2013年2月25日月曜日

人口問題を考える一視点

 少子高齢化がいよいよ抜き差しならない段階にきている。平成23年10月現在の日本人人口は1億2618万人となり前年に比べ20万2千人と大きく減少している。国立社会保障・人口問題研究所の人口推計による2060年の総人口は8673万7千人、生産年齢人口(15~64歳)は4418万3千人(総人口比50.9%)にまで減少すると予想している(平成23年の生産年齢人口は8130万3千人63.6%)。

 平成23年の合計特殊出生率(15~49歳までの女性の年齢別出生率を合計したもの)は1.39で出生数は1,050,698人となり第1次ベビーブーマー期(1947~1949)の約270万人に比べて約4割にまで減少している。しかしマスコミなどで人口問題が論じられる場合全く無視されている視点がある。妊娠中絶のことだ。厚労省の資料によると2000年代前半には30万人以上の人工妊娠中絶が行われていたが2010年(平成22年)はやや減少して212,665人になっている。平成22年の死亡者数は1,197,021人であるから単純に中絶数を出生数(1,071,304人)に加えると87000人弱の純増になり、出生率も人工中絶数を加えて再計算すると1.67になる。この出生率は1980年代後半とほぼ同じ水準で現在のカナダやオランダに相当する。今後25年~30年間の平均死亡数を毎年約140万人程度で推移すると仮定すると現在の出生数と中絶数を加えた約130万人との差は僅かに10万人になり、これは厚労省等の将来推計の示す『絶望的な』少子化傾向ではなく国が本気で少子化対策に取り組めば克服可能な数字である。
 
 人口問題を考える上で興味深い報道があった。「孤立無業者が162万人に上る」という東大の調査結果だ。20~59歳の働き盛りで未婚、無職の男女のうち、社会と接点のない人たち(無作為に選んだ2日間を1人か家族だけで過ごした)を「孤立無業者」と規定して2011年時点で調査した玄田有史・東大教授グループのまとめによるもので06年(112万人)に比べて4割以上増加している(2013.2.18日経による)。総務省の「社会生活基本調査」をベースに集計された未婚で仕事も通学もしていない人は孤立無業者を含めて256万人おり、景気低迷に伴う就職難やリストラ等の影響と分析している。
 
 2000年に介護保険制度が施行された。年老いた祖父母・親や病身の身内の面倒を見るのは家族の務めであると考えられていたそれまでの倫理観からすれば「介護の社会化」は大転換である。しかし戦後加速度的に進行した「核家族化」という社会変化はそうした従来の倫理観の維持を不可能にした。『出産と育児の社会化』は介護以上に倫理観を転換しなければならないであろう。しかし緊迫感を増した人口減少を食い止めるためには避けて通れない現実である。

 デフレ脱却を目指して大胆な経済施策が取られようとしている。しかし公共事業など旧来型で目先の短期効果を追うのではなく女性の社会参加や失業率調査の対象外として取り扱われている200万人近い孤立無業者の社会参加を促すような「確実に効果の見込める」施策を緻密に進めてもらいたい。女性の就業を可能にするために不可欠な「24時間保育」と「病児保育」など取り組むべき施策のメニューは多方面の専門家が既に提案している。
 国の将来を見据えて大胆に社会構造を改革する意思を本気で示す時だ。

2013年2月18日月曜日

体罰とサディズム

 桜宮バスケ部員自殺事件の外部監察チームと市教委の実態調査報告書が発表になったがこれを読むと今回の事件が単なる体罰問題ではないことが分かる。例えば「キャップテンを続けるか、普通部員になるか、下働きをするか」を選択させキャップテンを続けたいと返事した部員に「キャップテンをしたいということはシバかれてもエエのやな」と念押しした、という報告がある。数十回殴った行為も異常だが言葉による嗜虐行為も含めてもはや今回の体罰問題が「教育的範疇」で語られるものではなく『サディズム(嗜虐的性行為)』の一種として断罪されるべき問題だということを示唆している。
 剣道部員(他校の)虐待のビデオに映っている顧問の暴行も体罰の範疇をはるかに超えており、暴行が重ねられるに従って異常性が亢進していく様子がリアルに伝わってくる。加えてこのビデオが教える重大な問題は、これが公開の大会中の事件であり他の部員は当然のこと保護者も環視しており多分大会役員も注視しているはずだ、ということである。中学1年か2年の生徒が目に余る暴行を受けているのを誰も止めず注意すらしない映像は、体罰問題が学校、教育委員会などの教育関係者だけでなく保護者や行政も含めた広範囲なおとな社会の問題だということを表している。

 日本柔道オリンピック女子選手の監督及び柔道連盟への暴力・ハラスメントに関する嘆願騒動の取り扱いにも問題がある。嘆願書には「ハラスメント」とあったものがいつの間にかマスコミでは「パワーハラスメント」と言い換えられて報道された。しかし一部の関係者の言うように、オリンピックの強化選手に選ばれるレベルの選手は極限の肉体的苦痛を超越し身体的技術的に最高の到達点に達している。その彼女らが少々の暴力的指導に屈するとは到底思えず彼女らが本当に訴えたかったのは精神的な被虐であり耐えられないセクシャルハラスメントであろう、と常識的に判断できる。それを暴力とパワーハラスメントへの抗議として報道する姿勢に現在のマスコミの『歪んだ偽善性』を感じる。

  「サラリーマン馬券脱税事件」に対するマスコミの視点にも疑問を感じる。馬券による収入を「一時所得」とし課税對象額をハズレ馬券も含めた総購入資金を費用として計算した1.5億円ではなく配当金獲得馬券の直接購入資金のみを費用とした5.4億円を對象と認定して税額を決定したことに疑問を呈した報道がほとんどである。競馬ファンとしては至極当然の考え方であり課税当局の再考を是非お願いしたいが、そこで留まってはいけないのではないか。年収800万円のサラリーマンがその何十倍もの馬券を購入して『バクチ』をすることの異常性を問題にすべきではないのか。彼の場合は「現金」ではなくネット上の「バーチャルなお金」で馬券を扱っていたから『麻痺』していたのだろうが、彼のバクチ行為は極めて異常である。断罪されて当然である。そのことを訴えるメディアが皆無という事態は情けないでは済まされない。

  「セックスと暴力」と「賭博」は人間の本質的衝動でありながら近代社会においては厳しく管理されなければ社会秩序を危うくするとされている。それだけに事件や問題の深層に「セックスと暴力」が潜んでいることが多く、それへの対処を誤ると事件の真相解明につながらないことが多い。
 体罰問題をサディズムと捉えて論評するコメンテーターが出てこないものか。

2013年2月11日月曜日

もし、終戦日が陰鬱な冬日だったら

  もし、終戦日がみぞれ混じりの陰鬱な冬日だったら日本国の戦後復興はあんなに力強いものであっただろうか、時々そんなことを考える。突き抜けるような青空、炎熱の太陽がジリジリと照りつけカラッカラに乾いた何もない真空のような真夏日。敗戦を知らされたのがそんな日であったからなんども挫折しそうになっても「みんな同じように貧しかったじゃないか」と思い直して頑張ってこれたように思う。
 
 アベノミクスが市場に歓迎され株高円安が進行しているが一時の熱狂で終る危険性はないだろうか。戦後の復興は皆等しく「壊滅」というスタートラインに立っていたから達成された側面が否定できないと思っている。財閥は解体され政治家は追放になったうえに農地も解放された。旧体制は解体したと多くの国民は感じていたに違いない。アベノミクスはそこへの踏み込みが不足している。むしろ改革を先延ばしして既得権を擁護しようという意図が透けている。

 インフレ目標を掲げ物価の先高感を煽って消費を掻き立てようと目論んでいるが狙い通りに事が運ぶかどうかは極めて怪しい。「一億総中流」で大量消費を可能にしたのは終身雇用、年功序列の生涯賃金性度という裏付けがあったからだ。ローンを組んで未来が買えた。30年ローンで住宅を、5年ローンで自家用車を、クーラーもカラーテレビもローンで買った。しかし、今は大企業でも明日は分からない、成果主義で給料の見通しも立たない。派遣かパートで共働きしようと思っても保育園がない。銀行でローンを申し込んでも相手にしてくれない。「安心できる持続可能な年金・社会保障制度」で安定した将来を示せば『今の消費』が拡大するとアベノミクスは構想しているが、そこへ行き着くまでの『今と明日の生活』の見取り図が描けていない状態でローンを組んで未来を買うだろうか。

 総務省が1日発表した2012年12月の労働力調査によると、産業別就業者数で「製造業」が前年同月より35万人減って998万人となり1千万人を割り込んだ。1千万人割れは1961年6月以来51年ぶり、ピークは1992年10月の1603万人でそのときより4割も減少している、と報道された。しかしこの数字は実態とかけ離れている。中小企業金融円滑化法で延命されている企業があるからだ。中小企業の借入金返済の期限延長や条件緩和を通じて企業の倒産を防ぐ目的で導入されたこの法律が平成25年3月で最終延長の期限切れになり大量の企業が倒産するのではないかと懸念されている。倒産企業がどれほどの数になるか定かではないが深刻な事態が予想されているから倒産による失業者も少なくないに違いない。全産業就業者数6200万人の16%という数字が表立った製造業の雇用状況になるが実質的には更に低下しているとみるのが妥当であろう。しかしアベノミクスは製造業偏重の「成長戦略」という旧来型の傾向が強い。

 デフレ克服を最重要課題に掲げるアベノミクス。しかしバブル崩壊という「第二の戦後」からの脱却を目指すにしては覚悟が甘い。

2013年2月4日月曜日

生きることへの愛

  公園のゴミが激減した。近住のNさんが20年、引き継いだ私が8年毎日ゴミ袋1袋以上拾い続けたゴミがここ数週間ほとんど見られなくなったのだ。原因は近くの中学校と小学校の協力にある。捨て方に無邪気さがなく悪意を感じたので昨年の夏休み前、教頭に現場を見せて児童生徒に指導して欲しいと頼み込んだ。一度には改善されなかったが指導を繰り返して頂いた結果、今年になって見違えるようにごみ捨てが少なくなったのだ。
 もう一つ変化の見えるのが少年野球だ。暴力的なシゴキと威圧的な叱咤が長い間少年野球指導者の指導方法であったが最近はそうではない。子供達を集めて穏やかな口調で諄々と理詰めで指導する監督の姿をよく見るようになった。

 桜宮バスケ部員の自殺事件や日本柔道オリンピック候補女子選手の監督の暴力行為に対するJOCへの嘆願事件などスポーツ界での暴力事件が相次いで表面化している。しかしスポーツに関するこうした事例は日本固有の傾向であって、そもそもスポーツと暴力は対極にある。
 産業が高度に発達し、機能的分化が著しく進んだ現代社会では人生の重要な活動の中で興奮を示すことは、危険と見なされ、興奮は社会や国家によって極端に規制される。ところが、多くの余暇活動は、人間が直接、肉体的被害を被ることなく、実際の人間生活の中で生み出される興奮に近い状態を味わえる想像上の領域を提供してくれる(ノルベルト・アリエス他著「スポーツと文明化」p464大平章訳法政大学出版局)。
 余暇活動の中にスポーツが含まれることは自明であり、アリエスがいうように「肉体的被害を被ることなく興奮の疑似体験」をするのがスポーツであるならば、体罰や暴力的指導が当然視される環境は全面的に改められるべきであろう。「部活」という形態の見直しや選手とコーチ(監督)の対等な関係の構築など我が国スポーツ界の根本的改革が必要な時期に来ているのは間違いない。

 子供の死に関して衝撃を受けたニュースがあった。平成23年度に全国の小中高校から報告のあった児童生徒の自殺数が前年度より44人増えて200人になったと伝えられたのだ。内訳は高校生が157人(前年比45人増)中学校39人(同4人減)小学校4人(同3人増)。原因は不明が58%、父母の叱責12%進路問題10%で自殺は中学校で4人となっている。(これは警察庁発表の自殺数353人と大きな開きがある―集計期間が異なるが)。同じ頃大津中2いじめ自殺事件について第3者委員会が報告書をまとめた。自殺といじめに直接の因果関係を認めた画期的な内容になっている。
 高度に産業化し都市化した現在、「興奮は社会や国家によって極端に規制」されているから人間の内面に潜む「暴力や肉体的興奮」を如何に管理するかは個人にとっても集団にとっても重大な課題である。中途半端にしないで本質的な解決策を模索して欲しいと心から願う。
 
 生きることへの愛を、君たちにとって最高の希望への愛とせよ。君たちにとって最高の希望を、生きていることの最高の思想とせよ!(ニーチェ「ツァラトゥストラ」p95丘沢静也訳・光文社古典新訳文庫)。