2011年10月31日月曜日

傍目八目

 今年のドラフトの注目選手、東海大菅野選手の交渉権を日ハムが獲得した。彼は巨人軍原監督の甥にあたり巨人軍単独指名になるのではないかと巷間伝えられていただけに意外な結果になった。たまたま菅野選手の指名の瞬間をテレビで見ていて抽選に清武代表が出てきたとき巨人ファンの私はイヤな気がした。悪い予感は的中したのだがどうして原監督は抽選しなかったのだろう。菅野選手も伯父の原監督がクジを抽いたのなら諦めもつくというもので結果がこうなった今監督自身も心残りだろう。後付で言うのではないが伯父甥の血縁という他の人にはない強い『援(ひ)きあう力』があるのだからその助けを借りない法はない。何かを慮って躊躇したのだろうが原辰徳一生の不覚であったというべきであろう。

 TPP参加の是非について判断が分かれている。意図的かどうか解らないがとにかく情報が少なすぎる。国家百年の計になるかも知れない重要な問題であり、国民の多くに影響が及ぶに違いないのだから透明性のある論議を進めるべきだ。
 私はひょんなことから『参加すべき』と判断した。農協と日本医師会が強力な反対姿勢を示したからだ。この二つの団体は我国最大の圧力団体であり厖大な既得権益を享受している。彼らがこれだけ執拗に反対するからにはその既得権益が相当侵される効力があるに違いない。そうだとしたらTPPは我国にパラダイムシフトを促す大きな力になる可能性が高い。

 現今我国の最大の問題は20有余年に及ぶデフレからの脱却である。デフレ=総需要の不足であるから広い意味での購買力増強が必要なのだがその為には経済が成長力を取り戻さなければならない、低成長産業から成長産業へ資本と労働力を移動させなければならない。それを邪魔しているのが既得権集団の抵抗でありその代表が農協と医師会であるのは衆目の一致するところである。規制改革や役目を終わった補助金制度の見直し・廃止を大胆に進める大手術をしなければ我国の再生はない。

 TPPは現時点では不完全で国民の百パーセントが満足するようなものでないかも知れない。しかし参加することに方向性の誤りが無いのであれば身を削ってでも参加するべきである。明治維新以来『外圧』が無ければ国の方向転換ができなかった我国の歴史は今回もまた繰り返されるのであろう。

 70年も生きてくれば理詰めばかりなくカンで判断した方が正しかったこともある。傍目八目の所以である。

2011年10月24日月曜日

涸轍(こてつ)の魚

  持ち家をもつ余裕のない貧困層に見せ掛け有利な融資条件で無理やり家を購入させ、その債権を金融工学でデリバティブ(金融派生商品)化し世界中にばらまいて甘い汁を吸い尽くし破綻した「リーマンショック」。
 統一通貨―ユーロを採用し金融政策の自由度を束縛しながら財政政策を放任し結果的に域内の強大国が弱小国を収奪することになり破綻の危機に瀕するEU(欧州連合)。
 グローバル経済の中、生き残りのために投入労働力の最小化を図り廉価で豊富な労働力を狙って新興国に生産拠点を次々に移転し続ける巨大企業。
 周回遅れで日本の後追いしているかのような中国経済は「都市による農村の収奪」によって高度成長を謳歌していたが膨張しすぎた経済はインフレによって急減速。異常な格差の拡大と相俟って成長維持が可能かどうか。
 などなど。

 李白の「擬古」という詩にこんな一節がある。『座して悲苦し、塊然として涸轍の魚のごとくなるなかれ』。車の轍にできた小さな水溜り、そんな水にすむ魚は陽が照って水が涸れればたちまち死んでしまうであろう。空しく悲苦してぽつねんとそんな浅ましい魚のような生き方を選ぶでない―と李白は詠っているのだが、上に記した世界の現状はまさに『涸轍の魚』そのものではないか。

 新興国或いは後進国を先進国の都合のいいように利用するだけ利用して、価値がなくなったらポイと捨ててしまうような『強欲』が何時まで許されるのだろうか。
 景気対策として巨額の税金を使って金融機関や大企業を救済し一応経済の建て直しはできたように上辺は見えるが、「ジョブレス・リカバリー(雇用なき回復)」で格差は拡大するばかり、こんな『強欲』が許されるのか。

 先進国新興国を問わず貧富の格差は許容範囲を超えて進行している。そればかりか1日1ドル以下で生活する飢餓人口は9億6300万人おりしかも毎年約1500万人づつ増加し4秒に1人の割合で飢餓が原因で死亡している。これらの人たちは繁栄するグローバル経済の枠外に取り残されたままである。

 グローバル化と『富者による貧者の収奪』。暴走する経済は制御不能なのだろうか。

2011年10月17日月曜日

一票の格差

 和歌山県の人口が100万人を割り込んだことを知人から聞いてショックを感じている。勿論近畿でははじめてのことであり、和歌山出身の彼は口惜しそうに、そして淋しげな表情で語っていた。
 2010年現在人口が100万人を割り込んでいる府県は少ない順に鳥取の59万人を最少に島根、高知、徳島、福井、佐賀、山梨、香川に和歌山県を加えて9県ある。一方東京は1千286.8万人で 総人口1億2751万人 の10.1%、東京圏(神奈川、千葉、埼玉、栃木、群馬、茨城)の人口は4205万人33%を超えている。世界の大都市圏の人口集中度で東京圏は群を抜いており他の国ではせいぜい20%少々で留まっているから東京及び東京圏への人口集中が異常であることは間違いない。今回の東日本大震災は東京一極集中を真剣に考え直すべき時期を向かえていることを印象付けた。

 戦後の壊滅的状況から国を再建するために工業化を全速力で図ってきた。繊維産業などの軽工業から重化学工業化まで効率的に達成するためには都市化が必要であり膨大な労働力の調達のために『都市による農村の収奪』が必然であった。しかしバブル崩壊後の我国経済は労働力の削減によって生産性の向上が齎される「グローバル経済」特有の現象が顕著に現れており、都市への人口集中の効果は最早無くなっている。
 「国土の均衡ある発展」を標榜してきた我国政府が現状のような『歪(いびつ)状態』を放置してきたのは明らかに国家経営の誤りである。ここ数年「地方分権」が大きな政治命題として論議されているがその前提となるべき『地方経済の個性ある発展』の展望は全く提示されていない。

 最近選挙の「一票の格差」が問題視されている。2011年3月に前回2009年の衆議院選挙での「一票の格差・違憲判決」が最高裁から出されて以来その是正が当然視され、その際「都道府県にまず1議席を配分する基礎配分方式(1人別枠方式)」を廃止して人口を正確に反映させる方向に論議が進んでいるが、それでいいのだろうか。

 一票の格差が違憲になるような『国家経営』をしてはいけない、憲法14条の「法の下の平等」はそのような警告を我々に発しているのではないか。選挙制度をいじる前に『国の歪な状態』を改める方が先ではないのか。

2011年10月10日月曜日

市民の司法

 小沢裁判が始まった。既にマスコミ各社の報道があるので詳細は省くが、戦後政治の「政治と金」にまつわる本流末裔の裁判だけに来年4月の結審が待たれる。

 ところで一連の報道のなかで検察の発言に看過できないものがあった。「我々の手を離れた事件。審議内容で影響を受けることは一切ない」「我々は証拠上、有罪の確信がなければ起訴しない。仮に(今回の裁判で)有罪になっても起訴すべきだったとは思わない」という東京特捜幹部や検察首脳の発言だ。
今回の裁判は、平成21年に導入された検察が不起訴としても検察審査会が2度続けて「起訴すべし」と議決すれば必ず裁判にかける制度の適用を受けて実現した裁判で、現在の検察システムからこぼれ落ちた部分をカバーするいわば制度の不備を補うものであるにもかかわらず、検察幹部にはその自覚が欠けている。
更に上記「我々は証拠上、有罪の確信がなければ起訴しない。…」という発言は、有罪率99.9%が示す「検察の越権行為」―疑わしい、社会的に断罪さるべき事案を裁判所が判断する前に検察がフルイにかけている―に対する一般市民の検察批判を全く無視している。

 我国は「罪刑法定主義」を採っている。これは法律で犯罪と定められた以外の反社会的行為は処罰できない制度である。ところが現実社会の変化は急激極まるから法律がその変化に追いついていないのが現状だ。とりわけ金融や情報の分野でその傾向が著しく犯罪行為を犯しても見過されたり「別件」で逮捕して本来受けるべき処罰よりはるかに低い刑で済まされている例が多い。こうした弊害を取り除くには疑わしい反社会的行為を司法の場で審議する機会を重ね早く法令化に導くこと望ましいのだが、「有罪率99.9%」の現在の検察のあり方がそれを妨げている。
 
 我国の司法は長いあいだ「狭い専門家集団」の専権事項であった。その為の歪みや暗部が許容範囲を超えてきたために打ち出された施策が「裁判員制度」であり「取調べの可視化」である。更に加えて裁判の場が社会の変化を迅速に反映する場になればより「市民の司法」に近づくことになろう。

 小沢裁判がその一里塚になることを願う。

2011年10月3日月曜日

妾気質

 妾気質(めかけかたぎ)という言葉がある。永井荷風はこんな風に言っている。
 「(1)この女芸者せしものには似ず正直にて深切なり。去年の秋より余つらつらその性行を視るに心より満足して余に事(つか)へむとするものの如し。(略)(2)お歌はまだ二十を二ツ三ツ越したる若き身にてありながら、年五十になりてしかも平生病み勝ちなる余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よく笑うて日を送れり。むかしはかくの如き妾気質の女も珍しき事にてはあらざりしならむ。されど(略)(3)かくの如きむかし風なる女のなほ残存せるは実に意想外の事なり。(略)(4)かかる女は生来気心弱く意気地張り少なく、人中に出でてさまざまなる辛き目を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏やかなる日を送らんことを望むなり。生まれながらにして進取の精神なく奮闘の意気なく自然に忍辱(にんにく)の悟りを開きゐるなり。これ文化の爛熟せる国ならでは見られぬものなり。」(「断腸亭日乗」より、カッコ内数字は筆者添付)
 
 長々と引用したのは昨今世上に増殖しつつあるといわれている『草食系男子』と一脈通じるところを感じたからである。草食系男子は、苦労を嫌い未知の世界に飛び込むことを敬遠する「内向き志向」の若者だといわれている。上記(4)を読めばほとんどそのまま「草食系」を思わせるではないか。今やお妾さんは絶滅危惧種となってしまったが、世紀末を経た文化爛熟の平成に妾気質が男性のうえに復活しようとは。

 この風潮は何も若者に限ったことではない。2022年までに原発廃止をきめたドイツでは、電力会社は人員削減などの合理化を推進すると同時に再生可能エネルギー関連へ直ちに事業シフトする一方で、製造業などの大口需要家は敷地内に風力発電所を設置したりして再生可能エネルギーの活用を急速に拡大している。これに反して我国では未だに原子力発電の透明性ある十分な検証も行われず国民への説明責任も果たされないまま再稼動前提のエネルギー政策がとられ、産業界はエネルギーコスト高騰等を恐れて国内空洞化已む無しを当然としている。これを「生来気心弱く意気地張り少なく、進取の精神なく奮闘の意気なく」と言わずしてなんとしようか。

 「元始、女性は太陽であった」。いよいよ平成は女性の時代になりそうだ。