで注意がいるのは国連の「自由権規約委員会」などがアイヌと沖縄(旧琉球人)を「先住民族」として認めるよう数回にわたって勧告をしていることです。政府はアイヌに関してはこれを受け入れアイヌ保護の方針を打ち出していますが沖縄に関しては断固拒否の姿勢を貫いています。こうした事情を考えると政治家の一部などが常套的に「日本民族は単一民族だ」との言辞を弄しますが決してそうでないことが分かります。

 日韓で問題となっている「竹島」は徳川時代、日本、朝鮮、中国、オランダが「密貿易」の中継地として共同利用していましたから日本の領土でも韓国の領土でもなかったといった方が実情に近い捉え方です。北方領土に関しては日露修好通商条約(1858年)で択捉島とウルップ島の間に国境線を引くことで同意していますから明治政府はエトロフはわが国領土と考えていたでしょう。その後日清・日露戦争や第一次世界大戦の結果、日本領土は台湾、朝鮮、満州と拡大の一途をたどります。東アジアが真っ赤に塗りつぶされた戦前の日本地図を知らない人も多くなってきましたが、結局第二次世界大戦に敗けすべてを失って今日の領土に落ち着いたのです。

 こう考えてくると「日本固有の領土」などというものはほとんど『幻想』であって、戦争という不条理な暴力行為によって獲ったり取られたりしてきたのが歴史なのだということが分かります。戦争のない平和の時代が75年つづいて、信じられないほどの兵器の発達によって全面戦争ができない時代になって、領土問題はまったく新しい段階に至っているのです。

 

 国民国家の紛れもない一面は「軍事力の独占的行使権」を保持しているということです。そしてそれは「行政の長――大統領であったり総理大臣」が保有しています。もちろん白紙委任ではなく国会の承認等の「規制」で制限が設けられていますが、それでも国家の『暴力行使の独占』という側面を政治権力の中核として認識することは重要です。そして「軍事力の管理」に失敗した敗戦を教訓として戦争を放棄した『日本国憲法第9条』があるのです。

 

 日本学術会議委員任命問題を単なる手続きや学術会議のあり方などと矮小化して考えるのではなくこうした「方向転換」が、究極的にどこを向いて誰が行おうとしているのかという「見方」を絶えず持ち続けることが重要だと思うのです。戦前「軍事力の管理」に失敗したのは国の本質を忘れて政治(の変化)の「監視」に失敗したからです。昭和58(1983)年の学術会議の委員任命に関する政府見解を菅総理は変更しようとしていますが、この一歩は決して小さな一歩ではないような「うすら寒さ」を感じるのです。

 

 『多様性への寛容』がないがしろにされだしたら「危うい!」と感じるアンテナが大事です。

 

 

 

 

 

 

 

2020年10月19日月曜日

新聞が無くなったら

 馴染みの喫茶店の女店主が「サービスで入れてもらっていたスポーツ新聞がダメになりました。コロナで新聞止めるひとが多いらしいから」。意外でした、よもやそんな影響がでているとは。今の若い人は新聞は勿論のことテレビも見ないという、ニュースもエンターテイメントもネットで間に合うらしい。そのうえ年寄りまでとらなくなったら新聞はどうなってしまうのでしょう。この事態は思っている以上に重大な変化かも知れません。

 

 数年前日経が毎週月曜日に掲載していた「景気指標」を紙面から削除、ネットに移動して「経済指標ダッシュボード」に代えてしまいました(しかも有料で)。大げさにいえばこれは世界に誇る日本文化の消滅ではないかと思いました。経営者やサラリーマンや商店主が日常的に必要とする経済指標の40項目ほどが一ページに一覧形式に収録されていて、忙しい月曜の朝に効率的に景気の動向が閲覧でき一週間の仕事の見通しが素早くできる、まさに世界に類のない「発明」だと評価していました。ネットに移ったために一項目ごとにページを開かなければならないからフル項目見るためには相当な時間が必要になり、そうなると必要な二三の項目だけの検索で済ませてしまうようになって全体的な俯瞰をする習慣ができなくなってしまいました。

 日経に何度か復活を申し入れましたが実現されませんでした。

 新聞の最高の「武器」は「閲覧性」にあるのに、その閲覧性の最も価値ある紙面が「日経・経済指標」だったのに、それを放棄して「ネット化」「有料化」したのですから私は日経の購読を止めてしまいました。

 

 新聞のすぐれたところは「閲覧性」に尽きると思います。経済、政治、社会、文化、衛生・健康、文芸と多分野のニュースを「選択」して記事を作り三十ページほどに凝縮して毎日提供してくれるから、小一時間もあれば世の中の動きを網羅的に知ることができます、しかもわが国では宅配してくれますからわざわざスタンドで買う煩わしさもない。こんな便利で効率的な「情報収集手段」は他にありません。加えて少々の偏りは新聞社によって無くもありませんが保守的な記事もリベラルな内容も案配よく提供してくれますからバイアス(偏向)なく情報に接することができます。さらに「社説」で重大と目される動きには社の考え方を交えながら解説と提言をしてくれますから、政治や経済、社会がどの方向に向かいつつあるかの大凡(おおよそ)が把握できます。

 わずか小一時間でこれだけの情報・知識操作ができるメディアはいくら技術が進歩しても今後も出現しないのではないでしょうか。

 

 今問題になっている日本学術会議任命問題を考えるとき、新聞の読者減少と関係があるというとこじつけだろうとそしりをうけるかもしれません。しかし「多様性の拒否」と「行政権の濫用」を任命問題の本質とみればあながち関係がないともいえないのです。

 この問題に関しては昭和58年、当時の中曽根総理大臣の「形だけの任命であって学会のほうから推薦された者は拒否しない」という総理府総務長官の答弁を容認し「独立性を重んじていくという政府の態度は、いささかも変わるものではない」という答弁が昭和と平成(令和)の政治家の学問に対する姿勢の変化を如実に物語っているのではないでしょうか。昭和の時代は学問や科学に対する尊厳の思いが相当深いところで根づいていて、少なくともトップクラスの学者の業績に関しては敬意を表することを当然としていました。学問の独立性を侵すことはあってはならないという姿勢が政治家は勿論、一般市民にもそなわっていました。

 しかし平成が進むにつれて政治――行政を優先する政治家の考えが鮮明になってきて学問を政治の道具とみなす姿勢があからさまになってきました。その根拠は政治は国民の審判を得て国家運営を付託された存在であるから何にも勝る存在であるという考え方であり、その形となったものが「予算執行権」であるというのです。今回の菅総理の言葉にも河野行革担当相にもみられる論理で「10億円という予算を投じているのですからその執行を監視するという意味でも総理が任命権を行使することに何らはばかることはない」と言うのです。

 中曽根さんには、日本を代表する学者の業績を価値判断する能力は自分にはないという謙虚さがあったと思います。そうした学者の団体が選任した委員の当否を判断して任命を拒否する能力は自分にはないという学問と学者に対する尊厳の念がまちがいなくあったのです。ところが今の政治家には(その部下でありブレーンと目されている人にも)行政権(予算執行権)こそ最高位の権威であり、その他のものは行政権の下に位置づけられるという「驕り(おごり)」が歴然とあります。最高裁の判決(一票の格差など)を無視し国会を平然と軽視することに罪悪感さえ感じていないように思われます。ジェンダーだ多様性だと口先ではお題目を唱えますが、本心は選挙で選ばれたことを「白紙委任」と捉えて、少数意見や反対意見を尊重するという民主主義の最低限の「倫理」にまったく気づこうとしないのです。

 

 今放送中のNHKの朝ドラ『エール』で主人公の古山裕一(モデルは古関裕而)が自分の作曲活動は「戦争協力」ではないかと苦悩します。しかし一旦祖国が戦争状態に突入してしまえば妻子や親を守るためにも祖国を守るために全力を尽くすのは当然の行為です。だから、絶対に、祖国が「戦争」に突き進むのを防がなければならないのです。そのためには政治が一方向に「収斂」するのを「制度」として防御する体制を保持しなければならないのです。それが「三権分立」であり「言論・学問の自由」なのです。ところがややもすれば「行政権の暴走」が民主主義のはらむ危険性なのであり、これを自覚していた明治の元勲たちはそれを防ぐための施策に腐心したのですが結局それは破綻して先の大戦に突き進んでしまったのです。

 この反省から戦後の政治体制は二度と戦争という暴挙に陥らないための諸種の安全装置を内蔵しました。日本学術会議もその一つです。それがアメリカから武器を言い値で買わなければならない不合理を武器の国産化をすすめることで解決しようと「軍事研究費の増額」を決めても参加する大学が少なく、一割にも満たない予算の消化しか望めない現状は、学術会議の反対声明が大きく影響していると思い込んで、今回の「任命権の濫用」に至ったのでしょうが、この暴挙は民主主義の根幹にかかわる重大な第一歩となりかねない危険性をはらんでいます。

 

 新聞を読まなくなって、インターネットで自分好みの情報ばかりに囲まれて(エコーチャンバー現象)、総合的俯瞰的な判断をできなくなった国民ばかりになってしまったら、日本はまた「戦争」という「あやまち」を繰り返してしまうかもしれません。

 新聞を読まなくなることの危険性は決して小さいものではない。この私の危惧が年寄りの「思いすごし」であることを祈らずにはいられません。

 

2020年10月12日月曜日

管見譫言/20.10

 人間八十年も生きていると世にあるすべての存在が不確かに思えてきて、若い人たちがあれだこれだと争っているのをみるとあれもこれも明日には今日とすがたを変えているかもしれないのにご苦労なことだとおかしくなってくることが少なくありません。勉強に勤しんで懸命に仕入れた知識が不動のものではなく時の移ろいとともに昨日正と信じていた理論が明日には真逆の理論に取って代わられるという経験も何度か経てきました。そんな耄碌老爺の繰り言をこれからときどき書いてみたいと思います。題して「管見譫言(かんけんせんげん)」、よし(葦)のストローからのぞいたような狭い視野の戯言(ざれごと)とでもいうような意味です。

 今日の第一回は「中国と朝鮮(韓国)について」語りたいと思います。

 

 まず中国ですが、今の中国をイギリスやわが日本のような「現代国民国家」としてみるのはまちがっているのではないか、最近そう思うようになってきました。香港に圧制を布いたり台湾の独立を抑え込もうとしたり、南沙諸島に人工島を築いて実効支配をたくらんだりと、およそ世界の常識とかけ離れた政治的行動が目立ちますがそれは中国という国を、いま中国領土とされている地域が日本の国土のようにそこに住んでいる住民が「中国国民」として納得している国土とはいえない地域を多く抱えているということを忘れて、わが日本と同じような国だと誤解しているからなのではないでしょうか。香港は別にして、台湾も新疆ウイグル自治区もチベット自治区も内蒙古自治区も中国共産党政府は中国領土と主張していますが、戦後75年経ってもまだ領土として安定していないのです。だからどの地区でも紛争が絶えないのであり、ほかにも中国には55の少数民族が住んでいますから反政府運動が絶えないのであって、数年前まで反権力闘争を含めた紛争数を公表していましたが二万件を超えたころから公表を控えるようになっています。結局中国という国はいまだに国家として確立していないのです。

 中国の歴史を振り返ってみれば漢民族と四夷――野蛮な異民族(中国からみた)との抗争の歴史であり、満州民族もモンゴル民族もかって中国を支配したことがありウィグル族、チベット族と漢民族は権力闘争を繰り返してきました。かっての中国が賢明だったのは異民族の支配を受け入れながら時間をかけて彼らを「中国化」し、奢侈と怠惰に陥るのをまって「同化」するか追放するかしていたのです。しかし中国共産党は性急にそれをなそうとしていますから紛争が頻発するのです。今のやり方では同化は成功しないでしょう。彼ら異民族にはかって中国を支配したというプライドがありますし、言語も価値観も根本的に異なりますからアイデンティティを共有することはできないのです。

 もう一つの問題点は13億人の中国を9千万人の中国共産党が独裁していることです。ここ数年習さんが粛清しましたから少しはましになっているかもしれませんが、それまでは地方の長官になれば数年で一兆円という途方もない蓄財が可能なほどの許認可権などの権力をほしいままにすることができたのです。それでも国が年10%以上の経済成長をして一般国民もそれなりに豊かになることができましたから共産党の横暴を受け入れていましたが、二三年前から成長が鈍化し1人当りの豊かさ(GDP)も年間1万ドル近くで停滞しています。世界標準では2万ドル以上が豊かな国ですから中国国民はまだ道半ばで留まったままです。極貧から脱出して世界の先進国の豊かさを知った中国国民はこの状態に満足することはできないでしょう。より豊かになることを共産党政府に要求するはずです。それを知っているからこそ習政府は南沙諸島に人工島を築いたり「一帯一路」政策で世界の資源の確保と消費を囲い込もうとしているのです。それでも13億人の国民に先進国並みの豊かさ提供することはできないでしょう。そうした「現実」を国民が知った時「共産党独裁」を中国国民が容認するでしょうか。

 中国は「未完成」な国家です。異民族を「中国化」することと漢民族に「豊かさ」を与えることができなければ「統一国家」として13億人の広大な国家を形成することはできません。そこに向かっての「運動体」が今の中国なのです。今後中国がどのように変貌していくか、ここ五六年、2025年頃までが中国の正念場になることでしょう。

 

 次は韓国について。なぜあの人たちはこんなに日本(人)を憎悪するのでしょうか。

 朝鮮半島は第二次大戦後はじめて独立国として領土をもつことができました。そして韓国は民主主義も手に入れました。しかしいまだにふたつとも――独立国として民主主義国として――有効に機能していません。

 朝鮮半島は歴史上いつも中国の属国でした。朝貢国として中国に傅(かしず)いてきました。日本も朝貢国の時代がありましたが朝鮮のように地続きでありませんから中国の脅威に直接さらされることから逃れることができました。とくに徳川時代以降は鎖国政策によって純粋な「経済関係」以外の政治的な国交はありませんでした。日清戦争(1894年~1895年)によって朝鮮に対する中国の宗主権が放棄され独立が保証されることによってようやく朝鮮は中国の支配から脱却できました。歴史上朝鮮は初めて独立国となったのです。ところが1910年に日本は朝鮮を併合し植民地化しました。結局朝鮮の独立はわずか15年足らずで終わりをつげ主権を剥奪されたのです。古代以来2000年以上中国の属国という地位に甘んじてきた歴史に終止符を打ったと思った朝鮮の人たちにとって日本の植民地になることの屈辱はわれわれ日本人の想像をはるかに超えた根深いものであるにちがいないのです。なぜなら日朝の関係は中国文化の移入においては日本より先進国であったし、武力関係においても古くは白村江の戦い(663年)でも、また秀吉の朝鮮出兵(1592年~1598年)においても日本に勝ったという自負をもっているからです。その日本に植民地として収奪された支配されたという恨みは骨髄に徹する思いなのです。ところが世の常がそうであるように「した方」は「された方」ほどにはその痛みは分からないのです。

 なぜ韓国の人たちがこれほどにわが国を憎むのか、多分こんなところなのではないでしょうか。

 

 中国の理解できない振る舞いと韓国の想像を超えるわが国への憎悪。それを理解するには「教科書歴史」や世間の常識から自由にならないと見えてこないと思います。現実に起こっていることを理解しようと自分の頭で考える、そのためには「深い読書」が欠かせないと思います。ウィキペディア全盛の今、SNSが席巻している今こそ古典を中心としたすぐれた本を読む価値が高まっていると思います。

 

 

 

 

 

 

2020年10月6日火曜日

私の競馬原論

 競馬はブラッドスポーツ(血統のスポーツ)といわれます。ダーレアラビアン(エクリスプ系)、ゴドルフィンアラビアン(マッチェム系)、バイアリーターク(ヘロド系)という三大始祖から累々と重ねられてきた血脈の進化は三百年の年月を経てサラブレッドという走ることのみに特化した競走馬として完成しました。近代競馬はイギリスを発祥の地としてヨーロッパ、アメリカを中心に発達してきましたが近年東アジアの極東の地――日本で世界に比肩する競走馬が輩出するに至っています。五十年前スピードシンボリという馬が凱旋門賞への挑戦で開いた世界の門戸は凱旋門賞こそまだ勝利していませんが、今や世界中のGⅠレースに優勝する名馬が出現するレベルにまで到達しているのです。これは1970年に開設された栗東トレセンなどの施設の改善が大きく貢献しているのはいうまでもありませんが、ヒンドスタンやサンデーサイレンスなど海外有力種牡馬の輸入がもたらした「血統の改良」が最大の要因であることはサラブレッド進化の歴史から当然のことでしょう。    

 競馬はブラッドスポーツです。牡馬は種牡馬になることが最高の名誉ですし、牝馬は繁殖牝馬となって名馬を繁殖することが名牝の証なのです。名種牡馬、有力種牝馬となるための勲章がGⅠレースの優勝です。したがって競馬の体系はGⅠレースを頂点としたGⅡ、GⅢというヒエラルキーで構成されています。競走馬の能力はどのレベルのG(グレード)レースに優勝したかで判定するのが最も基本的な考え方です。そしてGⅠレースに勝つためにはどのレースをステップとするのが最適かということが歴史を通じて確立されたのです。競走馬の能力はGレースの実績で判断するのが正道です。    

 以上が私の「競馬原論」です。原論にしたがって競走馬の能力をどう導きだしていくか、それが「勝馬検討」でありその「勝馬検討」をどのように馬券に結びつけるのかが「馬券検討」になるわけです。      

 ではGレース(特にGⅠ)の「勝馬検討」はどのようにして行うのか。  GⅢの1着2着3着は「3:1:0.5」くらいの能力差と判定すると、GⅡは「10:5:2.5」くらいになるでしょう。しかしGⅠは「50:20:12」くらいの価値があると思います。GⅠの3着とGⅡの1着はどちらに価値があるかといえばやっぱりGⅠの3着の方を上位に置くのが正しいと思うのですが、「勝つこと」がサラブレッドの価値を決めるという考え方もあり、この判定は個人の価値観によって異なっていいと思います。GⅡを2勝していてGⅠでは2着1回しかない馬と、GⅠで2着を2回している馬(GⅡでは実績がない)とどちらを上位にランクするかは非常に難しいところですがやはりG12着2回の方が上位と取る方が良いだろうと考えています。  Gレースの価値は点数をつければ上のような差があると考えるのですが単純に点数化して能力判定はしません。競走馬の能力は複雑ですから数値化するのは困難で、むしろ漠然とGⅠ勝ちを〇、GⅡ勝ちを△、GⅢ勝ちを▽と表した方が実際に近くなるのではないかと思うのです。これを基本に2着3着を考慮しながら[◎、〇、△+、△、△-、▽]にランクづけするのですが、この作業はスポーツ新聞(私は報知新聞)の予想欄にGレース別の実績(資料1)が掲載されていますからそれを参考に行います。いちどに正確な能力判定をマークすることはできませんが、実践で試行錯誤を繰り返して自分なりの「相馬観」を養うのがまさに競馬の面白さではないでしょうか。  結論すればサラブレッドの競争能力はGレースの実績に凝縮されているという考えなのです。    

 その能力がレースで実際に発揮できるのかどうかが「勝馬検討」のもうひとつのポイントです。出走馬の競争実績を判定して実力と調子を見抜く、それをスポーツ新聞の過去8~10レースの馬柱(資料2)から判定するのがこのステップでの作業です。ここでもGレースの成績に注目します。Gレースに出走する馬も条件戦(3勝クラス、2勝クラスなど)や平場のオープンレースに出走することがありますが、それらの成績は一切カウントしません。平場のオープンは特別競走として番組に組まれていますが、休養明けの馬が実戦で調整する場合や実力低位のオープン馬の賞金稼ぎするレースであったりと、いろんな事情を抱えた馬がいろんな目論見で参加するレースが平場のオープン戦ですから結果に実力がそのまま反映されているとは言い難いので無視します。3勝クラス、平場のオープン戦と連勝してきた馬は調子がいい、実力が着いてきた程度の評価に留めます。GⅠからGⅢでの1着2着3着の成績のみで近走の能力と調子を判定します。3走前にGⅠで3着して休養に入り2走前にGⅢで2着、前走GⅡで3着、こんなステップを踏んできた馬は「〇」です。GⅠで5着、前々走GⅡで4着、前走GⅡで3着したステップなら「△+」。GⅠでは着外だったが3走前GⅡ3着、前々走GⅢで着外、前走GⅢで3着、こんな実績なら「△」。こんな風にGレースの実績のみを評価の基準として能力の変化と調子の上昇具合の判定を行います。何度も失敗を重ねて訓練しながら自分流を確立するのです。そんなに時間はかからないでしょう、3、4レースも実戦を経験すれば自分流が出来るはずです。  くれぐれもGⅠからGⅢのレースだけで判断することを忘れないでください。  重要なステップレースの選定は毎週月曜日スポーツ新聞(私はスポーツニッポン)に載る翌週のGレース・過去10年の実績表(資料3)のデータで見つけてください。    

 勝馬検討の2つの作業――「能力判定」と「近走実績と調子の判定」を行ったらその2つの判定結果の「〇」「△」を総合して[AA、A、AB、B+、B、B-、C、↑]にクラス分けして最終的な勝馬検討とします(このうち「↑」はデータではなくカンで選んでいますが何度か穴を的中しています。不思議なものです)。その評点を組み合わせて購入馬券を決定するのが「馬券検討」です。AとBの組み合わせにするか、AとB、Cの組み合わせにするかは、騎手、調教、血統、コース適正、展開などで判定します。最近の傾向は「騎手優勢」ですから騎手の評価は重要ですし、クラシックは血統を重視する考え方も有力で(私はスポーツニッポン水曜日にコラムを書いている亀谷さんの血統論を参考のすることがよくあります)血統の知識も馬券検討に有効です。  勝馬検討、馬券検討にはどんな資料を利用するかが大きなウェイト占めます。私は上記の資料を用いていますが自分なりの資料を探してください。    

 いちどに理解するのは難しいでしょうから最近の実践例として分かり易かった「神戸新聞杯」の検討結果を記しておきます。②コントレイル(◎、◎、AA)、⑱ヴェルトライゼンデ(〇、〇、A)、⑪ディープボンド(△+、△+、AB)の3頭が抜けていて特に②⑱は別格に判断しました。Bには⑥⑩⑮、Cは④⑤⑰となりましたが、単騎逃げの見込める⑩、騎手重視で④⑥を選んで⑤は外しました。馬券は1着固定の馬単を5点、1着固定の3連単を購入しましたが、⑤を外したので馬単だけ的中で少々の負けですみました。    

 いよいよ秋のGⅠシーズンです。最近の競馬ジャーナルはデータ分析や調教偏重ですが、GⅠはGレース実績の「能力」重視が馬券必勝法だと私は考えています。自分流の勝馬検討でレースを楽しんでください。3、4レースに1回中穴が当たれば競馬は愉しいものです。 -