2024年4月29日月曜日

舟を編む

  今年1~3月期のドラマで一番は何と言っても「舟を編む」でしょう。三浦しをん原作の同名の小説をドラマ化したもので、副題に「私、辞書つくります」とあるように辞書編纂に携わる人たちのドラマです。嗚咽こそ洩らしませんでしたが毎回涙ぐむシーンがひとつかふたつはあり妻が一緒に見るのを避けるようになったほど感動的なドラマでした。言葉をこれほど大事にしている人がいることに心ふるわされ、紙というものがこれほど奥深いものだということに驚き、ことばに愛しさを抱く人たちの姿に涙が込み上げる毎回でした。そこで今日は今年これまでに読んだ小説から心打たれた言葉を集めてみました。

 

 国際紛争解決の手段としての戦争放棄を宣命する日本が、安全に日本の主権を任せ得るが如き国際機構の確立こそ世界平和への道であり国際連合がかかる目的を達成せんことを願う(以下略)。

 松本清張の『砂の審廷』にあるマッカーサーの日本国憲法の戦争放棄条項に関して述べた言葉です。この小説は「東京裁判」を大川周明(戦前の右翼思想を北一輝とともに先導した思想家)を主人公にして描いたもので詳細な資料分析にもとづいて東京裁判の不条理性を克明に描いています。

 戦後80年経って「平和憲法」などほとんど顧みられなくなり、混沌たる世界情勢の中自由陣営の一員として武力行使を当然視、戦力増強に邁進する現今の政治情勢に肌寒さを感じる老書生としては、このマッカーサーのことばの重さに胸を抉られました。今日の世界情勢をあらしめた責任をあげつらうことは避けますが、占領連合が敗戦国日本に「戦争放棄」を国是ならしめた責任者としてマッカーサーが、日本の主権を暴力から超越させるためには戦勝国を含めた世界が無力な日本を保護するための国際共同体機構を樹立する必要があると認識し、それを国際連合の完成に付託することを祈念したのです。それが今や戦勝国ビッグ5の「拒否権」によって機能不全に陥っている惨状です。あまつさえ武力による「現状変更」を厚顔無恥にも行なう大国と圧倒的非対称な戦力で現状変更する国に武力援助する大国が世界支配する現状は、80年経っても戦後戦勝国体制の存在を許してきた世界の怠慢です。

 

 次は弱冠38才の新星、逢坂冬馬の『歌われなかった海賊へ』です。構想力文章力とも抜群の作者が反ナチ活動する若者の奔放な姿を描いた本作は上質のエンターテイメント小説に仕上がっています。作中、ユダヤ人収容所で行なわれる残虐行為の行為者について

 「笑っていないと残酷になれない、互いに笑うことによって自分たちがしていることは、嘘なのだ、と考えているようだ」

 「彼は狂信者故に戦死に価値を見いだしていたのではない。戦死に価値を見いだすより他にないから、狂信者となったのだ」

 ナチという狂信はユダヤ人虐殺を繰り返し行ないましたが行為を麻痺させるための儀式として互いに笑い合うしかなかったのでしょう。二つ目の言葉は現在にも通用する論理です。

 逢坂冬馬は女性作家全盛の現在久し振りに現れた若手男性作家のホープとして注目していきたい作家です。

 

 夫婦は、愛情の愛は花と同じで、いずれは枯れちゃうかもしれない。でも、情の根っこが残ってるうちはだいじょうぶ。根っこに別の花を咲かせれば、友情にも人情にもなるわけ。(略)でもね、夫婦なんだから一つにならなきゃ、なんでも同じにしなくちゃ……なんてことを考えだすと、同情になるから。同情は共倒れの第一歩、絶対にだめっ。(略)夫婦っていうのは、愛情に始まって、友情になって、人情になって……で、最後に行き着くところが……(略)根性!

 現代の家族を描いて絶妙な重松清の最新作『カモナマイハウス』からの一文です。齢を取って、50年以上連れ添ってきた老夫婦の関係をどう表現すればいいのか。「空気のような存在」とはよく言われる言葉ですが我が夫婦はそんな関係にはまだ至っていません。そんなつもりはなかったのですが「完全な関白亭主」と妻も子どもも言いますが「賢いのかアホか分からん」とも揶揄します。勢力関係が逆転――といったら妻から反論があるでしょうから平衡関係になって、それとともに妻を理解できるようになって……。最も驚いたことは「おしゃれ」が彼女にとってどんなに重要事項であるかということです。何か事があると「なに着て行こう」がまず彼女の関心事となるのです。そんなことが重なって「カットまだ行かへんのか」などというようになりました。幸い初孫にも恵まれて80才でも妻は全開です。ということで我が夫婦はいまだ人情以前なようです。

 

 昔、ある高僧のもとに、元日に年始にやってきた男が、記念に一筆、何か縁起の良いことを書いて下さい、と頼んだ。快く僧は承知して筆をとると、サラサラと書きつけたそうだ。「親死に、子死に、孫死ぬ」。読んだ男はカンカンに怒って、「正月早々何でそんなことを書くんですか」と抗議すると、僧は静かに微笑して、「いや、こんないいことはないではないか。親が死んでから子が死ぬ。子が死んでから孫が死ぬでええので、これが逆になったら大変なことだ」と言ったので、その男もなるほどと納得して、その書を大切に持ち帰ったという話である。(金田一春彦『ことばの歳時記』より)

 80才を超えて親の死んだ年齢も過ぎ、やっと責任を果たしたような気持ちになっています。自身の健康に盤石の自信はありませんがそれよりも子や孫の恙無いことを願うようになって、高僧の言葉にしみじみと納得がいきます。

 

 最後は俵 万智さんの『アボカドの種』から一首。

 ちょうどいい死に時なんてないだろう「もう」と思うか「まだ」と思うか

 

 

 

 

 

 

2024年4月22日月曜日

大病院に眼科がない

  本題に入る前に岸田総理のアメリカ議会での演説について一言。「私が日本の国会ではこれほど素敵な拍手を受けることはまずありません」と言って拍手喝采を受けたようですが当然のことで、国会でこれまで拍手に値する政策の提案も素敵な演説もしてこなかったからです。重大な責任を負っていますからその場限りのいい加減なことは言えません、だから原稿を必死で読む以外にないわけですが、外国議会での演説にも責任は伴うということを彼は自覚しているのでしょうか。アメリカ議会での演説内容は決して軽々しいものではありません。とにかく得意満面のナルシズム剥き出しの顔つきには日本国民の付託を背負っているという重みは微塵も感じられませんでした。

 

 閑話休題。先だってショッキングな報らせを受けました。私が中学校のPTA会長をやったとき副会長をしてくれた女性が強度の認知症を患っているというのです。40年近く前でしたからまだ学卒の女性は多くなく、また彼女のスタイルとして理知的な振る舞いを前面に押し出していたこともあって他の女性委員さんからは一目置かれる存在でした。その彼女が認知症で苦しむなど想像もしていませんでした。二年前から年賀状が途切れ昨年のPTAの同窓会にも出席していなかったので心配はしていたのですが……。悲しく辛い思いからなかなか抜け出せません。会って慰めることもできずもどかしい限りです。

 

 もうひとつショッキングなことがありました。朝トレ仲間でもう20年以上早朝の公園で親しくしている「野球上手」のおっちゃんが顔面に強打を受けて左目がつぶれるほどの重症になったというのです。今年83才の私より1才年上なのですが20m近い壁投げをスナップスローだけで軽々とこなす能力を保持していて今でも監督兼任で3塁を守る現役続行中の彼が1月ほど前の試合で事故にあったのです。いつもは70才以上のチームとの試合なのですがその日は60才以上の相手チームに一人目立った選手が混じっていたそうです。その彼の三塁強襲の猛打球が彼を襲ったのです。予感があって一応備えていたのですが真正面の打球で遠近感が定まらずおまけに想像以上の打球速度で飛んできたのでグラブを出すのが間に合わず左目を直撃しました。救急車で病院へ運ばれたのですが顔面半分以上を覆いつくす巨大な腫れに対応不能な病院は第一日赤へ転送しました。ところが日赤も手術のできる眼科医がいないので応急処置として目を冷やしてその後の処置を彼の家近くの個人の眼科病院と対応可能な総合病院を紹介するに留めたのです。翌朝先ず以前罹ったことのある個人病院へ電話するととりあえず診てみましょうという返事。早速診察を受けると骨に異常はないので手術しなくても治療は可能かもしれないと言ってくれました。治療を受けて三週間ほどすると青黒く内出血して腫れあがっていた顔面から腫れが退いて視力も徐々にですが回復してきました。

 三週間ぶりに公園に現れた彼から声をかけられ、そう言えば暫く顔見なかったなぁという挨拶からこれまでの経緯(いきさつ)を知ったというわけです。聞いてみると彼の罹った眼科医というのが京都で一番という有名な眼科医だったことが分かりその幸運を喜ぶと同時に、大きな病院に重い眼科の症状に対応できる医師が存在していないことに驚くと同時に憤りを隠せませんでした。

 

 幸運といえば昨年の私の肺炎を思い出さずにはいられません。丁度連休前の4月28日に37.8度という私としては高熱が出て咳と洟が相当ひどかったので行きつけのクリニックに行くと「検査してみましょう」と肺炎の検査を受けました。すると肺炎という結果が出てすぐ抗生物質の点滴を打って施薬を受け安静を命じられました。2日と6日がカレンダー通り開院していたお陰でその都度点滴を受け指導通り服薬をして安静に努めて10日もするとほとんど治っていました。数日服薬と安静をつづけて無事快癒したのですが本当に幸運でした。肺炎の検査キット(簡易型)を備えている個人病院は3割くらいしかなく、加えて私が日頃から体重と検温を記録して定期的な受診(軽度の高血圧で2ヶ月に1回)をしていたので私の平生の体調を医師が把握してくれていたので即肺炎を疑い検査をしてくれたのが良かったのです。日頃からの良好な医師との関係がなかったら簡単な風邪と見て風邪薬の調剤だけで済まされていたかも知れません。連休でしたから肺炎が進行して重症化していた可能性は極めて高かったのです。

 

 数年前友人が一種の医療事故で亡くなったのですが彼の主治医は腎臓の重大な異常を発見できず気づいた時には手遅れであっけなく逝ってしまいました。長年の付き合いのクリニックでいわば「かかりつけ医」のような存在でしたから私たちの他の医者への診察の薦めにも耳をかさず、まかせきっていた友人の信頼に応えられなかった医師からは遺族への謝罪もありませんでした。

 

 老いるに伴って病院との付き合いは増えてきます。医者と患者の関係はなかなか難しいもので上下関係が出来ることもあります。そうなると医師からの一方的な指示だけになりがちで患者からの情報不足が思わぬ破綻を生むこともあります。友人の場合は多分そうだったのでしょう。治療を受けたらその変化、効果をできるだけ具体的に詳細に医師に伝えることが重要で、検温、体重変化、血圧の定期的な測定の提供だけでも医師と患者の関係は緊密になって対等な関係に近づきます。治療は相互的なものであるべきです。それを踏まえたうえで「医者と患者は運次第」と思うのです。野球上手の彼も私も幸運だったのです。

 

 それにしても医師の偏在と総合病院の脆弱性は危機的状況です。老いると内科的な臓器異常だけでなく全身に不快な器官が増えてきます。眼科や皮膚科的な部位以外にも歯科もそうです。そうした観点で現在の医療体制を見直すと都市部の総合病院でも手薄な診療科は多く地方になるほどその不備は拡がります。産科医の不足も深刻で地方の惨状は「少子化対策」をしているようで上っ面のバラマキ施策ばかりで実際は成り行き任せの根本的体制変革は手づかずのままです。市場原理に任せた公共医療体制の脆弱化はこのまま放置できない状況に至っています。

 幸運まかせではおちおち長生きもしていられません。

 

 

 

 

2024年4月15日月曜日

長生きは自己流

  最近やたらと百才本や長生き本が出回っています。いわく『無敵100歳』『102歳、一人暮らし』『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』『91歳、ヨサヘロ快走中』『90歳の幸福論』等々。これらの本がどうして売れるのか不思議でなりません。テレビに82、3才のご同輩が出てくると「えっ、これが82才?俺ってこんなの!」と驚かされますが、ことほど左様に人間80才も超えれば外見も身体能力も人それぞれで個人差があって当然。佐藤愛子さんがどんな健康法で長寿を得られようとそれが私に当てはまるとは限りません。同様に私にもあなたにも自分なりの健康法や鍛錬のメソッドがあるはずです。

 とはいえ私も以前一度だけ同種の本を読んだことがあります。外国の知名な女性の高齢になってからの「人的ネットワーク」を活用した仕事や趣味の広げ方、大体そんな本だったように覚えていますが有名人の彼女と私ではネットワークの広さも知名度、社会的地位も比較になりません。悠々たる老後の設計を開陳していましたが到底私の及ぶところではなく「そうですか、あなたはご立派ですね」といささかのやっかみと羨望を抱いて読み捨てました。せめてもの救いは図書館の本だったので金銭的浪費をせずに済んだことでした(そもそもこんなミミッチイ根性ですから勝負になりませんが)。

 

 最近になって「長生きはそれだけで立派」と思うようになりました。多くの場合「一病息災」の人が多いのですが、それでありながら健康寿命を維持して80才90才95才と生き永らえることは本当に凄いと思います。朝目覚めたときどこも悪いところがないということはめったにないはずです、それを長年付き合ってきた自分の身体のメンテナンス法でなだめて修復して、昨日と同じように振舞う。それを繰り返し繰り返して、絶えず健康維持法メンテナンス法を上書きして明日もまた同じような明日を生きる。そして90才95才100才と齢を重ねる、本当に尊敬します。どうして他人の生きざまを気にする必要があるのでしょうか。「長生きは自己流」しかありません。

 

 などと言っておきながら自分のことを吹聴するのは憚られるのですが最近気づいた「晩年の発見」を書いて見ようと思います。

 まず最初は先週書いた「筆ペン習字」のことです。何度も挫折した書を「80才の手習い」で何とか手の内に入れられたのは「筆ペン」のお陰です。挑戦しようと意欲が湧いたのは筆ペンの「手軽さ」でした。書は毛筆でするものという固定観念でいたらこうはならなかったにちがいありません。新しい技術を受け入れたから開けたのです。同様なことはパソコン(PC)やスマホにもいえます。60才を過ぎてPCに挑戦したお陰で今こうして「コラム」の連載もありますし読書も上々のペースで進めています。スマホで言葉や語句の意味を手軽に検索できることでどれほど読書の質が向上したことか。また引用文献をスマホで図書館に予約して読書がつながって問題意識を深化させることができた、こんな経験の積み重ねが読書を継続できた大きな原因になっています。新しい技術といえば「Line」もそうです。孫の成長がLineで送られてくる娘からの写真や動画で毎日のように身近に感じられています。

 老いても挑戦をつづける。気持ちの若さ、これが大事です。

 

 次は「日本酒」です。今年の正月伏見の親戚から「金札(宮)さんのお下がり」と月桂冠の一升瓶を頂きました。冬の晩酌はウィスキーか焼酎のお湯割りが定番で日本酒は正月やお祝いのときに呑む程度で、それも720ml壜をチビリチビリとやります。しかし一升瓶は開けたら早く吞み切らないと気が抜けますから毎日1合をお湯割りと共に呑みました。そして日本酒を呑んだときの睡眠の質が良いことに気づいたのです。深く眠れたり寝覚めた後の二度寝の寝つきがよかったり。ネットで調べてみると、ライオンと筑波大の裏出良博教授との共同研究で「清酒酵母」に“睡眠の質を高める”効果があることを発見したという情報がありました。

 80才で初孫を授かって彼の成長と私の老いの相反を考えると、老いを制御しなければならない必要性に迫られ、睡眠と排泄を最重要テーマにしました。睡眠の質は節酒が効果的(飲酒時の睡眠が浅い経験から)と判断して週2~3回休肝日にするのを今年の目標にしていたのですがそこへ日本酒の「睡眠の質向上効果」を発見したのです。勿論「不呑の日」はつづけていますが呑む時も僅かでも日本酒を加えることで良い睡眠が得られているように感じています。

 たまたま晩年に初孫を得るという僥倖に恵まれた結果ですが、老いと真正面から向き合おうという意欲を持てたことはのちのち感謝することになるでしょう。

 

 最後は「先祖祀り」についてです。先日友人4人と会って当然のことのように「健康長寿」が話題になり、私たちだけが夫婦とも健康なことの原因は何かと問われました。みな経済的に恵まれていますから健康配慮におさおさ怠りはなく、にもかかわらずあっちを切ったこっちを開いたしているのです。そこで私が訊ねたのが「先祖祀り」です。3人とも仏壇はありますが毎日お水を換えるくらいで、ひとりは手を合わす程度のお参りをしていましたが声を出して念仏を唱える者はいません。ましてや般若経を唱えてはいませんし「先祖と話をする(内心で)」ことなど思いもよらないのです。

 お水を換えて仏壇の前に座り昨日生きさせていただいたことを感謝し出来事を伝え悩みを告白する、念仏と般若経を唱えて、最後にご本尊、曼荼羅、明王、ご先祖を念じて無想境に入る、一瞬――1秒ほどトランス状態に落ちて「如来様」が現れる。その1秒は完全な無意識状態に没入します、精神の空白時間です。目を開くとスーッと原状復帰しますが体中の力が抜けていたことが実感します。

 医療は肉体的なものです、それも「内臓関係」に限定されていて眼科や皮膚科、歯科は不具合なときだけで定期検診をしている人はめったにいません。まして精神的なケアは皆無なのでは。「先祖祀り」は私たちの親世代、祖父母世代は生活の一部でした。先祖は意識の中に「現存在」としてあったのではないでしょうか。それが精神的余裕を与えてくれていたかも知れません。健康は肉体的であると同時に精神的な側面との合併状態です。現在は肉体的側面に偏っているのではないでしょうか。

 

 いろいろ書きましたが「長生きは自己流」が一番です。それでこぞ納得の一生です。

 

 

 

 

2024年4月8日月曜日

筆ペンは邪道か

  先週極めて不愉快な目に遭いました。寺町二条の筆屋さんで「筆ペンのいいのありませんか」とたずねると「ウチは筆ペン、置いてません」と剣もホロロ、蛇蝎を見るが如き眼差しを浴びせられました。「呉竹の上級品をここが扱っているとネットで見たんですが」「呉竹、うちにはありません」。見かねたのかアルバイトの若い人が「入口のところにちょっとだけ置いてます。一軒隣の××さんならもっとあるかも知れませんよ」と申し訳なさそうに口添えしてくれました。隣の筆屋さんへ行くと女性の店員さんが親切に対応してくれて、呉竹ではなかったけれどソコソコ希望に沿った筆ペンを買うことができました。

 そして、書道も毛筆も廃(すて)れかけているのはあのおっさんのようなプライドばかりが高くて書道(毛筆文化)を普及させようと本気で考えていない輩がいるからだと心底思いました。

 

 去年筆ペンで百人一首を書くようになって、一年経って今年の正月から漢字も始めて書道にはまっています。毎日二枚ですがつづけているとたまに納得のいく字が書けることがあり、この時のよろこびはこれまで経験したことのないこころよさなのです。多分この習慣はこの先何年もつづくであろうと思います。

 

 これまで何回か書道に挑戦しました。筆も硯もそこそこのものを調えていますが長くて一ヶ月続いたことがありません。考えてみるととにかく面倒なのです。道具を出して墨汁(墨をすることは早くにしなくなっています)を用意して、書いて、筆を洗って乾かして。これがじゃまくさいのです。これを解決してくれたのが「筆ペン」です。筆箱から取り出してキャップを取ればそれでOK、書いたらキャップを被せれば終了、この手軽さは無敵です。大衆品ではじめてしばらくするともうちょっとマシなものが欲しくなり、今回はさらに高級品を試したくなったのです。弘法は筆を選ばず、といいますが素人は腕と内容が向上するにしたがってそれに合った筆が欲しくなるのです。何年もホコリを被っていた「本物の筆」もこの1年半ほどの間に何度か手にしました。ウデが上がるとそうなるのです、手にしてやっぱり「ちがうなぁ」とその良さを認識するのですが毎日になるとやっぱり筆ペンの手軽さに勝てません。

 

 そもそも筆を手にしようと思ったのは『くずし字で「百人一首」を楽しむ』(中野三敏著角川学芸出版)で「くずし字」を読めるようになろうとしたのがキッカケです。これまで何度も挑戦してどうしても習熟できなかった「くずし字」にもう一度取り組んでみようと思ったのです。これまでの失敗を反省してただ読むだけでなく「書いて」覚えようとボールペンで書いてみるとこれが中々効果的なのです。そこでどうせなら筆で書いてみようと手近にあった金封の表書き用で試すとこれが思った以上にお手本の雰囲気に馴染むので筆で書くことにしました。百首を一周すると筆をもっと良いのにしようと同じ呉竹でも上質のに取り替えるとますます「くずし字」らしくなり「覚え」の方も上々です。そうこうするうちに上のような経緯(いきさつ)に至ったのです。

 

 「くずし字」で平仮名になれると当然の流れとして「漢字」をやってみたくなりました。仮名のお手本を「百人一首」にしたのが続けることのできた原因でしたから漢字のお手本選びは慎重でした。本屋さんでいろいろ試し読みしましたがこれはという本には出会いませんでした。そこで古書店へ行ってみました。「三体千字文」を手に取って、これがいいと直感しましたが結構高いのです。そこでネット古書店で手に入れたのが『三体千字文』(飯田秋光書高橋書店昭和40年発行1,570円で購入)です。「千字文」というのは南朝・梁(502年~549年)の武帝が部下に字を習得させるために周興嗣に命じて作らせたお手本です、「三体」とは楷・行・草の三書体です。飯田さんの書体が好みに合っていて最高のお手本です。(意味は『岩波文庫・千字文(小川環樹他注解)』で学びます)

 

 何度も挑戦して挫折を繰り返してきた「書」になぜハマったのでしょうか。

 まずは「筆ペン」の手軽さです。筆箱から出せば即書ける手軽さは私のように面倒くさがり屋には必須の条件です。スタートは筆ペンでよいのです、手が上がれば結局「ほん物の筆」に行きつきます、当然の流れです。文机、硯、筆、墨、毛氈、紙と揃える大層さと大義さ、これが「書」を怯(ひる)ませるのです。最終目的は「書」に親しむことにあるのですから入口は入り易いほうがいいのです。

 次が「書体」です。お習字はまず「楷書」から、これが難関なのです。楷書は完成形で他人(ひと)が誰でも読める端正な書体として公文書などに採用されたものです。入口は実際に昔の人が実用したもの――多分行書と草書の間の「エエ加減」なものからスタートした方が書き易い、経験からそう思います。くずし字で百人一首を、漢字は行草楷の三体で書くから馴染みやすく入れたように思います。

 三つめは「お手本」です。百人一首を楽しみながら平仮名を書くという入口が良かったと思います。いい大人ですから「いろは」では意欲ゼロになって当然です。漢字も「千字文」は漢文で意味内容がありますから興味をもって三体を書きますから「くずし方」、筆の運びが学べて楷書への道が開きます。

 最後に「書斎」です。机に向かって姿勢を正して「書」に向かう、この切り替えは大事です。娘が使っていた部屋が空いて念願の書斎に仕立てて、これが「書」にもいい効果を生みました。

 

 パソコンとスマホの時代になって、これは止めようのない時代の流れです。当然のように「書く」ことが減ってきます。しかし「書く」という作業と「学び」には人類の長い歴史のなかで強い結びつきがあります。このままでは「頭脳の劣化」が起こるのではないか、そんな危惧を抱いています。

 「書」はただ書くという作業以上に「遊び」として高級です。どうしても残したい「文化」です。日本文化の重要なピースです。そこへの導入という大きな目的のためなら「筆ペン」を邪道視しないで誰もが「書」に興味を持つ入り口として、「書道」の構成要素として組み込むことは有効なのではないでしょうか。書道に携わる方々、書の用具を扱う業者の方々、一考の余地ありと思いますがいかがでしょうか。

 

 「書」が生活の一部になりました。毎日の楽しいスタートです。

 

2024年4月1日月曜日

人口減を乗り越える

  早いもので来週には孫が2才になります。保育園に入ったこの1年の成長は目ざましいものがあり、会うたびにジジ、ババを驚かす変化は生命の輝きそのものでいのちの不思議さを感じさせられました。可愛さが増すにつれて孫の将来が思いやられ不安と不憫さが募ってきます。今の日本を、世界をこのまま彼らに渡すことはできない。気候変動も格差も世界平和も、綻んだままでは彼らの未来に希望はありません。

 

 彼らの将来について今はっきりとしていることは、2060年に日本の人口が現在の1億2300万人から8700万人に減少しているということです。折りしもGDP(名目・ドル建)がドイツに抜かれて世界第4位に後退するという衝撃的な発表があって、このままいけばわが国経済は「失われた30年」に止まらず長期低迷に陥るのではないかという悲観的な見通しが強まっています。確かに人口ボーナス期と高度成長は期を一にしていましたから人口とGDPに相関関係があるのは否めません。

 一つの考え方は「一人当りGDP」を重視するという考え方です。2022年の世界ランキング(IMF)によれば1位ルクセンブルク(12.6万ドル)2位ノルウェー(10.5万ドル)3位アイルランド(10.3万ドル)4位スイス(9.3万ドル)でそれぞれ人口はルクセンブルク70万人ノルウェー550万人アイルランド510万人スイス880万人と人口小国です。そこまででなくてもドイツはGDP4兆7千億ドルで1人当り5.6万ドル(18位)になっていますから日本の4兆2800万ドル1人当り3.38万ドル(32位)とは1.6倍以上と豊かな数値を実現しています。そのドイツの人口は8330万人(2024年)ですから丁度2060年のわが国人口とほぼ同じです。ドイツは明治以来目標としてきた国ですし第2次世界大戦ではイタリアとともに枢軸国として戦い敗戦した関係ですからドイツにできたことがわが国にできないことはありません。

 

 その前に人口減少でなにが問題なのでしょうか。まず最初に心配されるのは社会保障制度が破綻するのではないかということです。さらに子どもの立場に立てば教育制度が悪化して上質な教育を受けられなくなるのではないかという心配です。わが国の社会保障は世界有数のレベルにあると思われていますし教育についても大学進学率が50%を超えていてニ三年後には大学全入時代が来ると言われています。この恵まれた状況がGDPの減少に伴って悪化するという心配です。

 そこで一つの判断基準として社会保障費と教育費のGDP比率が世界的にみてどのような状況にあるかを考えてみましょう。GDPが減少すれば社会保障費や教育費に回せる余裕が減少すると見るのが当然の考え方だからです。

 社会保障(給付)費(2019年OECD諸国)の対GDP比はフランス31.5%デンマーク30.8%フィンランド29.5%とつづいてドイツ28.2%アメリカ24.2%日本は23.1%でOECD中17位になっています。

 教育費(2022年度世界)は1位キリバス16.58%は突出していますが16位スウェーデン6.46%、22位南アフリカ6.18%、27位デンマーク5.93%、29位ブラジル5.77%、37位スイス5.81%、42位アメリカ5.44%、45位イギリス5.40%、45位韓国5.40%、75位ドイツ4.54%121位日本3.46%、125位中国3.30%となっています。

 こうした数字から浮かび上がってくるわが国の現状は世間に流布している「社会保障大国」では決してなく教育費に至っては世界の121位という恥ずかしい水準にとどまっているということです。ちなみに防衛費の対GDP比をみますと、わが国は2023年現在1.1%で世界平均の2.2%の半分であり、ウクライナ33.5%は別にしてもロシアの4.06%アメリカ3.45%英国2.2%に比べて相当少ないレベルに抑えられています(中国1.60%という数字は?です)。

 

 ドイツがこれからのわが国のあり方として検討に値する存在だとすれば、「江戸時代」は自国の歴史に学ぶ価値ある時代であったのではないでしょうか。人口は大体3000万人で推移した「定常社会」であったにもかかわらず生活水準は決して世界的に見て貧くはなく衛生状態と教育水準(識字率)はオールコック(『大君の都』)やルイス・フロイス(『日本史』)など幕末にわが国を訪れた外国人を驚嘆せしめたほどでした。その江戸時代に学ぶべきは徹底した「地方分権」とムダを排除した「循環社会」であったことです。地産地消で廃棄物を再利用する経済システムは今こそ再評価されるべきで掛け声ばかりの「地方分権」ではなく東京一極集中を一日も早く解消して過度の中央集権システムと訣別すべきです。

 

 2060年8700万人という数字は人口問題研究所の公的な発表で蓋然性の高い予測です。何も手を打たずにこのままいけばわが国の将来は暗然たるものになるのはまちがいありません。今のわが国の「形」は上述の数字で明らかなように「社会保障」も「教育」も世界の中で、先進国の中で相当劣った水準に止まった中流以下の国だということです。ということはそれ以外の分野に予算の多くを配分しているのが現在のわが国の形なのです。それは多分生産分野に偏った予算配分になっているのでしょう。敗戦の壊滅状態から復興し世界の先頭に躍り出る国策をとった戦後経済社会体制の必然で高度成長はその結果でした。しかしバブルがはじけて「失われた30年」を経過するなかでそうした「国のかたち」は終焉を迎えていたのです。役目を終えた予算や施策が大量に残っているはずでそれらを社会保障や教育分野に配分替えして、もし国民の同意が得られるのなら防衛費を世界水準の2%台に乗せることも可能です。国のかたちをそのままにして防衛予算を倍増しようとするから財政破綻を来すのであって、そのためには「新しい国のかたち」を国民に提示し同意を得ることが必要なのです。

 

 人口減少は決して決定的なダメージ要因ではありません。それを前提に国のかたちを変えれば今より豊かな国を造ることも可能なのです。ドイツでは大学卒業と同程度の収入と社会的地位が保証されたマイスター制度があります。子どもたちに「複線の進路」が用意されているのです。それだけでも子どもたちの才能は広く生かされるはずでその分国の成長力は高まります。

 

 人口減を国のかたちを変える好機ととらえる発想が今望まれます。