2013年2月18日月曜日

体罰とサディズム

 桜宮バスケ部員自殺事件の外部監察チームと市教委の実態調査報告書が発表になったがこれを読むと今回の事件が単なる体罰問題ではないことが分かる。例えば「キャップテンを続けるか、普通部員になるか、下働きをするか」を選択させキャップテンを続けたいと返事した部員に「キャップテンをしたいということはシバかれてもエエのやな」と念押しした、という報告がある。数十回殴った行為も異常だが言葉による嗜虐行為も含めてもはや今回の体罰問題が「教育的範疇」で語られるものではなく『サディズム(嗜虐的性行為)』の一種として断罪されるべき問題だということを示唆している。
 剣道部員(他校の)虐待のビデオに映っている顧問の暴行も体罰の範疇をはるかに超えており、暴行が重ねられるに従って異常性が亢進していく様子がリアルに伝わってくる。加えてこのビデオが教える重大な問題は、これが公開の大会中の事件であり他の部員は当然のこと保護者も環視しており多分大会役員も注視しているはずだ、ということである。中学1年か2年の生徒が目に余る暴行を受けているのを誰も止めず注意すらしない映像は、体罰問題が学校、教育委員会などの教育関係者だけでなく保護者や行政も含めた広範囲なおとな社会の問題だということを表している。

 日本柔道オリンピック女子選手の監督及び柔道連盟への暴力・ハラスメントに関する嘆願騒動の取り扱いにも問題がある。嘆願書には「ハラスメント」とあったものがいつの間にかマスコミでは「パワーハラスメント」と言い換えられて報道された。しかし一部の関係者の言うように、オリンピックの強化選手に選ばれるレベルの選手は極限の肉体的苦痛を超越し身体的技術的に最高の到達点に達している。その彼女らが少々の暴力的指導に屈するとは到底思えず彼女らが本当に訴えたかったのは精神的な被虐であり耐えられないセクシャルハラスメントであろう、と常識的に判断できる。それを暴力とパワーハラスメントへの抗議として報道する姿勢に現在のマスコミの『歪んだ偽善性』を感じる。

  「サラリーマン馬券脱税事件」に対するマスコミの視点にも疑問を感じる。馬券による収入を「一時所得」とし課税對象額をハズレ馬券も含めた総購入資金を費用として計算した1.5億円ではなく配当金獲得馬券の直接購入資金のみを費用とした5.4億円を對象と認定して税額を決定したことに疑問を呈した報道がほとんどである。競馬ファンとしては至極当然の考え方であり課税当局の再考を是非お願いしたいが、そこで留まってはいけないのではないか。年収800万円のサラリーマンがその何十倍もの馬券を購入して『バクチ』をすることの異常性を問題にすべきではないのか。彼の場合は「現金」ではなくネット上の「バーチャルなお金」で馬券を扱っていたから『麻痺』していたのだろうが、彼のバクチ行為は極めて異常である。断罪されて当然である。そのことを訴えるメディアが皆無という事態は情けないでは済まされない。

  「セックスと暴力」と「賭博」は人間の本質的衝動でありながら近代社会においては厳しく管理されなければ社会秩序を危うくするとされている。それだけに事件や問題の深層に「セックスと暴力」が潜んでいることが多く、それへの対処を誤ると事件の真相解明につながらないことが多い。
 体罰問題をサディズムと捉えて論評するコメンテーターが出てこないものか。

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