2021年12月27日月曜日

「戦争」という言葉の具体性について

  専守防衛だったはずのわが国の自衛権がいつの間にか集団的自衛権行使容認に憲法解釈が変更され挙句の果てには「敵基地攻撃能力」という「先制攻撃」とどこが違うのか通常の思考能力では判断のつかないロジックを展開するまでに右傾化は止まるところがありません。さらに元総理が「台湾有事は日本の有事」と中国を煽るような言辞を弄するに至ってはもはや「敗戦」も「被爆国」という反省もこの国のどこにも存在しないような政治状況を呈しています。彼らは「戦争」というものにどんなイメージを抱いているのでしょうか。まさかゲームのようにどんな惨禍も一瞬に「リセット」できるとは考えていないでしょうね、思考力も想像力も未熟な子どもではないのですから。

 

 昭和は戦争の時代でした。そんな昭和を八万余のあまねく国民の短歌の集積で後世に伝えようと1980年講談社が『昭和万葉集』というかたちにしました。12月13日の「歌のちから」で戦争の「酷(むご)さ」については述べましたのでここでは帰還を待つ人ひとのこころから復興を果たした後の心情をたどってみようと思います。

 

※ 片腕は遂に見あたらぬ戦友を火葬に付して骨抱きかへる(羽生嶺草史)

 戦争が殺し合いであることはこの首で十分わかるはずです。

 

※ 大きな骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝)

 原爆投下直後の惨状です。今もし戦争になれば広島に投下された何十倍何百倍破壊力のある原爆がミサイルに搭載されて敵国を破壊するのです。トランプ元アメリカ大統領は小型核弾頭開発を進めようとしましたがそれでも放射能の酷さは広島長崎の経験で明らかですし後遺症の過酷さは原爆資料館を見れば皮膚感覚で分かります。アメリカの核の傘に守られていると安心していても仮想敵国の核攻撃は容赦なくわが国を襲うでしょうし最初の一発で止めることができたとしても被害はわが国土の多くに及ぶことでしょう。戦争を現実問題として捉えている人たちは沖縄のアメリカ海兵隊基地がまず攻撃されるであろうと想定しているようですが、狡猾で冷酷な仮想敵国の司令官なら最初の一発で横田基地を攻撃しわが国中枢を壊滅して機能不全に陥らせようとする可能性は決してゼロではないはずです。アメリカや中国、ロシアのような国土の広大な国は不可能ですが韓国や台湾やわが国ような狭小な国土の国は一発の核弾頭(=原爆)で「沈没」させることは至って簡単なのです。想像力を働かせば現代において抑止力も戦争も「現実性」の乏しい「仮想」に過ぎないのです。

 

※ 俘虜郵便まさしく夫(つま)が手蹟にて今朝は独りの吾を粧ふ(杉井 良枝)

隣室に妻が帯とく音きこゆ幾年ぶりにわれ還り来し(石井 親一)

戦場の仮寝の夢にむつみしを人妻となりて君やつれゐる(塩井 三作)

 戦地と内地に引き裂かれ切々と思いを抱きつづけた夫婦。生きて還れたよろこびに満ちた夫婦のある一方で、誤った死亡公告や遅すぎた帰還のために愛しい妻が第二の結婚生活を止むなきにされていた例も決して少なくなかった、こんな哀しみはもう誰にも経験させたくないのです。

※ 死にざりしこのうつそみは亡びたる国のあはれをただに見てゐる(水上すゞ子)

黄昏の庭にまさしく子は立てり現身生きてあな還りきつ(西川 定子)

玉音に泣き伏しゐしが時ありて児らは東京へ帰る日を問ふ(永山嘉之)

飯櫃(めしびつ)を机代わりにこの夕べ読み書きしてゐるわが幼な子よ(山尾 悠光)

 還って、見た故郷は無残な廃墟と化していた。虚脱したこころを奮い起して我が家に立てば、黄昏の薄明の中に夢幻のごとき我が子をみて無言で迎える母の姿があったのです。それからつづく敗戦の苦難、そんななかで救いは無邪気なこどもたちの底なしの生命力です。

 

※ いきどほり怒り悲しみ胸にみちみだれにみだれ息をせしめず(窪田空穂)

いきどほりに似るこのすべなさよ煮魚の骨も鱗もかみつくしたり(阿部 愛次郎)

もう二度とだまされぬぞ と思ひながら今も何か だまされてゐるやうな(新藤達三)

 敗戦の悔しさをどう表現していいのか、おとなたちは心のやり所に戸惑いをみせます。己の不甲斐なさ、信じたものに裏切られた口惜しさ。ギリギリと自分を責めるしかないのです。

 

※ あなうれしとにもかくにも生きのびて戦やめるけふの日にあふ(川上 肇)

  街々にあかるく電灯ともりたりともしびはかくも楽しかりしか(大浜 博)

 無念と虚脱のときの後に徐々に復興への道が薄ぼんやりと開けてきます。

※ 遠き人ゆたびし玉子のさえざえと白きはだへは貴(とふと)み眺む(時井 静江)[たびし…贈られたの意]

  パンパンガールにて身を過すパンパンガールの服を縫ふわれのごとき生業のあり(八木下 禎治)

 生きて帰ってとにかく手についた生業をはじめる。しかし新しい衣装をあつらえるお金など超インフレの戦後経済の中で日本人にあるはずもなく、進駐軍にかしずく真っ赤な口紅で装った若い女性しかなかったのです。

 そんな殺伐とした飢餓状況で貧しいながらも助け合って生きていく庶民たち。疎開先でお世話になった農村の友人からなのでしょう、当時は貴重だった鶏卵を送ってくださったその温情は心に沁みたにちがいありません。

 

※ 自動扉の厚き硝子に入りてゆく蝶あり昼のまぼろしとして(斎藤 祥郎)

贅沢になりたる子よと寂しみて皿に残ししもの夫(つま)と食ふ(松井 阿以子)

新築の我が家成りて古妻と涙ぐましき半生思ほゆ(斎藤 弥生)

腰押されのぼる坂道ふと思ふ一人往かねばならぬ坂あり(四賀 光子)

 戦後復興は意外にも早くやってきました。昭和31年度(1956年)の経済白書は「もはや戦後ではない」と高らかに宣言したのです。「艱難辛苦」という言葉は知っていても真実を実感として知っている人はもうほとんどいないでしょう。しかし戦後の復興は筆舌に尽くしがたい苦難のもとに達成されたのです。でも決して『絶望』したことはなかったように思います。皆が等しく貧乏でしたし明日に希望を見ることができましたから。

 

 格差に分断された現在のわが国ですが、かといってそこからの脱出を誰かの「強大な力」にすがって図ろうとするのでは戦前と同じ道を辿ることになります。そんな愚を犯しては生命(いのち)を捧げて下さった同胞のかたがたに顔向けができません。ここが踏ん張りどころなのです。「若い人たち」の力を頼りに「新しい日本」をつくり出さねばならないのです。

 

 この号で今年のコラムを終了とします。ご愛読ありがとうございました。もっともっと本を読んで、思索を深めてコラムの完成度を高めていきたいと思っています。

 どうぞ良いお歳をお迎えください。

 

 

 

2021年12月20日月曜日

今年読んだ小説

  今年も小説(文学)を堪能しました。主に日本の近代小説と現代小説ですが海外文学、古典(古文)も少々かじりました。読書力がついたのか長編も数冊読むことができたのが今年の収穫です。眼もまだ衰えがみられませんから来年はもっとどん欲に読書を攻めたいと楽しみにしています。

 

 今年は意識して旧い作家の文学を読むようにしました。鴎外、漱石はもとより泉鏡花、幸田露伴など近代文学の先達、吉川英治、井上靖ら昭和の人気作家の作品にもふれました。そしてつよく感じたのは彼らの文学(文章)修行が並大抵でないということです。現在の一部人気作家の拙劣な文章をみると彼我の差はあまりにおおきい。なぜかと考えるにひとつは文壇の存在――師匠と弟子(親分子分)の徒弟関係で厳しく文章修行をしつけられ師匠のお許しがないと作品発表の場が開かれないという過酷な条件で磨かれたからこそデビューする作家は皆一定レベル以上の文章力を有していたのだと思います。出版不況と言われながら毎年夥しい新人作家が量産される現状では玉石混交になるのは当然で残念と言わねばなりません。

 もうひとつは「漢文」と「古典」の素養があげられます。日本語は漢文がまずあってついで「やまと言葉」が書き言葉に加えられたのですから、現代文といえども習得するためには漢文・古文の修業が必要になるはずですがどうもその方がなおざりになっているようです。その結果日本語劣化の顕著な現象が「カタカナ語」の氾濫に表れています。明治の人たちは輸入した外国文化をすべて「日本語化―漢語化」しました。いまある「概念語」の多くは漢語になっていますが明治人の努力の結晶です。中国や韓国の会話のなかになじみの日本製漢語がたびたび出てくるのは漢字文化圏の人たちが「日本語化」された「漢語」をそのまま使っているからです。明治大正のころ、わが国が東アジアの文化と経済の中心地であった誇らしさが消えてしまったことはかえすがえすも残念です。

 

 ここ数年、私の読む小説の半分近くは「女性作家」の作品になってきました。これまでも与謝野晶子、岡本かの子、馬場あき子らそんじょそこらのへなちょこ男性文士など足元にも及ばない卓越した文学者が存在しましたし樋口一葉は漱石も鴎外も認めた近代文学最高の名文家なのですから女性文学の隆盛は今さらではないのですが、今年も角田光代、杉本苑子、村田喜代子、小池昌代、朝倉ますみなどの秀れた作品を堪能しました。なぜ女性の作品が面白いかと考えるにテーマに取り組む姿勢が日常的でリアリティに溢れていることが上げられます。老い、孤独、貧困・格差、LGBT、性と生殖などを彼女たちは身じかなものとして物語化しているのに対して、たとえば古井由吉の老いの表現は内向の世代らしく深層に沈潜して練りに練られた表現になるから静謐な訴えになっています。ところが村田喜代子の『姉の島』や朝倉かすみの『にぎやかな落日』は方言を採用し南の孤島や北海道の土俗をベースに物語りますから訴えが直接でカラッとして、でも読後は老いに対して前向きにつき合っていこうという力を与えてくれるのです。

 もうひとつ特徴として表れているのは「擬古文」と今述べた「方言」を文章に取り入れている作家が増えてきたことです。擬古文――古語ややまと言葉を文章の一部に挿入したり全体を古文調で表現する作品です。池澤夏樹『ワカタケル』、高樹のぶ子『業平――小説伊勢物語』、杉本苑子『華の碑文』などを読みましたが、まだどの作家も実験段階のようですが古語とやまと言葉のもつ「ふるめかしさ」と「古層的」なひびきが効果となって「距離感」と「土俗的な深層心理」を刺戟する独特の文体になっています。この傾向は今後いろんな作家に試みを誘うことでしょう。

 

 ところでなぜ「方言」と「古文」が文学に採用されるようになってきたのでしょうか。それは現在のわが国の言語状況がきわめて危機的状況にあるからです。好むと好まざるとにかかわらず「SNS」が生活を侵食しています。短文形式が基本であるこのツールは、もともと不完全な「ことば」、言葉より一層完成度の低い「文字」を字数の極端な制限によってその「あいまいさ」をなお一層拡張して日本語を劣化させたのです。ことばと文字への信頼性が低下して「伝えたいこと」が本当に「伝わっている」かの安定性を「話者」たちの間で共有できていないのです。

 そこで多くの人にとって新鮮な「方言」と「古語―古文」を使って文章をつくってみよう、そういう試みに作家たちが挑戦し始めたのではないでしょうか。方言には手垢のついた標準語にはない地域固有の意味が言葉に貼りついていますし古語は原註を付加して意味を限定できますから受け手とのあいだの齟齬を防げます。さらに方言も古語も「土俗的な古層」をまとっていて読者との間に「なつかしい深み」が共有でき、「現在と過去」を結合した関係性を構築できる効果があります。可能性豊かな挑戦だと思います。

 

 全体的な印象はこれくらいにして今年読んだ小説でおすすめしたいいくつかを紹介しましょう。

 室生犀星『かげろうの日記遺文』(講談社学芸文庫)、松家仁之『泡』(集英社)、村田喜代子『姉の島』(朝日新聞出版)の三篇を今年のトップ3にしました。

 『泡』は上記した今年の傾向とは関係のない純粋に文学的に私の好きな作品です。登校拒否になった高二の男の子・薫が大叔父兼定の営む湘南のジャズ喫茶で夏の間を過ごすうちに店長の岡田も混(まじ)えた少年、青年、初老の三世代の男の交流のなかで「居場所」――心のよりどころを見つける青春小説です。透明で清澄な文体がジャズ的なリズムを伴ってキレイな小説になっています。

 『姉の島』は女性作家の方言を活かした「老い」を描いた作品です。長崎の離島・魚見島の老海女が85才になって古代神話に由来する「倍暦」を与えられて老いた海女仲間でささえあいながら迫ってくるそれぞれの老いと対していく姿を描いた長寿と死の物語であり終わりのない戦争の物語にもなっています。方言の効果を活かして奥深い感興を得ました。

 『かげろうの日記遺文』は『蜻蛉日記』の中に僅か数十行しか描かれていない町の小路の女〈冴野〉と紫苑の上、時姫(正室)の兼家をめぐる三人の女性それぞれの思慕を描いた小説です。古語と古文の文体を多用した表現は川端康成をして「言語表現の妖魔」と言わしめた完成度の高い表現は現在作家が挑戦する新たな「擬古文」小説のめざすべき「頂点」といっていい作品です。

 

 最後にこれは小説ではありませんが4月から京都新聞で始まった井上満郎・京産大名誉教授による『渡りくる人びと』は、京都を中心とした渡来人についてのコラムで朝鮮半島や中国との歴史的交流を平易に説きおこして故なき「ヘイト」を諄々といさめる、現在が必要としている本格的な学びの文となっています。ぜひ一読してほしい名コラムです。

 

 来年はどんな小説に出会うでしょうか、楽しみです。

 

2021年12月13日月曜日

歌のちから

  本を読んで泣くなどということはこの齢になればもうないだろうと思っていました。心の奥底に沈んで錆びついてしまっている琴線は震えることを忘れているだろうと思っていたからです。ところがこの本を読みすすむにつれて涙が何度もなんども溢れそうになるのをおさえることができなかったのです。1980年に講談社が『昭和万葉集』を刊行しました。昭和1年から半世紀に及ぶ激動の時代につくられた8万2千首の短歌を全20巻(別巻1巻)にまとめた大アンソロジーです。そのうちの秀歌を小野沢実が選び鑑賞した『昭和は愛(かな)し』(講談社)という本がそれです。少し前に『権力と出版』(魚住昭著講談社刊)を読みました。講談社を創業した野間清治とその一族の評伝と講談社の社史を扱った本ですがなかに『昭和万葉集』刊行の経緯が書いてあり興味をもって『昭和は……』に出会ったのです。残念なことに1990年発行で絶版になっていたのですが古書店で手に入れました。

 

 残さるるひとりさみしと言(こと)にいはず子呂(ころ)欲しなどと僅かに告げぬ(水島まゆみ)

※ 生きて帰って下さいとは言えず夫の胸に顔を埋め、ささやくように「子が欲しい」としか言えなかった出征前夜のつつしみ深い日本の典型的な妻の歌である。

 歓送の響(どよ)めくなかに手を握り真幸(まさき)くあらば妻よ相見む(福川徳一)

※ 妻との別れの心の乱れのすべてを整理し切って、プラットホームの歓送のどよめきに立った兵士の姿である。送ってくれる一人一人にていねいに礼をしつつ、最後にこの時代としては異例でさえある妻の手を人前で握り、「真幸くあらば……」と胸を張り思いを込めて妻の眼を見得た武人としての潔さ。

 後影(うしろかげ)つひに消ゆれば走り入り今はすべなし声あげて泣く(沼上千鶴子)

※ 最愛の人のしだいに遠ざかる姿、ついにそれが視界から消え去った瞬間。名誉の出征に涙を見せることは憚られた、だから人前では気丈に振舞った妻が人目を避けて、堰を切ったように突き上げる激情に身を投げうって声をあげて泣く。

 草ぎりてゐし老(おい)が起(た)ちて叫びたり生きて帰れとたしかに聞きぬ(大塚泰治)

※ なつかしい故郷の山河が後方へ走り去っていく車窓。夏草の間から除草作業にふけっていたにちがいない老農夫がとつぜん腰を伸ばして立ち上がり大きな声で「生きて帰って来いよぉ」と叫んだように聞こえた。決して言ってはならない心底の真情を老い先ない父なるひとがみなに代わって叫んでくれたのか。

 

 鑑賞文は字数の都合から意訳していますから原文ではありません。作者の確たる筆力による縷々とした名文を読むと歌の力と相まって涙をさそうのです。

 赤紙がくると有無を言わさず戦場に送り込まれます。戦争も末期ともなれば生きて帰れる確率はきわめてゼロに近いことを国民のすべては覚悟していました。でありながら「おめでとうございます」「ありがとうございます」「お国の為にがんばって参ります」とうわべの言葉だけが行き交う虚しさ。出征前の夫婦の閨でさえ真情を吐露できない切なさ。「生きて帰って来いよぉ」と叫んだ老農夫の叫びの歌がこの集になかったら「救い」はなかったでしょう。

 

 うつしみの人の身ながら国の仇とうつしみの人を斬りにけるかも(池尻慎一郎)

※ 初めておのれの手で人間の生命を奪った者の声。「うつしみ」をくり返すことで夢幻であってほしいという心の痛みが際立ちます。しかし現実は「国の仇」と斬らねばならなかった悔恨の思いは心の傷となって生涯ぬぐえない、生やさしいものではないのです。

 片腕は遂に見あたらぬ戦友を火葬に付して骨抱きかへる(羽生嶺草史)

※ 爆弾で吹っ飛ばされてしまった屍体の腕が見あたらない。焼いてしまえば灰になるのは同じだけれども友の体は五体揃えて葬ってやりたい。涙をこぼしながら必死に探したにちがいない、けれども「遂に」見つけることができなかった、死に報いることがかなわなかった虚しさを友を思う心が温かみをもった歌にしていて無惨さを弱めてくれています。

 

 このあと「死」「敗戦」「平和」「生還」「欠乏」「建設」「経済大国」と昭和の短歌はつづくのですが8万2千首のあまねく日本人の心の叫びを『万葉集』と同じように後世に伝えていく責任があるのではないでしょうか。それにしても詩歌の力は偉大です。これがもし散文であったら老いた心を融かすことはなかったでしょう。

 

 ところで安倍元総理が「台湾有事は日本の有事であり、日米同盟の有事でもある。この点の認識を、習近平国家主席は断じて見誤るべきではない」と発言したと報じられています。中国が台湾を暴力的に支配下に置こうと行動し米国がそれに応じた場合、日本も米国の同盟国として中国に対抗する――ということは戦争行為で中国に応じる、と安倍さんは言っているのです。彼にどうしてこんな重大な発言をする権利があるのでしょうか。自衛隊に所属する若い日本人――私や友人知人の子どもや孫の命を台湾と中国の戦争にどうして差し出さなければならないのでしょうか。

 もし岸田総理や政府の要人がこれと同じ発言をすれば大変な問題になることでしょう。しかし安倍さんは一般人ではありません。衆議院議員でありなにより元総理です。そして総理退陣後も院政(?)をしいて――自民党最大派閥の長になり権力を露にして存在感を高めています。中国とすればとても無視できる存在ではありませんし、発言の重みは「日本政府に近い」要人の発言として捉えられるのはまちがいないのです。あまりに軽率ですが、いやそれが「狙い」だというのならはっきり言っておくことがあります。

 

 安倍さんの言葉で、自分の子どもや孫、友人知人の子どもや孫を、アメリカの同盟国として戦争させることは絶対にありません。アメリカという国を信用していませんし、非戦闘員に無差別攻撃し原爆を使用した「非人道的行為」を許すことはできません。アメリカは中国の人権を問題にする前に自らの「非人道的行為」への反省と謝罪をまず行なうべきです。

 『昭和万葉集』の歌を読んでそう思いました。

 

2021年12月6日月曜日

老いについての断章〈21・12〉

  夕食が終わって私がテレビを独占すると妻は傍らで娘とLINEするようになりました。別に独占するつもりはないのですが7時、8時台テレビはお笑い芸人たちの若い人向けのにぎやかし番組ばかりで老夫婦の見るものがなく録りだめしたドキュメントやドラマを見るようになってしまい興味のない妻はLINEにふけるようになったというわけです。

 ITには無縁だった妻が今年はじめにスマホが欲しいといいだしたのは姉や妹がLINEしているのを知ってひとり置いてけぼりされているように感じたせいかもしれません。教えられるのがイヤだったのでしょう、私が寝た後の10時ころから電話で何時間も娘に手ほどきしてもらって今ではいっちょ前に使いこなしています。先日清水さんへ散歩に行ったときの写真などは私より数段うまく撮っていて娘たちから「お母さんスゴイ」と言われて大層ご機嫌の様子でした。LINEだけでなく買い物決済などにも活用していますが妻のいちばんの恩恵は「かけ放題」の電話でしょう。娘や姉妹と毎日1時間も2時間も長電話を楽しんでいますが「こっちからかけ直すは」というのがお気に入りのようです。

 私は春に買い換えたミニコンポがすぐれもので、YouTubeがBluetoothでとばせるシステムになっていて、おまけにハイレゾ音質なので廉価盤のCDより余程いい音で聴けるのが嬉しくてジャズやクラシックをヘッドホーンの大音量で娯しんでいます。嫁に行った娘の部屋を書斎に設えたおかげで快適に読書が行えるようになったり、晩年に至ってようやく満足のいく生活がおくれるようになり感謝の毎日です。

 

 コロナで知ったことはわが日本はなんと自然に恵まれているかということです。毎朝トレーニングしている公園の樹々が四季折々に見せるたたずまい――あざやかな若葉、満開の桜の散り際のはかなさ、夏葉の生気ムンムンの勢い、赤と黄のあでやかな紅葉、スックとした枯れ木のきびしさとあきる間のない変化ですがそれが朝の濡れた逆光で見ると一段と美しさが際立って「あぁ」と感嘆をさそいます。歩いて十分たらずにある桂離宮も結構そのもので、普段は手入れの行き届いた前庭だけでも楽しめますし、道すがらの古くから住まっておられる地元の方の丹精の庭にある木々も見事で道わきの名も知らぬ草花ともども目を楽しませてくれます。これまでわざわざ遊山にでかけなければ満足できなかった自然をこんな身じかなものとして愛でることができるようになったのはコロナのおかげです。それもあっていまでは書斎に妻が手活けの花を欠かさなくなってくれました。

 二十年ほど前から本は地元の本屋さんで(もと)めるようにしています。Amazon全盛ですが若い店員さんと本の話をするのが好きで節を守っています。識者と呼ばれる人たちが「町の本屋さんの衰退」を論じながらわが身はAmazonの「利便性」を享受している姿への抵抗もあります。しかしそれよりもこのままAmazonに市場を独占されてしまうとAmazonの恣意性に出版事業が蹂躙されてしまうのではないかという大仰な惧れもあるのです。Uber Eatsで出前をとるのに何の違和感も持たなくなった風潮にも馴染めませんし100円ショップはほとんど利用しません。廻る寿司も同様です。「老人の矜持」といえば大げさですがこの姿勢は貫きたいと思います。

 そんなことを言いながら「シネコン」は喜んでいるではないかと言われれば一言もありません。三年ほど前イオンシネマが自転車一〇分のところにできてこれはまことに有りがたいのです。時間は自由な身なので平日昼の部はゆったり映画がたのしめて、音響もいいからシネコンは最高です。

 

 高齢になってのいちばんの変化――不具合は「パニック」です。すべてが予定調和の安定性のうちにないとパニクってしまうのです。免許を返納して自転車が多いのですが、四辻で左から自転車と出会うとギクっとします。安全のために裏道を利用することが多いのですが、住居が立て込んでいて左側は大抵ブラインドになっていますから「見えないところ」から自転車がとびだしてきます。それが「驚き」になってくるのです。左から右折車が切れ込んでくるときなどまさに「パニック」です。歩いているときでも事情は変わりません。

 最近高齢者の自動車事故――アクセルとブレーキの踏みまちがいの事故が多発していますが「予定調和」を破る状況に陥るとほとんどの年寄りは「パニクる」のです。

 

 以前叔父が叔母を亡くしてひとり住まいになったとき、広い家の六畳の部屋に閉じこもるように、すべての立ち居振る舞いをそこで済ますようになり、夏でも置き炬燵の前に座り込んで定位置の座布団から手を伸ばせば届くところにすべての道具を配置してテレビはリモコンですから、トイレに立つ以外はそこに座るか寝転ぶかで一日を過ごしているのを見て唖然としましたが、年寄りの日常というのはそんなものになりがちなのです。

 とにかく「予定調和」、安定感のなかで暮らしたいのです。いや暮らさないと不安なのです。すべてを「ルーティン」化しておきたいのです。

  

 私のルーティンは帰ったら下駄箱の上の鍵入れの箱を開けてキーケースを収め箱の上に自転車の鍵やなんやかやを置いてフタを閉めて玄関に上がるようにしています。あるとき箱の上に自転車の鍵を置いてフト見ると箱が閉まっている。にもかかわらずキーケースはポケットにない。あっ!落とした?忘れた?パニック!ない、ない、無い!ドアを開けて飛び出しそうになって念のため箱を開けてみると「あった!」。今日に限ってキーケースを入れてスグにフタを閉めていたのです。

 こんなことでパニクるのです。しかもしょっちゅうです。

 急に会話や映像(周囲の景色)のリアリティが薄れることがあります。自分が「そこ」に居ないのです。距離感がボヤけてくるのがなぜか「楽」なのです、すべてのものと「間」ができることが心地よいのです。でもスグにそこから「もどって」こないとヤバいのです、認知症にちかづくと思うのです。

 

 老いることはラクです、でもあやうくもあるのです。

 12月2日80才になりました。いたって健康です。