2020年8月31日月曜日

残暑お見舞い申し上げます

 朝顔がト音記号に伸びる窓(大山崎町 藤原 嘉良
 
 残暑お見舞い申し上げます。
 コロナ禍のもとお変わりなくお過ごしですか。
 
 などと決まり文句を書いてしまいましたがわれわれ年寄りは概(おおむ)ね「お変わりなく」お過ごしなのではないでしょうか。わたしについていえば月二三回の遠出ができなくなった以外はほとんどコロナ前と変化ありません。遠出といっても敬老パスを乗り継いで京都市内を四五時間ウロウロするだけのことで、歩くこととちょっと贅沢して外食するくらいが関の山の日常の延長にすぎないものですが、それでもやっぱり足の衰えは否めなくて先日墓参りの帰り、駅からの二十分足らずの歩きが辛くなっていました。毎朝二十分ほどのインターバル速歩とラジオ体操、十個のストレッチだけではカバーできない長距離を歩く筋肉が衰えているのに違いありません。今年は友人との飲み会も控えていますからその点は少しストレスになっています。 
 
 外出自粛で小遣いに余裕ができたこともあって花を買うようになりました。花といえば仏花くらいしか縁がなかったのですが、いつか花屋へ行ったら「安くなってますよ」とすすめられて何の気なしに一輪ざしのつもりで二本求めたらこれが五百円足らずという予想外の値段に驚かされて、以後それが枯れるたびにつぎ足すようになりました。この花屋さんとはもう十年近い付き合いで、夏仏花が四日ももたないので何かいい方法はないかと相談したのがきっかけで以来気安く話すようになったのですが、結局水替えを日に二度することと「キープフラワー」という水の腐るのを防ぐ薬剤を使用することで十日近く花もちをよくすることができるようになりました。妻が生け花に少々心得があったことも手伝って、二本が三本になりして段々に妻のお手並が発揮されてそちらも自粛生活の楽しみになっています。
 
 以前なら仏花が四日で枯れようがそんなことを気に懸けるタイプではなかったのですが、西陣から桂に引っ越して、老朽した一軒家からマンション住まいになって(同時に年金暮らしになったこともあって)「もったいない」という気づかいをするようになりました。その表れのひとつが仏花だったのですが、夏の暑さ対策も随分工夫しています。桂に引っ越して驚いたことは、桂川スグ横の東西に向いたI型マンションということもあったのでしょうがとにかく涼しいのです。初年度はクーラーをつけたのは十日ほどしかなかったと覚えています。好都合だったのは東西のベランダか掃き出しタイプの戸だったので空き放てば風通しがめっぽう良かったのです。最近は年を取ったこともあって毎日クーラーが必要ですが、それでも妻が夕飯の支度に火を使う夕方から寝る前までの半日だけです。そのかわり、午前と午後にベランダの壁に水をブッカケます、いっぺんにヒンヤリします。それに湿度を注意しています、室内が三十度近くなっても湿度が55%以下なら扇風機の風だけでしのげます。反対に梅雨時、室温が28度でも湿度が60%を超えると冷房除湿をしないと堪りません。西側のカーテンを厚手の遮光布に替えましたが効果はてきめんで、半ズボン、上半身裸になって濡れタオルで汗をぬぐっておれば扇風機の風だけで十分です。
 テレビなどで熱中症を注意して空調を一日中切らずに使用することを薦めていますがどうなのでしょうか。以前テニスをしていた頃夏の初めに汗を思いっきりかくと「毛穴が開いて」それからは随分としのぎやすくなったのを覚えています。汗による体温調節機能が再起動したのでしょう。それににしても「湿度」を考慮した暑さ対策の助言がまったくないのが不思議でなりません。年を取れば取るほど湿度に対する耐性が劣化してきます。汗は気温より湿度に影響されているように感じますから水分補給も気温ばかりでなく湿度にも注意して行なうようにしています。
 
 さて毎日の生活ですがコロナ自粛に関係なく読書三昧の毎日です。若いころ晴耕雨読と高等遊民に憧れました。要は暮らしを心配することなく読書を楽しみたいと思っていたのです。受験のためとか仕事関連の読書でなく、古の中国の仙人が琴棋書画に親しんだような生活で晩年を過ごしたい、そう願っていました。そんな憧れが今実現可能になりました。生活に困らないだけの年金をいただいて暇は余るほどあるうえに、図書館は充実しているし買いたい本はたいてい手に入る。現役時代画廊巡りをして購っておいた絵画も少しはある、年季ものだがミニコンポと好きなクラシックとジャズのCDも備わっている。妻の手料理も旨い。なんの不足があろうか。
 なぜ私(たち)は今かくあるのか、それを知りたくて本を読む。司馬遼太郎に止まらず網野義彦、宮本常一、宮崎市定、安丸良夫、渡辺京二と読んできてようやく歴史が少し分かってきました。そして「教科書歴史」によっていかに上っ面の、それも偏った歴史を教えられてきたかを知りました。これからは柳田国男も読んでみたい、まず手に取った『先祖の話』が面白かったから楽しみです。最近の小説では安倍龍太郎の『迷宮の月』が中国・朝鮮と日本の関係を遣唐使を題材に描いていておもしろかった。
 読書に疲れれてヘッドホンでCDを大音量で聞く。一日の〆は酒。
 そしてまた明日がある。
 
 あなたはどんな夏の日をお暮しですか。愛妻はお元気ですか。
 大文字、来年は点ってほしいですね。
 まだまだ暑さが続きます。ご自愛ください。
 
 夏の朝なくのがへたなせみがいる(小2 北山紬心
 
 
 

2020年8月24日月曜日

夏がくーれば

 毎年八月が来ると思いだすことがあります。戦後しばらくして『原爆の子ら』という映画が製作されました(昭和27〈1952〉年8月公開)。京都市の鑑賞映画に指定されて私たちの小学校も近くの映画館でクラス全員で見て、鑑賞後感想を語り合う会が開かれました。当時5年生だった私は純真無垢で世間ずれしていなかったから(言い方を換えれば無知であったから)、「すごい映画やった!でも、どうしてあんな場面が撮影できたんやろか?それが不思議やわ!」と発表しました。するとすかさず映画館主の息子とその親友が「アホやなぁ、トリックに決まってるやんか!?」とチャチャを入れたのです。「そんなことない!あれはホンモンや!」私は頑強に言い張りました。ヤツらは攻撃の手を緩めず「アホや」「バカだ」とあざけったのです。口論は延々と繰り返され、彼らの正論に反論できなくなった私は泣き出してしまいました。黙って成り行きを見守っていた先生が助け舟を出してくれました。「ハイ、おしまい。そうやね、市村君はほんものやと思っているんやね。それもまちがっていないよ」と頭をなでながら泣き止むまでヨシヨシしてくれたのを覚えています。
 もちろんヤツらが正解なのですが実写版のトリックを使った映画などはじめてだった私にそれを見抜く眼力は備わっていなかったのです。映画は衝撃的で『原爆』の怖ろしさは強烈に印象づけられました。
 
 当時の西陣には映画館が7~8館、実演(大衆演劇)の小屋が2軒もありました。私を泣かせたヤツらとはその後友達になり中学の1年から彼のオヤジの映画館と親戚筋の2館がフリーパスとなって毎週10本近く映画を見るようになりました。中学の3年間で邦画洋画合わせて1000本は観たにちがいありません。今では考えられないことですが当時西陣のような場末の映画館は2本立て3本立てが普通で洋画は弐番館もの(旧作)でした。マセていたのか洋画はフランス艶笑喜劇が好きでジーナ・ロロブリジーダのなんともエロい姿態にうつつを抜かしていました。ちょうどそのころ日活が映画製作を再開して千本日活で上映されるようになったのですが、先日亡くなった渡哲也や石原裕次郎の映画は「陽のあたる坂道」1本しか観たことがありません。映画通を自任していたナマイキな映画野郎の私たち(類は集を呼ぶでそんな連中が私のまわりには多かったのです)にとって、裕次郎や小林旭、美空ひばりなどは駆け出しの三文役者と見下していたのです。したがってテレビドラマ『西部警察』も観ていませんから、今から思うと私の映画観は非常に歪んでいるのかもしれません。
 
 映画に限らず要は「へそ曲がり」で「偏固(へんこ)」が私の性情なのでしょう、みなが「いい」というものや「ただしい」ということは疑ってかかるのが常なのです。ですから、南京虐殺にしても慰安婦問題にしても相当「確からしい」とは思っていてもシンから信じたくなかったのです。それがこんな歌を読まされたのではなにもかもがはっきりと「ひとつの真実」に収斂されてしまうではありませんか。(以下は2020.8.13京都新聞「詠まれた戦争/75年目の記憶遺産/戦後に破られた沈黙(歌人・吉川宏志筆)」からの引用です
 
 戦時中には検閲があり、日本軍の闇の部分が短歌として発表されることは、ほぼ皆無だった。戦後になって(略)少数ながら、戦争の真の残酷さを描いた歌集が刊行されている。
〈強姦をせざりし者は並ばされビンタを受けぬわが眼鏡飛ぶ〉
〈犯されしままに地上に横たわる女を次の兵また犯す〉   …川口常孝「兵たりき(1992年)」より
 兵士に罪悪を行わせることにより、人間性を喪失させて、すべてを支配してゆく組織の恐ろしさが見えてくるのである。
〈戦友(とも)の振るう初のひと突きあばらにて剣は止まる鈍き音して〉
〈「捕虜ひとり殺せぬ奴に何ができる」むなぐら掴むののしり激し〉…渡部良三「小さな抵抗(1994年)」より
 新兵に捕虜を殺させて、殺害することに慣れさせる訓練が行われていたのである。
 
 実際に戦地にあって経験したことがそのまま詠われているのですから何人といえどもこれを否定することはできません。虐殺も強姦も強権による「女郎屋」経営も真実ではないと歴史を修正する勢力が平然としてそれを否定してきましたが、それならこれらの歌人は「うそ」を詠んでいるのでしょうか。
 
 これとは別の衝撃的なことがありました。歴史に正面から向き合い何が真実なのかを追及する誠実なひとならあいさつ文の「使いまわし」など絶対にしないのではありませんか。それが実際に今年の広島と長崎の平和式典で安倍総理がやったのです。地名と一部の文以外はまったく同じあいさつ文が読まれたので、当然のことながら遺族は憤りSNSは炎上しているのです。
 「原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます」で始まるこの挨拶は第四段落以外はほとんど同じものです。「永遠の平和が祈られ続けている、ここ広島(長崎)市において、核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げます。原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島(長崎)市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします」と結ばれたこのあいさつ文を安倍総理の真情の吐露と感じる人がどれほどいるでしょうか。
 
 したがって15日の終戦記念式典の首相式辞も空疎なものになっています。
 安倍さんは「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年迎えた今も、私たちは決して忘れません。」と述べていますが、何故犠牲にならなければならなかったのか、その原因と責任については一切触れていません。だから「反省」をもって犠牲者に謝罪することばが一言もないのです。
 『積極的平和主義』を謳い国際社会での『役割』を強調しているのですが、その中身が判然としないので、「核廃絶」にどう取り組むのか、「世界平和」を実現するために、どう「橋渡し役」を果たすのか皆目見当がつかない空虚な言葉の連なりになっています。
 安倍さんは、終始「言葉あそび」の総理でした。何度も起こった閣僚の不祥事に際して「任命責任」を口にしてきました。しかし具体的に「責任」をとったことは一度もありませんでした。
 
 あれだけ忖度してきた官僚たちから、「安倍はもういいよ、だって責任とらないもの」というあきらめの嘆きがつぶやかれていることをご本人はご存じなのでしょうか。
 

2020年8月17日月曜日

わたしは1年生の道徳落第です

 最近読んだ『教育は何を評価してきたのか(本田由紀著岩波新書)』のなかにあった小学校第1学年及び第2学年の「特別の教科 道徳」の指導の観点》を見て困惑と憤りを感じました。これは文部科学省『小学校学習指導要領(平成29年告示)解説 特別の教科 道徳編』からの抜粋で、他に小学校第3学年及び第4学年、小学校第5学年及び第6学年、中学校分もありますが今日は第1学年第2学年分に限って検討を加えてみたいと思います。
 
 観点は大きく、A.主として自分自身に関すること、B.主として人との関わりに関すること、C.主として集団や社会との関わりに関すること、D.主として生命や自然、崇高なものとの関わりに関すること、の4つに分かれておりそれぞれについて「徳目」が設定され解説されています。
 Aは「(1)善悪の判断、自律、自由と責任」「(2)正直、誠実」「(3)節度、節制」「(4)個性の伸長」「(5)希望と勇気、努力と強い意志」が徳目になっています。以下Bは「(1)親切、思いやり」「(2)感謝」「(3)礼儀」「(4)友情、信頼」、Cは「(1)規則の尊重」「(2)公正、公平、社会正義」「(3)勤労、公共の精神」「(4)家族愛、家庭生活の充実」「(5)よりよい学校生活、集団生活の充実」「(6)伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」「(7)国際理解、国際親善」、Dは、「(1)生命の尊さ」「(2)自然愛護」「(3)感動、畏敬の念」が徳目として挙げられています。(徳目の前のカッコと数字は便宜的に付け加えました
 これほどの「量」の徳目を、小学1年生と2年生に教え込もうとする「教える側」の思惑の『たが(箍)』の「強固さ」と「毛一筋の逸脱」も許さない「陰湿な周到さ」を感じると同時に、これほどのものを詰め込まれる1年生2年生に哀れを催さずにはおれません。それと同時に教えている先生がどんな顔をしているのだろうかという意地の悪い興味もわいてきます。
 
 解説については特に検討を加える必要があると感じたものに限って引用することにします。
 (A-1)よいことと悪いことの区別をし…〉(A-2)〈…素直に伸び伸びと生活すること〉(A-3)〈…わがままをしないで、規則正しい生活をすること〉(A-4)〈自分の特徴に気付くこと〉(A-5)〈自分のやるべき勉強や仕事しっかり行うこと〉(B-1)〈身近にいる人に温かい心で接し、親切にすること〉(B-2)〈家族など日頃世話になっている人々に感謝すること〉(B-3)〈気持ちの良い挨拶(略)明るく接すること〉(B-4)〈友達と仲よくし、助け合うこと〉(C-1)〈約束やきまりを守り…〉(C-2)〈自分の好き嫌いにとらわれないで接すること〉(C-3)〈働くことの良さを知り、みんなのために働くこと〉(C-4)〈父母、祖父母を敬愛し…〉(C-5)〈先生を敬愛し、学校の人々に親しんで、学級や学校の生活を楽しくすること〉(C-6)〈わが国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと〉(C-7)〈他国の人々や文化に親しむこと〉(D-1)〈生きることのすばらしさを知り、生命を大切にすること〉(D-2)〈身近な自然に親しみ、動植物に優しい心で接すること〉(D-3)〈美しいものに触れ、すがすがしい心をもつこと〉(太字と下線は便宜的に付け加えました
 
 さておとなのみなさん、自信を無くしませんか。とてもこれだけのことは守れていないのではありませんか。それを頑是(がんぜ)ない1年坊主や2年むすめに覚えなさい、守りなさいとはいい辛くないですか。ここまで読んだだけでも『特別な教科 道徳』に違和感を覚えずにはいられません。
 
 第一の問題点は年間34時間(2年以上は35時間)という授業時間に比して内容が過重です。しかも1年から6年まで同じ徳目を見方を変えて教えるという方法も考え直すべきではないでしょうか(「真理の探究」「相互理解、寛容」「よりよく生きる喜び」の三項目は1年生2年生分から除かれています)。19徳目の内から1、2年生にふさわしい徳目を選び出して、分かり易く、自分で考えさせながら、教科に慣れるように仕向ける方が効果的なのではないでしょうか。
 第二の問題点は『あいまいさ』です。それは「形容詞のあいまいさ」と「言葉の内容のあいまいさ」に起因しています。
 まず形容詞をみてみましょう。素直に伸び伸び、規則正しい、しっかり、温かい心、気持ちの良い、明るく、自分の好き嫌い、敬愛し、親しんで(親しみ)、楽しく、すばらし、優しい、美しい、すがすがしいなどがちりばめられています。素直にしても、しっかりにしても、温かいにしても、美しいにしても人それぞれで内容もレベルも異なる「心の持ちよう」を結果として一律に「圧しつける」ことになる可能性と危険性を秘めています。言葉についても、よいことと悪いこと、わがまま、自分の特徴、自分のやるべき勉強や仕事、約束やきまり、働くこと、伝統と文化、等の言葉の内容はなかなか決めにくい、範囲の広いものですがそれをどのように教え、考えさせるのか。たとえば「伝統」はどのような内容を「抽出」するかによって「右にも左にも」導くことができますがそれを上から押しつけてしまうと子どもたちの独創性をきずつけてしまうことになりはしないでしょうか。
 
 最も大きな問題点は、この教科書を作った人たち――文部科学省の役人や教科書会社の人たちの頭の中に「東京」の「親子4人の標準的な家庭(専業主婦型の)」で「大(中)企業の正規社員」がモデルとしてありはしないか、ということです。
 今ほど東京(首都圏)と地方の格差の拡大した時代はありません。でありながら文化的には「東京化」が若者を中心に進展しています。郷土愛に大変化が起こっていると同時に「伝統」の「地方の特徴」が守りにくくなっています。そうした変化が道徳にも影響を与えていることは否定できません。「ひとり親」家庭も百万世帯を大きく超え、母子世帯でさえ120万世帯に達しています。非正規雇用が三分の一を遥かに超えている現在において、道徳で教えようとしている「徳目」が一律に通用するのでしょうか。地方によって、所得によって、家庭環境によって、同じ徳目でも受け取り方が異なっているはずです。「自分の好き嫌い」「わがまま」を言えない子どもも少なくありません。
 
 グローバル化、情報化・AI化が急激に進展する中で、未知の課題に対処できる思考力、判断力、表現力を錬磨しなければならない時代の要請にいかに応えるかが教育に問われている状況を考えると、結果として「空気を読んで、みなと仲良く協調し、目上の者を敬愛」する『予定調和』を圧しつける『道徳』はそうした風潮に逆行しているように感ぜずにはいられないのです。
 
 「教える側」の長たる安倍首相が今年の広島と長崎の平和式典で、地名や一部の文を除いてほとんど同じ内容のあいさつ文を読み上げました。被爆者から「ばかにしている」と怒りの声が上がったといいます。
 
 安倍さん、小学一年の道徳の教科書、読んでいますか?
 
 
 
 
 
 

2020年8月10日月曜日

名ゼリフの効用

 「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きて行く資格がない」。これはレイモンド・チャンドラー描く探偵フィリップ・マーロウの名ゼリフですが久しぶりに『ロング・グッドバイ』を読んでやっぱりスカッとしました。これは早くに清水俊二訳でハヤカワ・ミステリ文庫にあったものですが、新たに村上春樹訳が出たので読んでみたくなったのです。そして満足しました。700ページを超す大作なのですが数日で読み終えました。原作がスキのない推理とスペクタクルを静謐なタッチで描かれた名文であるのはもちろんなのでしょうが(原文が読めないので確かではありませんが)、村上春樹の翻訳がこれまた稀代の名訳に仕上がっているのです。相当入り組んだ構成になっているので集中力を保ってサーッと読み切らないとこんぐらがってしまうおそれがあるのですが、訳がうまいので少しもひっかかることなくズンズン読み進むことができました。小説ではあまり経験したことはありませんが専門書に日本語と思えないような脈絡のとりづらい訳文があって、まったく内容が理解できないものがあります。大教授といわれる人の「監訳」ものに多く、多分ゼミの学生や助手(今は助教というのか)の何人かに翻訳をさせてろくにチェックもしていないからでしょう。そんななかに重要な書物が含まれていることも少なくなくてずいぶん苦労したことを覚えています。
 
 愚痴はこの辺にして文中の名文をいくつか紹介しましょう。
 
 さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ。これが『ロング・グッドバイ』中もっとも有名な名文です。本書の『長いお別れ』という書名もこの文をひねったものなのでしょう。原文は「To say goodbye is to die a little.」となっていてこれをどう訳すかがチャンドラー・ファンのあいだでいつも話題になる文章なのです。そして今回村上春樹はこのフレイズの原典を見いだしました。フランスの詩人エドモンド・アルクールの次の詩が下敷きになっているのです。「離れるのは少し死ぬことだ、それは/愛するもののために死ぬことだ。/どこでもいつでも、人は/自分の一部を残して去っていく」。
 ラストの「人は/自分の一部を残して去っていく」というフレイズ、魅力的ですね。
 
 「アルコールは恋に似ている」と彼は言った。「最初のキスは魔法のようだ。二度目で心を通わせる。そして三度目は決まりごとになる。あとはただ相手の服を脱がせるだけだ」/「どこがいけない?」と私は尋ねてみた。
 「彼は禁酒した酒飲みかもしれません」と私は言った。「そういう人物は往々にしてこちこちのピューリタンになるんです」
 コンマが多く混ざるしゃべり方をする人物だった。分厚い純文学でも読んでいるみたいだ。
 人間の知性の精緻きわまりない浪費。それは広告業界以外ではまずお目にかかれない種類のものだ。
 これらのどのフレイズもおぼえておいて機会があったら使ってみたいものばかりで、最初のヤツなどは私がもう少し若かったら魅力的な女性を口説くときにささやけばイチコロになること必定の名ゼリフですね。
 
 しかし彼にはもっと辛口の文章もあります。
 我々はデモクラシーと呼ばれる政体の中に生きている。国民の多数意見によって社会は運営されている。そのとおりに動けば理想的なシステムだ。ただし投票するのは国民だが、候補者を選ぶのは政党組織であり、政党組織が力を発揮するためには、多額の金を使わなくてはならない。誰かが彼らに軍資金を与える必要がある。そしてその誰かは――個人かも知れないし、金融グループかも知れないし、労働組合かもしれないし、なんだっていいのだが――見返りに気遣いを求める。
 これなどは実によく民主主義の本質をついているではありませんか。保守層の多くの人たちは、長年の「決められない」自民党政治と民主党政治にあいそをつかして、期待をもって第二次安倍政権を支持してきました。彼はメニューはいろいろ差し出してくれましたが何ひとつ「国民のため」になる政策は実現してくれませんでした。仲良しの一部の人の利益ばかりを優先して、復興オリンピックと銘打っていますが肝心の東北の復興は未だ道半ばですし熊本も、広島も、福知山も同様です。トランプさんべったりで何千億円、何兆円(辺野古移設を含めればさらにもっと多額になるでしょう)という防衛機器をいい値で購入したり、破綻している「核燃料サイクル計画」に今後総額12兆円をつぎ込もうとしています。それなのに新型コロナウィルス感染症対策で「休業補償」するのを渋っています。森友・加計問題、桜を見る会、財務省公文書改ざん問題など、岩盤といわれる保守の中核層でも「もう安倍はいい」という嘆きがこぼれているのにズルズルと安倍一強を引きずっているのも「彼に代わる人材」が自民党に見当たらないからです。
 
 でかい金はすなわちでかい権力であり、でかい権力は濫用される。それがシステムというものだ。そのシステムは今ある選択肢の中では、いちばんましなものなのかもしれない。しかしそれでも石鹸の広告のようにしみひとつないとはいえない。
 賭博というものが法律で認められている限り、やくざを押さえ込むことは誰にだってできない。そのかたちや規模を問わず、賭博が存在する限り、やつらははびこるんだ。
 
 これらの文章は専門家の硬い学術文ではありませんがことの本質をつきつつ「庶民の真情」をズバリと表してくれているではありませんか。
 大阪万博はカジノ誘致を条件としていますが「賭博が存在する限り、やつらははびこるんだ」というマーロウの言葉にどう反論するのでしょうか。
 
 

2020年8月3日月曜日

公僕

 首相官邸がホームページに掲載している「三権分立の説明図」が物議をかもしています。主権在民をイメージして「国民=主権者」が中心にあって、立法、司法、行政の三権が国民を囲んでいる配置になっています。三権はそれぞれ相互に関連しており矢印が行き交って、国会は内閣総理大臣の指名などで内閣と関係、内閣は国会の召集、衆議院の解散で国会と結びついています。国会と最高裁判所は弾劾裁判→と←違憲審査で、内閣と最高裁は最高裁長官の指名など→と法令や規制の違法性審査←で相互関連する図です。問題は国民と三権の関係にあって国会には「選挙」で、最高裁には最高裁判官の国民審査権で「権力の規制・制限」を表す矢印を国民から国会、最高裁に向けられているにもかかわらず、国民と内閣の関係矢印は内閣から国民に向かっており、「行政」を内閣から国民に『さずける=与える』構図になっているのです。スマートな表現をとると「内閣が国民に行政を提供」することを意味しているのです。
 何故「内閣」だけが矢印が逆向き――国会や最高裁と同じ方向を向かないで主権者たる国民に内閣が「行政」を『ほどこす』ような方向に向いているのか。国会と最高裁には国民(主権者)の「権力の制限・規制」を意味する「選挙」「国民審査」が大きく明示されているのに、何故内閣には『国民』が「内閣の権力を制限・規制」する文言が表示されていないのか。内閣は主権者・国民の「権力の制限」を免れていると考えているのだろうか。
 
 タレントのラサール石井さんたちがSNSで問題提起、内閣批判で炎上したのを受けて野党も同調。ようやく22年ぶりに修正が加えられ、国民から内閣に「世論」という力で「制限・規制」、「行政権の監視」を表す形に改められました。22年前といえば橋本龍太郎氏か小淵恵三氏が総理大臣のころで、その後2009年から2012年には民主党政権時代もあったわけで何とも情けない話です。
 
 中央と地方の行政府の令和2年度予算はそれぞれ、102兆円と90兆円になっています。行政マン――公務員がそれぞれの職権に基づいてこの予算を執行するのですが、原資はいずれもわれわれ国民から徴収した「税金」が使われます、決して安倍さんや麻生さんのポケットマネーではないわけで、10万円の特別定額給付金も持続化給付金も年金も健康保険も各種の補助金も、すべて国民の税金を「効率よく」「公平に」配分するために「専門家」たる『公務員』にまかせて(委託して)いるのです。ところが例の「――説明図」から読みとれることは、「お上が下々に『ほどこし』をしてやっている」というふうな意図です。お金と権力を手にするとよほどの聖人君子でもこんな「勘違い」をしてしまうのでしょうか。
 「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない(憲法第15条)」と規定されていますし、よく『公僕』という言葉で職務が表現されますが、主権者たる国民の使用人として国民に奉仕する者が公僕です。しかし現在の政治家(特別職国家公務員)も官僚諸氏にも「国民の奉仕者・使用人」という意識は微塵も感じられません。
 
 なぜこんな風潮になってしまったのでしょうか。私は「内閣人事局」制度が元凶だと思っています。
 国を経営するためには政治家と官僚は不可欠です。国の方向を示すのは政治家の仕事ですし、それを実現するのは官僚のつとめです。もちろん政治家が国の進路を決定するにも官僚の力は欠かせませんから、官僚を上手に使いこなす能力が政治家に必須の「資質」といってもいいでしょう。「使いこなす」というのは「権力」でもって服従させることではありません。官僚がその能力を余すことなく発揮できる環境を整えることが重要な要素になってきます。官僚が「萎縮」して「政治家の顔色をうかがう」ようでは決してその能力を完全に使うことはできないでしょう。持てる能力を十全に発揮・活用するためには政治家と官僚の関係は「主従」の関係であってはなりません。お互いがそれぞれの能力を尊重し合う対等の関係が望ましいのですが、それが無理なら官僚は政治家を尊敬し、政治家は官僚の能力を重んじる、そんな関係が築ければわが国は良い方向に進むことができるに違いありません。
 ところが「内閣人事局」ができて、幹部職員の人事権を内閣が握るようになってからわが国の官僚制度がうまく機能しなくなってしまったように感じます。「忖度」ということばが「悪い意味」で普通に使われるようになり、財務省の役人が公文書の改ざんを命じられて自殺に追い込まれるという痛ましい事件まで起こるようになってしまいました。
 政治家の劣化は「秘書」との関係にも表れており、まるで殿様が目下を支配するかのような「言辞」を使う音声が表沙汰になったりして「働き方改革」や「ハラスメント改革」を法律化しようとしている政治家がまず最初に「改革」すべき存在になり下がっています。
 
 こんな政治家と官僚の関係に「嫌や気」がさしたのか「絶望」したのか、若手官僚の7人に1人が「数年以内に辞めたい」というアンケート調査がでて、問題になっています。内閣人事局が約4万4千人の国家公務員に行ったアンケートで「辞職意向」に関する項目で20代の男性官僚の7人に1人(全体の5.5%)が「数年以内に辞職したい」と答え上層部が危機感を募らせていると報道されています。
 私が現役のころ感じたのは、若手は国のため、国民のために熱い心で仕事に取り組んでいるのが、課長クラスになると「組織のため」に変わってしまう姿でした。それでも結果的には「国」をないがしろにするまでには至っていませんでしたが、この二十年近い間にすっかり様変わりしてしまったのでしょう。国を思い、国民の幸せを願う熱い心が、内閣府ばかりを見ている上層部の姿を目の当たりにしていると数年で冷めてしまうのでしょう。
 
 全体の奉仕者としての『公僕』。政治家も公務員もこれが『原点』のはずなのですが……。