2020年12月21日月曜日

そのとき西郷隆盛は四十一才だった

  菅政権の人気が急落しています。予期されたこととはいえ政権発足百日間のハネムーン期間も過ぎないうちのこの事態は学術会議会員の任命拒否問題やコロナ対応の不手際が大きく影響しているのでしょう。しかしこうした状況が遅かれ早かれ出来(しゅったい)するであろうことは当初から予想されていました。なぜならコロナ禍という前代未聞の異常事態のなかで「たたき上げ」政党人が国のトップに立つことがおよそ不適当であることは自明であったからです。

 

 「たたき上げ」を広辞苑で索()いてみると「①たたいて作り上げる②努力して技術や人格を作り上げる。苦労して一人前にする③財産を使い果たす」とあります。今まで経験したことのない事態に直面して新しく切り拓くというのとは真逆の、確定している技術や人格を目標に刻苦勉励してたどりつくといったイメージです。では菅さんはその人物像をどのようにみられているのでしょうか、当選同期の平沢勝栄氏はこんな風に語っています。「裏方に徹する、絶対に裏切らない、口が堅い、ひたすら尽くす。いろいろな人の意見を聞く。自分ではしゃべらず、徹底して聞き役になる。官房長官に打ってつけです。(略)政治家としてさらに大きく伸びると役人が見ているからだと思う」。官房長官として打ってつけ、と評価されていた人物がひょんな拍子にあれよあれよとトップに担ぎ上げられてしまった。急ごしらえだからこれといった「国の未来像」が固められていたわけではないから、先の総理がキャッチフレーズ内閣で、夏休みの子供のように親(国民)に褒めてもらおうと(国民)受けのいい計画を立てて結局なにも達成できなかった弊を改めようと、できることからコツコツと「国民のために働く内閣」と銘打って、携帯電話料の引き下げや不妊治療の保険適用を打ち出したが、肝心かなめの「コロナ対策」に決定打を打ち出せないでいるうちに国民に見放されてしまった。今の状況はこんなところでしょう。

 

 政治にはふたつの側面があると思います。国民の先頭にたって国をあるべき方向にひっぱっていく、有効な政策を提示して国民をリードしていく、そんな一面と「権力闘争」を戦い上っていく「政治屋」の一面です。たたき上げの政党人というのは、政策を磨き上げる「社会科学能力」の研鑽よりも政治権力のヒエラルキーの階段を親分の下でじっと我慢して一段づつ上っていく、そんな典型的な政治屋タイプの人たちが多いのではないでしょうか。そうした人たちは変革期には向いていなくて比較的政治状況が安定している時期に頭角を現すタイプといえます。

 コロナ禍のこの一年で分かったことは、既成の古い政治家よりも経験は浅くても未曾有の状況に柔軟に対応できる若い世代――大阪の吉村知事や北海道の鈴木知事のような若い人たちの力が必要なのだということでした。今の状況を歴史に学ぶとすれば「明治維新」が思い浮かびます。明治維新も若い、しかも下級武士階級の人たちが活躍しました。なかでも維新の三傑といわれる中心人物――西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の三人はそれぞれ明治初年(1868年)に41才、38才、35才でした。ということはおよそ二十代後半から三十代になるかならないころから倒幕に薩長連合に活躍したことになります。三百年近くつづいた徳川幕府という封建体制を転覆して欧米先進国に匹敵する国に日本を改造するという大改革を成し遂げたのが三十代四十代の若い世代であったということは、今の私たちは大いに学ぶべきなのではないでしょうか。

 

 「新型コロナウィルス感染症」とはいったい何ものなのでしょうか。医学的にではなく社会的文化的にどう考えて取り組めばいいのかということです。コロナの予防法は「移動の禁止または制限による接触の減少」が最良の方法とされています。感染経路について空気感染はしない、「飛沫感染」だとされているからです。もしそうならこれは近現代の人類の歴史と真っ向から対立する感染症になるのではないでしょうか。

 大航海時代があって、蒸気機関の発明がそれを加速して人類は移動範囲を急拡大して、存在する「場」を拡張してきました。資源と人口を有効に活用する「資本主義的市場経済」という制度を創出した人類は「生産性」を飛躍的に向上して人類悲願の「飢餓からの解放」を着々と達成しています。21世紀に入ってから極端な貧困層(1日1.90ドル以下で暮らす人たち)は大幅に減少し2015年現在世界人口の10%以下の7億3600万人以下に減少しているのです。これは市場の拡大と効率的な運用の結果です。そしてそれは「ヒト、モノ、カネ、情報」の移動範囲の拡大によってもたらされたのです。近現代の繁栄は「移動」の範囲拡大と高速化が達成したといっても過言ではないのです。

 

 ところが新型コロナウィルスは「移動」にストップをかけようとしています。ワクチンができれば少しは状況が好転するかもしれません。特効薬を発明することができればインフルエンザと同じように制御可能になるでしょう。しかし今のところはっきりとした「見通し」をたてることはできません。あくまでも希望でありそれによって「コロナ以前」と同様の世界に戻れるかどうかは不確定です。ひょっとしたら「ポストコロナ」はコロナ以前と「断絶」したまったく「未経験」の世界になるかもしれないのです。

 こんな時代に、令和維新とも呼ぶべき時代にわれわれ日本人は最悪の選択をしてしまったのかもしれません。およそ時代状況への対応不能な「たたき上げ」政治家をリーダーに選んでしまったのですから。

 

 ここ数十年、政治は人文科学系の学問を「不要」な学問として否定してきましたが今必要とされているのはその人文科学系の知見です。自然科学系にしても結果が早く出る分野だけを重要視してきました。判断基準は「市場」でした。すべての分野を「市場」の判断にゆだねる体制に突き進んできました。その結果、ワクチン生産能力をほとんどゼロに近い状況に追い込んでしまったのです。病院経営を企業化して利益至上主義に改変したことによって「利益を生まない」ものは無駄だという論理で医師も看護師も最小限に減少させたことによって、非常事態に敏速に対応する能力を喪失してしまいました。その結果「わずか」500人の重症コロナ患者が発生するだけで医療体制が崩壊するという「脆弱な医療体制」の国に成り果ててしまったのです。「自助、共助、公助」と弱者を排除することによって豊かな人だけがより豊かになる「分断社会」に、日本という世界に誇る歴史の国を「みすぼらしい」国に変貌させてしまったのです。

 

 今ならまだ間に合います。ここでじっくりと腰を据えて「コロナ」を「百年後の日本」を見通す契機として活かす、そんな『賢明さ』を私たちは発揮しなければならないのです。

 

 

 

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