2009年6月27日土曜日

下請いじめ

 何という厭な言葉であろうか。そして何と古い言葉だろう。

CSR(企業の社会的責任)やコーポレート・ガバナンス(企業統治)などカタカナ文字に彩られて『経営学』は進歩し、企業経営を科学的アプローチによって捉え経営の近代化を進めるというMBA(経営学修士)で固められた経営陣を擁しながら日本を代表する世界的企業には『偽装請負』や『下請いじめ』という古典的な『あくどい儲け主義』が未だにはびこっている。

昨年度の「下請け代金不当減額の総額」が前年度比2.7倍の約29億円の最多に上ったと27日公取委が発表している。これは下請け業者へ支払うべき代金を発注者側が不当に減額したものを下請法違反で返還させた金額で044月の改正法施行後の最高額である。是正勧告も同2件増の15件で最高になっており警告措置に留まった発注者側も含め計50社が下請約2000社に不当減額を行っていたと報告している。しかしこれは公取委へ違反を訴えたものだけで氷山の一角に過ぎない。実際はこの何倍もの下請業者が泣き寝入りしているに違いない。

建築業界には更に異なった事情もある。先月15日近畿整備局等近畿地方の発注機関と(社)日本土木工業協会の意見交換会で業者側が強く申し入れた「設計変更ガイドラインの整備」は企業会計の決算基準が進行基準に変更になったことと共に下請法の適用が厳格になった事情を反映している。こうした申し入れをしなければならないほど設計変更や追加工事が受発注者間で不明朗かつ強圧的に行われてきたのでありそのしわ寄せで『下請いじめ』が常態化していた側面もある。

都留重人が著書「市場には心がない」のなかでこういっている。「(市場化の特徴は)自由競争を阻害する独占や寡占、あるいは談合化の弊害があるほか、人間生活の福祉からの逸脱や市場の失敗と呼ばれるネガティブな効果も否定できない現実なので、こうした市場化のマイナス要因にどう対処するかが、不可欠の課題となる。」

『下請いじめ』は「市場には心がない」の最低の例である。

初動捜査

 先日公園で盗難バイクを見つけた。ナンバープレートの下半分(数字部分)が引きちぎられていて、あとで草むらからそのプレートが捨てられていたのを拾ったのでプレートの切れ端を持って交番へ届けた。警官が「西京区ナンバーでしたか」と訊ねたので「そこまでは見ていない」と答えたが彼は無視して本署へ「西京○○○○」で盗難車検索を問い合わせた。急いでいたので「夕方又来るから」と帰ろうとするとそれは駄目だと言う。「単なる拾得物ではないので調書を作成しなければなりません」と盗難車両が特定できるまで待ってくださいという。暫くして本署から電話があった。「コンピューターの調子が悪くて検索ができませんので帰っていただいて結構です」という。あっけにとられて帰ってきた。

 警察の初動捜査のミスにまつわる不祥事が多いがさもありなんと思う。私の例で言えば▽西京区であるかどうか公園へ行って確認していない▽本署のコンピューターの作動不良で検索が捜査初期に行えなかったのは明らかにミスである。たかが盗難車の捜査だがこんな初歩的な捜査ですら基本的な手順が踏まれていない。

 

最近何かといえば創造的な仕事がしたいとか自分に合った職業につきたいという若者が多い。学校教育でも画一的でない創造性に富んだ、子供が興味を抱く教育が良しとされている。しかし実際の仕事というものは九割方決まりきった手順を踏む退屈で単純な繰り返し作業で構成されておりそれを愚直に実行することが求められる。創造性の必要な割合など殆んどの職業で一割にも満たないであろう。そして不思議なことに創造力というものは愚直な手順の繰り返しの中から生まれることが多い。単調な日常の作業を蔑ろにしていると創造力を発揮する機会に恵まれないのだがそれに気づく前に次の職に移ってしまうのが昨今の傾向のようだ。決まりきった事を愚直に繰り返すことの大切さを今一度知るべきであろう。

私の母校の校是は「平凡の偉大さに徹せよ」である。

今何故、家計に負担を言い立てるのか

 10日麻生首相は、日本の2020年時点の温暖化ガスの削減目標を05年比15%削減(1990年比8%削減)にすると表明した。これは昨年の洞爺湖サミットの「2050年までに世界全体の排出量の少なくとも50%の削減を達成する目標」とどのように整合性を保っているのか。そして今、何故「この目標を達成するためには年間76千円程度の負担を家計にお願いしなければならない」などと突然言い立てるのか。

 低炭素社会を実現するための世界的合意形成の基本的な資料は国連の気候変動に関する政府間パネルの「気温上昇を23度に抑えるには先進国が20年までに排出量を90年比で2540%削減する必要がある」という指摘を採用するのが最も説得力を持つであろう。又EU2100年に産業革命以来の温度上昇を2度以下に抑えるとの理念のもと、20年に90年比20%減の目標を掲げていることも判断指標の一つになる。そして京都議定書の「第一約束期間(20082012年)の締約国の温室効果ガス総排出量を5.2%削減し、日本は基準年比6%削減するという目標」とどう向き合っていくのか。数字だけ見れば、日本は京都議定書に基づいて12年までに90年比6%削減した後に、1320年に追加で同2%程度しか削減しない、低炭素社会実現に非常に消極的な国と見られるに違いない。

 世界のGDPの約75%は韓国までの上位13カ国(この中に中国、印度、露国、ブラジルも含まれている)が稼ぎ出したものである(2005年現在)。この繁栄を享受している先進国或いは豊かな国が温暖化阻止に対して積極的な貢献を果たさなければ世界の200近い国・地域のほとんどが温暖化による負の影響を甘受しなければならないという『不条理』に引き込まれる。

 先の家計負担額は、産業構造を変革せず産業界にそれほどの負担を求めず排出量取引などによる削減誘導策も進めないという条件の基に役人が算出した、国民を威しにかけた数字である。役人の志の無い机上の空論的数字に踊らされて、世界の国から尊敬されず、文明史的転換点での国家変革の失敗の愚を犯していいのだろうか。

根拠なき楽観

 かつてグリーンスパン米FRB議長が株式市場の異常な高騰を「根拠なき熱狂」と警告したことがあった。株価が一時一万円台を回復したり政府が景気の底打ち宣言を出したりしている今の我国の状況を『根拠なき楽観』と感じているのは私だけだろうか。

 アメリカ発の金融危機による百年に一度の経済危機、を15兆円にも上る補正予算で乗り切ろうとしているが、その先にある「国のかたち」が全く見えてこない。退職者の健康保険等のレガシーコストがGMを破綻に追い込んだことを教訓として、オバマは国民健康保険の創設、GMやAIGなど経営破綻企業の一時国有化やグリーン・ニューディール政策によってアメリカを大きく方向転換させようとしている。EUは低炭素社会への移行を産業革命以来の文明史的転換と捉えて温暖化ガスの中期削減目標を1990年比20%を掲げている。自民党や民主党にこうした世界観歴史観が全く感じられない。
 
 明治維新以来わが国は「殖産興業」「富国強兵」を国是として先進国へのキャッチアップに邁進してきた。資源少国でありながら国のありようを「貿易立国」と定めて「資源、石油、食料、軍備」を外国から輸入することを当然としてきた。しかしこうした「日本国のかたち」を百パーセント見直して新しい国のかたちを問うのが今回の総選挙であり、これまでの延長線上や、ましてや従来型施策の増強などで『百年に一度の経済危機』を乗り切れないことを知る必要がある。

 消費税増税の前にムダを省くと誰もがいうが、歴史観に基づいた新しい国のかたちをもっていない政治家や役人の手におえる作業ではない。少なくともキャッチアップのための供給側(企業)偏重の国の経費は役割を終えたとして削減対象と見なす覚悟がいる。この視点だけでも相当な割合の国家予算が削減できるし特別会計は殆んど不要になるであろう。低炭素社会は石油輸入を、食料自給率向上は食料輸入を大幅に低下させる。さらに軍備削減に切り込む勇気があれば日本は全く新しい国に生まれ変われるのだが、そんなリーダーが現れてくれるだろうか。