2010年5月31日月曜日

それでも本は残る

 電子書籍の本格化を目前に我国出版・書店業界がその対応に大わらわである。しかし冷静に考えてみれば淘汰の時代は来て当然であり業界の抜本的再編は避けられないであろう。

 書物は媒体の変遷と軌を一にして発展してきた。最初は石や粘土板に刻まれて伝えられた情報はやがて獣皮(羊皮など)や木簡にメディア・媒体が変化し紙の大量生産とグーテンベルグの印刷革命(15世紀)によって爆発的に書物の普及が齎されて今日に至っている。500年以上の長い年月に亘って『本の時代』が続いてきたのは驚きだが20世紀後半からのメディアの多様な発達を考えれば『電子書籍時代』の到来はむしろ遅いと云っても良い位だ。ただ巷間言われているような「本が消滅する」事態にはならないと私は思っている。

 それで思い起こすのはテレビが出てきたときの『映画』との関係である。1958年に11億27百万人あった映画の入場者数がテレビの出現によって1996年には1億2千万人を割り込み『映画滅亡論』が囁かれるまでに衰退した。しかしその後徐々に増加に転じ2004年には1億7千万人までに復活、2006年には公開本数で邦画が洋画を逆転した。21世紀になって映画の入場者数が増加したのはハリウッド製の超大作映画の影響が大きかったがやがてこれも淘汰され良質の邦画が地道に映画産業復興の力となっている。
 これと同じことが出版・書店の業界に起るに違いない。
 映画復興の大きな力になった『シネコン』のように『大型書店(チェーン)』への書店の収束は今後益々加速するだろうし『テーマパーク化』へ変化していくだろう。パソコン、携帯電話、iPAD(などの新モバイル端末)とのすみ分けが進み『データベース的情報』は出版物から姿を消すに違いない。データベース的でないもの(総量の把握が必要なものや望ましいもの)が『本』として生き残り装丁の凝ったものが増えるだろう。
 
 しかしそもそも国土がバカでかく本の流通が困難なアメリカの、必要性に迫られた発明である電子書籍が、身近にいい本屋さんがあり『文庫本』という絶妙な携帯スタイルが定着している我国でそんなに必要とされるかどうかは疑問であり長い眼で見れば『電子書籍』はそれほど脅威でないかも知れない。

2010年5月24日月曜日

自由放任と公正

 21日に対照的な経済事件が報じられた。ひとつは「NTT東日本、西日本などが発注する光ファイバーケーブルや関連部品の販売をめぐるカルテル疑惑で公正取引委員会は、住友電工、古河電工など5社に対し、独占禁止法違反(不当な取引制限)で排除措置命令と総額160億円の課徴金納付命令を出した」というもの、もうひとつは「近畿運輸局は、初乗り運賃500円の継続を求めた大阪府などの『ワンコインタクシー』の法人3社と個人3人の申請を認めず、550~650円に値上げするよう通知した」という報道である。
更にこの日株価(東京証券取引所の日経平均株価)がギリシャ危機の動揺や円高の影響で大幅下落、1万円を割り込む9784円54銭の年初来安値をつけている。

 カルテルについてはその2日前の19日、EUの執行機関・欧州委員会から日韓を含む主要半導体メーカー10社が、半導体メモリーの価格維持を図るカルテル行為を行ったとして約370億円の制裁金支払を命じられたばかりであり、この中にはNEC、東芝、日立製作所、三菱電機、エルピーダメモリが含まれている。
 カルテル違反はこの数年間頻発しており多額の制裁金の例だけでも10指に余る。一方リーマンショックに端を発した2008年9月以降の金融危機はアメリカを中心とした投資銀行による不正な金融商品の開発・販売が原因であったし、現在進行中のギリシャ危機は南欧諸国の放漫な財政運営による将来のソブリンリスク(政府債務不履行リスク)を見越したファンド資金の逃避によるギリシャ経済の破綻によるものである。

 グローバル化が不可避な現在の世界経済は資本主義市場経済と民主主義が前提になっている。市場は自由放任だけでは正常に機能しない、公正な競争が保証されなければ暴発して甚大な制裁が下るシステムである。こんなことは小学生でも知っている基本原則であるにもかかわらずどうして国を代表する超大企業が繰り返し違反、不正をするのだろうか。そしてギリシャ危機は国までもが国民にたいして不誠実な違反を犯す事態に至っていることを表している。

 これらとは正反対なのがワンコインタクシーへの行政介入であり「規制による不公正」であることは、これによって『誰が喜んでいるか』を考えれば明らかだろう。

2010年5月17日月曜日

身辺瑣事

 毎朝散歩する公園に立派な欅(ケヤキ)がある。二十米近い高さと放射状に広げた枝ぶりは優に十米はあり他を圧っしている。もうとっくに若葉をつけていい時期なのに今年は連休が明けてもまだ一枚の新葉もみせない。ほかの落葉樹は皆青々と新緑に包まれているので余計気になっていた。ところが先週月曜の朝、いっぺんにすべての枝々に新葉がついたのだ。幾本かの枝から順々にでなく一斉に、全枝に柔らげでうす緑で透けるような葉っぱが吹きだしていたのだ。言いようのない嬉しさが胸に溢れた。「春がきた!」。

 この公園に昨年秋のはじめころからリハビリで歩いている男性がいる。7時過ぎから1時間ほどかけて野球場の外周を一歩一歩ゆっくりゆっくり歩いている。右足を踏み出してから麻痺している左足をステッキに身を預けて引きずるように前へ出し又右足を、という繰り返しで辛抱強くリハビリしている。それが半年も経つと最初の頃の痛々しい様子がスッカリ影を潜め、確実にリズムをもって歩けるようになっていた。「早く歩けるようになりましたね」と声を掛けると「お陰様で」とはにかみながら満面に笑みを浮かべた。それからは挨拶以外にも数言交わすようになった。医者はリハビリの指示をするだけで褒めも励ましもしてくれない、と不満をこぼしていたから私の一言が嬉しかったのかも知れない。
 一昨日は体調が思わしくなかったので野球場外周走をしないで帰ろうと思っていたら彼がいつものように一所懸命リハビリしているのが目に入った。「やっぱり今日も走らなきゃ」。

 平家物語の祇王の段に『されば後白河の法皇の長講堂の過去帳にも「祇王、祇女、仏、とぢらが尊霊」と、四人一所に入れられけり、あはれなりし事どもなり。』とある長講堂が我家の檀那寺である。その長講堂で法然上人八百年大遠忌、長講堂開基後白河法皇御忌が行われた。浄土如法経法要次第長講堂様式に則り舞楽や雅楽の奉納、美しい魚山流声明での読経など厳かに執り行われた。勅封の法皇御影(模写)も祀られ古式ゆかしく進行のうち、突然あちこちで写メやデジカメでパシャパシャやりだしたのだ。ほとんどが60才を超える紳士然淑女然とした当堂の信者さんばかり。昔人間には信じられない光景だがこれも今風なのかもしれない。「老いも若きも…」。

2010年5月10日月曜日

熱き心に

 萩原君。/何と云っても私は君を愛する。さうして室生君を。それは何と云っても素直な優しい愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを保ってゆかれる愛だ。此の三人の生命を通じ、縦(よ)しそこにそれぞれ天稟の相違はあっても、何と云ってもおのずからひとつ流の交感がある。私は君達を思う時、いつでも同じ泉の底から更に新らしく湧き出してくる水の清(すず)しさを感じる。限りなき親しさと驚きの眼を以て私は君達のよろこびとかなしみとを理会する。さうして以心伝心に同じ哀憐の情が三人の上に益々深められてゆくのを感ずる。それは互の胸の奥底に直接に互の手を触れ得るたった一つの尊いものである。

 私は君をよく知ってゐる。さうして室生君を。さうして君達の詩とその詩の生ひたちとをよく知ってゐる。『朱欒(しゅらん)』のむかしから親しく君達は私に君達の心を開いて呉れた。いい意味に於いて其後もわれわれの心の交流は常住新鮮であった。恐らく今後に於ても。それは廻り澄む三つの独楽が今や将に相触れむとする刹那の静謐である。そこには限の知られぬをののきがある。無論三つの生命は確実に三つの据りを保ってゐなければならぬ。然るのちにそれぞれ澄みきるのである。微妙な接吻がそののちに来る。同じ単純と誠実とを以て。而も互の動悸を聴きわけるほどの澄徹さを以て。幸に君達の生命も玲瓏乎としてゐる。(略)

 萩原君。/何と云っても私は君を愛する。さうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新しく生れて来た二つの相似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ。/又更に君と室生君との芸術上の熱愛を思ふと涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。さうして又私の歓びである。/この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。               
大正六年一月十日                                  北原白秋 
                           (萩原朔太郎詩集《月に吠える》・序より)

 互いの天稟(才能)を認め、至上の理念への崇高な同志的結合を熱告する高揚感。今の日本に最も欠落しているものである。

2010年5月4日火曜日

検定教科書は必要か

 常々お笑い芸人やテレビの女性タレントがニュースショーでシタリ顔でコメントするのを苦々しく思っていた。しかしよく考えてみるとこれは私の「権威主義」のなせるわざであって、政治や経済、また社会問題などに関して彼らは公共の場で意見を言う立場にない、と決めつけているからに他ならない。
 
 権威について言えば「先生」はむかし、間違いなく「権威」であった。学校が『唯一の知の源泉』であり先生は地域で最も高学歴の存在であり尊敬の対象であった。知識や教育は「学校の独占事業」で先生はそのエリート社員であった。そうでありながら教科書が中央政府の官僚組織による「検定」を受けなければならなかったのは、後進国特有の中央集権的国家体制のせいであり、最も中核的な教育手段である教科書は少数の「トップエリート」の専任事項として神聖不可侵の『権威』としなければ『効率的教育成果』を達成することは困難であると思い込まれていた。

 しかし今や状況は一変した。教育機関や知識(学問)を発信するメディアは多様化し学校はその一つに過ぎなくなった。住民の学校へのニーズは複雑化し先生以上に高学歴の地域住民も多くなり先生はそれだけでは尊敬の対象にはなりにくい状況になっている。価値の多様化に対応できなくなったうえに文部行政の『理念なき改革』が現場の混乱に追い打ちをかけている。

 ここに至って『全国一律の検定教科書』は必要だろうか。一握りのトップエリートがこの混乱を収拾できるのだろうか。少なくとも『地方の特性』を取り入れる時期なのではないか。北海道の児童生徒が「アイヌ民族」の歴史的過程を理解し、沖縄や九州で東京より近しい朝鮮や台湾との交流を知らずして『今日』を認識することは可能だろうか。折りしも沖縄・普天間基地問題が沸騰しているが沖縄の人たちと内地の間に問題意識に温度差があるのは当然だが、教科書がその差異に対応しているとはとても思えない現状をこのまま放置しておいていいのだろうか。
 
 「(学問は)進歩すべく運命づけられている(略)いつか時代遅れになるであろう(略)これは、学問上の仕事に共通の運命である」。M・ウェーバーが「職業としての学問」で述べている『謙虚さと畏れ』こそ『職業として学問』に携わるものの必須条件ではなかろうか。