2015年10月31日土曜日

セオリーなき強権

 ヤクルトの弱冠23歳山田哲人が日本シリーズ第3戦で3打席連続ホームランという快挙をやってのけた。一日3連続は長島、金本(ふたりは二日にわたる3連続だった)を超えた大記録だ。満々の自信みなぎ堂々の打席で、ベンチや三塁コーチャーをチラとも見ない「必ず俺が打つ!」の気迫のこもったバッティングで、ベンチもトリプルスリー(同一シーズン打率3割、本塁打30本、盗塁30個以上)の本塁打王(38本)に全幅の信頼を置いていた。シリ-ズ2連敗の劣勢を勝利で挽回したのはいうまでもない。
 
 それに比べて今年の巨人野球は面白くなかった。東京に居る娘から「ドームの阪神戦のチケットが手に入ったよ」とメールがあっが丁重に断った。折角の娘の好意だが今年の巨人の野球を高い電車代を払って東京まで見に行く魅力を感じなかった。ファンは野球場であれテレビであれ、ゲームの勝敗とは別にお目当ての選手の活躍を期待して観戦する。例えば4番キャッチャー阿部であったり3番ショート坂本であるように。ところが今年の巨人軍は「猫の目打線」で今日誰が4番を打つのか、1番がどの選手になるのか球場へ行って見なければ分からないオーダー編成のシーズンであった。期待した4番阿部選手が出場しないこともあったから球場へ行くたのしみが半減した。
 「川上野球」も面白くないと散々叩かれたがセオリーがあった。それまでのクリーンアップ主体の野球を1、2番には出塁、進塁機能重視の役割を徹底させ、67番にも「打線」における機能分担を明確に植えつけた。「8時半の男」という今では常識になった「抑え投手」起用も川上が打ち出した戦法だった。
 坂本の2割6分9厘打撃30傑16位、長野2割5分1厘22位が上位でチーム打率2割4分3厘でリーグ最下位、本塁打98本、打点467点でヤクルトの547点と80点以上引き離されている体たらくでは優勝は望むべくもなかった。投手のチーム防御率が2点78で何とか試合を形作ってシーズンを2位で乗り切ったがCS(クライマックスシリーズ)ではヤクルトに為す術もなく敗れ去った。
 ペナントレースの途中苦しい試合を何とか勝利したインタビュで「低いチーム打率で決勝打の出ないチーム事情の中、勝利できた原因は何でしょうか」という監督手腕をに賞賛するような問いかけに「どうしてでしょうね?」と少しテレた表情で「他人ごと」のように語る原監督の姿に怒りに近い違和感を覚えた。
 優勝を逃した理由ははっきりしている。チーム打率がリーグ最下位に低迷しここというときに決定打の打てない打者たち、バントを決めなければならない場面で失敗する選手たちならしめた「監督の責任」だ。そしてその原因は「打線の役割分担」を無視した『セオリーなき選手起用』にある。4番打者に7番や8番を打たせたり、1、2番が固定せずシーズン通じて出塁、進塁の専門機能が定着しなかった選手起用では、選手が自分に課せられた機能を把握しそれに相応しい技能と気風を身につける『成長』を果たせなくても当然だった
 王選手が水原監督に日本のホームラン王に、松井選手が長島監督に巨人の4番バッターに育てられたよう、そして今、日ハムの4番バッターからサムライジャパンの4番に中田翔を成長させた栗山監督のように、原監督はあらねばならなかった。
 
 そういえば今、我国には、人気を後ろ盾に『セオリーなき強権』を振るうリーダーが目立つ。安倍首相は憲法改正せずに自衛隊を集団的自衛権の行使を容認した防衛体制に変容させた。しかも閣議決定に必要な、憲法9条の解釈変更について内閣法制局の検討過程を公文書として残していないということまで明らかになっている。憲法学者や法制局OBの「憲法違反」という指摘のある自衛隊の本質的な体制変更を「安倍人気」の数を頼みにゴリ押しする政治手法は「セオリーなき強権」そのものである。
 また維新の党の元共同代表・橋下徹は「大阪都構想」が住民投票で否決された事実を謙虚に受け入れず、投票後の議会運営を無定見な反対姿勢で混乱に落し入れ、11月の大阪府知事、市長ダブル選挙に否決された「大阪都構想」を再度選挙公約に持ち出すという「セオリーなき強権」ブリを露わにしている。
 
 折りしも巨人軍選手による「野球賭博疑惑」が明るみになった。原監督の「セオリーなき強権」によって選手としての成長の道すじを見失った若手選手の「自暴自棄」とみるのは早計か?
 
 頼むぞ!ヨシノブ(高橋由伸)!
 

2015年10月24日土曜日

今、図書館が新しい

 先日妻を図書館へ連れて行った。京都市で一番新しい図書館なので書庫から自動で本が出てくる装置や無人貸出機、メディアゾーンでDVDを観賞している高齢者の多さなど想像以上だったようだ。
 
 今、図書館が新しい。佐賀県武雄市の図書館が2013年CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ…TSUTAYA等を運営)を指定管理者に選定して面目を一新、累計200万人以上が訪れ8割が満足しているという。カフェや書店を併設するなど来場者数アップに斬新な手法を展開している。従来から窓口業務や蔵書管理を委託することは多かったが、最近になって「指定管理者制度(委託ではなく公営組織の法人化・民営化)」を活用する公立図書館が全国で400を超えるようになった。ところが図書館が変わって多様な人が利用するようになると反発が強くなることもあり愛知県小牧市では42億円の予算をかけて図書館を中心とした「文化拠点」を建設しCCCを指定管理者に据え駅前の活性化を図ろうとしたが住民投票で反対されてしまった。
 
 そもそも公共図書館とはどんな位置づけのものなのだろうか。図書館法によれば「社会教育法の精神に基き、図書、記録その他必要な資料を収集し、整理し、保存して、一般公衆の利用に供しその教養、調査研究、レクリエーシヨン等に資することを目的とする施設」ということになる。では社会教育とは…?法律の条文は難しいので要約すると「土地の事情及び一般公衆の希望に沿い」「図書、記録、郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルム、視聴覚教育資料その他の『図書館資料』を、収集して、一般公衆の利用に供し」「青少年と成人に対して学校教育以外の組織的な教育活動を行うことによって」「文化的教養(教養、調査研究、レクリエーションなど)を高め得るような環境を醸成する」ということになる。
 
 これまで図書館法など見る機会もなかったから「…レクレーション等に資する」という一文には正直驚いた。一般公衆は「専門的知見から図書等を選定して青少年・成人に教育活動を行う」ものが図書館だとイメージしていたのではないか。だからCCCが運営するカフェや書店を併設する施設で借り出した図書を読んだりDVDを見たりしながらコーヒーを飲み談笑するシーンは従来の図書館の概念から逸脱するものとして拒否されたのだろう。どちらかといえば「固い」従来型のイメージとCCCの演出する図書を中心とした『サロン』的文化施設とは相容れなかったのに違いない。
 少し声を大きくすると「シーッ」と叱責されるような従来のイメージは図書館機能の一部である教育活動の側面を増幅したものと見るほうが正しいが、それが固定観念となって我々に沁みついているからCCC方式は反感をもたれたのだろう。
 更に指定管理者制度を「従来の図書館の全面的委託」と捉えられたことも誤解を生んだのではないか。CCCが指定管理者に選定されると、図書館法で規定された図書館機能をCCC的に法人化民営化するのだから従来型の図書館とは大幅に異なった施設になることも有りうるということが理解されなかった。
 
 高齢化と生涯学習が社会的な大きなテーマになり情報メディアが図書ばかりでなくテレビ、DVDはもとよりPC(パソコン)、携帯電話、スマホなど多様化するなか図書館も時代に即応した「新しい図書館」に変貌することが求められておりそのひとつのあり方が「法人化・民営化」という指定管理者制度であろう。財政が逼迫する現状で図書館を文化行政の有効な施策として活用したいと考えるのは当然であり、とすれば地域の図書館へ一度も行ったことのないという大人の多い状態をこのまま放置しておいていいはずがない。小牧市の取り組みは武雄市の成功体験を踏まえながら更に一段高い次元に図書館を引き上げて駅前に「文化拠点」を創造しようとしたものと考えられる。
 しかし行政はそうした文化行政と新しい図書館のあり方を市民に伝え説得する過程を省いて強行しようとした。そうした行政手法への反発も手伝って計画が頓挫したのであろう。42億円という一地方自治体としては決して少なくない費用を投入しようとする計画にしては粗雑な姿勢であったと言わねばなるまい。方向性は時代を先取りした優れたものであるだけに今後の調整を期待して見守りたい。
 
 最後に図書館への希望を。京都市の図書購入予算を増額して欲しい(新刊書の補充が乏しすぎる)。開館時間延長と休館日を全市一律でなく分散して欲しい(現在は全市火曜日)。一年に一度も読まれないような本でも必ず一冊はある今の図書選定基準は継続して欲しい。
 
 

2015年10月18日日曜日

天からのあずかりもの

 最近出合った好い言葉や文章について書いてみたい。
 
 ひとつは贔屓の喫茶店の女主人が言った「何でも自分の中でしやはる」という言葉である。彼女は旧市内の古い家の出だから多分京都弁だと思うがはじめて聞いた言葉だった。彼女はこんな風に言った、「あのひとは何でも自分のなかでしやはるさかい気にせんでもよろしぃ」。客の誰かを取り成しての言葉だろうが、その意味は、他人や周囲のことを考えずに自分の考えだけを口に出す、となろうか。独善的で、自分勝手な、今どきの言い方ならKY(空気が読めない)に近い内容と考えてよい。しかしなんと『やわらかい』言葉であろうか、ひとを傷つけない心遣いの感じとれる言い回しである。
 京都弁では「いわはる」という言葉もいい。丁寧語の一種だが他人さんだけでなく身内―自分の子どもにも遣うことがある。「あの子、なんぼ言うても勉強いやや、いわはるさかい放っときますね」などという。我が子だが、第三者的な接し方が窺える表現である。見方によれば突き放した冷たい関係性にもなるが、例え我が子でもベッタリでなく人格を認めた存在として距離を置いていると見るほうが実際に近い。最近の若い親たちに見られる、絶対的な上位者意識で子供に接したり、ペット感覚で溺愛したりする親子関係とは一線を画した成熟した親子関係を『京都弁』にみるのは身贔屓だろうか。
 
 文章は瀬戸内寂聴の小説『かの子撩乱』の次の一節である。
 母は、わが子どもに対しても愛情から来る遠慮が随分ありました。どちらかと言へば率直な性分なので、時々率直に叱って�り過ぎたと思ふような時、母は見るも気の毒な程無邪気にうちしほれてわが子の前へ笑顔で来て、/「まあ、母さんに叱られたからってそんなに悄気(しょげ)なさるな。私もなあこれからもっと穏やかに叱りましょうよ。お前が私の子供だからと云って、天からあづかった一人の人間だもの。親の私だってそんなにひどく小言を云っては済まないからねえ」/こんな愛情の籠もった言葉は子どもの心を美しくするばかりでした。
 親が子どもに遠慮する、天からあづかった一人の人間だもの、と。なんという奥床しい心だろう。ややもすれば親であるという甘えから力づくで抑えつけようとしがちだが本当に余裕のある人は、ひょっとしてそんなことがあっても直に子どもと同じ位置に立ち戻ることができるのだ。そんな人だから嫁に対してもこんな気持ちで遇している。
 兄の嫁を貰った時、「折角あんなに仕込んで年頃の娘さんにしたものをうちへ貰ふなんて有難い。」と心から言ふのです。そして嫁を可愛がった母は姑さん(私達の祖母)にも無類の孝行者でした。
 
 かの子というのは岡本太郎の母で天才漫画家岡本一平の妻である。彼女自身も歌人、小説家で仏教研究家としても著名である。亀井勝一郎が仏教研究に入るとき教えを請いに行ったというから相当な存在であったと思われる。
 岡本かの子は今の二子玉川一帯を領した豪農大貫家の出身である。「蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まず他出できなかったといふ。天保銭は置き剰って縄に繋いで棟々の床下に埋めた」というから並大抵の身代でないことが想像できる。結婚後生家が没落し随分苦労もしたようだが持ち前の天衣無縫さで豪快な生涯を送った。決して美人ではなく――むしろ背が低く丸々とした容姿だったが後年太郎が「私の出合った女性の中で最も魅力的なひとだった」と述懐しているところからも余程チャーミングなひとだったのだろう。「かの子撩乱」の中にこんな件もある。「一平はかの子の没後、誰はばからずかの子を『かの子観世音菩薩』と拝誦したが、生前に於いても、かの子は一平の偶像であり秘仏であった」。
 
 終戦直後の自由で自立的な世間の風(ふう)がここにきて、上下関係のキチキチした堅苦しい雰囲気に変わってきたように感じる。数を頼みに「問答無用」で抑え込む、それが民主主義だと云わんばかりの風潮もある。政治も経済も親子関係もみんなそんな風(ふう)が溢れている。
 かの子の母の「天からあずかった人間」同士という気持ちがどこにもない世の中になってしまった。
 

2015年10月10日土曜日

時事雑感

 今年もノーベル賞受賞者が我国から出た。2年連続、2000年以降自然科学分野では英独仏を抜いて世界2位の受賞者数を誇る。とはいえ喜んでばかりもいられない。10年後20年後もこの勢いを保てるかどうか極めて悲観的だからだ。梶田さんがいっているように基礎研究よりも経済的成果が直接、短期に産み出せる応用分野へ予算(資金)の配分が偏っている現在の教育行政は我国の教育システムを脆弱化しかねない。加えて大村教授が苦学を重ねて今日あるような高等教育就学の機会均等が持続できるかどうかという危惧もある。東大生の親の5割以上が年収一千万以上であるように、所得格差の継承と固定化が負のスパイラルとなって子どもの学歴格差につながり国としての知的レベルの劣化を招く危険性が予想される。先の人文社会科学系学部の廃止あるいは軽視の文科省通知など我国の文部行政は根本的に見直す必要がある。
 
 臨時福祉給付金(一人当たり六千円)の支給を受けた。年金受給者の場合65歳以上(扶養者有り)で年間約211万円以下の場合は大体支給対象者になるようで年金受給者(総数約3900万人)の多くが支給を受けることになろう。これは「平成26年4月の消費税率の引上げによる影響を緩和するため、低所得者に対して、制度的な対応を行うまでの間の、暫定的・臨時的な措置として支給」されるものだが果たして年金受給者に支給する妥当性はあるのだろうか。個人金融資産(15年3月末)は1700兆円以上ありこの内の50%以上を60代以上の高齢者が保有しているといわれている。金融資産は別にしても年金だけで夫婦二人生活するには困らない収入を受けている人が随分多い現状で、一律前掲の基準で支給することに疑問をもつ。社会保障費が膨張する中でこんな『甘い』バラマキをしていては財政悪化は当然であろう。大体1億円以上の金融資産を保有している高齢者に年金を支給する正当性はどこにあるのだろう。テレビで大言壮語する高齢知識人や経団連の大立者のひとりでもいいから「年金受給拒否」を申し出てくれないものか。
 介護保険に関しても理解不能の事態が起こっている。「カジノ型デイサービス」というのがあってパチンコ、麻雀に加えてルーレットなどのカジノ型プレーのできるデイサービス・ステーションが歓迎されているという。神戸市が禁止措置に踏み切ったというニュースが報じられたがその是非について識者・コメンテーターの意見の歯切れが悪い。楽しみながら積極的に介護を受けるのだから、とか、麻雀は知能向上にもつながるから、とか、一概にカジノ型が悪いとは言い難いなどと。とんでもない!パチンコも麻雀も愉しみたいのならパチンコ店や雀荘へ行って楽しめばいいのであって、1割負担の「介護施設」で遊ぶなど「不逞の輩」の何物でもない。まして「カジノ型プレー」はまだ国内では認可されていないのだから、たとえ「擬似通貨」によるものであっても介護施設で遊ぶことは許されるものではない。どうして識者は『厳然』と否定しないのか解せない。悪いことは悪いとはっきり批判すべきである。
 
 TPPが大筋合意した。コメ、乳製品、牛肉・豚肉などの保護が不十分ながら担保されたようだ。しかしどうして「農業」ばかりがこんなにも厚く保護されるのだろうか。1993年のガット・ウルグアイラウンド合意でコメ市場の解放を決めた際、6年で合計6兆600億円の保護対策を講じたが結局「競争力強化」は図れなかった。コメ農業の競争力強化策ははっきりしている。規模の拡大と収量増加だ。我国は先進諸国の中で唯一、コメを初めとして多くの作物で単位面積当たりの収量が30年間止まったままなのだ。FAOSTATのデータによる〈kg/10a〉のコメ収量は今(2011年現在)や米国、オーストラリアは勿論のこと韓国やペルーよりも劣っている。規模拡大の必要性がはっきりしているにもかかわらず小規模農家や兼業農家を優遇、保護するから「農地の集約化」は遅々として進まない。こんな現状を放置したまま―生産性向上の対策をなおざりにしたままで、外国との競争に勝てないから高額関税や所得保障で保護を求めるなど、筋違いではないのか。専業農家で懸命に努力している農家が報われない現体制は何としても打破するべきだ。
 1970年日米繊維協定が締結されて過剰織機の廃棄処分が決定し西陣を初め全国の織物産地で織機が打ち壊された。1992年日米構造協議で大規模小売店舗法が改正、スーパーなどの大型店舗出店規制の撤廃によって郊外型の大型商業施設がぞくぞくと建設され、駅前の商店街はシャッター通りに変わり果てた。日本中のあらゆる産業は時代の変化に翻弄され縮小、倒産、転業してきた。
 何故「農業」だけが『保護』されなければならないのか、多くの消費者を犠牲にして。
 
 「一億総活躍担当相」などというわけの分からない大臣を作って国民を惑わすのではなく「国家百年の大計」を合理的に樹ち立て国民に真摯に向き合う政治が望まれる。

2015年10月4日日曜日

東アジアの交差点

 「東大 アジア首位転落」という記事が大きく報じられた。イギリスの教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデェケーション(THE)が発表した今年の「世界大学ランキング」で、東大が昨年の23位から大きく順位を落とし43位となり、26位のシンガポール国立大、42位の北京大に後塵を拝しアジア首位から滑り落ちたのである。京大も59位から88位に下げ、昨年上位200位にランクインしていた東工大、阪大、東北大は姿を消した。中国、シンガポールも我国同様200位には2校が入っているだけで、韓国は4校がランクインしている。トップ10はアメリカ6校、イギリス3校、スイス1校である。
 しかしこの順位は額面通りに受け取る必要はないのであって、先ずTHEという欧米基準による評価であるということ、「論文引用数」は自然科学系の学部・大学に有利な基準であり留学生数も歴史ある欧米大学に優位に働く要素であるなども考慮して判断する必要がある。このランキングに振り回されるのではなく、我国の高等教育機関としてどうあることが望ましいのか、世界的に何が求められているのかを真摯に検討し国として「100年の教育方針」を樹立するのが重要なのであって、人文社会科学系学部を軽視し短期的な成果の達成を追及するような近視眼的教育行政を「文部科学大臣通知」で強行するような現体制では「優れた高等教育機関」など生み出せるはずもないのは極めて明らかなことである。
 
 我国は平成20年に「留学生30万人計画」を樹て、2020年を目途に30万人の留学生受入れを目指している。これは、日本を世界により開かれた国としアジア、世界のヒト・モノ・カネ、情報の流れを拡大する「グローバル戦略」一環として企図されたものである平成26年5月現在184,155人を受け入れており平成20年に123,829人であったからこの6年間に約6万人増加させたことになるが残された年間10万人以上受入れを増やすことは至難の業だ。現在の受入れトップ5は①中国94,399人②ベトナム26,439人③韓国15,770人④ネパール10,448人⑤台湾6,231人でほとんどがアジア地域であることを考えるとよりグロバルな魅力を拡充する必要があるだろう。その際は硬直した「お役人的発想」から脱却して、世界の若者に広く受入れられている「マンガやアニメ、オタク文化」などを教育的要素として如何取り込むかも検討されてよい。
 
 実は我国が東アジアの交差点(黒川創著「鴎外と漱石のあいだで」より)としてアジアの若者に熱狂的に受入れられた時期がある。「この時期、東京は、東アジアの国際都市、また、漢字文化圏諸国の革命家たち共通の亡命地たる意味合いも強めていた。/特に清国からの日本留学生は、日露戦争(1904~05年)のあと、一時は一万人を超えたとも言われる。」「韓国(朝鮮王国末期の大韓王国)からの日本留学生も増加する。開国(1876年、日朝修好条規)後に始まる日本留学は、当初、二百名を越える官費留学生を生んだ。けれど、日本支配が強まり、保護国化(1905年、第二次日韓協約)に至ると、私費留学生が主流となって、韓国併合(1910年)までに九百人に迫る。」「ベトナムの独立運動家ファン・ボイ・チャウも、1905年、フランスによる植民地支配に抗して、日本に亡命し、横浜に上陸する。(略)三年ほどのうちに、日本のベトナム留学生は、百名を超えている。」
 これは同上書からの引用だが、1900年を挟んだ前後5年の間に日清(1894~95)日露(1904~05)戦争があり戦勝国日本は後進アジア諸国の中で唯一西欧先進国に伍して列強入りをうかがう「アジアの希望の国」としてアジアの若者に憧れを持って受入れられていた。しかし国内的には社会主義運動が活発化しており為政者はその取締りに強権をもって介入を計らざるを得ない情況に至っていた。そして1910年~11年に大逆事件が起こることになる。
 アジアの多くの国が近代国家に脱皮を図ろうと熱気を孕んでいたこの時代に、我国はアジアのリーダ国として多くの若者をアジア諸国から受入れていたのである。
 
 教育行政に国家が深く介入して自由で多様な教育の発展を阻害している現在、そのことによって没個性で欧米先進大学後追いして(させられて)いる現在の我国高等教育に、世界の、アジアの若者が魅力を感じるはずもない。大学間の自由な競争環境を醸成し、20世紀初頭アジアの若き革命家たちを受入れた「開かれた日本」に倣って欧米諸国に漂流する『難民』を受入れて成長プラスに、そんな柔軟な発想で21世紀を切り拓いていく国に生まれ変わる必要がある。