2015年10月18日日曜日

天からのあずかりもの

 最近出合った好い言葉や文章について書いてみたい。
 
 ひとつは贔屓の喫茶店の女主人が言った「何でも自分の中でしやはる」という言葉である。彼女は旧市内の古い家の出だから多分京都弁だと思うがはじめて聞いた言葉だった。彼女はこんな風に言った、「あのひとは何でも自分のなかでしやはるさかい気にせんでもよろしぃ」。客の誰かを取り成しての言葉だろうが、その意味は、他人や周囲のことを考えずに自分の考えだけを口に出す、となろうか。独善的で、自分勝手な、今どきの言い方ならKY(空気が読めない)に近い内容と考えてよい。しかしなんと『やわらかい』言葉であろうか、ひとを傷つけない心遣いの感じとれる言い回しである。
 京都弁では「いわはる」という言葉もいい。丁寧語の一種だが他人さんだけでなく身内―自分の子どもにも遣うことがある。「あの子、なんぼ言うても勉強いやや、いわはるさかい放っときますね」などという。我が子だが、第三者的な接し方が窺える表現である。見方によれば突き放した冷たい関係性にもなるが、例え我が子でもベッタリでなく人格を認めた存在として距離を置いていると見るほうが実際に近い。最近の若い親たちに見られる、絶対的な上位者意識で子供に接したり、ペット感覚で溺愛したりする親子関係とは一線を画した成熟した親子関係を『京都弁』にみるのは身贔屓だろうか。
 
 文章は瀬戸内寂聴の小説『かの子撩乱』の次の一節である。
 母は、わが子どもに対しても愛情から来る遠慮が随分ありました。どちらかと言へば率直な性分なので、時々率直に叱って�り過ぎたと思ふような時、母は見るも気の毒な程無邪気にうちしほれてわが子の前へ笑顔で来て、/「まあ、母さんに叱られたからってそんなに悄気(しょげ)なさるな。私もなあこれからもっと穏やかに叱りましょうよ。お前が私の子供だからと云って、天からあづかった一人の人間だもの。親の私だってそんなにひどく小言を云っては済まないからねえ」/こんな愛情の籠もった言葉は子どもの心を美しくするばかりでした。
 親が子どもに遠慮する、天からあづかった一人の人間だもの、と。なんという奥床しい心だろう。ややもすれば親であるという甘えから力づくで抑えつけようとしがちだが本当に余裕のある人は、ひょっとしてそんなことがあっても直に子どもと同じ位置に立ち戻ることができるのだ。そんな人だから嫁に対してもこんな気持ちで遇している。
 兄の嫁を貰った時、「折角あんなに仕込んで年頃の娘さんにしたものをうちへ貰ふなんて有難い。」と心から言ふのです。そして嫁を可愛がった母は姑さん(私達の祖母)にも無類の孝行者でした。
 
 かの子というのは岡本太郎の母で天才漫画家岡本一平の妻である。彼女自身も歌人、小説家で仏教研究家としても著名である。亀井勝一郎が仏教研究に入るとき教えを請いに行ったというから相当な存在であったと思われる。
 岡本かの子は今の二子玉川一帯を領した豪農大貫家の出身である。「蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まず他出できなかったといふ。天保銭は置き剰って縄に繋いで棟々の床下に埋めた」というから並大抵の身代でないことが想像できる。結婚後生家が没落し随分苦労もしたようだが持ち前の天衣無縫さで豪快な生涯を送った。決して美人ではなく――むしろ背が低く丸々とした容姿だったが後年太郎が「私の出合った女性の中で最も魅力的なひとだった」と述懐しているところからも余程チャーミングなひとだったのだろう。「かの子撩乱」の中にこんな件もある。「一平はかの子の没後、誰はばからずかの子を『かの子観世音菩薩』と拝誦したが、生前に於いても、かの子は一平の偶像であり秘仏であった」。
 
 終戦直後の自由で自立的な世間の風(ふう)がここにきて、上下関係のキチキチした堅苦しい雰囲気に変わってきたように感じる。数を頼みに「問答無用」で抑え込む、それが民主主義だと云わんばかりの風潮もある。政治も経済も親子関係もみんなそんな風(ふう)が溢れている。
 かの子の母の「天からあずかった人間」同士という気持ちがどこにもない世の中になってしまった。
 

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