2021年10月18日月曜日

さいとう・たかをと司馬遼太郎

  さいとう・たかをさんが亡くなりました。誠に残念であり心から御悔やみ申し上げます。彼の最大の功績は「マンガ」を大人のメディアにしたことです。そのために「劇画」という造語を発明し定着させました。もし彼がいなかったらマンガが日本のサブカルチャーとして世界に発信されることはなかったでしょうし、したがって「コスプレ」文化もこんなに大々的に流行しなかったでしょう。何よりも「ゲーム」が産業としてここまで成長することは考えられなかったでしょうから、そうなると現在の世界経済はまったく様子が変わっていたことは確実です。すぎやまこういちさんの劇画音楽というジャンルも出来ていなかったわけで……、なんて考えてくるとつくづくさいとう・たかをという人の偉大さが浮かびあがってきます。最近のテレビドラマの原作にマンガが多いですがおとなの鑑賞に耐えるマンガがあればこそで、そう考えるとテレビのあり方さいとうさんは影響を与えていることになって、マンガ「大人の文化」にしたさいとう・たかをさんはつくづくい存在だったのだと思い知らされます。

 

 おとなのマンガのはしりは白土三平の『カムイ伝(19641971)』(「月刊漫画ガロ」)です。(のちに『カムイ外伝』となって週刊少年サンデー(小学館)の掲載になります)。『巨人の星(19661971)』の連載が「週刊少年マガジン(講談社)」で1966年にはじまりそれを追って『あしたのジョー(19681973)』が同じ「週刊少年マガジン」で連載されることによって少年漫画雑誌をおとなが買うようになるのです。1964年に東京の広告会社に入社した私はエラリークイン(の探偵小説)の回し読みサークルをつくるのですがやがてそこに「少年サンデー」が加わります。広告会社というある意味「知的な」会社の若手の社員が漫画などを読むということで一部上層部のヒンシュクを買うのですが、1968年に小学館が「ビッグコミック」を創刊するようになり「こんなものが流行ると思うかい」と私のところへ雑誌部の部長が「ご意見拝聴」に及んで我が社で「マンガ」がおとなの読み物として認知に至ります。

 「あしたのジョー」のライバル力石徹が連載中に死ぬのですがその葬儀が講談社で行われます。それは詩人で作家の寺山修司の発案で唐十郎やその他の少なからぬ知識人も参加したというのですから「マンガ」はほとんど「おとなのメディア」に成長していました。それを決定づけたのが『ゴルゴ13』だったのです。ビッグコミック創刊から同誌の看板作品としてスタートした同作はたちまち人気を博し以来53年間人気は衰えることなく今日につづいているのですからギネスに賞されるのも当然でしょう。

 

 今でも強く印象に残っているのは「水素自動車」の開発に関わる一作です。開発はすでに終わっていて生産を待つばかりなのですが開発者が暗殺され市場化は闇に葬られてしまいます。暗躍したのは「石油メジャー」です。水素自動車の有効性がガソリン車を凌駕することを知った石油メジャーは世界経済を牛耳る存在感を脅かされると考え開発者の暗殺をスナイパー――ゴルゴ13に依頼するのです。さいとうさんは「ゴルゴ13」で水素自動車のメカを詳細に描き、そのリアリティは説得力に富み、実現性の近いことを訴えますから石油メジャーの焦りが緊張感をもって迫ってきます。当時の経済情勢を考えると――30年前頃のことで石油産業の世界経済に占める重要性は最高位にあった状況でしたから、水素自動車が出現すれば石油メジャーの威信は一挙に壊滅するにちがいありません。開発者暗殺にリアリティを感じさせるのに十分でした。

 そして今、トヨタが水素自動車を市場化しようと動き始めました。カーボンニュートラルが世界の潮流となり電気自動車が主流となった今頃水素自動車は市場競争に耐えることができるのでしょうか。とはいえ「石油メジャー」に被害が及ばないことだけは確かです。なんというタイミングでしょうか。さいとう・たかをの「慧眼」恐るべし!

 

 『ゴルゴ13』で勉強したという人は結構多いでしょう。特に世界の政治情勢を学んだという人や中東情勢を教えられた人は少なくありません。わが国政治の重鎮――麻生太郎氏もそのうちの一人であることは周知ですし彼も公言して憚らないのですから実際そうなのでしょう。

 しかしさいとうさんは「歴史家」ではありません。知識は豊富ですしジャーナリスティックな存在ですから「虚偽」を書くということはなかったでしょうが彼が書いたのはあくまでも「フィクション」です、歴史の真実ではありません。入り口として中東情勢へ導く存在としては絶大だったと思いますが中東情勢を本当に学ぶならさいとう・たかをで止まらず次のステップに進むのが本当でしょうし、政治家であったら当然だと思うのですが彼が――麻生さんが「井筒俊彦」を読んだということは伝えられていません。

 

 同じようなことは司馬遼太郎さんにも言えます。司馬さんは国民的作家と言われるほどファンをもっており彼によって歴史を見る眼が変わったという人は多くいます。知識の多さは驚異的で読書量に至っては彼が何か新しいテーマに取り組むと行きつけの本屋の関係する書棚の本が一切合切漁りつくされていく――書棚が一つまるまる空になったという伝説があるほどです。また彼は新聞記者の出ですから簡明な文章で分かり易く伝えてくれますから取っつきやすい作家でもありました。しかし彼の本質はジャーナリストで「歴史家」ではありませんから彼の著作を読んで歴史を学んだというのは錯覚でしかありません。やはり本当に歴史を学ぶのなら網野義彦や宮崎市定は最低でも繙くべき著述家です。

 

 さいとうさんも司馬さんも魅力に富んだ作家ですしその視野は広く知識量も豊富です。しかしさいとうさんも司馬さんも自分たちを先導者としてさらに先に進んでくれるのを望んでいたのではないでしょうか。そして彼らが愛した日本の未来が誤まった道を歩まないように歴史を正しく見、「批判的な眼」で政治を考えることを望んでいたように思うのです。

 

 さいとう・たかをと司馬遼太郎。彼らが現代日本に刻んだ足跡は偉大であったと心から悼まずにはいられません。

 

 

 

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