2021年12月27日月曜日

「戦争」という言葉の具体性について

  専守防衛だったはずのわが国の自衛権がいつの間にか集団的自衛権行使容認に憲法解釈が変更され挙句の果てには「敵基地攻撃能力」という「先制攻撃」とどこが違うのか通常の思考能力では判断のつかないロジックを展開するまでに右傾化は止まるところがありません。さらに元総理が「台湾有事は日本の有事」と中国を煽るような言辞を弄するに至ってはもはや「敗戦」も「被爆国」という反省もこの国のどこにも存在しないような政治状況を呈しています。彼らは「戦争」というものにどんなイメージを抱いているのでしょうか。まさかゲームのようにどんな惨禍も一瞬に「リセット」できるとは考えていないでしょうね、思考力も想像力も未熟な子どもではないのですから。

 

 昭和は戦争の時代でした。そんな昭和を八万余のあまねく国民の短歌の集積で後世に伝えようと1980年講談社が『昭和万葉集』というかたちにしました。12月13日の「歌のちから」で戦争の「酷(むご)さ」については述べましたのでここでは帰還を待つ人ひとのこころから復興を果たした後の心情をたどってみようと思います。

 

※ 片腕は遂に見あたらぬ戦友を火葬に付して骨抱きかへる(羽生嶺草史)

 戦争が殺し合いであることはこの首で十分わかるはずです。

 

※ 大きな骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝)

 原爆投下直後の惨状です。今もし戦争になれば広島に投下された何十倍何百倍破壊力のある原爆がミサイルに搭載されて敵国を破壊するのです。トランプ元アメリカ大統領は小型核弾頭開発を進めようとしましたがそれでも放射能の酷さは広島長崎の経験で明らかですし後遺症の過酷さは原爆資料館を見れば皮膚感覚で分かります。アメリカの核の傘に守られていると安心していても仮想敵国の核攻撃は容赦なくわが国を襲うでしょうし最初の一発で止めることができたとしても被害はわが国土の多くに及ぶことでしょう。戦争を現実問題として捉えている人たちは沖縄のアメリカ海兵隊基地がまず攻撃されるであろうと想定しているようですが、狡猾で冷酷な仮想敵国の司令官なら最初の一発で横田基地を攻撃しわが国中枢を壊滅して機能不全に陥らせようとする可能性は決してゼロではないはずです。アメリカや中国、ロシアのような国土の広大な国は不可能ですが韓国や台湾やわが国ような狭小な国土の国は一発の核弾頭(=原爆)で「沈没」させることは至って簡単なのです。想像力を働かせば現代において抑止力も戦争も「現実性」の乏しい「仮想」に過ぎないのです。

 

※ 俘虜郵便まさしく夫(つま)が手蹟にて今朝は独りの吾を粧ふ(杉井 良枝)

隣室に妻が帯とく音きこゆ幾年ぶりにわれ還り来し(石井 親一)

戦場の仮寝の夢にむつみしを人妻となりて君やつれゐる(塩井 三作)

 戦地と内地に引き裂かれ切々と思いを抱きつづけた夫婦。生きて還れたよろこびに満ちた夫婦のある一方で、誤った死亡公告や遅すぎた帰還のために愛しい妻が第二の結婚生活を止むなきにされていた例も決して少なくなかった、こんな哀しみはもう誰にも経験させたくないのです。

※ 死にざりしこのうつそみは亡びたる国のあはれをただに見てゐる(水上すゞ子)

黄昏の庭にまさしく子は立てり現身生きてあな還りきつ(西川 定子)

玉音に泣き伏しゐしが時ありて児らは東京へ帰る日を問ふ(永山嘉之)

飯櫃(めしびつ)を机代わりにこの夕べ読み書きしてゐるわが幼な子よ(山尾 悠光)

 還って、見た故郷は無残な廃墟と化していた。虚脱したこころを奮い起して我が家に立てば、黄昏の薄明の中に夢幻のごとき我が子をみて無言で迎える母の姿があったのです。それからつづく敗戦の苦難、そんななかで救いは無邪気なこどもたちの底なしの生命力です。

 

※ いきどほり怒り悲しみ胸にみちみだれにみだれ息をせしめず(窪田空穂)

いきどほりに似るこのすべなさよ煮魚の骨も鱗もかみつくしたり(阿部 愛次郎)

もう二度とだまされぬぞ と思ひながら今も何か だまされてゐるやうな(新藤達三)

 敗戦の悔しさをどう表現していいのか、おとなたちは心のやり所に戸惑いをみせます。己の不甲斐なさ、信じたものに裏切られた口惜しさ。ギリギリと自分を責めるしかないのです。

 

※ あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ(川上 肇)

  街々にあかるく電灯ともりたりともしびはかくも楽しかりしか(大浜 博)

 無念と虚脱のときの後に徐々に復興への道が薄ぼんやりと開けてきます。

※ 遠き人ゆたびし玉子のさえざえと白きはだへは貴(とふと)み眺む(時井 静江)[たびし…贈られたの意]

  パンパンガールにて身を過すパンパンガールの服を縫ふわれのごとき生業のあり(八木下 禎治)

 生きて帰ってとにかく手についた生業をはじめる。しかし新しい衣装をあつらえるお金など超インフレの戦後経済の中で日本人にあるはずもなく、進駐軍にかしずく真っ赤な口紅で装った若い女性しかなかったのです。

 そんな殺伐とした飢餓状況で貧しいながらも助け合って生きていく庶民たち。疎開先でお世話になった農村の友人からなのでしょう、当時は貴重だった鶏卵を送ってくださったその温情は心に沁みたにちがいありません。

 

※ 自動扉の厚き硝子に入りてゆく蝶あり昼のまぼろしとして(斎藤 祥郎)

贅沢になりたる子よと寂しみて皿に残ししもの夫(つま)と食ふ(松井 阿以子)

新築の我が家成りて古妻と涙ぐましき半生思ほゆ(斎藤 弥生)

腰押されのぼる坂道ふと思ふ一人往かねばならぬ坂あり(四賀 光子)

 戦後復興は意外にも早くやってきました。昭和31年度(1956年)の経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言したのです。「艱難辛苦」という言葉は知っていても真実を実感として知っている人はもうほとんどいないでしょう。しかし戦後の復興は筆舌に尽くしがたい苦難のもとに達成されたのです。でも決して『絶望』したことはなかったように思います。皆が等しく貧乏でしたし明日に希望を見ることができましたから。

 

 格差に分断された現在のわが国ですが、かといってそこからの脱出を誰かの「強大な力」にすがって図ろうとするのでは戦前と同じ道を辿ることになります。そんな愚を犯しては生命(いのち)を捧げて下さった同胞のかたがたに顔向けができません。ここが踏ん張りどころなのです。「若い人たち」の力を頼りに「新しい日本」をつくり出さねばならないのです。

 

 この号で今年のコラムを終了とします。ご愛読ありがとうございました。もっともっと本を読んで、思索を深めてコラムの完成度を高めていきたいと思っています。

 どうぞ良いお歳をお迎えください。

 

 

 

2021年12月20日月曜日

今年読んだ小説

  今年も小説(文学)を堪能しました。主に日本の近代小説と現代小説ですが海外文学、古典(古文)も少々かじりました。読書力がついたのか長編も数冊読むことができたのが今年の収穫です。眼もまだ衰えがみられませんから来年はもっとどん欲に読書を攻めたいと楽しみにしています。

 

 今年は意識して旧い作家の文学を読むようにしました。鴎外、漱石はもとより泉鏡花、幸田露伴など近代文学の先達、吉川英治、井上靖ら昭和の人気作家の作品にもふれました。そしてつよく感じたのは彼らの文学(文章)修行が並大抵でないということです。現在の一部人気作家の拙劣な文章をみると彼我の差はあまりにおおきい。なぜかと考えるにひとつは文壇の存在――師匠と弟子(親分子分)の徒弟関係で厳しく文章修行をしつけられ師匠のお許しがないと作品発表の場が開かれないという過酷な条件で磨かれたからこそデビューする作家は皆一定レベル以上の文章力を有していたのだと思います。出版不況と言われながら毎年夥しい新人作家が量産される現状では玉石混交になるのは当然で残念と言わねばなりません。

 もうひとつは「漢文」と「古典」の素養があげられます。日本語は漢文がまずあってついで「やまと言葉」が書き言葉に加えられたのですから、現代文といえども習得するためには漢文・古文の修業が必要になるはずですがどうもその方がなおざりになっているようです。その結果日本語劣化の顕著な現象が「カタカナ語」の氾濫に表れています。明治の人たちは輸入した外国文化をすべて「日本語化―漢語化」しました。いまある「概念語」の多くは漢語になっていますが明治人の努力の結晶です。中国や韓国の会話のなかになじみの日本製漢語がたびたび出てくるのは漢字文化圏の人たちが「日本語化」された「漢語」をそのまま使っているからです。明治大正のころ、わが国が東アジアの文化と経済の中心地であった誇らしさが消えてしまったことはかえすがえすも残念です。

 

 ここ数年、私の読む小説の半分近くは「女性作家」の作品になってきました。これまでも与謝野晶子、岡本かの子、馬場あき子らそんじょそこらのへなちょこ男性文士など足元にも及ばない卓越した文学者が存在しましたし樋口一葉は漱石も鴎外も認めた近代文学最高の名文家なのですから女性文学の隆盛は今さらではないのですが、今年も角田光代、杉本苑子、村田喜代子、小池昌代、朝倉ますみなどの秀れた作品を堪能しました。なぜ女性の作品が面白いかと考えるにテーマに取り組む姿勢が日常的でリアリティに溢れていることが上げられます。老い、孤独、貧困・格差、LGBT、性と生殖などを彼女たちは身じかなものとして物語化しているのに対して、たとえば古井由吉の老いの表現は内向の世代らしく深層に沈潜して練りに練られた表現になるから静謐な訴えになっています。ところが村田喜代子の『姉の島』や朝倉かすみの『にぎやかな落日』は方言を採用し南の孤島や北海道の土俗をベースに物語りますから訴えが直接でカラッとして、でも読後は老いに対して前向きにつき合っていこうという力を与えてくれるのです。

 もうひとつ特徴として表れているのは「擬古文」と今述べた「方言」を文章に取り入れている作家が増えてきたことです。擬古文――古語ややまと言葉を文章の一部に挿入したり全体を古文調で表現する作品です。池澤夏樹『ワカタケル』、高樹のぶ子『業平――小説伊勢物語』、杉本苑子『華の碑文』などを読みましたが、まだどの作家も実験段階のようですが古語とやまと言葉のもつ「ふるめかしさ」と「古層的」なひびきが効果となって「距離感」と「土俗的な深層心理」を刺戟する独特の文体になっています。この傾向は今後いろんな作家に試みを誘うことでしょう。

 

 ところでなぜ「方言」と「古文」が文学に採用されるようになってきたのでしょうか。それは現在のわが国の言語状況がきわめて危機的状況にあるからです。好むと好まざるとにかかわらず「SNS」が生活を侵食しています。短文形式が基本であるこのツールは、もともと不完全な「ことば」、言葉より一層完成度の低い「文字」を字数の極端な制限によってその「あいまいさ」をなお一層拡張して日本語を劣化させたのです。ことばと文字への信頼性が低下して「伝えたいこと」が本当に「伝わっている」かの安定性を「話者」たちの間で共有できていないのです。

 そこで多くの人にとって新鮮な「方言」と「古語―古文」を使って文章をつくってみよう、そういう試みに作家たちが挑戦し始めたのではないでしょうか。方言には手垢のついた標準語にはない地域固有の意味が言葉に貼りついていますし古語は原註を付加して意味を限定できますから受け手とのあいだの齟齬を防げます。さらに方言も古語も「土俗的な古層」をまとっていて読者との間に「なつかしい深み」が共有でき、「現在と過去」を結合した関係性を構築できる効果があります。可能性豊かな挑戦だと思います。

 

 全体的な印象はこれくらいにして今年読んだ小説でおすすめしたいいくつかを紹介しましょう。

 室生犀星『かげろうの日記遺文』(講談社学芸文庫)、松家仁之『泡』(集英社)、村田喜代子『姉の島』(朝日新聞出版)の三篇を今年のトップ3にしました。

 『泡』は上記した今年の傾向とは関係のない純粋に文学的に私の好きな作品です。登校拒否になった高二の男の子・薫が大叔父兼定の営む湘南のジャズ喫茶で夏の間を過ごすうちに店長の岡田も混(まじ)えた少年、青年、初老の三世代の男の交流のなかで「居場所」――心のよりどころを見つける青春小説です。透明で清澄な文体がジャズ的なリズムを伴ってキレイな小説になっています。

 『姉の島』は女性作家の方言を活かした「老い」を描いた作品です。長崎の離島・魚見島の老海女が85才になって古代神話に由来する「倍暦」を与えられて老いた海女仲間でささえあいながら迫ってくるそれぞれの老いと対していく姿を描いた長寿と死の物語であり終わりのない戦争の物語にもなっています。方言の効果を活かして奥深い感興を得ました。

 『かげろうの日記遺文』は『蜻蛉日記』の中に僅か数十行しか描かれていない町の小路の女〈冴野〉と紫苑の上、時姫(正室)の兼家をめぐる三人の女性それぞれの思慕を描いた小説です。古語と古文の文体を多用した表現は川端康成をして「言語表現の妖魔」と言わしめた完成度の高い表現は現在作家が挑戦する新たな「擬古文」小説のめざすべき「頂点」といっていい作品です。

 

 最後にこれは小説ではありませんが4月から京都新聞で始まった井上満郎・京産大名誉教授による『渡りくる人びと』は、京都を中心とした渡来人についてのコラムで朝鮮半島や中国との歴史的交流を平易に説きおこして故なき「ヘイト」を諄々といさめる、現在が必要としている本格的な学びの文となっています。ぜひ一読してほしい名コラムです。

 

 来年はどんな小説に出会うでしょうか、楽しみです。

 

2021年12月13日月曜日

歌のちから

  本を読んで泣くなどということはこの齢になればもうないだろうと思っていました。心の奥底に沈んで錆びついてしまっている琴線は震えることを忘れているだろうと思っていたからです。ところがこの本を読みすすむにつれて涙が何度もなんども溢れそうになるのをおさえることができなかったのです。1980年に講談社が『昭和万葉集』を刊行しました。昭和1年から半世紀に及ぶ激動の時代につくられた8万2千首の短歌を全20巻(別巻1巻)にまとめた大アンソロジーです。そのうちの秀歌を小野沢実が選び鑑賞した『昭和は愛(かな)し』(講談社)という本がそれです。少し前に『権力と出版』(魚住昭著講談社刊)を読みました。講談社を創業した野間清治とその一族の評伝と講談社の社史を扱った本ですがなかに『昭和万葉集』刊行の経緯が書いてあり興味をもって『昭和は……』に出会ったのです。残念なことに1990年発行で絶版になっていたのですが古書店で手に入れました。

 

 残さるるひとりさみしと言(こと)にいはず子呂(ころ)欲しなどと僅かに告げぬ(水島まゆみ)

※ 生きて帰って下さいとは言えず夫の胸に顔を埋め、ささやくように「子が欲しい」としか言えなかった出征前夜のつつしみ深い日本の典型的な妻の歌である。

 歓送の響(どよ)めくなかに手を握り真幸(まさき)くあらば妻よ相見む(福川徳一)

※ 妻との別れの心の乱れのすべてを整理し切って、プラットホームの歓送のどよめきに立った兵士の姿である。送ってくれる一人一人にていねいに礼をしつつ、最後にこの時代としては異例でさえある妻の手を人前で握り、「真幸くあらば……」と胸を張り思いを込めて妻の眼を見得た武人としての潔さ。

 後影(うしろかげ)つひに消ゆれば走り入り今はすべなし声あげて泣く(沼上千鶴子)

※ 最愛の人のしだいに遠ざかる姿、ついにそれが視界から消え去った瞬間。名誉の出征に涙を見せることは憚られた、だから人前では気丈に振舞った妻が人目を避けて、堰を切ったように突き上げる激情に身を投げうって声をあげて泣く。

 草ぎりてゐし老(おい)が起(た)ちて叫びたり生きて帰れとたしかに聞きぬ(大塚泰治)

※ なつかしい故郷の山河が後方へ走り去っていく車窓。夏草の間から除草作業にふけっていたにちがいない老農夫がとつぜん腰を伸ばして立ち上がり大きな声で「生きて帰って来いよぉ」と叫んだように聞こえた。決して言ってはならない心底の真情を老い先ない父なるひとがみなに代わって叫んでくれたのか。

 

 鑑賞文は字数の都合から意訳していますから原文ではありません。作者の確たる筆力による縷々とした名文を読むと歌の力と相まって涙をさそうのです。

 赤紙がくると有無を言わさず戦場に送り込まれます。戦争も末期ともなれば生きて帰れる確率はきわめてゼロに近いことを国民のすべては覚悟していました。でありながら「おめでとうございます」「ありがとうございます」「お国の為にがんばって参ります」とうわべの言葉だけが行き交う虚しさ。出征前の夫婦の閨でさえ真情を吐露できない切なさ。「生きて帰って来いよぉ」と叫んだ老農夫の叫びの歌がこの集になかったら「救い」はなかったでしょう。

 

 うつしみの人の身ながら国の仇とうつしみの人を斬りにけるかも(池尻慎一郎)

※ 初めておのれの手で人間の生命を奪った者の声。「うつしみ」をくり返すことで夢幻であってほしいという心の痛みが際立ちます。しかし現実は「国の仇」と斬らねばならなかった悔恨の思いは心の傷となって生涯ぬぐえない、生やさしいものではないのです。

 片腕は遂に見あたらぬ戦友を火葬に付して骨抱きかへる(羽生嶺草史)

※ 爆弾で吹っ飛ばされてしまった屍体の腕が見あたらない。焼いてしまえば灰になるのは同じだけれども友の体は五体揃えて葬ってやりたい。涙をこぼしながら必死に探したにちがいない、けれども「遂に」見つけることができなかった、死に報いることがかなわなかった虚しさを友を思う心が温かみをもった歌にしていて無惨さを弱めてくれています。

 

 このあと「死」「敗戦」「平和」「生還」「欠乏」「建設」「経済大国」と昭和の短歌はつづくのですが8万2千首のあまねく日本人の心の叫びを『万葉集』と同じように後世に伝えていく責任があるのではないでしょうか。それにしても詩歌の力は偉大です。これがもし散文であったら老いた心を融かすことはなかったでしょう。

 

 ところで安倍元総理が「台湾有事は日本の有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を、習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と発言したと報じられています。中国が台湾を暴力的に支配下に置こうと行動し米国がそれに応じた場合、日本も米国の同盟国として中国に対抗する――ということは戦争行為で中国に応じる、と安倍さんは言っているのです。彼にどうしてこんな重大な発言をする権利があるのでしょうか。自衛隊に所属する若い日本人――私や友人知人の子どもや孫の命を台湾と中国の戦争にどうして差し出さなければならないのでしょうか。

 もし岸田総理や政府の要人がこれと同じ発言をすれば大変な問題になることでしょう。しかし安倍さんは一般人ではありません。衆議院議員でありなにより元総理です。そして総理退陣後も院政(?)をしいて――自民党最大派閥の長になり権力を露にして存在感を高めています。中国とすればとても無視できる存在ではありませんし、発言の重みは「日本政府に近い」要人の発言として捉えられるのはまちがいないのです。あまりに軽率ですが、いやそれが「狙い」だというのならはっきり言っておくことがあります。

 

 安倍さんの言葉で、自分の子どもや孫、友人知人の子どもや孫を、アメリカの同盟国として戦争させることは絶対にありません。アメリカという国を信用していませんし、非戦闘員に無差別攻撃し原爆を使用した「非人道的行為」を許すことはできません。アメリカは中国の人権を問題にする前に自らの「非人道的行為」への反省と謝罪をまず行なうべきです。

 『昭和万葉集』の歌を読んでそう思いました。

 

2021年12月6日月曜日

老いについての断章〈21・12〉

  夕食が終わって私がテレビを独占すると妻は傍らで娘とLINEするようになりました。別に独占するつもりはないのですが7時、8時台テレビはお笑い芸人たちの若い人向けのにぎやかし番組ばかりで老夫婦の見るものがなく録りだめしたドキュメントやドラマを見るようになってしまい興味のない妻はLINEにふけるようになったというわけです。

 ITには無縁だった妻が今年はじめにスマホが欲しいといいだしたのは姉や妹がLINEしているのを知ってひとり置いてけぼりされているように感じたせいかもしれません。教えられるのがイヤだったのでしょう、私が寝た後の10時ころから電話で何時間も娘に手ほどきしてもらって今ではいっちょ前に使いこなしています。先日清水さんへ散歩に行ったときの写真などは私より数段うまく撮っていて娘たちから「お母さんスゴイ」と言われて大層ご機嫌の様子でした。LINEだけでなく買い物決済などにも活用していますが妻のいちばんの恩恵は「かけ放題」の電話でしょう。娘や姉妹と毎日1時間も2時間も長電話を楽しんでいますが「こっちからかけ直すは」というのがお気に入りのようです。

 私は春に買い換えたミニコンポがすぐれもので、YouTubeがBluetoothでとばせるシステムになっていて、おまけにハイレゾ音質なので廉価盤のCDより余程いい音で聴けるのが嬉しくてジャズやクラシックをヘッドホーンの大音量で娯しんでいます。嫁に行った娘の部屋を書斎に設えたおかげで快適に読書が行えるようになったり、晩年に至ってようやく満足のいく生活がおくれるようになり感謝の毎日です。

 

 コロナで知ったことはわが日本はなんと自然に恵まれているかということです。毎朝トレーニングしている公園の樹々が四季折々に見せるたたずまい――あざやかな若葉、満開の桜の散り際のはかなさ、夏葉の生気ムンムンの勢い、赤と黄のあでやかな紅葉、スックとした枯れ木のきびしさとあきる間のない変化ですがそれが朝の濡れた逆光で見ると一段と美しさが際立って「あぁ」と感嘆をさそいます。歩いて十分たらずにある桂離宮も結構そのもので、普段は手入れの行き届いた前庭だけでも楽しめますし、道すがらの古くから住まっておられる地元の方の丹精の庭にある木々も見事で道わきの名も知らぬ草花ともども目を楽しませてくれます。これまでわざわざ遊山にでかけなければ満足できなかった自然をこんな身じかなものとして愛でることができるようになったのはコロナのおかげです。それもあっていまでは書斎に妻が手活けの花を欠かさなくなってくれました。

 二十年ほど前から本は地元の本屋さんで(もと)めるようにしています。Amazon全盛ですが若い店員さんと本の話をするのが好きで節を守っています。識者と呼ばれる人たちが「町の本屋さんの衰退」を論じながらわが身はAmazonの「利便性」を享受している姿への抵抗もあります。しかしそれよりもこのままAmazonに市場を独占されてしまうとAmazonの恣意性に出版事業が蹂躙されてしまうのではないかという大仰な惧れもあるのです。Uber Eatsで出前をとるのに何の違和感も持たなくなった風潮にも馴染めませんし100円ショップはほとんど利用しません。廻る寿司も同様です。「老人の矜持」といえば大げさですがこの姿勢は貫きたいと思います。

 そんなことを言いながら「シネコン」は喜んでいるではないかと言われれば一言もありません。三年ほど前イオンシネマが自転車一〇分のところにできてこれはまことに有りがたいのです。時間は自由な身なので平日昼の部はゆったり映画がたのしめて、音響もいいからシネコンは最高です。

 

 高齢になってのいちばんの変化――不具合は「パニック」です。すべてが予定調和の安定性のうちにないとパニクってしまうのです。免許を返納して自転車が多いのですが、四辻で左から自転車と出会うとギクっとします。安全のために裏道を利用することが多いのですが、住居が立て込んでいて左側は大抵ブラインドになっていますから「見えないところ」から自転車がとびだしてきます。それが「驚き」になってくるのです。左から右折車が切れ込んでくるときなどまさに「パニック」です。歩いているときでも事情は変わりません。

 最近高齢者の自動車事故――アクセルとブレーキの踏みまちがいの事故が多発していますが「予定調和」を破る状況に陥るとほとんどの年寄りは「パニクる」のです。

 

 以前叔父が叔母を亡くしてひとり住まいになったとき、広い家の六畳の部屋に閉じこもるように、すべての立ち居振る舞いをそこで済ますようになり、夏でも置き炬燵の前に座り込んで定位置の座布団から手を伸ばせば届くところにすべての道具を配置してテレビはリモコンですから、トイレに立つ以外はそこに座るか寝転ぶかで一日を過ごしているのを見て唖然としましたが、年寄りの日常というのはそんなものになりがちなのです。

 とにかく「予定調和」、安定感のなかで暮らしたいのです。いや暮らさないと不安なのです。すべてを「ルーティン」化しておきたいのです。

  

 私のルーティンは帰ったら下駄箱の上の鍵入れの箱を開けてキーケースを収め箱の上に自転車の鍵やなんやかやを置いてフタを閉めて玄関に上がるようにしています。あるとき箱の上に自転車の鍵を置いてフト見ると箱が閉まっている。にもかかわらずキーケースはポケットにない。あっ!落とした?忘れた?パニック!ない、ない、無い!ドアを開けて飛び出しそうになって念のため箱を開けてみると「あった!」。今日に限ってキーケースを入れてスグにフタを閉めていたのです。

 こんなことでパニクるのです。しかもしょっちゅうです。

 急に会話や映像(周囲の景色)のリアリティが薄れることがあります。自分が「そこ」に居ないのです。距離感がボヤけてくるのがなぜか「楽」なのです、すべてのものと「間」ができることが心地よいのです。でもスグにそこから「もどって」こないとヤバいのです、認知症にちかづくと思うのです。

 

 老いることはラクです、でもあやうくもあるのです。

 12月2日80才になりました。いたって健康です。

 

 

2021年11月29日月曜日

差別と区別

  溜まりにたまっていたのでしょう。八十才を超したお爺四人が気がつけば七時間くだらない話をしまくって、まだ飽きたらない余韻を残しながら再会を約して別れました。きょうびのことですから二時間ではしごを三軒しながらどれほど呑んだでしょうか。齢は食ってもみな健啖さに衰えはなく安心しました。

 

 そのなかの話題のひとつ。「俺もそろそろおむつのお世話になりそうだ」、これにみなが喰いつきました。この前女房と久し振りに半日散歩をしたんだけど、一時間ごとにトイレに走ったからあきれられたよ。辛抱がきかなくなって、チャックを下ろして子せがれを引っ張り出そうとするんだけど間に合わずに零してしまって情けなくなってしまう、などなど。一応話がおさまりかけたとき「おむつってアウトなんだよ」と一人がつぶやきました。知り合いに奥さんの若年性認知症に苦労した人がいて彼に言われたんだけど、紙おむつって言葉は大変な「屈辱」だそうで最近は「紙ぱんつ」と言い換えるのが一般化していると注意されたという。そうなんだ、なるほどと納得しました。

 もうひとつ。「五体満足」。八十才近くなって初孫をえた友人がいて、とにかく母子ともにつつがなく「五体満足」であればいいと念じていたという。ところが赤ちゃんに軽い障がいがあったそうで、生まれてきた孫にすまないと痛切にあやまったという。どんなかたちであれ、生まれてきたいのちのありがたみに変りはないのだから感謝するばかりだった、かわいいねえ孫はという彼の表情に一点の曇りもなかったといいます。

 

 「京都新聞の連載いいね」「ああ渡来人なぁ」「えっ、君も読んでるの?」「トシ食ったら地元紙だよ、生活情報満載だからね」。彼は経済系全国紙勤務だったのですが……。

 今年の4月から京都新聞で始まった「渡りくる人びと」は元日文研所長・京都資料館長で京都産大名誉教授の井上満郎氏による京都を中心とした朝鮮半島などからの渡来人についてのコラムで一日僅か二百字ですが深く教えに富む内容で毎日楽しみに拝読しています。二週間に一回のまとめ、これがまたいいのです。

 

 連載の中からいくつかを紹介します。

 「高野新笠(たかののにいがさ)と桓武天皇(4月6日)」…高野新笠は桓武天皇の母で、(略)新笠の祖先の百済の始祖(略)母が渡来人であることを強く意識して(略)

 「渡来人と渡来文化の広がり(4月23日)…平安遷都してすぐくらい、嵐山あたりの班田図があります。(略)ほぼ7割までが渡来人、それも秦氏なのです。(略)西日本の古墳時代人は縄文系、つまり純粋な日本列島人がわずかに2または1にすぎず、渡来系が8または9、という割合での混血だというのです。

 「カモ上下神社と秦氏(11月23日)」…賀茂祭は本来秦氏の奉祭だったが、秦氏の女婿となった賀茂氏にこれを譲った、と書いています。(略)渡来と在来の人がともに一つの祭礼を奉仕したことが知れれて興味深いです。

 「藤原貴族と秦氏のつながり①(11月24日」)…長岡京建設の資金を母の実家である秦氏に頼ったという説がでるのです(略)

 

 在日に対するヘイトクライムが一向に終息しません。反中も同じです。外務大臣が外交の席で「無礼です」などという常識では考えられない発言をしたり、外交交渉を地下の倉庫のような部屋でホワイトボードと体育館の折り畳みの椅子と机で行うのですから知識も常識もない一般庶民がいわれのない差別と憎悪のヘイトスピーチをするのも無理のないことかもしれません。それに引き換え上皇様ご夫婦の思慮深く慎みに満ちたお振る舞いと話しぶりには深い知性が感じられて尊敬の念に堪えません。

 桓武天皇にとどまらず上古の天皇家に渡来人の血が濃く混ざっていることは少し歴史を学んだものなら常識です。日本の古墳時代は4世紀ころになりますから聖徳太子のちょっと前、200年もならないころの日本人は、純粋の日本人と渡来人がまじりあってほとんどが「混血人」であったといってもまちがいではないのです。日本の歴史を2700年と考えてもその半分以上は日本人と渡来人の共同作業によって国づくりが行なわれてきたのです。

 京都で最も歴史のある格調高い祭礼として誇っている「葵祭」が秦氏の祭りであったということを知ってみれば、わが国文化の多くの淵源に渡来人の影響があることも想像できます。

 私は現在西京区(京都の右京の西)に住まいしていますが、このあたりは葛野地区と呼ばれていて元々は秦氏の地盤でしたから嵐山の地権者の7割りが秦氏であったことも納得できます。

 

 歴史に無知な人たちが「万世一系」をいいつのりますが、渡来人のことはさておいても「南北朝」とその顛末にどう折り合いをつけるのでしょうか。「無敗の神国」という神がかりは白村江の惨敗や秀吉の朝鮮征伐の失敗を知らないのでしょうか。

 

 『憎悪』は「無知」と「恐怖」から生まれる『差別』の表現です。人類の長い歴史のなかで「西欧の衝撃」から僅か300年の「西欧優位」を盲信して2000年以上の自国や非西欧国の歴史と文化に唾棄した人たちが批判的に西欧文化を評価できるようになるのを祈るばかりです。

 

 

 

 

2021年11月22日月曜日

前人未踏

  大谷翔平選手がアメリカ大リーグのMVP(アリーグ)の栄誉に浴しました。推薦人30人のフルマーク(1位満票)で選ばれたのですから凄いと言わざるをえません。ベーブルース以来の投手打者二刀流で投手9勝、46本塁打、打率0.257、盗塁26という投攻走3拍子そろった活躍ですから、それも野球の世界最高レベルの大リーグでの二刀流ですから非の打ちどころがありません。私がとりわけ貴重とするのは大リーグ選手会が選定する「プレーヤーズ・チョイス賞」で最高の栄誉にあたる「年間最優秀選手賞」を得たことです。いくら成績が優秀でも人望がなければプライドの高いメジャーの選手に評価されませんから日本の選手が大リーグの選手たちから最高の活躍をした選手と称えられたことは何物にも代えられない喜びと感じているのではないでしょうか。

 へそ曲がりのひとは、打率の0.257は並の選手以下だとか10勝を上げられなかったのは見劣りがするとか難癖付ける向きもありますが、WARがゲレーロ選手の6.7に対して大谷選手は8.1と決定的な差で抜きんでていることを知れば彼の偉業には一点の曇りもないことを納得するでしょう。WARというのは勝利貢献指数と呼ばれるもので、「Wins Above Replacement」すなわちそのポジションの代替可能選手に比べてどれだけ勝利数を上積みしたかを統計的に推計した指標です。打率が低くても勝利に有効な時、有効なヒットを打つことが重要だという考えを表した数字ですから、ゲレーロ選手との1.4という差は決定的といっても誤っていないでしょう。

 とにかく大谷翔平という選手は日本でこれまで活躍した野球人の誰よりも異次元の存在であり、それは日本に限らずアメリカでも――ということは世界的にみても前人未踏の活躍をした選手と評価していい選手なのです。

 

 折りしも将棋界に藤井聡太という、これまた前人未踏の存在が現われました。19才での4冠は将棋界はじまって以来の偉業ですし王将戦挑戦も決まっていますから来年には10代5冠も実現性を帯びてきました。気の早い人たちは「藤井聡太時代到来」などと浮かれていますが19才という年齢から最盛期までにはまだ時間がありますから10冠独占などという破天荒もあるかもしれません。そして彼の唯一無二なところは名人も破ったAIソフトに勝つ可能性が極めて高いことでしょう。ディープラーニング系のAIソフトは対戦を重ねるごとに成長しますから人間を凌駕することも理論上は有り得ることで実際に名人も負けたわけですが、彼の差し手はそのAIでも受け手を提出できないことのある「異次元」の妙手もありましたから、彼はすでにAIを超えた存在になっているのかもしれません。

 15、6世紀に成立した日本将棋は以来何億手の差し手の蓄積を重ねてきたか分かりませんが、相手から奪った持ち駒の再利用という世界でも珍しいルールによって考えられる差し手は何兆手になるか判断も覚束ないのですが、彼はAIの考え得る何兆手かの差し手のなかに入っていない差し手を考え得る「前人未踏」の存在と言えるのです。想像力という視点からは「異次元」の境地に至っているのでしょうしこれから更なる「異次元」を現出することになるのは確実です。

 

 前人未踏といえば今年4月プロゴルファー松山英樹が日本男子ゴルファ悲願の4大メジャーのマスターズを初制覇しました。100年近い日本ゴルフの歴史ですが1957年日本で開催されたカナダカップで日本人ゴルファー中村寅吉さんが優勝したころから数えても約70年、どうしても成し遂げられなかった4大男子メジャー制覇がやっと松山選手によって達成されたのですから今年は歴史的な記念の年になります。尾崎も青木も中島も涙をのんだメジャーの壁を松山さんが突き破ったのです。

 ゴルフでいえば渋野日向子さんが2019年の全英オープンを、笹生優花さんが2021年の全米女子オープンを制覇しています。

 テニスの大坂なおみさんも「前人未踏」を達成しています。テニス界のグランドスラム――国際テニス連盟の定めた4大大会の全米、全豪オープンを各2回制覇しました。男子の錦織選手がもうちょっとのところで手の届かなかった優勝を大坂選手が達成したのですから偉業です。

 偉業と言えばフィギアスケートの羽生結弦選手も忘れられません。ソチ、平昌の2大会で優勝した「前人未踏」の異次元の選手です。

 

 大谷翔平1994年生まれ、羽生結弦1994年生まれ、藤井聡太2002年生まれ、松山英樹1992年生まれ、渋野日向子1998年生まれ、笹生優花2001年生まれ、大坂なおみ1997年生まれの若い「前人未踏」「異次元」の人たちの共通項に気づかれているでしょうか。

 いづれも現代日本の標準的な学歴コースから逸脱した人たちです。藤井さんは高校中退ですし松山さんは東北福祉大学のゴルフ部卒業と言っていいような学歴、羽生さんも早稲田大学出身ですが松山さんと同じようなものではないか、その他も学歴的に目立ったところのない人たちです。彼らの素質と才能は「標準的な学歴コース」から外れたところで培われ成長したのです。

 

 現代日本の学歴コースは旧帝大を頂点とした単線のヒエラルキーになっています。旧帝大というのは単純化すれば優秀な官僚養成を主眼とした大学でした。明治維新に「西欧の衝撃」を受けたわが国は西欧化を短時日に達成することを必須の課題として学制を策定しました。第二次戦争後も壊滅した国土再建という課題を達成するという意味で維新と同じ学制が有効でした。官僚が西欧というお手本を効果的に実現する主導者として頂点に立ち、実行者は定められた機能を果たす能力に長けて――画一的で、レベルが一定以上である人材を効果的に育成するシステムが要求されたのです。その結果は明らかで、壊滅的な被害を被った経済を短時日で再建し、そればかりか世界第2位のGDPさえも達成するに及んだのです。

 しかしバブルがはじけて、新資本主義のグローバル化の進展のなかで新しい価値の創出という意味の「イノベーション」が無ければ成長が望めない経済状況になると、旧帝大頂点の単線型ヒエラルキーの学校制度と「大学入学共通テスト」では「新しい価値創出能力」の養成と判定は不可能になったのです。

 

 多様な能力を発見し養成することが必要になった現在では旧帝大モデルは不適当なのです。そしてその制度で養成された能力を判定する大学入学共通テストを目標とした学校、塾、予備校のシステムは時代に即さない、むしろ悪影響の方が多い「諸悪の根源」と言っていい制度に成り果てていることに気づかねばなりません。

 

 わが国にきっといるにちがいない新しい才能を発見し正しく養成する学校制度を早急に樹立する。大谷翔平さんや藤井聡太さんはその必要性をはっきりと訴えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年11月8日月曜日

不安の時代

  風邪をひいてしまいました。ここ数年、風邪気味になっても早めの葛根湯と体力で医者にかかることもなく乗り越えてきたのですが今回は微熱、鼻水としつこい咳に悩まされてお医者さんの世話になり結局スッキリ全快するのに十日余り費やす体たらくでした。原因は分かっているのです。薄着で自転車に乗って買い物に出かけて、寒気を感じたのですが上着を取りに帰らずそのまま走り続けたのが悪かったのです。去年まではこの季節同じ服装で過ごしていたので大丈夫と高をくくった報いです。八十才という老いの曲がり角という自覚と用心を怠ったのが禍したのです。

 悪いことは重なるものでめったに寝込んだことのない妻までが目まいと吐き気が酷く食事も取れない状態に陥ってまるまる一日寝込んでしまったのです。以前軽いメニエルという診断を受けていたのをここ五六年事なきを得たので安心していたのですがやはり八十才ちかくなって体力が衰えたのか、急な冷え込みもあって再発したのでしょう。

 私は寝込むほどでなかったので簡単な家事はでき支障なく生活は営めたのですが、考えてみれば八十才ともうすぐ八十になる妻の老夫婦二人暮らしですからこんなこと――老いたふたりが寝込んでしまって食事の用意もできない事態になる可能性は決して少なくないと考えて当然なのです。これまで恙無く健康で来られたのが例外なのであって、どこかが悪くて医者通いしている夫婦が普通といってもいいかもしれないのです。そう考えると不安になって近くの「地域包括支援センター」へ相談に行くことにしました。

 

 夫婦二人が寝込んでしまって食事の用意もできない、そんなとき一日二日身の回りの世話や食事の用意程度をヘルパーさんにお世話してもらうことは出来ないのか。そんな相談を応対に出てくれたセンター長さんにしたのですが結果は「ノー」でした。介護保険の適用を受けるためには申請を出して審査を経て最低でも「要支援1級」に認定されないと適用対象と認められないのです。われわれ夫婦のように障害も持病もなく生活に不都合のない場合は「要支援」となることは無いのが現実なのです。食事については「高齢者配食サービス」があって申し込み翌日からはサービスが受けられるシステムがあるようです。

 結局介護保険を利用することのないように日頃から運動、食事、睡眠に心配りして健康にはげみ、病や障害で生活に不便を来している老人に「乏しい介護資源」が投入できるように高齢者同士が努めることがのぞましいのです。このセンターでは8人のスタッフで地域の6000人の高齢者に対応しているそうで、今回の私の場合などは「身内と地域」で対処するしかないのが現状なのです。「遠くの身内より近くの友人」を心がけて日頃から老人クラブなどへ参加することが望ましいと助言されました。

 私たち夫婦は老いこまず誰の世話にもならず健康に自立して生活したいと努力してきましたから、老人クラブなど思いもしなかったのですがこうなるとそんな「意地」がかえって逆効果だったようです。でも運動、食事、睡眠に注意して健康で充実した生活を享受したい、この「意地」はなんとか通したい。不安を感じながらもまだ強がってみるのです。

 

 不安といえば数日前、山科で長男の就職を心配して訪れた両親をその長男が刃物で刺し殺した事件がありました。60才半ばの親を40才手前の息子が殺したのですがこれも「8050問題」のひとつなのでしょうか。高齢の親が中高年の子どもを支える8050問題は非正規雇用の拡大と就職氷河期問題が重なって緊急を要する問題になっています。この親子がそうなのかどうかはまだ明らかになっていませんが似たような構図であるのはまちがいないでしょう。親が仕事を離れて年金生活に入っても子どもに定職がなく親の年金頼りで生活しなければならない、そんなケースが社会問題化するほど深刻になっているのです。なかには「引き籠り」という場合もあるようで問題は複雑です。

 

 さらにコロナ禍で働く女性の「自殺が3割増加」したという報道もあります。コロナで雇止めやアルバイトの時間が減少して所得が大幅にダウンして生活困窮に陥るという事情があるのです。「2021年版自殺対策白書」の伝えるところでは、男性は11年連続減少していますが女性は千人近く増加しているようです。非正規雇用の女性だけでなく学生も増加しているのはコロナで対面授業がなくなって友達ができず孤立して、両親の仕送りも途絶えて学業を続けられなくなったりしても相談もできず自殺にはしったのでしょうか。

 

 20年以上不景気が続いていたのがコロナ禍でなお一層景気が悪くなった現状を回復させるのは至難の技です。しかしここで考えるべきは、不景気の大元である消費を本格的に増加させるには小手先の現金給付だけでなく、安定して将来見通しがつけられるような経済状態に多くの国民がなるような施策を講じる必要があります。食費などの最低限の生活資金は不景気でも費消されるでしょうが、住宅や自動車、大型の耐久消費財の購入は「安定した将来所得」がなければ購入されないことは経済学の基本です。政権担当者も当然既知の常識のはずです。しかし安倍・菅の自民党一極支配政権はそこに手を打たず「自助・共助・公助」を声高に言い募りました。そして、また、今度の選挙です。

 

 得票率48%、投票率55.9%、有権者の25%の支持で絶対安定多数の261人を自民党は獲得したのです。公明の32人を加えれば自公政権は好き放題できる状況になります。非正規雇用活用の『国民不安の時代』は依然としてつづくのです。ということは「デフレ脱却」も「600兆円GDP」の実現も遠のくことは目に見えています。

 

 「小選挙区比例代表制」がつづく限り『不安の時代』を覚悟せざるをえないのです。

 

 

 

 

 

2021年11月1日月曜日

生活保護のパラドックス

  この時期に何故!と自民党の候補者はほぞを噛んでいるのではないでしょうか。この原稿は選挙の前に書いていますので結果は明らかになっていません、しかし自民党は大苦戦したと予想しています。なぜならOECDが各国賃金の2000年以降の推移をグラフ付きの統計で発表したからです。折れ線グラフですから一目瞭然、わが国の賃金が2000年以降横ばいがつづいて今や韓国よりも40万円も低くなって最低ランクになっているのです。安倍・菅政権のもとアベノミクスの実績を喧伝し、2001年の小泉内閣以降「規制改革」を成長の切り札の如くに煽りたてて「民営化」を推進、「働き方改革」で年功序列を破壊して非正規雇用が「働き方の多様性」の実現だと言い募ってきた、その結果がこれなのです。明らかに一枚のグラフが自民党政権の経済政策が『失敗』だったことを証明したのです。岸田さんが総裁選で「新しい資本主義」を提言したとき、これまでの自民党の経済政策を『転換』しようとしているのだと「期待」させたのですが、結局安倍さんや麻生さん、二階さんなど「重鎮」の影響で、富裕層優遇策の「金融資産課税」見直しなどが姿を消して従来と全く変わりないアベノミクスを継承することが明らかになった、そのタイミングでこのグラフが出たのです。こうなってはいくら自民党候補者が「分配」を説き「給料アップ」を訴えても市民はその『うそ』を見抜いてしまうのは間違いありません。これは自民党にとって大打撃です。

 一枚のグラフが「選挙を変えた」!そんな予感を抱きつつこの原稿を書いているのですが、さてどうなったでしょうか。

 

 20年以上の間給料が上がらずGDP(国内総生産)も成長せずに来ている状況は企業が人件費の抑制を続けてきた結果です。なぜそうなったのか、なぜそうならざるをえなかったのか、について考えてみようと思います。

 非正規雇用が全就業者に占める割合が40%にまで高まっています。これは2001年の23%と比べると異常な上昇度です。こんな状態を放置しておいてGDPが伸びない、給料が上がらないと言ってもそれは無理な相談というものです。非正規雇用―アルバイトや、期間社員、派遣社員に企業が配分する仕事は「代替可能性」の高いものがほとんどでしょう。短期間で覚えられる仕事、急な欠員があってもスグに充当のキク仕事が非正規社員の仕事になっているにちがいありませんがそうした仕事は大体「生産性」の低い仕事といってまちがっていないでしょう。2001年には約8割の人が生産性の高い仕事をしていたのが2020年には生産性の高い仕事をしている人が6割に減って(4割が生産性の低い仕事をやるようになって)いるのですから国全体として集計した就業者全体の(平均)給料が上がらないのも仕方ないとあきらめざるをえません。

 給料が上がらないもう一つの原因はいわゆる「労働分配率」の低下が上げられます。その分配率が2001年74.2%から2019年には70.2%まで下がっています(労働分配率は付加価値(売上高-外部購入費用)に占める人件費の割合)。この間サラリーマンの平均年収は447.8万円(2002年)から436.4万円(2019年)ですから約10万円減少しています。

 なぜ給料が下がったのかを別の視点から考えてみると3次産業(主としてサービス業)の全産業に占める割合が増加したことが上げられます。2001年が59%だったのが2018年には67%と8%以上増加していますが製造業に比べて三次産業の生産性は低い傾向にありますから全体としての平均給料が下がるのは当然の結果です。

 2001年から2020年にかけて給料が上がらなかったのは(1)非正規雇用が増加した(2)労働分配率が低下した(3)三次産業(主としてサービス業)の就業者数が増加した。おおまかにいってこの3つが原因で給料が上がらなかっとことが分かります。

 

 非正規雇用が増えたことについていろいろ分析がされていますが「労働生産性の劣化」という視点からの批判はあまりお目にかかりません。非正規雇用者が就業する仕事が生産性の低い代替可能性の高いものであり加えて短期の就労期間であることも一般的です。非正規雇用が増加するということは長期にわたって同じ職場で働きながらOJT(仕事をしながら上司などから知識技能の指導を受ける)などの研修を受けてキャリアップする機会が失われ生産性の低いままに放置される労働者が増えることになり、国全体で見れば労働生産性が劣化してしまうことは明らかです。 

 

 企業は固定費である人件費を削減するために非正規雇用を増加して利益の増大を図るのですが、そしてそれは現実化して短期の利益は向上し不景気になったときの耐性もアップしますが、そうした企業行動を国全体で総計してみると労働力の『劣化』を招いてしまうのです。個別の企業では賢明な策であった「非正規雇用の増加」が国全体では生産性の劣化につながっているという現状は、いわゆる『合成の誤謬』そのものです。

 年功序列制に代わって能力主義の成果主義を取り入れ人件費の流動費化を図ってグローバル化に耐える企業体質へ転換しました。その結果国全体としての「生産性」は相当劣化しています。GDPは停滞したままですし国民全体の「暮しやすさ」はかなり悪化しています。結果として「生活保護者」は増加の一途をたどっています。企業が良かれと思って導入した成果主義や非正規雇用の拡大が結果として国全体の生活保護費用を増加させたりコロナ禍で交付金や補助金の増加をもたらしたのです。

 バブルが破れリーマンショックにおそわれ、小泉改革やアベノミクスでグローバル化に耐える体質に「国のかたち」を変えようとしてきましたが、一枚のグラフを見れば明らかなようにその効果はなかったのです。

 

 国のかたちを変えるには「選挙」で政権交代を図るしかないのでしょうか。

 

 

 

 

 

2021年10月25日月曜日

京都の料亭の料理はなぜ高いか 

  先日BS8の「京都 美食の細道(11月17日)」という放送を観ました。女優の松下奈緒さんがお客様、京都の料亭「木乃婦」の主(あるじ)高橋拓児氏の案内で京の名店のご自慢料理やお菓子、お茶を楽しむという番組は木乃婦の主が相手ということで各店が表面的な応対ではなく調理や接待のオクまで開陳するという趣向になっていました。鱧に鮑、ぐじなどの高級な食材が惜しげもなく使われてお出汁も最上級の昆布、鰹節がふんだんに用いられるうえに下拵えに二日もみっかもかけた料理を贅沢な器に盛り付けるのですから「上等のお料理」がもてなされるのも当然なのだと納得させられます。下賤の身ですから妻と一緒になって「このお料理、最低でも二万円はするな」「そんなんで食べられますか」などと下世話な感想を述べながら二時間の番組を堪能しました。

 

 そして思ったことは「これは商品ではない」ということです。「最小のコストで顧客満足を実現して利益の最大化を図る」、そんな哲学はここにはないのです。「十分儲けてもらいましょう、その代わりもっと美味しいものをつくってくださいね」というお客に「ご満足していただけましたでしょうか。この次もお待ちしております」と応えるお店。料理を介して「快楽」と「研鑽」というお金で買えないもの、お金を超えたもの――『贈与』の『交換』が行なわれているのだと思いました。そしてこれは「市場」ではなく「部族」の「思考」ではないかと考えたのです。部族というのは祖先を同じにした血族共同体ですが、京都という街はつい最近まで部族の「しっぽ」を頑固に継承してきた土地柄だと思うのです。「京料理」はそうした「部族文化」の代表ですが「西陣織」もその一つです。細かく見れば100以上も工程があると言われていますが、これはある意味で「西陣村」という血縁共同体がお互いに相手を思いやりながら繁栄を永続させようと図った汗の結晶です。「コストの最小化・最適化」をしようとするなら工程の合理化が図られて当然ですがそうすると各工程に蓄積されてきた技術が「減耗・消滅」するおそれがある、そうなると「西陣織」という「ブランド」が傷ついてしまう、「高いけれども西陣織だから」と「高価を納得づくで買ってくれる――顧客満足」が得られなくなる。短期ではコストカットが実現して利益向上があっても長期で見れば価格下落を招いて「西陣織」の高級志向が減少・消滅してしまう。そう考えると「古いまま」の西陣織工程を順守しつづけた方が賢明な道になるわけです。

 

 私たちはこの五十年ほどのあいだわが国が守っていかなければならない『価値』を考えもなく無造作に捨ててきたように思います。その代わりずいぶんと『便利』は手に入れました。安いもの、簡単に手に入るものばかりを求めた結果多くの「仕事」が消えていきました。スーパーとコンビニと百円ショップばかりが栄えておっちゃんおばちゃん、おねえさんおにいさんと「いいのが入ったよ」「じゃあ貰おうか」という毎日の生活の楽しみと安らぎを失ってしまいました。

 

 弟子修行を何年、十何年とかけて技術を習得しなければならない仕事が減って、アルバイトですぐにでも出来る簡単な職種が多くなって失業率は減ったけれども「給料」は少なくなってしまいました。回転寿司や外食チェーン店の「お手軽な」イタメシやハンバーグは毎週のように家族で食べていますが、料亭やレストランの「おまかせ」や「コース」料理は一生に一度も食べたことがないという若い人が増えたのではないでしょうか。テレビ創世記に放送されたフランキー堺主演の、町の靴屋さん(?)が一年間節約に節約を重ねてお金を貯めて年に一回だけレストランで豪遊するというドラマを覚えていますが、どっちが幸福なんでしょうね。

 

 救いはあります。「ネット販売」です。つぶれかけていた京都の「螺鈿」のお店がネット展開して世界中のファンが商品を求めているというニュースを見ましたがこんな話は少なくありません。今後もこうした例は増え続けることでしょう。機能化した廉価な商品に飽きた消費者はいづれ機能以外の「サムシング」のある商品が欲しくなるのです。わが国にはそうした商品が数多くありました。それがどんどん「グローバル化」で消されてきましたが、今ならまだ間に合います、なんとか継承していきましょう。地方活性化のひとつのあり方がここにあると思います。

 

 終戦直後の貧しさは今の比ではありませんでした。それに堪えることができたのは、皆が貧乏だったし未来に希望があったからです。現状は不公平で明日良くなるという保証がありません。生きづらい世の中になったのもです。               

2021年10月18日月曜日

さいとう・たかをと司馬遼太郎

  さいとう・たかをさんが亡くなりました。誠に残念であり心から御悔やみ申し上げます。彼の最大の功績は「マンガ」を大人のメディアにしたことです。そのために「劇画」という造語を発明し定着させました。もし彼がいなかったらマンガが日本のサブカルチャーとして世界に発信されることはなかったでしょうし、したがって「コスプレ」文化もこんなに大々的に流行しなかったでしょう。何よりも「ゲーム」が産業としてここまで成長することは考えられなかったでしょうから、そうなると現在の世界経済はまったく様子が変わっていたことは確実です。すぎやまこういちさんの劇画音楽というジャンルも出来ていなかったわけで……、なんて考えてくるとつくづくさいとう・たかをという人の偉大さが浮かびあがってきます。最近のテレビドラマの原作にマンガが多いですがおとなの鑑賞に耐えるマンガがあればこそで、そう考えるとテレビのあり方さいとうさんは影響を与えていることになって、マンガ「大人の文化」にしたさいとう・たかをさんはつくづくい存在だったのだと思い知らされます。

 

 おとなのマンガのはしりは白土三平の『カムイ伝(19641971)』(「月刊漫画ガロ」)です。(のちに『カムイ外伝』となって週刊少年サンデー(小学館)の掲載になります)。『巨人の星(19661971)』の連載が「週刊少年マガジン(講談社)」で1966年にはじまりそれを追って『あしたのジョー(19681973)』が同じ「週刊少年マガジン」で連載されることによって少年漫画雑誌をおとなが買うようになるのです。1964年に東京の広告会社に入社した私はエラリークイン(の探偵小説)の回し読みサークルをつくるのですがやがてそこに「少年サンデー」が加わります。広告会社というある意味「知的な」会社の若手の社員が漫画などを読むということで一部上層部のヒンシュクを買うのですが、1968年に小学館が「ビッグコミック」を創刊するようになり「こんなものが流行ると思うかい」と私のところへ雑誌部の部長が「ご意見拝聴」に及んで我が社で「マンガ」がおとなの読み物として認知に至ります。

 「あしたのジョー」のライバル力石徹が連載中に死ぬのですがその葬儀が講談社で行われます。それは詩人で作家の寺山修司の発案で唐十郎やその他の少なからぬ知識人も参加したというのですから「マンガ」はほとんど「おとなのメディア」に成長していました。それを決定づけたのが『ゴルゴ13』だったのです。ビッグコミック創刊から同誌の看板作品としてスタートした同作はたちまち人気を博し以来53年間人気は衰えることなく今日につづいているのですからギネスに賞されるのも当然でしょう。

 

 今でも強く印象に残っているのは「水素自動車」の開発に関わる一作です。開発はすでに終わっていて生産を待つばかりなのですが開発者が暗殺され市場化は闇に葬られてしまいます。暗躍したのは「石油メジャー」です。水素自動車の有効性がガソリン車を凌駕することを知った石油メジャーは世界経済を牛耳る存在感を脅かされると考え開発者の暗殺をスナイパー――ゴルゴ13に依頼するのです。さいとうさんは「ゴルゴ13」で水素自動車のメカを詳細に描き、そのリアリティは説得力に富み、実現性の近いことを訴えますから石油メジャーの焦りが緊張感をもって迫ってきます。当時の経済情勢を考えると――30年前頃のことで石油産業の世界経済に占める重要性は最高位にあった状況でしたから、水素自動車が出現すれば石油メジャーの威信は一挙に壊滅するにちがいありません。開発者暗殺にリアリティを感じさせるのに十分でした。

 そして今、トヨタが水素自動車を市場化しようと動き始めました。カーボンニュートラルが世界の潮流となり電気自動車が主流となった今頃水素自動車は市場競争に耐えることができるのでしょうか。とはいえ「石油メジャー」に被害が及ばないことだけは確かです。なんというタイミングでしょうか。さいとう・たかをの「慧眼」恐るべし!

 

 『ゴルゴ13』で勉強したという人は結構多いでしょう。特に世界の政治情勢を学んだという人や中東情勢を教えられた人は少なくありません。わが国政治の重鎮――麻生太郎氏もそのうちの一人であることは周知ですし彼も公言して憚らないのですから実際そうなのでしょう。

 しかしさいとうさんは「歴史家」ではありません。知識は豊富ですしジャーナリスティックな存在ですから「虚偽」を書くということはなかったでしょうが彼が書いたのはあくまでも「フィクション」です、歴史の真実ではありません。入り口として中東情勢へ導く存在としては絶大だったと思いますが中東情勢を本当に学ぶならさいとう・たかをで止まらず次のステップに進むのが本当でしょうし、政治家であったら当然だと思うのですが彼が――麻生さんが「井筒俊彦」を読んだということは伝えられていません。

 

 同じようなことは司馬遼太郎さんにも言えます。司馬さんは国民的作家と言われるほどファンをもっており彼によって歴史を見る眼が変わったという人は多くいます。知識の多さは驚異的で読書量に至っては彼が何か新しいテーマに取り組むと行きつけの本屋の関係する書棚の本が一切合切漁りつくされていく――書棚が一つまるまる空になったという伝説があるほどです。また彼は新聞記者の出ですから簡明な文章で分かり易く伝えてくれますから取っつきやすい作家でもありました。しかし彼の本質はジャーナリストで「歴史家」ではありませんから彼の著作を読んで歴史を学んだというのは錯覚でしかありません。やはり本当に歴史を学ぶのなら網野義彦や宮崎市定は最低でも繙くべき著述家です。

 

 さいとうさんも司馬さんも魅力に富んだ作家ですしその視野は広く知識量も豊富です。しかしさいとうさんも司馬さんも自分たちを先導者としてさらに先に進んでくれるのを望んでいたのではないでしょうか。そして彼らが愛した日本の未来が誤まった道を歩まないように歴史を正しく見、「批判的な眼」で政治を考えることを望んでいたように思うのです。

 

 さいとう・たかをと司馬遼太郎。彼らが現代日本に刻んだ足跡は偉大であったと心から悼まずにはいられません。

 

 

 

2021年10月11日月曜日

赤ちゃんは皆早産で生まれる

  馬の出産場面を見ると涙が出てきます。生み出されてスグに覚束ない四肢を懸命に踏ん張ってくず折れてもくず折れても立ち上がろうとする必死な姿はけなげいたたまれない気持ちになってしまいます。そして失敗をくり返したすえにようやく四本の足で踏ん張り切ったときの感動は関係者でない私でさえ涙ぐんでしまうのですから生産者の方々にとってはどれほどうれしいか想像に難くありません。それにくらべて人間の子どもはどうしてあんなにも未完成でたよりないかたちで生まれてくるのでしょう。そして二年も三年も親の庇護に頼らないとこどもに成らないのでしょうか。

 

 われわれの祖先が二足歩行をはじめたとき、ガニ股で真直ぐに歩くことができず平衡感覚も危なっかしいものでした。そのころの人類は道具や火を使うまでに知能が発達していない弱い存在でしたから、大型の捕食動物から逃れるにはスムースに早く走ることが不可欠でした。足をまっすぐ素早く踏み出して走るには太もものつけ根のはばと骨盤のはばが同じになるように骨盤を狭くする肉体改造が必要だったのです。一方で進化の過程で人類の脳の容量は他の霊長類の3倍ほどに成長しましたから狭くなった骨盤(産道)を子どもに成りきった脳の大きさで産み出されることは不可能なのです。そこで子どもに成り切る前に出産するように人体が変化――進化したのです。それが「早産」で出産するようになった人類進化の過程です。早産――未完成ですから他の哺乳動物のように自力で授乳できませんし母体にしがみつく能力もない状態で産み出されることになったのです。ヨチヨチ歩きできるのが約1才ころ、離乳食は1才半ころまでつづきますからこの時期までは母親は手が離せません。3才になってようやく子どもとしての成長が一段落して親の手が離れる余裕が生まれます。

 当時の人類は「狩猟採集(死肉食)」の発達段階でしたから、男たちは長時間をかけて狩りをするのですが女や子どもたちに与えられる食物の量は決して十分ではありませんでした。ですから「閉経後の女たち」が採集する植物性食物は大事でした。おばあちゃんたちの居住地周辺で採集する食物は有益だったのですが、それ以上に重要な働きは彼女たちの孫の世話でした。彼女たちの子育て支援のおかげで体の丈夫な若い母親たちが遠くまで食物を採集に行けることで群れ全体の食物事情が安定したのです。

 祖母たちのこうした支援は「おばあちゃん仮説」とよばれています。生殖だけが群れでの役割とすると「閉経後の女たち」は無用の存在になるのですが、「おばあちゃん」の子育て支援は彼女たちの余命延長をもたらしたのです。

 

 核家族化が進んで「子育て」負担が母親一人の肩にのしかかっているようですが、これは不自然です。本来「子育て」は群れ全体で行うものです。その際頼りにされるのが「おばあちゃん」の支援です。昭和の中頃までは大家族制が残っていましたから二世代三世代同居が普通でおばあちゃん、おおばあちゃんの支援は自然と行なわれました。それによって産婦の一日も早い職場復帰――農作業(や家業)の労働力として若い母親は戦力として有効活用されたのです。

 大家族が子育てに有効だったのは絶えず幼児の周りにおとな(や大きい子供)がいて、幼児に話しかけたり歌ったりの「はたらきかけ」があったことです。幼児は無防備で無力ですから「安全」の保障が不可欠です。まわりが「無音」になってはたらきかけが無くなるとたちまち「不安」を感じます。不安はストレスになって成長を妨げます。たえず自分が保護されているという安全感が幼児の成長の土台になっているのです。母親の胸に抱かれている、何かの用事で下に置かれるようなときでもいつでも母親からの「声かけ」がある、鼻歌が聞こえる、こうした「接触感」が幼児の成長にどれほど有効かはかり知れません。

 

 これまでの「子育て支援」は幼児保育の無償化に代表されるように、どちからといえば3才から就学前の支援が主力になっていました。しかしほんとうに支援が必要なのはそれ以前、1.5才までが一番重要な時期でさらに3才までがそれに次ぐ支援の必要な期間なのです。3才以降はある程度幼児の生育が固まってからなので「幼児教育支援」と呼んだ方が適切といえるのではないでしょうか。

 

 母親のネグレクトや虐待が幼児の成長に決定的な悪影響を及ぼすのは明らかです。子育て世代の貧困をどうしても防ぐ必要があるのも幼児の生育に不可欠な母親を中心とした家庭の「温かさ」が阻害されるからで、現在育児休業が子どもが1才になるまでになっていますが更なる延長やその他の支援の充実が望まれます。

 

 少子高齢化が進んでいますから少子化は必然として受け入れざるを得ないでしょう。それなら全ての子どもが母親の温かな愛情に包まれて幼児期を過ごせるように、豊かな情操と才能に恵まれた子どもに育つような「子育て支援」を政治も、社会も、家族と一緒になって実現しなければなりません。

 今のように「自助」にまかせていたのでは「全き成長」を日本のすべての子どもにゆきわたらせることは不可能です。

 

2021年10月4日月曜日

父の遺産

  核家族化が定着し女性の社会進出が共働きを一般化した現代では、介護の社会化(他人任せにする)は当然の流れであり受け入れざるを得ない現実でしかし赤の他人が障碍者や高齢者の介護を家族になり替わってお世話するということは決して生やさしいことではありません。特に技術的なことでなく精神的な面で『寄り添う』ということはなかなかできることではないと思うのです。ところが介護職の資格は最短で1.5ヶ月で取得でき、しかも精神面の研修は「心構え」の範囲にとどまっているのは大いに疑問を感じます。

 障碍者施設や老人ホーム、高齢者施設で虐待が絶えないのはこうした資格取得の安易さにあると考えるのは誤りでしょうか。晩年の父の介護を少しは経験したものとして強くそう思うのです。

 

 フィリップ・ロスの『父の遺産』は死を直前にした父と子の関係をえがいた小説ですが介護の本質を理解する素材としても一級の作品になっています。

 在米ユダヤ系アメリカ人3世の息子と父の話です。ユダヤという人種差別とそれゆえの低学歴というハンデを背負いながら父は生命保険会社の地域責任者にまで上り詰めた成功者です。大学を卒業して作家になった息子ですがそうした人生を歩んできた父の存在はいくつになっても絶対的なのです。その父が86歳になって脳腫瘍に冒されます。長時間を要する手術は年齢的に不可能ですから病状は徐々に進行し、日常生活にも不都合が生じるようになります。しかし頑固でプライドの高い父はその現実を受け入れることができず気ままに振舞います。業を煮やした息子がとうとう一線を越えてしまいます。

 そのとき私は、父に向かって四語を、いままでいっぺんも言ったことのない四語を発したのだった。“Do as I say”――「僕の言う通りにしなさい」と私は父に言った。「セーターを着て、散歩用の靴をはきなさい」

 いくつになっても敬語をつかい、尊敬の念を抱きつづけてきた息子が第一のハードルを越えたのです。父に「指示する」こと、まして「命令する」ことにためらいのあった息子がようやく父を力づくで承服させなければならなくなったのです。

 しかしこのハードルが次へのスッテプの最低限の「苦難」であったことがやがて分かるのです。

 

 自分ではまるで意図していなかったけれど、父の入れ歯を唾液から何からひっくるめて手に取り、ポケットに放り込むことによって、私たち親子のあいだに広がっていた境界線を越えることが私にはできたのだ。もう子供でなくなって以来、当然の成行きとして広がっていった物理的、肉体的な隔たりを、私は一気に縮めてみせたのだ。

 尊敬と畏怖がふたりを隔てていたがゆえに父と息子は母親との関係と根本的に異次元のものとならざるをえません。しかし、老いて病に能力を棄損された父親は信じられないほどの衰えをさらすようになります。

 

 ウンコはあたり一面に広がっていた。バスマットの上に塗りたくったように広がり、便器の縁に沿って伸び、便器の手前の床にも山になっている。(略)結局服を脱いでシャワーに入るまでのあいだに、そこらじゅうにウンコを塗り広げてしまったのである。見れば、洗面台の上のホルダーに立てた私のハブラシの毛先にまでくっついている。/「いいんだよ」と私は言った。「いいんだよ。大丈夫、何とかなるよ」(略)「石鹼をつけて、一からやり直そう」と私は言って、言われた通り父がもう一度体に石鹸を塗りはじめるのを見届けてから、父の服やタオルやバスマットをかき集め、廊下の戸棚に行ってピロケースをひとつ出してそこにまとめて放り込み、ついでにバスタオルをもう一枚出してやった。それから父をシャワーから出し、そのまま廊下まで連れていって、床の汚れていないところで、新しいバスタオルで体を包んで拭いてやった。「父さん頑張ったよ」と私は言った。「でも残念ながらはじめから負けいくさだったみたいだね」/「ウンコもらしちゃったんだよ」(略)「子供たちに言うなよ」(略)「誰にも言わないよ」(略)「クレアにも言うなよ」/「誰にも言わないよ」と私は言った。「心配要らないよ。誰にだったあることさ。もう忘れて、ゆっくり休みなよ」(略)バスルームはまるで、悪意に満ちた暴漢が家じゅうを荒らしまわった末に名刺を残していったという趣だった。父の世話はひとまず済んだわけだし、大事なのは父なのだから、私としてはできることならドアに釘を打ちつけて、こんなバスルームのことなど綺麗さっぱり忘れてしまいたかった。(略)私は忍び足で寝室に戻っていった。父は眠っている。まだ息をしていて、まだ生きていて、まだ私とともに在る。はるかな昔からずっと、私にとってわが父でありつづけてきたこの男は、いまひとたび新たなる退歩を生きぬいたのだ。私がバスルームに上がっていくまでの、父が一人で自分の体を浄めようとした英雄的な、勝ち目なき苦闘を思うと、ひどく切ない気分になった。父がさぞ自分を恥じ、情けない思いを味わっただろうと思うと、たまらない気持ちになった。けれどそれもこうやって終わり、すやすや眠っている父を見ているうちに、これも私にとっては願ってもない体験ではなかったかという気がしてきた。父が亡くなる前の行ないとして、これもまた、正しい、しかるべき行ないなのだ。子が父のウンコを掃除する。そうするしかないからするのだ。でも、いったんやり終えてみると、あらゆるものが、まったく違ったふうに感じられるようになる。ひとたび嫌悪感を捨て去り、むかつく思いを無視し、原初のタブーのようにがっちり固められたもろもろの先入観をつけ抜けてしまえば、人生には慈しむに足るものがすごくたくさんある。

 そしてこうして、仕事を完了してみて、何故これが正しいのか、なぜしかるべき行ないなのか、私はこの上なく明確に理解した。あれこそが父の遺産なのだ。(略)私にとっての父の遺産。金でもなく、聖句箱でもなく、髭そりマグでもなく、ウンコ。

 

 

 はじめて電車で「どうぞ」と若い人に席を譲られたときのとまどいと恥ずかしさは老いを受け入れなければならない諦念が植えつけられるきっかけなのです。つい最近までほとんど意識することなく行なっていた日常の振舞いに不都合が生じて他人の介助が必要になったときのショックは計り知れないものがあります。衰えは容赦なくせまってきて、そのつど『プライド』が踏みにじられるのです。そんな「老人」の心理の奥底を知ってほしいと「他人」に望むのは無理なことなのでしょうか。

 しかし介護の本質はそこにあるように思うのです。介助の一挙手一投足を律するのはそんな「心の通(かよ)い」があってこそなのです。