2015年10月4日日曜日

東アジアの交差点

 「東大 アジア首位転落」という記事が大きく報じられた。イギリスの教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデェケーション(THE)が発表した今年の「世界大学ランキング」で、東大が昨年の23位から大きく順位を落とし43位となり、26位のシンガポール国立大、42位の北京大に後塵を拝しアジア首位から滑り落ちたのである。京大も59位から88位に下げ、昨年上位200位にランクインしていた東工大、阪大、東北大は姿を消した。中国、シンガポールも我国同様200位には2校が入っているだけで、韓国は4校がランクインしている。トップ10はアメリカ6校、イギリス3校、スイス1校である。
 しかしこの順位は額面通りに受け取る必要はないのであって、先ずTHEという欧米基準による評価であるということ、「論文引用数」は自然科学系の学部・大学に有利な基準であり留学生数も歴史ある欧米大学に優位に働く要素であるなども考慮して判断する必要がある。このランキングに振り回されるのではなく、我国の高等教育機関としてどうあることが望ましいのか、世界的に何が求められているのかを真摯に検討し国として「100年の教育方針」を樹立するのが重要なのであって、人文社会科学系学部を軽視し短期的な成果の達成を追及するような近視眼的教育行政を「文部科学大臣通知」で強行するような現体制では「優れた高等教育機関」など生み出せるはずもないのは極めて明らかなことである。
 
 我国は平成20年に「留学生30万人計画」を樹て、2020年を目途に30万人の留学生受入れを目指している。これは、日本を世界により開かれた国としアジア、世界のヒト・モノ・カネ、情報の流れを拡大する「グローバル戦略」一環として企図されたものである平成26年5月現在184,155人を受け入れており平成20年に123,829人であったからこの6年間に約6万人増加させたことになるが残された年間10万人以上受入れを増やすことは至難の業だ。現在の受入れトップ5は①中国94,399人②ベトナム26,439人③韓国15,770人④ネパール10,448人⑤台湾6,231人でほとんどがアジア地域であることを考えるとよりグロバルな魅力を拡充する必要があるだろう。その際は硬直した「お役人的発想」から脱却して、世界の若者に広く受入れられている「マンガやアニメ、オタク文化」などを教育的要素として如何取り込むかも検討されてよい。
 
 実は我国が東アジアの交差点(黒川創著「鴎外と漱石のあいだで」より)としてアジアの若者に熱狂的に受入れられた時期がある。「この時期、東京は、東アジアの国際都市、また、漢字文化圏諸国の革命家たち共通の亡命地たる意味合いも強めていた。/特に清国からの日本留学生は、日露戦争(1904~05年)のあと、一時は一万人を超えたとも言われる。」「韓国(朝鮮王国末期の大韓王国)からの日本留学生も増加する。開国(1876年、日朝修好条規)後に始まる日本留学は、当初、二百名を越える官費留学生を生んだ。けれど、日本支配が強まり、保護国化(1905年、第二次日韓協約)に至ると、私費留学生が主流となって、韓国併合(1910年)までに九百人に迫る。」「ベトナムの独立運動家ファン・ボイ・チャウも、1905年、フランスによる植民地支配に抗して、日本に亡命し、横浜に上陸する。(略)三年ほどのうちに、日本のベトナム留学生は、百名を超えている。」
 これは同上書からの引用だが、1900年を挟んだ前後5年の間に日清(1894~95)日露(1904~05)戦争があり戦勝国日本は後進アジア諸国の中で唯一西欧先進国に伍して列強入りをうかがう「アジアの希望の国」としてアジアの若者に憧れを持って受入れられていた。しかし国内的には社会主義運動が活発化しており為政者はその取締りに強権をもって介入を計らざるを得ない情況に至っていた。そして1910年~11年に大逆事件が起こることになる。
 アジアの多くの国が近代国家に脱皮を図ろうと熱気を孕んでいたこの時代に、我国はアジアのリーダ国として多くの若者をアジア諸国から受入れていたのである。
 
 教育行政に国家が深く介入して自由で多様な教育の発展を阻害している現在、そのことによって没個性で欧米先進大学後追いして(させられて)いる現在の我国高等教育に、世界の、アジアの若者が魅力を感じるはずもない。大学間の自由な競争環境を醸成し、20世紀初頭アジアの若き革命家たちを受入れた「開かれた日本」に倣って欧米諸国に漂流する『難民』を受入れて成長プラスに、そんな柔軟な発想で21世紀を切り拓いていく国に生まれ変わる必要がある。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿