2020年12月14日月曜日

ドツボにはまるバクチ狂い

  コロナ禍の一年が過ぎようとしていますが未だ終息の目途はたっていません。それどころか第三波は拡大の一途をたどっています。国民の生命と安全は「自助」で乗り越えるしかないのでしょうか。

 

 そんな2020年でしたが競馬ファンにとっては望外の喜びの一年だったのではないでしょうか。ほとんどのイベントや遊戯施設が閉鎖と中止に追い込まれたなかで競馬だけは関係者の懸命な努力によって一レースも、一日も休むことなく開催されました。無観客でも馬券はネットで買えましたからわざわざ競馬場や場外馬券売り場に出かける手間が省けてゆっくり楽しめてよかったという年寄りファンもあるのではないでしょうか。おまけに無敗の三冠馬が牡牝で一度に出るという日本近代競馬の歴史上初めての快挙があり、そのうえGⅠ最多勝の9勝をあげる大記録をアーモンドアイが達成する記念の年となったのですから競馬ファンはコロナとともに生涯記憶に残る年となったにちがいありません。

 

 競馬は紛れもなく賭け事ですがバクチは人類の歴史と同じくらい長い年月の間人間の根源的な欲望となってきました。いちどその魔力にはまりこんでしまうと脱出不可能な深みに落ち込んでしまいます。身の丈に合ったお金の範囲で遊んでいる分には最良のストレス発散効果をもたらしますが一線を越えてしまうと底なしの「ドツボ」にはまってしまう危険性があります。いい例が大王製紙会長井川意高氏のカジノ狂いでしょう。彼の資産なら4、5億円くらいの負けでサッと見切っていたらあんな悲惨な窮境に陥ることはなかったでしょうに。

 彼は本質的に博打好きだったのでしょう。何度も勝ったり負けたりを繰り返してどんどん深みにはまっていきました。「上客」と見込まれた彼はいつの間にか絶好の「カモ」としてカジノ場のターゲットにされていきます。あるとき思いがけない「大勝(おおかち)」をします。ドンドン勝ち進んで「まだ」いける!「まだ」いける!と資金を突っ込んでいきます。でもその時は「もう」潮時だったのです。サッと見切って手仕舞いしておけばよかったのです。しかしそれを「ゆるさない」のがバクチなのです。5千万円が1億円になり5億円になり10億円になって……。気がつけば106億円という途方もない負けになっていたのです。

 賭けごとの魔力に身を滅ぼされた先人たちは貴重な格言を残してくれています。

 「もう」は「まだ」、「まだ」は「もう」なり。

 見切り千両。  などなど。

 大王製紙のボンボン会長も「もう」と「まだ」を見誤りました。見切り時を喪(う)しなったのです。

 

 京都競馬場がこの11月から2年半の改修工事に入っています。前回の工事は昭和54~55年(1979~1980)に行われていますがその当時の私は競馬にのめり込んでいました。工事が完了した再開初日の朝、新館に入ってツヤツヤと白亜に輝く一本の柱に手を添えて「この柱は俺がJRAに寄付してやった」と友人に嘯いたことを昨日のことのように覚えています。再起不能の崖っぷちに何度立たされたか分かりませんがなんとか踏みとどまって今日こうして八十近い年齢まで生きていることが不思議な気がします。六十を超して年金しか収入が無くなったある年、正月から秋のGⅠ戦線のはじまるまでの約10ケ月、なぜか馬券に手を出さなかったのです。いまでもなぜそうなったのか定かな記憶がありません。それは禁煙ができた過程とまったく同じで私の人生の不思議です。その10ケ月、TVの競馬中継は欠かさず見ていましたし予想もしていました。不思議なことに予想がピタリピタリと当たるのです。ひとは欲がないからだと言いますがそうかもしれません。あとになって思い返してみると、競馬で勝つことは不可能だ、ということと、勝馬検討と馬券は別物だということに気づく時間になっていました。そんな当たり前のことと競馬を知らない人は思うでしょうが、真剣に競馬をやっている人の多くは「競馬で勝つ」と思って毎週毎週馬券を買っているのです。なぜなら多くのレースで勝馬、レース結果を的中させているからです。それでどうして馬券が当たらないのかと素人さんは言うでしょう。そこが競馬なのです。分かっていてもガチガチの本命馬券には手が出せない、取っても儲からないならレースは買わない、とか冷静になれば信じられないような思考回路をしてしまうのです。

 今では身の丈に合った資金で、儲けるのではなく勝馬を当てること、勝馬を推理する過程を楽しみ結果を確認するために馬券を買うようになりました。すると不思議なことに馬券的中率がアップして投入資金の2倍くらい儲かることが偶にあるようになったのです、大勝はしませんが。

 

 さて今日の本題です。いま政府が採っている「コロナ政策」は負けても負けてもバクチを張りつづけているバクチ好きのように見えて仕方ないのです。これだけ感染が拡大しているのに「Go Toトラベル」を止めようとしません、「Go Toイート」も。大阪も北海道も一時中止に踏み切りましたが最大の人口を抱え感染状態が最悪の東京は継続を堅持しています。そのうち「GoToを6月末まで延長」などと菅総理大臣は方針を打ち出してしまいました。言い訳は旅行代理店を含めた旅行関連業者や飲食業の方を救うためだとなっていますが、本命は「オリンピック」でしょう。世界に宣言した「オリンピック開催」をなんとしても実現する。これに固執した日本国の菅総理大臣と開催地の小池東京都知事のふたりにとってそれ以外のことは「枝葉末節」にうつっているのでしょう。そしてその本心はもし不開催になれば被ることになる「5兆円」の損害なのです。損害を出したくない、そのためなら少々年寄りが死のうが「想定内」なのです。オリンピックだけは何があろうが開催する!それがわが国の総理大臣と東京都知事の執念なのです。

 

 延々と「マクラ」を振ってきましたが言いたいことは、5兆円を取り返そうと負けても負けても馬券を買いつづけてドツボにはまっていく「バクチ狂い」が菅総理と小池知事だ、と言いたいのです。もしこのまま感染者と重症者が増えつづければその損失は5兆円では済まなくなるのは火を見るよりも明らかです。国民の多くはそれに気づいています。分かっていないのは「ふたりだけ」です。5兆円のために10兆円、いや50兆円100兆円になるかもしれない危険な勝負にでていることが彼らには見えていないのです。もちろんその陰で何千人の重症者と死者がでるであろうことなど考えてもいないのです。

 

 金の苦労だけはしてみないと分からない、と経験者は言います。バクチと政治は身を亡ぼすというのは私たちの親の世代が親からコンコン聞かされた「忠言」でした。未経験者の、若い、菅さんと小池さんには「馬の耳に念仏」なのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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