2011年11月28日月曜日

長嶋と王と日本農業

念願の日本一に輝いた福岡ソフトバンクホークス。優勝パーティーのビール掛け会場で喜ぶ王貞治会長はいつも通りのもの静かな笑みを浮かべていた。一方の読売ジャイアンツ終身名誉監督長嶋茂雄氏は読売巨人軍内紛の会社側のコメントで「巨人軍の歴史的汚点、と始めてみせる心からの怒りを露にしていらっしゃいました」と伝えられた。対照が際立つ両雄をどう表現すれば良いのか。60年近く野球を愛し日本プロ野球を応援し楽しんできたファンとして現状の体たらくは余りにも情けない。
 オーナーでもない人物がオーナー然として絶大な権力を揮い球界を牛耳る現在の日本野球機構のあり方を根本的に改造する必要がある。コミッショナーを飾り物でなく実質的な機構の支配権者に据え、球団の所有と経営を分離し、ドラフトを完全なウェーバー制にするなど、今すぐ着手しないと野球人気の陰りは益々進むに違いない。一日も早い『ナベツネ体制』の終焉を心から願っている。

 TPPと農業を巡る報道で非常に示唆に富む記事があったので概略を以下に記す。
 2011.11.26付け日経「TPPの視点」に掲載された名古屋大大学院 生源寺真一教授の記事がそれだ。(1)成人1人の1日の必要摂取カロリーは2000㌔㌍であり、460万㌶の農地を有する日本はこれを賄う供給力を潜在的に持っている。『自給力』ともいえるこの農業資源を守り、いざとなったらフル稼働できる体制を整えておくことが大切だ。(2)生産調整のための減反や耕作放棄地の拡大など農地をフル活用しないで、生産性が低い、財政出動が必要だといっても国民の理解は得られない。(3)英国と北海道の酪農の生産性の比較を行ったら、北海道の生産費は英国の2倍だった。理由を調べると7割は畜舎の建設費や肥料、農薬など生産資材価格差が原因だった。裏を返せば、改善の余地は大きい。(4)TPP参加国でコメを作っているのは実質的に米国だけ。しかも日本人が食べている品種の生産量は20万トンで、国産米の3%にも満たない。等々。

 旧体制の巨人軍とセントラルリーグから追われるようにパ・リーグに移ってゼロからホークス球団を再建した王貞治氏。戦後一貫して『保護政策』で市場競争から隔離され劣化の極にある日本農業の潜在能力を示唆してくれている生源寺真一教授。
 
 可能性を信じたい。

2011年11月21日月曜日

既得権とTPP

1ヶ月前に「安全宣言」が出された福島県産米が大きく揺らいでいる。福島市大波地区のコメを農家が自主検査したところ国暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超す放射性セシウムが検出されたため政府は17日同地区の今年の生産米の出荷停止を指示したのだ。県が9~10月に同地区の2ヶ所で実施した予備調査、本調査で出した「規制値を下回っている」という検査結果は一体なんだったのだろう。国民は国や地方公共団体などの「公式発表」を今や全く信頼していない。国であれ地方であっても役所というものは企業―作り手側のためにあるもので市民―買い手を向いて手助けしてくれるものではない、と改めて覚悟せざるをえない。

 開業医や小規模な病院には税金の算定に関して特別な優遇策が認められていたようだ。実際の経費に関係なく売上高(お医者さんの場合も売上高でいいのだろうか)の57~72%を「みなし経費」として税金を計算してよかったのだ。利口なお医者さんは実際の経費と「みなし経費」のどちらか有利な方を採用して税務申告していたらしく、事務負担を減らして医療に専念するためという特例の目的に沿っていないと会計検査院が見直しを求めていたものを政府税調が廃止の方向で方針を決めた、と報道されている。

 (米国経済・歴史学者キンドルバーガーは)「自由貿易がその国にとってプラスかは状況に依存する」と主張する。その根拠として彼が挙げたのが、19世紀末に域外から安価な穀物が輸入された際、欧州5カ国が異なった反応をした事実だ。/一番ポジティブな反応をしたデンマークは農業を改革し域外への輸出国に転換したのに、一番ネガティブな反応をしたイタリアでは農業が荒廃し、南部からの移民が大量発生していた。(2011.11.16日経「やさしい経済学」より)

 TPP(環太平洋パートナーシップ協定)参加の最大の抵抗勢力は農業関係者と日本医師会である。反対するのは「膨大な既得権」が侵されるからだろうということは誰にでも見当が付くが、やっぱり、と思わせる「みなし経費」だ。洗い立てればまだまだでてくるに違いない。
19世紀ヨーロッパを襲った自由貿易の嵐に真正面から取組まなかったイタリア農業の荒廃と我国農業がダブって見えるのは私だけだろうか。

2011年11月14日月曜日

EUと日本と

EUが揺れている。ギリシャのソブリンリスクをきっかけにイタリアや南欧諸国に金融不安が波及し早期に事態が終息しなければEUの屋台骨を揺るがし兼ねない危機的状況になっている。マスコミ報道も過熱気味だが日本への影響は迂回的なものとして―ギリシャ債を保有している金融機関の破綻や金融収縮による輸出への悪影響というかたちで伝えているが、本当にそれだけだろうか。

 EU加盟国は27ヶ国あるがドイツやフランスのようにGDPが大きく生産性の高い国もあればギリシャを初めとした弱小国も含まれている。ギリシャは観光業以外にはオリーブ油などの農産物や繊維製品、造船業が主たる産業で名目GDPは3054億ドルとドイツ3兆2864億ドルの10分の1以下に過ぎない。産業構造が異なるまま生産性の格差を放置して通貨を共通化すれば強大国が圧倒的に有利になるのは明らかで均衡ある域内繁栄のためには制度の再設計が必要である。
 翻って我国をみると一極集中の東京が人口の10%以上、国内総生産の18%弱を占める強大さを誇る一方で人口100万人を割り込む県が鳥取県ほか9県、生産がGDP(2008年度)の1%に満たない県が愛媛県以下21県もある(これら21県のGDPの合計は全体の15%に満たない)。このような歪な国土経営はEUと全く同じである。
 EUも日本も国別・都道府県別の生産性を同じくするような産業構造に再設計することが必要であり、生産性の格差解消と財政の共通化を棚上げにして均衡ある発展は望めない。

 日本の一部の地方では役所かJA農協へ就職するのがステータスというところが少なくない。雇用を吸収する産業が少ないからいきおいそうなってしまう。ギリシャも公務員比率が高く労働者の1/4が公務員だといわれているが同じ構図であろう。
 
 イギリスの経済誌「エコノミスト」が「世界の住みやすい都市ランキング2011年版」を発表し大阪が11位、東京が18位にランクされた。又法政大学大学院が「47都道府県幸せ度ランキング2011」を発表し福井、富山、石川と北陸3県が1、2、3位を独占した。評価尺度によってランクは異なってくるから一概にこの結果を鵜呑みにできないが価値観の多様化した今、経済合理性だけで国や地域の評価を行う愚かさを改めないと21世紀を設計できないことをこれらのランキングは物語っている。

2011年11月7日月曜日

掃葉

 永井荷風の日記「断腸亭日乗」を読んでいると度々「庭を掃く」という記事が出てくる。秋から冬にかけては「落葉焚く」がそれにつづく。荷風を真似たわけではないが秋になってから公園の東屋の落葉を掃くようにした。そもそもは子供たちのゴミの撒き散らかしが尋常でない時がありトングで一々拾っていられないので掃き集めるようにしたのがはじまりで、やってみるとこれが思いのほか気持ちが好く、ゴミがなくなった後、薄く堆積した砂に掃き目がつくと何とも清清しい気持ちになる。そのせいもあってか数日ゴミの量も少ない。
 
 昭和30年頃までは街のあちこちで落葉掃き―掃葉が行われていた。竹箒や熊手で掻き集め手箕(てみ)で掬って、焚き火もした。坊さんが作務衣で境内を掃く姿は冬の風物詩の趣があったし大きな御邸の主が落葉の頃の庭掃きだけは自らやっていたのが印象に残っている。

 落葉といえば白楽天の詩に「林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を焼(た)き/石上に詩を題して青苔を掃う(「送王十八帰山寄題仙遊寺」より)の有名な一節があり、俳句には「木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ(加藤楸邨)降り積めば枯葉も心温もらす(鈴木真砂女)落葉掃く京の暮色をまとひつつ(清水忠彦)朴落葉落ちてひろがる山の空(森澄雄)とっぷりと後暮れゐし焚き火かな(松本たかし)」など落葉を題した俳句は枚挙に暇が無い。
 季語をみると「枯葉、落葉、柿落葉、朴落葉、銀杏落葉、冬木、寒林、枯木、枯柳、枯桑、枯蔓、冬枯、などなど」枯葉にまつわる冬の季語は20~30もあるほど我々の先祖は事の外落葉に季節を感じていた。
 かくも日本人が愛した落葉への情趣をどうして我々は蔑(ないがし)ろにしているのだろうか。道が地道からアスファルトに変わり人よりも自動車が主役になってしまったから落葉は邪魔者扱いされる存在に成り果ててしまったのだろうか。

 マンション住まいの今、落葉掃きできるほどの庭は望むべくも無いから公園を我が庭と心得て、せいぜい冬の情趣を楽しませて貰おうと思っている。