2020年12月28日月曜日

道真と貫之

  今日見れば鏡に雪ぞふりにける老いのしるべは雪にやあるらむ。これは紀貫之の和歌です、鏡に映る我が面の白髪を雪に見立てた老いの嘆きの詠です。貫之は872年に生まれて945年73才で没していますから私はもうすでに彼よりずっと年古()っていることになり総髪白化して彼に倣えば全山雪に覆われた雪山というあり様になってしまいました。貫之は当時とすれば随分長寿だったと思われ今に引移せば九十代にはなるのでしょうか。私はたいして苦労していませんが貫之は大変な変革期に生きていますからその苦労は一方ならずだったと思います。

 

 最近貫之と菅原道真に関する本を何冊か読む機会がありはじめて気づいたのですが、ふたりはわずか27歳しか違わないのです。道真の生没は845年と903年ですからそういう計算になりその58年の生涯が波乱万丈であったことは多くの人が知っている通りです。宇多、醍醐の両帝に重用され右大臣にまで上り詰めた人生の頂上から(藤原)時平の讒言により大宰府に配流され非業の死を遂げた道真の怨霊は都に大災厄をもたらし京(みやこ)人の心胆を寒からしめました。その霊を鎮め崇めるべく「天神さん」として御霊神と奉られ今日まで学問の神様として信仰されています。

 

 道真と時平の確執はこんな見方もできるのではないでしょうか。

 飛鳥、奈良、平安の三世紀(七世紀から九世紀)をかけて先進文明国・中国に追いつけ追い越せと律令制と仏教と漢字漢文の移入に成功した我が大和の国は政治社会制度と文化の両面で国家体制の完成を見たのです(と当時の人は考えたのでしょう)。そこで七世紀から隋と唐へ派遣していた遣唐使を廃止(894年)するのですが、それを断行したのが道真であったのは歴史の皮肉かもしれません。なぜなら国家体制の完成は国内的には朝廷の勢力範囲が確定・安定したことも意味するわけで、この時期になると軍事力よりも統治能力が重要になってきて、武闘派から官僚派に権力が移動することになります。大伴氏紀氏が二大軍事勢力で菅家は紀氏と強いつながりがありましたから、道真は没落する武闘派にとって最後の砦とみられていたでしょう。しかし賢明な道真は宇多・醍醐帝の強力な「ヒキ」を固辞して台頭する官僚派・藤原氏との権力争いに距離を置こうとするのですが結果的に時平と右左大臣を分け合うような存在に押し上げられるのです。結局時平は讒言という引き金で「クーデター」を起こして道真を追放(901年)、権力を握ることに成功したのです。

 

 こうした政治情勢は官吏登用制度にも変化をもたらしました。文字を持たなかったわが国は仏教公伝(583年伝来)の経典を通じて漢字(漢文)を移入します。まず公的文書を漢字漢文で作成するようになった社会上層部の人たちは、次いでやまと言葉の記録にも漢字漢文を用いるようになります。そこで困ったのが漢文には「テニヲハ」――助詞助動詞がないことと、何といっても「語順」の違うことでした。使い勝手の悪い漢字と漢文をなんとか日本化しようと悪戦苦闘したひとつのエポックが『万葉集』の編纂・成立(780年)です。漢字伝来から約二百年かけて漢字の「音韻」をやまと言葉にあてた「万葉仮名」という形で「漢字の日本化」に成功したやまとの人たちが、漢字(の借字)の草書体を「ひらがな」として発明、やまと言葉を正確に記録できる「日本語の文字」が完成するのは平安時代――九世紀中ごろでした。その「仮名文字」が公式な文書としてはじめて用いられたのが貫之らが選集した『古今集(905年)』だったのです。

 律令時代、お手本の中国の文献を読み解くために漢字漢文の知識能力は必須でした。氏素性よりも漢字漢文能力を試験で選抜されることが官吏登用の正道でしたからある意味で平等だったのです。しかし道真追放後は藤原氏の専横が朝廷を支配するようになり「門閥政治」が横行、一昔前まで有力な出世の道具だった漢字漢文の能力がほとんど価値をなくなってしまったために貫之たち知識人も殿上人の資格もない下級貴族の地位に甘んじなければならなくなるのです。そうした窮境から彼らを救ったのが文化人天皇の宇多・醍醐の両帝でした。延喜五年(905年)奏上された古今集の仮名序にはこの事業に賭けた貫之らの並々ならぬ覚悟がみなぎっています。

 「やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」ではじまるこの仮名序には、歌の効用への切迫した信頼が緊張感ある文章でつづられています。無用化した武力にかわって「歌の力」で人の心を動かしたいという希求には、摂関政治に蹂躙される社会への切実な反逆心が潜ませてあったかもしれません。しかし、それよりも、古今集のもつ「革新性」は「文字革命」であったことではないでしょうか。借り物の「漢字」というやまと言葉になじまない文字で長い間不本意な時間を過ごしてきたわが日の本にようやく「日本語の文字」として発明された「仮名文字」が史上はじめて『公的な文字』として使用されたことはその後を考えればこれほどの『文化革命』はなかったのではないでしょうか。もちろんそれを主導したのは宇多・醍醐帝でありますが貫之たちのサポートがあって成就した事業ですから両帝と貫之たちの共同事業であったと言ってなんら憚ることはないでしょう。

 

 後年貫之と古今集は正岡子規によって罵詈雑言を浴びせられます。「貫之は下手な歌よみにて『古今集』はくだらぬ集に有之候」。これは子規の「歌よみに与ふる書(明治三十一年)」の言葉ですが、ここで子規は古今集と貫之を徹底的に批判・否定します。それは新時代を迎えあらゆるものが新規を遂げようと改革・改新を努めるなかで和歌のみが御歌所などという旧態依然の守旧派が牛耳って一向に時代の変革に向き合おうとしない風潮に業を煮やした若者――当時子規三十二才――の和歌革新を願った悲痛な叫びだったのだと解すれば納得いきますが、しかし余りに皮相的な批判だったように思います。千年という時を経て伝統という「同調圧力」にさらされ感情と感覚の類型化・固定化をつづけてきたのですからそれを破壊するためには子規のような「暴力」が必要だったのでしょうが、今にして思えば子規の行なったことは「和歌(文学)革命」なのに対して「古今集」のそれは『文化革命』だったのですからどちらが歴史的に大きな影響を及ぼしたかはいうまでもないと思います。

 もうひとつの子規の悪影響は「万葉集礼賛」です。まがりなりにも二つの歌集を読んでみると万葉集はむつかしすぎるのです。言葉が古いから古語辞典か解説書を参考にしないと理解できません。そこへいくと古今集は今の私たちの感情や季節感の「源流」ですからことばの調べも近く感じられます。古今集を徹底的に排除する子規には同調できません。

 

 SNS時代の今ですが先人の並々ならぬ苦労が発明した「日本語」をわずか数語の類型文で感覚や感情を表現することを満足している若ものが「いたましい」と思うのは老爺の僻事(ひがごと)なのでしょうか。

この稿は大岡信の『紀貫之』を参考にしました

※ 本稿で今年の締めといたします。来年が善き歳となりますように。

 

2020年12月21日月曜日

そのとき西郷隆盛は四十一才だった

  菅政権の人気が急落しています。予期されたこととはいえ政権発足百日間のハネムーン期間も過ぎないうちのこの事態は学術会議会員の任命拒否問題やコロナ対応の不手際が大きく影響しているのでしょう。しかしこうした状況が遅かれ早かれ出来(しゅったい)するであろうことは当初から予想されていました。なぜならコロナ禍という前代未聞の異常事態のなかで「たたき上げ」政党人が国のトップに立つことがおよそ不適当であることは自明であったからです。

 

 「たたき上げ」を広辞苑で索()いてみると「①たたいて作り上げる②努力して技術や人格を作り上げる。苦労して一人前にする③財産を使い果たす」とあります。今まで経験したことのない事態に直面して新しく切り拓くというのとは真逆の、確定している技術や人格を目標に刻苦勉励してたどりつくといったイメージです。では菅さんはその人物像をどのようにみられているのでしょうか、当選同期の平沢勝栄氏はこんな風に語っています。「裏方に徹する、絶対に裏切らない、口が堅い、ひたすら尽くす。いろいろな人の意見を聞く。自分ではしゃべらず、徹底して聞き役になる。官房長官に打ってつけです。(略)政治家としてさらに大きく伸びると役人が見ているからだと思う」。官房長官として打ってつけ、と評価されていた人物がひょんな拍子にあれよあれよとトップに担ぎ上げられてしまった。急ごしらえだからこれといった「国の未来像」が固められていたわけではないから、先の総理がキャッチフレーズ内閣で、夏休みの子供のように親(国民)に褒めてもらおうと(国民)受けのいい計画を立てて結局なにも達成できなかった弊を改めようと、できることからコツコツと「国民のために働く内閣」と銘打って、携帯電話料の引き下げや不妊治療の保険適用を打ち出したが、肝心かなめの「コロナ対策」に決定打を打ち出せないでいるうちに国民に見放されてしまった。今の状況はこんなところでしょう。

 

 政治にはふたつの側面があると思います。国民の先頭にたって国をあるべき方向にひっぱっていく、有効な政策を提示して国民をリードしていく、そんな一面と「権力闘争」を戦い上っていく「政治屋」の一面です。たたき上げの政党人というのは、政策を磨き上げる「社会科学能力」の研鑽よりも政治権力のヒエラルキーの階段を親分の下でじっと我慢して一段づつ上っていく、そんな典型的な政治屋タイプの人たちが多いのではないでしょうか。そうした人たちは変革期には向いていなくて比較的政治状況が安定している時期に頭角を現すタイプといえます。

 コロナ禍のこの一年で分かったことは、既成の古い政治家よりも経験は浅くても未曾有の状況に柔軟に対応できる若い世代――大阪の吉村知事や北海道の鈴木知事のような若い人たちの力が必要なのだということでした。今の状況を歴史に学ぶとすれば「明治維新」が思い浮かびます。明治維新も若い、しかも下級武士階級の人たちが活躍しました。なかでも維新の三傑といわれる中心人物――西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三人はそれぞれ明治初年(1868年)に41才、38才、35才でした。ということはおよそ二十代後半から三十代になるかならないころから倒幕に薩長連合に活躍したことになります。三百年近くつづいた徳川幕府という封建体制を転覆して欧米先進国に匹敵する国に日本を改造するという大改革を成し遂げたのが三十代四十代の若い世代であったということは、今の私たちは大いに学ぶべきなのではないでしょうか。

 

 「新型コロナウィルス感染症」とはいったい何ものなのでしょうか。医学的にではなく社会的文化的にどう考えて取り組めばいいのかということです。コロナの予防法は「移動の禁止または制限による接触の減少」が最良の方法とされています。感染経路について空気感染はしない、「飛沫感染」だとされているからです。もしそうならこれは近現代の人類の歴史と真っ向から対立する感染症になるのではないでしょうか。

 大航海時代があって、蒸気機関の発明がそれを加速して人類は移動範囲を急拡大して、存在する「場」を拡張してきました。資源と人口を有効に活用する「資本主義的市場経済」という制度を創出した人類は「生産性」を飛躍的に向上して人類悲願の「飢餓からの解放」を着々と達成しています。21世紀に入ってから極端な貧困層(1日1.90ドル以下で暮らす人たち)は大幅に減少し2015年現在世界人口の10%以下の7億3600万人以下に減少しているのです。これは市場の拡大と効率的な運用の結果です。そしてそれは「ヒト、モノ、カネ、情報」の移動範囲の拡大によってもたらされたのです。近現代の繁栄は「移動」の範囲拡大と高速化が達成したといっても過言ではないのです。

 

 ところが新型コロナウィルスは「移動」にストップをかけようとしています。ワクチンができれば少しは状況が好転するかもしれません。特効薬を発明することができればインフルエンザと同じように制御可能になるでしょう。しかし今のところはっきりとした「見通し」をたてることはできません。あくまでも希望でありそれによって「コロナ以前」と同様の世界に戻れるかどうかは不確定です。ひょっとしたら「ポストコロナ」はコロナ以前と「断絶」したまったく「未経験」の世界になるかもしれないのです。

 こんな時代に、令和維新とも呼ぶべき時代にわれわれ日本人は最悪の選択をしてしまったのかもしれません。およそ時代状況への対応不能な「たたき上げ」政治家をリーダーに選んでしまったのですから。

 

 ここ数十年、政治は人文科学系の学問を「不要」な学問として否定してきましたが今必要とされているのはその人文科学系の知見です。自然科学系にしても結果が早く出る分野だけを重要視してきました。判断基準は「市場」でした。すべての分野を「市場」の判断にゆだねる体制に突き進んできました。その結果、ワクチン生産能力をほとんどゼロに近い状況に追い込んでしまったのです。病院経営を企業化して利益至上主義に改変したことによって「利益を生まない」ものは無駄だという論理で医師も看護師も最小限に減少させたことによって、非常事態に敏速に対応する能力を喪失してしまいました。その結果「わずか」500人の重症コロナ患者が発生するだけで医療体制が崩壊するという「脆弱な医療体制」の国に成り果ててしまったのです。「自助、共助、公助」と弱者を排除することによって豊かな人だけがより豊かになる「分断社会」に、日本という世界に誇る歴史の国を「みすぼらしい」国に変貌させてしまったのです。

 

 今ならまだ間に合います。ここでじっくりと腰を据えて「コロナ」を「百年後の日本」を見通す契機として活かす、そんな『賢明さ』を私たちは発揮しなければならないのです。

 

 

 

2020年12月14日月曜日

ドツボにはまるバクチ狂い

  コロナ禍の一年が過ぎようとしていますが未だ終息の目途はたっていません。それどころか第三波は拡大の一途をたどっています。国民の生命と安全は「自助」で乗り越えるしかないのでしょうか。

 

 そんな2020年でしたが競馬ファンにとっては望外の喜びの一年だったのではないでしょうか。ほとんどのイベントや遊戯施設が閉鎖と中止に追い込まれたなかで競馬だけは関係者の懸命な努力によって一レースも、一日も休むことなく開催されました。無観客でも馬券はネットで買えましたからわざわざ競馬場や場外馬券売り場に出かける手間が省けてゆっくり楽しめてよかったという年寄りファンもあるのではないでしょうか。おまけに無敗の三冠馬が牡牝で一度に出るという日本近代競馬の歴史上初めての快挙があり、そのうえGⅠ最多勝の9勝をあげる大記録をアーモンドアイが達成する記念の年となったのですから競馬ファンはコロナとともに生涯記憶に残る年となったにちがいありません。

 

 競馬は紛れもなく賭け事ですがバクチは人類の歴史と同じくらい長い年月の間人間の根源的な欲望となってきました。いちどその魔力にはまりこんでしまうと脱出不可能な深みに落ち込んでしまいます。身の丈に合ったお金の範囲で遊んでいる分には最良のストレス発散効果をもたらしますが一線を越えてしまうと底なしの「ドツボ」にはまってしまう危険性があります。いい例が大王製紙会長井川意高氏のカジノ狂いでしょう。彼の資産なら4、5億円くらいの負けでサッと見切っていたらあんな悲惨な窮境に陥ることはなかったでしょうに。

 彼は本質的に博打好きだったのでしょう。何度も勝ったり負けたりを繰り返してどんどん深みにはまっていきました。「上客」と見込まれた彼はいつの間にか絶好の「カモ」としてカジノ場のターゲットにされていきます。あるとき思いがけない「大勝(おおかち)」をします。ドンドン勝ち進んで「まだ」いける!「まだ」いける!と資金を突っ込んでいきます。でもその時は「もう」潮時だったのです。サッと見切って手仕舞いしておけばよかったのです。しかしそれを「ゆるさない」のがバクチなのです。5千万円が1億円になり5億円になり10億円になって……。気がつけば106億円という途方もない負けになっていたのです。

 賭けごとの魔力に身を滅ぼされた先人たちは貴重な格言を残してくれています。

 「もう」は「まだ」、「まだ」は「もう」なり。

 見切り千両。  などなど。

 大王製紙のボンボン会長も「もう」と「まだ」を見誤りました。見切り時を喪(う)しなったのです。

 

 京都競馬場がこの11月から2年半の改修工事に入っています。前回の工事は昭和54~55年(1979~1980)に行われていますがその当時の私は競馬にのめり込んでいました。工事が完了した再開初日の朝、新館に入ってツヤツヤと白亜に輝く一本の柱に手を添えて「この柱は俺がJRAに寄付してやった」と友人に嘯いたことを昨日のことのように覚えています。再起不能の崖っぷちに何度立たされたか分かりませんがなんとか踏みとどまって今日こうして八十近い年齢まで生きていることが不思議な気がします。六十を超して年金しか収入が無くなったある年、正月から秋のGⅠ戦線のはじまるまでの約10ケ月、なぜか馬券に手を出さなかったのです。いまでもなぜそうなったのか定かな記憶がありません。それは禁煙ができた過程とまったく同じで私の人生の不思議です。その10ケ月、TVの競馬中継は欠かさず見ていましたし予想もしていました。不思議なことに予想がピタリピタリと当たるのです。ひとは欲がないからだと言いますがそうかもしれません。あとになって思い返してみると、競馬で勝つことは不可能だ、ということと、勝馬検討と馬券は別物だということに気づく時間になっていました。そんな当たり前のことと競馬を知らない人は思うでしょうが、真剣に競馬をやっている人の多くは「競馬で勝つ」と思って毎週毎週馬券を買っているのです。なぜなら多くのレースで勝馬、レース結果を的中させているからです。それでどうして馬券が当たらないのかと素人さんは言うでしょう。そこが競馬なのです。分かっていてもガチガチの本命馬券には手が出せない、取っても儲からないならレースは買わない、とか冷静になれば信じられないような思考回路をしてしまうのです。

 今では身の丈に合った資金で、儲けるのではなく勝馬を当てること、勝馬を推理する過程を楽しみ結果を確認するために馬券を買うようになりました。すると不思議なことに馬券的中率がアップして投入資金の2倍くらい儲かることが偶にあるようになったのです、大勝はしませんが。

 

 さて今日の本題です。いま政府が採っている「コロナ政策」は負けても負けてもバクチを張りつづけているバクチ好きのように見えて仕方ないのです。これだけ感染が拡大しているのに「Go Toトラベル」を止めようとしません、「Go Toイート」も。大阪も北海道も一時中止に踏み切りましたが最大の人口を抱え感染状態が最悪の東京は継続を堅持しています。そのうち「GoToを6月末まで延長」などと菅総理大臣は方針を打ち出してしまいました。言い訳は旅行代理店を含めた旅行関連業者や飲食業の方を救うためだとなっていますが、本命は「オリンピック」でしょう。世界に宣言した「オリンピック開催」をなんとしても実現する。これに固執した日本国の菅総理大臣と開催地の小池東京都知事のふたりにとってそれ以外のことは「枝葉末節」にうつっているのでしょう。そしてその本心はもし不開催になれば被ることになる「5兆円」の損害なのです。損害を出したくない、そのためなら少々年寄りが死のうが「想定内」なのです。オリンピックだけは何があろうが開催する!それがわが国の総理大臣と東京都知事の執念なのです。

 

 延々と「マクラ」を振ってきましたが言いたいことは、5兆円を取り返そうと負けても負けても馬券を買いつづけてドツボにはまっていく「バクチ狂い」が菅総理と小池知事だ、と言いたいのです。もしこのまま感染者と重症者が増えつづければその損失は5兆円では済まなくなるのは火を見るよりも明らかです。国民の多くはそれに気づいています。分かっていないのは「ふたりだけ」です。5兆円のために10兆円、いや50兆円100兆円になるかもしれない危険な勝負にでていることが彼らには見えていないのです。もちろんその陰で何千人の重症者と死者がでるであろうことなど考えてもいないのです。

 

 金の苦労だけはしてみないと分からない、と経験者は言います。バクチと政治は身を亡ぼすというのは私たちの親の世代が親からコンコン聞かされた「忠言」でした。未経験者の、若い、菅さんと小池さんには「馬の耳に念仏」なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月7日月曜日

コロナで誰が儲けているのか

  ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウィルス感染症が発症して横浜港に寄港したのが2月初旬でしたからあれからもう10ケ月が過ぎたことになります。この間緊急事態宣言は出されましたが基本が「要請」ベースでしたから『同調圧力』は生半可なものではありませんでした。「マスク警察」という不愉快なことばができるほど、マスク、3密、大人数の飲み会禁止など、「息苦しい」毎日を過ごしてきました。

 こうした時期には不安定な「変化」より「現状維持」が「同調圧力」となって強力に支配します。そのひとつの表れが突然の安倍首相辞任に伴う自民党総裁選挙でした。事前の予想をはるかに超えた「菅総裁」へのなだれを打った決着は、「安倍政治の継承」という「安定」の訴えが自民党議員や党員だけでなく国民にも広く受け入れられ7割を超える高支持率を得る結果となりました。しかしその過程は紛れもない「不正選挙」で岸田、石破、菅の三者鼎立のはずが派閥領袖のあからさまな「談合」によって菅一強の「大政翼賛」が行われたのです。こうした「騒擾」時のわが国民の行動パターンは、もし戦前のような国際緊張が現出されるようなことがあれば、また同じ「愚挙」を繰り返すのではないかという「危惧」を強く抱かせます。

 「半沢直樹」「鬼滅の刃」ブームは文化面に表れた「同調圧力」からの『解放』欲求だったのではないでしょうか。「半沢」に関していえば前回放映時には「銀行の横暴」に現実味がありました。晴れているときには不要な傘をすすめるくせに、実際に傘が必要な雨降りには傘を奪い去る、そんな「あこぎ」な稼ぎで稼ぎまくっていた、そんな時代は「ゼロ金利政策」によってもろくも消え去り、利益の源泉であった「利子収入」は消滅して手数料収入や金融商品の販売でかろうじて企業維持するしか道のない銀行に成り果てた今、「半沢直樹」の「正当銀行マン」としての「勧善懲悪」はリアリティのない「電子紙芝居」でしかなかったはずなのです。にもかかわらず前回同様、いやそれ以上の視聴率を上げたのはコロナの閉塞感からの解放願望に結びついたからに他なりません。

 「鬼滅の刃」はコロナの呪縛と世間に横溢する「不寛容」からの解放という希求に合致したことによる異常人気だったのではないでしょうか。マンガ第一世代の私は六十代にマンガ離れしましたから「鬼滅の刃」を論じる立場にありません。白土三平(「カムイ伝」)、あしたのジョー、島耕作、じゃりン子チエ、まんだら屋の良太、ゴルゴ13などを「おとな」の白い眼を向こうに「日本のサブカルチャー」の位置にマンガを定着させた、おとなのコミック誌「ビッグコミック」創刊に立ち会った世代としては「鬼滅の刃」のこれほどの異常人気には少なからず「おそれ」を抱くのですが、それだけコロナの「同調圧力」が強力なのでしょう。

 

 コロナ禍で最も異常なのは「株価」です。新型コロナ感染症が世界的な脅威となって経済活動に打撃を与えだして以後、わずか1ケ月半で2万3千円台(1月31日23205円)から1万6千552円にまで急落しました(3月19日)。しかし何の好材料もないのに株価はじりじりと反転し1ケ月半で2万円台を回復(4月30日20193円)、8月末には2万3千円(231.9円)、11月初旬には2万4千円台へ(11月5日24105円)、ワクチン開発が実現性を帯びると一挙に高騰、12月1日には遂に2万6千787円というバブル後最高値をつけるに至りました。

 この高値の原因については世界的な金融緩和による「お金のだぶつき」をあげる人が多いようです。もし株価が市場の状態を映す「鏡」の存在だとしたらコロナ不況でGDPが壊滅的な状態にある現在、株価は上がるはずがありません。それがアメリカも日本も同時株高になっているのですから何らかの「株価操作」が疑われても仕方ありません。アメリカについて言えばトランプ大統領の人気維持のためにFRBに圧力をかけて恣意的操作を行っているのではないかという考えが有力です。日本でもGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による大量の株式購入は以前から指摘されていますがここにきて日銀がその存在感を増しているようです。コロナ感染拡大に伴う追加の金融緩和で国債やETF(上場投資信託)の買い入れを増やした結果、日銀の9月末総資産は690兆円と過去最高を更新しました。この結果45兆円の株式を保有する日本最大の株主となり、アドバンテスト、ファーストリテイリング、TDK、日産化学、ファミリーマートなどの筆頭株主(又は大株主)になっています。日銀は私企業の経営には口出しできませんから「物言わぬ安定株主」になり経営者にとって都合のいい存在になって企業経営に悪影響が出ることも予想されます。

 こうした「株高」と「株式保有率向上」はこんな見方もできます。長らくマイナス金利がつづいてきた長期国債先物の金利がここにきて0.02%近辺にアップしています。これだけで借金漬けのわが国財政にとっては影響大ですがコロナ不況で税収の落ち込みも大きいようで20年度見込みが63兆円から50兆円前半まで減少する可能性も出ています。こうした状況下では株高を演出することでこのマイナスを帳消しにしたいという誘惑が起こっても当然です。政府・日銀にはひょっとしたらそういう思惑があるのではないかと疑う市場関係者も少なくないのです。

 

 ただここで考えてみる必要があるのは、そもそも金融緩和は安倍政権肝いりの中心政策で、デフレ脱却、成長喚起による国民の所得アップ、東北大震災など震災からの復興のためだったはずです。しかし7年9ケ月に及ぶ最長在任期間を経たにもかかわらずデフレ脱却も経済成長も実現できず国民の給料もほとんど上がっていません。逆に非正規雇用が4割近くになって生活の不安定度が増しています。中小企業の存立基盤は危うさを増しており、震災復興も道半ばです。ということは金融緩和のお金は、必要とされているところへは届かず、大企業(内部留保の拡大)、政府(年度当初予算100兆円超えが2019年から3年もつづいている)、株式市場に流れているのです。結局大企業と富裕層が潤っているのが金融緩和の実態なのです。

 

 さらに問題なのは12月1日、菅総理が国土強靭化5ケ年計画を「5年で30兆円」という指示を出したことです。どさくさ紛れ、という感が避けられない突然の政策提示ですが、ここから透けてくるのは菅政治の本質が「ソフト志向」ではなく相変わらずの「土建屋政治」だということです。携帯料金値下げ政策も家計に占める携帯料金が大きいために従来型商品への消費が低迷していることを救済しようという思惑からのものであることは明らかです。軍事予算が2021年も5兆円を超えますから6年連続になります。

 

 コロナ禍の今、求められるのは「感染症対策の充実」「立ち遅れているデジタル社会の実現」「脱炭素社会とクリーンエネルギー社会の世界標準達成」など、古い既得権社会からの脱却と社会経済のソフト化です。菅政治はまったく正反対の方向を向いています。

 わが国の政治状況は今、きわめて危ういということを強く認識する必要があります。