2023年5月29日月曜日

性と生殖と家族について

  『がらんどう』という小説を読みました。大谷朝子という33才の若い女性作家の作品で第46回すばる文学賞受賞作品です。

 アラフォの平井と菅沼はルームシェアをしています。平井の会社が業務のIT化をするとき請け負ったシステム会社の社員が菅沼だったのですがふたりが親密になったのは二人組のアイドルグループKI Dashのファンだと分かったのがきっかけでした。ふたりはレズビアンではありません。平井は男性との恋愛ができない体質です。菅沼は両親の泥沼離婚をみて結婚に否定的になってしまったのですが最近セックスフレンドができたようで月に何回かデートしていますが彼が単身赴任の間だけの付き合いと割り切った関係です。

 就職氷河期だったにもかかわらずたまたま正社員になれた二人ですが二十年近く勤めてもまだ狭い単身者用賃貸マンション住まいなのに不満を覚えルームシェアすれば2LTDに住まえるという共通利益に同意して、それでも都内は無理なので鶴見に物件を見つけ同居に至ったのです。

 菅沼は3Dプリンターで亡くなった愛犬のフィギアを作る副業をしています。当然失敗作も出ますが元が誰かの愛犬だった生きものですからゴミ捨てはできず「お焚き上げ」を業者に依頼しています。

 平井が思い立ってマッチングアプリで出会った男性と交際をはじめます。ひょっとしたら男性と交際できるかもしれないと最後の挑戦を決心したのです。しかし相手はマルチ商法の勧誘が目的だったことが分かって結婚を決定的にあきらめます。いつかはと思って「凍結保存」していた卵子も破棄する決意をします。そのかわり菅沼に「赤ちゃんのフィギア」を作ってもらうことを思いつきます。出来上がった赤ちゃんフィギアを抱いてみると小っささも抱き心地も思った以上にしっくりしたのです。これでいい、満足感が平井を包むのです。

 今年2月発行のこの作品は「性と生殖」に無縁な、レズビアンでもない女性同士がルームシェアするうちにパートナーらしい感覚がめばえてくる、そんな少数派ですが必ず今の日本に存在しているにちがいない「生存のかたち」を淡々と描いた中編の佳作です。

 

 ここ十年ばかりのあいだ、新刊の小説は多く女性作家の作品を読んできました。それはテーマの現代性が女性作家の方が断然迫真性をもっていたからです。なかでも角田光代の『八日目の蝉』と川上未映子の『夏物語』の二編は印象に残っています。

 『八日目の蝉』:「母性」をテーマにした作品です。不倫相手の子供を誘拐した女・希和子の3年半の逃亡劇と、事件後、成人した子供・恵里菜の葛藤が描かれています。出生、愛情、家族などの日常的な要素が独特な切り口でつづられています。女性だけで共同生活を送る「エンジェルホーム」での生活。成人した恵里菜は希和子と同じように妻子持ちの岸田と付き合って妊娠する、エンジェルホームで生活した元同士との再会、そして希和子、恵里菜の「仮の親子」の運命はどうなるのか。

 「母性」や家族、親子の愛情など当然として語られる「価値感」への疑問が意外性をもった手練の筆致で描かれ、映画化もされました。

 

 『夏物語』:大阪の下町で生まれ小説家を目指し上京した夏子。38歳の頃、自分の子どもに会いたいと思い始めます。子どもを産むこと、持つことへの周囲の様々な声。そんな中、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い心を寄せていきます。生命の意味をめぐる真摯な問いを切ない詩情と泣き笑いの筆致で描く、全世界が認める至高の物語です世界40ヶ国で刊行されています。性行為を好きになれない夏子が、結婚せずパートナーも持たずに第三者による精子提供を受けて出産することを企図するあたりの物語の緊迫感は小説のおもしろさを十分に堪能できます。

 生殖と性が分離し、したがって結婚や家族というものへの否定的な層が確実に存在していることがリアリティをもって描かれています。

 

 『八日目の蝉』は2007年2月の発行、『夏物語』は2019年7月初版、そして『がらんどう』が2023年2月発行です。角田光代は母性や家族というものに疑問を呈し、川上未映子は生殖と性・結婚の分離の現実を描きました。大谷朝子はついに性と生殖に無縁なパートナシップのリアリティを描くに至りました。文学(芸術)は時代の変化を敏感に感じ取りそれを先鋭に描くことを本質にしています。とすれば2007年から今日に至るあいだに、われわれ世代が当然のように考えてきた、結婚して(婚姻届けを出して)子どもをもって、育てて社会人として独立させ……といった「価値観」がこの20年ほどのあいだに徐々に、しかし確実に崩壊しているのが現実だということを示しているのではないでしょうか。晩婚化、非婚化、少子高齢化の時代の底流で我々の常識がどんどん乖離しているのではないでしょうか。

 

 そうすると「LGBT理解増進法」などという世界の潮流と一歩も二歩も遅れた法案をようやく国会に上程した「政治」はあまりに現実世界とかけ離れていることになります。「差別を許さない」を「不当な差別を許さない」に変更したのを「不当でない差別というものがあるのです」かと追求されて「言葉遊び」と強弁する鉄面皮をさらす「保守系右派」と称される勢力の人たちは「誰のために、何を守ろう」としているのでしょうか。政治が「国民の幸福を実現する」ものだとすれば彼らは「誰の幸せ」を守って「誰の不幸せ」を「見捨てよう」としているのでしょうか。憲法25条に「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と保証されている権利を「彼らの信条」で妨げられている現実にどう「説明責任」を果たすのでしょうか。

 

 政治と経済が国の運営に過剰な影響力を行使している21世紀。特に「行政の暴走」が目立つ安倍政権以降の自民党政権は彼らが「代表している」と自認している「保守層」からも見放されているという現実をもっと深刻に受け止めないと重大な危機に見舞われるにちがいありません。それが「第二保守党――日本維新の会」の台頭です。保守二党制の現実性がひしひしと迫っていることに彼らは気づいているでしょうか。

 

 

 

 

 

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2023年5月22日月曜日

ハーンの予言

  日本人は(略)たぶん文明世界の中で、今もなお一番幸福な国民であろう。日本人ほど、幸福に生活していくこつをこれほど深くわきまえている国民は、他の文明国には見られないのである。人生のよろこびは、周囲の人たちの幸福にかかっているのであるから、つまるところ、無私と忍従をわれわれのうちにつちかうところにあるという真理を、日本人ほどひろく理解している国民はあるまい。日本人はやはり世界で一番、いっしょに暮しやすい国民であるという感をぬぐい得ないのである。

 これは小泉八雲――パトリック・ラフカディオ・ハーン(1850~1904)の「日本人の微笑」からの引用です。1895年に発表されたこの小論は維新・開明期の外国人による「日本(人)論」の最もすぐれたものの一つとされています。さらにハーンはつづけます。

 

 文明の根底をけっして愛他精神の上に置いていない国々と広汎な産業競争をせざるをえない日本は、けっきょく、これまで比較的そういった面に欠けていたことが彼らの生活のすばらしい魅力をなしてきたこれらの特質を、発展させていかざるをえまい。国民性はすでに硬化しはじめているが、これからもますます硬化の度を加えていくにちがいない。しかし、古い日本が、十九世紀日本より物質的に遅れていたとはいえ、道徳的にははるかに進んでいたことは、けっして忘れてはなるまい。日本は道徳を、すでに合理的なものにしたあと、それを本能的なものにしている。西洋のもっともすぐれた思想家たちが、もっとも幸福な最高のものとみなしている社会状態を、限られた範囲の内ではあるが、いくつか実現していたのである。

 千年以上もむかしに中国の文明に同化しながら、しかも独自の思考や感情形式を保持している日本は、はたして西洋文明と同化することができるだろうか。ただ一つ、希望を持てる目ざましい事実がある。それは、西洋の物質的優越に対する日本人の讃美が、決して西洋の道徳にまで及んでいないことである。東洋の思想家たちは、機械の進歩と倫理の進歩とを混同するような重大なへまをおかしたり、また、われわれの誇る西洋文明のもつ道徳的弱点に気づかぬようなことはない

 皮相な見地からすると、西洋流の社会形態は、古くより人間の欲望を自由に発達させた結果、華美と浪費をきわめ、はなはだ魅力的である。要するに西洋で一般に行なわれている物事の状態は、人間の利己心の自由な活動にもとづいているから、そうした特質をじゅうぶんに発揮することによって、はじめて到達されるのである。社会的混乱など、西洋ではほとんど注意も引かない。が、そうした混乱こそ、そのまま現在の悪しき社会状態の証明でありまたその要因でもあろう。……西洋かぶれの日本人は、母国の歴史を西洋流に書くつもりでいるのか。彼らは、本気で自分の国を、西洋文明の新しい実験の場にしたいと考えているのであろうか。

 西洋流の解釈にしたがえば、文明は、大きな欲望をもつ人たちを満足させるためのものにすぎない。大衆にとって、なんの利益もなく、ただ野心家たちが、その目的を果たすために競う制度にすぎない。西洋流の制度が、一国の秩序や平和を途方もなく乱しつつあることは目のある人には見え、耳のある人はこれを聞いている。そうした制度の下における日本の将来は、まことに憂慮すべきものがある。倫理も宗教も人間の野望に奉仕するように作られた原理に立脚した制度は、当然、利己的な個人の欲求と一致する。自由や平等という近代的な公式に具現された理論は、すでに確立している社会的諸関係を壊滅させ、礼儀作法を無視する   (略)こうした自由と平等の原理を日本で採用するならば、わが国の良風美俗はたちどころに損なわれ、国民の気風を冷酷無情なものとし、ついには一般庶民に災厄をもたらす要因になるだろう

 人間の願望が自然の法則をつくるという仮説を基にしている以上、究極するところそれは、失意と堕落に終わるにちがいない。……西洋諸国は最も深刻な闘争と幾多の消長をへて、今日の有様となった。だから、闘争をつづけるのが、彼らの運命なのである。(略)永遠につづく混乱こそが、彼らの宿命なのである。平和な平等は、滅亡した西洋諸国の廃墟と、絶滅した西洋人の死灰のなかに打ち立てられるまでは、決して達成されまい。

 

 19世紀後半に生まれたハーンは前期資本主義のもっとも醜悪なヨーロッパで育ちました。激しい格差と極貧に苦しむ庶民と不衛生きわまる社会体制のヨーロッパから来たハーンの目に清潔でのどかな日本は一種の理想郷として映ったにちがいありません。その日本がなぜ醜悪なヨーロッパの後追いをするのか、綻びはじめた日本の行く末を案じるハーンは西洋の模倣にすぎない高等教育に危機感を抱きます。 

 わずか数世代のあいだに、望みとおりの知的変革をなしとげることは、当然、恐るべき犠牲をともなわずにはおかない生理的変化をもたらすにちがいない。言いかえるならば、日本はあまりにも多くのことをやろうとしすぎているのである。(略)今までのところ高等教育の成果は、必ずしも満足すべきものとはいえない。古い体制に育った日本人のなかに、決してほめすぎにならない、礼儀正しさや、無心無欲や、善意に満ちた優雅に、われわれは出会うことがある。当世風の若い世代の連中のあいだからは、こういったものはほとんど姿を消している。卑俗な模倣と、陳腐きわまる浅薄な懐疑を超えることもできずに、いたずらに古い時代と古い習俗とを嘲笑する若い人たちを見かけることがある。いったい、彼らが父祖から受け継いだはずの、あの崇高な美質はどこへ行ったのであろうか。

 

 結局ハーンの予言は不幸にして的中し、彼の憂慮は100年後の日本に「新自由主義」という最悪の西洋模倣の社会を現出するに至っています。

 そんなハーンはどこに「救い」を見いだしていたのでしょうか。そしてそれは今のわれわれに現状から抜け出すために示唆を与えてくれるのでしょうか。

 

 にもかかわらず、現在、日本の若い世代の人たちがとかく軽蔑しがちな過去の日本を、ちょうどわれわれ西洋人が古代ギリシャ文明を回顧するように、いつの日にか、かならず日本が振り返って見る時があるだろう。素朴な歓びを受け入れる能力の忘却を、純粋な生の悦びに対する感覚の喪失を、はるか昔の自然との愛すべき聖なる親しみを、また、それを映していた今は滅んだ驚くべき芸術を、懐かしむようになるだろう。かって世界がどれほど、光にみち美しく見えたかを思い出すであろう。古風な忍耐と献身、昔ながらの礼儀正しさ、古い信仰のもつ深い人間的な詩情――こうしたいろんなものを思い悲しむことであろう。そのとき日本が驚嘆するものは多いだろう。が、後悔もまた多いはずである。おそらく、そのなかでもっとも驚嘆するものは、古い神々の温顔ではなかろうか。その微笑こそが、かっての日本人の微笑にほかならないからである。

 

 

 

 

2023年5月15日月曜日

今年競馬が変わる

  ディープインパクト(以下ディープ)が逝って今年で4年。現3才馬がディープの最終年度産馬ですが2019年7月20日に急死した当年の種付け頭数はわずかに24頭、現在登録数は12頭に過ぎませんから実質最終年度産馬は今年の4才馬とみるのが妥当でしょう。2022年まで連続11年リーディングサイアー(全馬・賞金順)に輝いた彼の経歴――ヒンドスタンもシンザンもサンデーサイレンスも超える日本競馬史上最高の種牡馬の称号を築いたディープの栄光を汚さないためにも現4才馬には最終年度を飾って欲しいものです。

 そんなファンの声を知っているかのように今年の古馬重賞戦線(芝限定)におけるディープの活躍が素晴らしいのです。昨年の有馬記念以降5月7日までの種牡馬別(除マル外)勝馬頭数でディープは断然の成績を残しているのです。24レースで22頭(2勝馬が2頭)の勝馬が出ているなかでディープは9頭の勝馬を出しています。なかに大阪杯のレイパパレ、天皇賞のワールドプレミアがいますから内容的にも文句なしです。次位が3頭出しのロードカナロア、3位が2頭出しでルーラーシップですからいかにディープが凄いか分かります。1頭出しは有馬記念勝ちのイクイノックスを擁するキタサンブラック以下7頭で合計11頭の種牡馬が重賞勝ち馬を出しています。

 現在およそ160頭の種牡馬がいるなかの11頭ですからこれらの種牡馬の価値の大きさが分かると思います。そこに11年君臨しつづけるディープの偉大さはどれほど評価しても評価し過ぎることはないでしょう。

 

(資料)2020年~2022年リーディングサイアー(全馬・賞金順)

2022年1位ディープインパクト、2位ロードカナロア、3位ハーツクライ

2021年      〃          〃        〃

2020年      〃          〃        〃

2022年4位キズナ      、5位ドゥラメンテ、 6位キングカメハメハ

2021年   〃          キングカメハメハ  エピイファネイア

2020年  オルフェーブル        〃      ルーラーシップ

(資料)2023年重賞勝ち馬(昨年有馬記念~5月7日現在)

1位ディープインパクト9頭〈マジックキャッスル、ラヴズオンリーユー、コントラチェック、ランブリングアレー、ギベオン、テルツェット、レイパパレ、デゼル、ワールドプレミア〉

2位ロードカナロア3頭〈ケーデンスコール2勝、イベリス、ダノンスマッシュ〉

3位ルーラーシップ2頭〈グロンディオーズ、ディアンドル〉

4位キタサンブラック〈イクイノックス〉、ハーツクライ〈ヒシイグアス2勝〉、オルフェーブル〈ショウリュウイクゾ〉、エピファネイア〈アリストテレス〉、トゥザグローリー〈カラテ〉、ダイワメジャー〈レスシテンシア〉、キズナ〈ディープボンド〉、スクリーンヒーロー〈ウィンマリリン〉

 

 目を3才馬に転じてみるとこれはもうドゥラメンテの天下です。昨年末の2才GⅠ3レ-スから5月7日までの芝限定20重賞(19頭)でドゥラメンテが5頭の勝ち馬を出していて、しかもホープフルS勝ちドゥラエレーデ、阪神JF・桜花賞勝ちリバティアイランド、NHKマイルCシャンペンカラーとGⅠレースを総なめしているのですから凄いの一語です。他のGⅠは朝日杯のルーラーシップ産駒ドルチェモアと皐月賞を勝ったソールオリエンスをキタサンブラックが出しているだけですから圧倒的な勢いです。過去3年のリーディングサイアー(2才馬賞金順)をみてもディープ無きあとはドゥラメンテが一歩抜きんでていてその後をエピファネイア、ルーラーシップが上昇基調で追いかけている形勢になっています。もう1頭キタサンブラックが注目ですがドゥラメンテの今年のここまでの急激な上昇振りはディープの後継はこれで決まりのような印象を受けます。

 

(資料)2020年~2022年リーディングサイアー(2才馬・賞金順)

2022年1位ドゥラメンテ    2位エピファネイア 3位ルーラーシップ

2021年1位ディープインパクト、     〃      ドゥラメンテ

2020年1位   〃        ドゥラメンテ    モーリス 

(資料)2023年2才馬重賞勝ち馬(昨年末2才GⅠ3戦~5月7日現在)

1位ドゥラメンテ5頭〈ホープフルS・ドゥラエレーデ、阪神JF・桜花賞リバティアイランド、シングザットソング、シーズンリッチ、NHKマイル・シャンパンカラー〉

2位ルーラーシップ2頭〈朝日・ドゥルチェモア、フリークファクシ〉

2位キタサンブラック2頭〈皐月・ソールオリエンス、スキルヴィング〉

2位ハービンジャー2頭〈ファントムシーフ、エミュー〉

3位ディープインパクト〈ライトクォンタクト〉、ダノンバラード〈キタウィング〉、ハーツクライ〈ハーパー〉、リアクインパクト〈モズメイメイ〉、サトノクラウン〈タスティエーラー〉、ロードカナロア〈バラジオオペラ〉、シルバーステイト〈エエヤン〉、ゴールドシップ〈ゴールデンハインド〉 

 

 日本競馬はここ10年ほどのあいだに海外競馬で海外勢と互角以上の戦績を残すほどにレベルアップしてきました。その原動力となった一つに血統の質的向上があったことは論をまちませんが中でディープの貢献は甚大でした。

 そのディープの産駒が今年で存在しなくなるのですから日本の競馬が大きく変わることは確実です。勿論ブルードメアサイアー(種牡馬の父馬)として今後も長く影響を与え続けるでしょうが新しい局面を迎えるのは否定しようのない事実です。そしてその後継馬として浮上してくるのがキングカメハメハの産駒ドゥラメンテというのですから「競馬の血」の不思議さを感じずにはいられません。現役時代はすれ違いで一度も勝負をしていないディープとキンカメですがいまだにファンの間でどちらが強いか支持が分かれる両馬の子どもたちが、これから長く競い合うようになるのですから競馬は奥深い競技です。

 

 日本競馬がどう変わっていくのか、興味が尽きません。

 

(注)農林水産省「馬をめぐる情勢」を一部参考にしました。

 

 

 

 

 

  

 

2023年5月8日月曜日

休載のお知らせ

 2023年5月8日アップ予定の「市村清英のコラム」は筆者病気療養中のため休載します。

15日から連載再開の予定です。

よろしくご了承のほどを。

皆さま、おからだご大切にお過ごしください。

2023年5月1日月曜日

森と水と大都市

  うちのお寺は河原町六条の長講堂です。平家物語にも出てくる名刹で後白河法皇の開基になります。河原町を渡った六条通りの突き当り(木屋町通り)が疎水になっていてちょっと北へ上がった五条手前の疎水沿いに源融の河原院跡の石碑があります。総面積八町(約8万平米)にも及ぶ苑池を備えた広大な庭園は源氏物語の光源氏の邸宅六条院のモデルの一つとされています。近くには平家ゆかりの六波羅蜜寺もあり六条、八条あたりは栄華を誇る平家公達の広壮な邸宅街だったにちがいありません。清盛の構想力は広島の厳島神社にしのばれますからその煌びやかさはわれわれの想像を絶するものであったことでしょう。1200年の京都の歴史は戦乱と天変地異の歴史ですから幾層もの過去が堆積していますが私は平家栄華のすがたにもっとも愛惜をおぼえます。ドイツに「ロマンチック街道」というのがあって中世の城館が往時をしのばせる観光名所となっていますが、彼の地は石造りの文化、わが国は木と紙の文化、石は戦火に耐えて今に遺るも木と紙は焼失の憂き目に合って今日その姿を留めていません。まことに残念至極であります。

 

 何年か前NHKで「明治神宮不思議の森~100年の大実験」という放送がありました(2015年5月2日NHKスペッシャル)。大正9年(1920年)11月1日明治天皇と昭建皇太后を祀る明治神宮が創建されたのですが、この神宮には人工的につくられた太古の原生林が100年の構想で併設されていました。そしてこの壮大な実験は100年の時間を要することなく見事に成功し2015年時点で東京で絶滅したはずの生物、奇妙な粘菌、猛禽まで3000種もの生物の宝庫となって構想を超えた原生林を現出したのです。NHKの技術の粋である特殊撮影を駆使して撮影された映像は世界でも例をみない「人工的な原生林」の実態を描き出した感動の映像でした。

 この森は参拝する後世の人たちの祈りを明治天皇昭建皇太后から日本創建の神々にみちびく神話の世界――「永遠の杜」をつくろうと構想されたのです。そのため林学の父と呼ばれた本多静六をはじめ本郷高徳、上原敬二など第一線の学者が集められ、永遠の杜をつくるための最適の構成木を照葉樹に定め全国から約10万本が奉献され延べ11万人の青年の造営工事勤労奉仕によって完成されました。当時の総理大臣であった大隈重信は伊勢神宮のような杉林の荘厳な森を望んだのですが、学者たちは大正時代すでに公害が進んで都内の大木・老木が次々と枯れている実情から百年先を見据えるなら照葉樹でないと森は育たないと断固反対して大隈重信を説き伏せたのです。学者たちの先見は科学に裏づけられたものでしたから見事に構想を超える成果を実現して今日のあの「奇跡」ともいえる「太古の杜」を東京という人口過密で公害の街に実現することができたのです。

 

 この先人が百年の構想で実現した「太古の杜」を小池さんはいとも簡単に『破壊』しようとしているのです。「明治神宮外苑再開発」と銘打ったこの計画は、外苑地区を「世界に誇るスポーツクラスター(集積地)」とするとともに土地の高度利用化を促進して業務・商業等の都市機能を導入、緑の充実とオープンスペースの形成を図り、魅力ある複合市街地を実現するとしています。しかし秩父宮ラグビー場や神宮球場といった歴史的建造物は取り壊され同地区に移設されますし、なによりも問題なのは樹齢100年級の巨木を約900本伐採して代わりに若木1000本近くに植えかえようとしていることです。小池さんは樹木は増えると強弁していますが今ある巨木と同じになるには百年を要するわけでこの間の景観と森のもつ環境浄化機能はまちがいなく劣化します。「緑を充実強化し、緑を保全する」と言っていますが専門家は「天然のクーラーを減らしてストーブをつくるようなもの」と批判しています。先日亡くなった坂本龍一さんも「目の前の経済的利益のために先人が100年をかけて守り育ててきた貴重な神宮の樹々を犠牲にすべきではありません。(略)この樹々は一度失ったら二度と取り戻すことができない自然です」と訴えていました。

 東京以外にも大阪城公園で約1200本の樹木が伐採されてコンビニや飲食施設、劇場などが作られましたし、京都の府立植物園一帯で進められようとしている再開発計画もあります。

 大都市の首長たちは、今なぜ、このような自然破壊をして目先の経済的利益を追求するのでしょうか。

 

 同じような問題は経済界でも起こっています。「リニア中央新幹線」です。計画では大井川の下にトンネルを掘ることになっています。大井川のある静岡には南アルプス山岳地帯があってマグマ溜まりからの噴火で活火山が生まれ、川の伏流水や地層からの湧水が豊かな地下水を蓄えています。トンネルが掘られると大井川の水がトンネルに抜けて大量の水量が減ると同時に大量の地下水が移動して北伊豆地震を誘発する可能性があるのです。今、南アルプスの微小地震が異常に増加しているのですがこの現象とトンネル工事の影響が強く懸念されており、もし影響が実際に起こっているとしたら日本一発生確率の高い活断層に地震を誘発する危険性も十分考えられるのです。リニア新幹線は大部分が活断層帯を堀り抜くトンネルで設計されており、地下水に対して真正面から挑戦する計画になっています。静岡だけでなく沿線各地で同様の地下水の移動による地盤への影響が今後出てくる可能性は無視できません。南海トラフの危険性が相当な確率で予測されているなかでなぜこんな「人工による地震の誘発」の懸念ある計画が進められるのでしょうか。

 

 経済的利益を追求した「進歩と成長」の限界が叫ばれている現在、なぜ大都市と大都市経済圏で利益追求の大型プロジェクトを首長たちは推進しようとするのでしょうか。

 

(参考)地球にプレート運動が発生した原因は地表に豊富な水があったからで、その水が大陸の岩盤に浸み込んで破壊が発生し大断層になり、落ち込む岩盤がプレート運動の元となったのです。そして長い歴史の末、地下水をたっぷり含む日本列島が誕生しました。ですから地下水を軽率にいじってはいけないのです。

この稿は京都新聞2023.4.29『天眼――尾池和夫』を参考にしています