2015年8月29日土曜日

世界の果ての通学路

 パスカル・プリッソン監督のフランスのドキュメンタリー映画「世界の果ての通学路」が話題を集めている。本国フランスでは2013年9月25日よりドキュメンタリー作品としては破格の200館で公開され、動員数は123万人を越えている。各種の映画祭でドキュメンタリー部門の優秀賞を受賞し現在日本でも大ヒット上映中である。
 
 作品の内容はケニア、モロッコ、アルゼンチン、インドの子どもたちの想像を絶する通学の過程をただただ映し撮るだけである。
 ケニアのジャクソン(11歳)は毎日片道15kmを2時間かけて通学する。6歳の妹サロメを連れて広大なサバンナを横断するのだが最大の難敵は『象』。動物園で見る温和しい象とは異なり人間を見つけると「敵―獲物」とみなして集団で全速力で襲いかかってくる。野生のキリンも恐ろしい存在だ。見晴らしのいい観察場所で安全を確認してサバンナを横断するのだが時には見誤るときもあり、そんなときは必死で攻撃を避けなければならない。
 モロッコのザヒラ(12歳)は片道22kmあり4時間もかかる。嶮しい山岳地帯を友人2人と一緒に通学し月曜日から金曜日は寄宿舎で過ごすのだがいつも3人が順調なわけではない。映画では友人の一人が脚を捻挫して歩行困難になり、山を下りたところで何台もの自動車に断わられ続けてようやくトラックの荷台に乗せてもらって学校に着く。
 アルゼンチンのカルロス(11歳)の場合は片道18kmを馬の乗って毎日1時間30分で通学する。5歳年下の妹ミカイラを後ろに乗せて、途中でふたりの友人と合流して山岳地帯から大草原を横断する。平坦な道ばかりではないから乗馬の技術が生半可では乗りこなせない。ときには蹄に石がはさまって馬が動けないこともある。
 インドのサミュエル(13歳)は身体障害者で車椅子で通学している。廃物利用の車椅子で片道4kmを1時間15分で通学するのは困難を極める。弟ふたりが献身的に助けるのだが舗装されていないボコボコの道や川を渡るのは至難の業だ。車輪が外れて自転車屋さんに修理してもらってやっと学校に着くと待ち構えていた同級生がサミュエルを助けてくれる。
 彼らはパイロットであったり医者、学校の先生など将来の目標がはっきりとしている。彼らの生活は貧困そのものだし学校も教科書も粗末なものだが決してめげず、家族の力添えを得て、学ぶ楽しさと喜びに目を輝かせている。
 
 全編1時間17分まったく飽きることはなく、信じられない現実をヒシヒシと感じながら「エンドマーク」を迎える。
 「教育」は基本的人権である、などという常識はここにはない。文盲の家族にとって彼らに教育を受けさせることは貧困からの脱出の唯一の光明であり社会を発展させる原動力たりうるという希望である。だから子どもたちも感謝の念を抱いて勉強する。彼らのこうした姿勢は「教育の原点」について考えずにはおれない迫力がある。
 
 もうひとつこの映画の訴えることがある。未開への『文明の侵食』ということだ。
 文明から隔絶されて彼らは生きている。しかし「グローバル化」は容赦なく彼らを巻き込んでしまうに違いない。放っておけば文明の暴力のまえに無力な彼らの生活は破壊されてしまうことは必至である。これまで400年以上にわたって『文明国』は非情に振舞ってきた。そして多くの悲劇を弱者に与え続けてきた。「歴史の教訓」は先進文明国に賢明な『謙虚さ』を求めている。今しもAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想が発足しようとしているが組織の「信頼性」「透明性」を確保して「公正・公平」な運営を実現し「利益優先」による強国の傍若無人な『文明の侵食』を許さないという合意の共有が望まれる。
 
 教育は文明の基礎である。「投資」という「美名」の下で強国の「干渉」が行われないよう厳しく監視する必要がある。

2015年8月23日日曜日

理屈抜き

 岡本かの子に嵌っている。画家岡本太郎の母にして漫画家岡本一平の妻であり大正昭和の歌人、小説家として確たる地位を有している。1889年生まれ1939年没だが小説家として活躍したのは晩年の数年にすぎない。しかし没後遺作として発見された小説が夥しい数に上り習作時代の研鑽が半端でなかったことをうかがわせるがそれは文章に表れており、いわゆる『職人技』の巧さが尋常でないことで分かる。およそ彼女の文で神経の行き届いてないものは一行、いや一句たりともないと言っても過言ではない。まだ全集の三分の一も読んでいないがじっくり玩味したいと思っている。
 
 彼女の『女体開顕』にこんな一節がある。「意味のあるものは、その意味の帯びるものが価値として通用する時間内だけが有効で、あとはふい原文は傍点になる。意味をつけないものこそ人世そのものが混沌としてゐるだけ藝としても寿命があるのではなかろうか。意味が空地なだけに、いかなる高貴性をも、いかなる美しい夢も勝手にそれに被(かず)けられ、洗濯内職のおかみさんはその洗濯の労苦を忘れ露店商人の娘はその露天の番の辛苦を忘れて陶酔に浸れるのではあるまいか。ちえー りゆう、こん こん、ぢやちえこんちえ―だけが僅かに彼女等を現実から奪って、夢の国へ運んで行く。(略)ちえー りゆう、こん、こん、ぢやちえこんちえのごときものだけが彼女等を金屏風をうしろに、錦の褥、暇に明かして遊藝を遊ばさるる何様のやうにも自らを思ひ做さして呉れる。思へば摩訶不思議な、ぢえちえこんちえではある」。
 ぢやちえこんちえ、というのは二弦琴などの明清樂の譜の音符の符牒でシナ語そのままである。だから習っているおかみさんや娘さんには意味は分かっていないが符牒に応じて弦の音程が決まっていてその音を押えているのである。同様のことは日常にも少なからずあって例えば般若心経の最後に「ぎゃあていぎゃあていはらぎゃあてい はらそうぎゃあてい ぼじそわか 般若心経」とある「ぎゃあていぎゃあてい―」は意味のない呪文のようなものでインドの原語そのままの「音」を引き写したものである。意味も分からず大声で三度唱えながら数珠を擦り上げる音と渾然となった中にいると頭が真っ白になって自分が消えて陶然となる。意味を知り意味を考えながらではとても法悦境には到りえない。
 今の世の中は「意味」を求め過ぎ考え過ぎている。だから「拡大解釈」などという曖昧模糊とした「誑(たら)し」の術を使って国民を欺瞞するような行為が罷り通ってしまう。
 
 理屈抜きでひとを信じるということも少なくなってしまった。「鳳作が一掴み掴み取った銭の欠損があるから鞄の中の掛の集まりが帳面と合う筈がない。しかし菊翁夫妻は鳳作を疑わないのであった。この老父妻は鳳作のみならず他人に疑ひを持つことゝ嫉むこととは生まれ付き性格に欠いてゐるやうにそれをしない。恐らくそれをすることは彼等の粗い頭脳の皺には負担になるのでもあろう。口喧嘩こそすれ、いつも陽気で、いつも屈託のない暮らしもこの感情の方面を封貼りしたためでもあらう。まして鳳ぼん原文は傍点は彼等に取っては自慢の少年である。気にもそんなことには思ひ取らない」。これも先の小説の一文だが、養子に貰い受けた頗る出来の好い息子を「有り難い」と心底思い込み尽くし抜く老夫妻は更に「二人とも何を措いても『他人原文は傍点さん』のためにたヾ好くすることが頭を複雑に使わずして済む処世上第一の信条だった。世間では菊翁の気軽と器用を目がけて壁の腰張りを始め、種々の雑用を頼みに来た。すると老妻までが、『さあさあ他人さんが先じゃ』と、菊翁を役立たせることに駆り立てた。」という生き方のひとたちである。
 何と楽な!と思うけれどもさて「お前、やってみろ」と言われて今の世の中、おいそれとできるものではない。住み難い世になったものである。
 
 しかし一方で意味も分からずただ無心に唱和していた浄土真宗の御文章「白骨の章」が最近身に迫ってくるようになった。御文章というのは蓮如上人が門徒に送った仮名書きの法語であるが、白骨の章は次のように諭している。「ひとの世ははかなく幻のようなものだ。百歳も千年も生きられるものではない、あっという間の一生である。老いやすく今日明日もわからない。」と説いたあとこうつづく。「されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。既に無常の風来りぬれば、すなわち二つの眼たちまちに閉じ、一の息ながく絶えぬれば、紅顔むなしく変じて桃李の装を失いぬるときは、六親・眷属集りて歎き悲しめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外に送りて夜半の煙と為し果てぬれば、ただ白骨のみぞ残れり。あわれというも中々おろかなりそれ故に、誰人も無心に後生一大事を心にかけて阿弥陀仏を深くたのみ参らせて念仏するのみである、と結ぶ。
 朝紅顔だったものが夕べには白骨と化す、この無常が人に世の常であることを何度と無く身近に経験して老いさらばえてきてみれば、無心で唱えた経文が有りがたく身に沁みる。これも老いの手柄であろうか。
 
 最後に『女体開顕』にある有明節の文句を引いておくので玩味されたい。こればかりは「理屈抜き」というわけにはいかないが。
 有明に、こぼす油は菜種なり
  蝶が焦がれて逢ひに来る
 もとをたヾせば、深い仲
 死ぬる覚悟で来たわいな。
     
 
 
 
 
 
 

2015年8月16日日曜日

お盆雑感

 「巨大化する国力と国民の平均的な貧しさ」は中国最大の「不安定な危険因子」であり現体制が続く限り克服できない課題として作用するに違いない。そのうえ「中華思想に基づいた覇権主義」は国防費の不断の増大を要求するに違いなくこれが中国経済にボディブローのように効いて疲弊を齎す可能性が極めて高い。キャッチアップ経済を卒業した経済は「生産性の向上」が至上命題だが、投入労働力の低下(生産年齢人口の減少と高齢化)と政府系企業の非効率を温存したままでは実現に疑問符が付く上、拡大する格差は国民の生産意欲を減退させその不満は反政府紛争の激化として「不安定要因」となるに違いない。
 今年の中国は表に現れる現象に惑わされず、その底に沈殿していくマグマの動きまでを見通す沈着な分析力の問われる一年になりそうだ。
 
 これは年頭の当コラム「中国を考える」の結語からの引用である。このコラムを書いたのは中国経済が変調の兆しを見せているにもかかわらずマスコミを初めとしたメディアの論調が、中国共産党一党独裁の現体制がいささかも揺るぎないもののように見ていることに危うさを感じたからである。
 今週世界経済を攪乱した「中国元の切り下げ」が象徴する中国経済の変調は、この直前の中国株の暴落時(代表的な上海総合指数は6月中旬に7年ぶりの高値をつけた直後に失速し7月8日には直近ピークから3割超も急落したに見せた中国政府のなりふりを構わぬ「市場介入」による「株価維持策」と同じく中国政府の危機感を露にしている。習近平総書記2年前から強力に進めてきた「トラもハエも」の「反腐敗」運動も放置すれば現体制の屋台骨を揺るがせかねないという危機感に駆られたものであり、更に今年発足したAIIB(アジアインフラ投資銀行)もこうした危機感に根差した一連の中国政府の延命策と見るのが正鵠を射ているに違いない。
 
 独断すれば、中国政府は急速な「体制変換」によって『国のサイズ』が異常に拡大したことと『国民一人ひとりの幸福』のバランスを調整することに失敗したのだ。というよりも、歴史的にそうであったように中国の為政者にはそうした視点が欠如していると言った方が正しいのかも知れない。格差の拡大と政府系企業の非効率の温存、そして何よりも過大な軍事支出が「資源配分」を歪めてしまった結果、『需要不足』を齎し「経済破綻」を来たしつつある。そのため『海外需要の取り込み』が唯一の『突破口』となり、人民元の切り下げによる「輸出増」とAIIBによる「アジアインフラ投資」の『優先的占有構想』となって表れたのである。折りしも「天津市爆発大事故」が発生したが、これも「安全コスト」を十分に懸けなかったことによる事故だとすれば、「前のめり」の中国経済の招いた必然的な結果であろう。
 「過大な軍事支出」の国にもたらす悲劇は、旧ソ連の崩壊とアメリカの近況に明かである。
 
 安倍晋三首相の「戦後70年談話」が出されたがこれについてふたつの『視点』を呈してみたい。
 ひとつは出されるまでのマスコミ等の論調である。歴史認識について「植民地支配と侵略」「痛切な反省」「心からのお詫び」のキーワード三点セット』を使う使わないとあれこれ予想していたが、国語の問題―言葉の問題として「植民地支配と侵略」を認めておいて「痛切な反省」「心からのお詫び」を出さないことはあり得ないということだ。もし「反省とお詫び」を省いて「侵略」を認める歴史認識を発表すれば、日本人以外のすべての人びとは「侵略」という文言は表面的なもので安倍首相の『真実の歴史認識』にはなっていないと見抜かれるに違いない。「侵略」という言葉はそういいうものとして「歴史認識」するのが世界的正統なのである。
 最も残念なことは「原爆投下」についての認識が余りにも世界史的視点からはずれていることだ。『原爆』が『武器』として使用されたことによって『戦争』というものの意味が根本的に「転換」したことを何故世界に向って訴えないのだろうか。国際紛争を解決する手段として戦争を用いないという「不戦の誓い」は世界的に共有されているが、それにもかかわらず原爆投下から70年経ったいまも未だ「人類の知恵」としてこの『悲惨』な歴史的事実が生かされていないことへの『不満と苛立ち』を、世界に向って何故『宣言』しないのか。それこそ唯一の被爆国日本にのみ許された責任であり権利でもあると思うのだが。
 
 安倍晋三総理が偉大なる祖父・岸信介元総理、ノーベル平和賞受賞総理・大叔父佐藤栄作を凌駕する名宰相として歴史的評価を受けたいと真に願っているならば、『被爆国の総理』として『核廃絶』を「70年宣言」で訴えれば間違いなくそれを達成できたであろうに、その唯一のチャンスを逃してしまった。 
 

2015年8月8日土曜日

言葉のリアリティ

 絞首刑が執行されるとき執行吏三人が同時に執行ボタンを押すと聞いたことがある。誰が実際の死刑執行者であったかを「曖昧」にすることで執行吏の『罪悪感』を緩和するための処置だと言う。人権意識が高まり例え「刑罰」であっても「殺人行為」への「忌避意識」は抑えがたく、現在では先進国で死刑制度を残置しているのはアメリカと日本くらいになっている(中国、北朝鮮には制度があるが韓国は廃止している)。
 
 「死刑」は「みせしめ」の側面が強い制度だった。「残酷」を演出するために処刑方法に人智が凝らされてきた。石川五右衛門の「釜茹」もそのひとつだし「切腹」も死に切るには困難な方法だったから後に「介錯」が行われるようになる。フランスの有名なギロチンにしたところで刃物の精度が悪ければ一撃で絶命することは無かったかもしれない。磔刑は大概槍で突き殺すが「ひと槍」で絶命することはほとんどなかったに違いないし何人もの執行人が切れ味の悪い槍で幾度も突き刺すこともあっただろう。有名なローマの闘技場でのライオンと人との闘争や人間同士の殺し合いなどは強い「祭事性」のある一種の「見世物」であったことはよく知られている。書物によれば車裂き、鋸挽き、釜茹、火刑、溺死刑、石打ち、首吊り、内臓抉り、四つ裂きの刑、凌遅刑」などその執行方法は多種に及んだ、とある。
 人権意識の広まりとともに処刑方法は「短時間化」し現在の絞首刑であったり電気椅子、ガス室など、苦痛が少なく即時的に死に至る方法が用いられるようになった。それと同時に祭事性が排除され「非公開」にもなった。
 「基本的人権」が権利として社会的に承認され「人権教育」が行われるようになった近代国家の市民には「ひとが人を殺すこと」への「罪悪感」が強く植えつけられている。
 
 安保法制の見直し論議で戦争について語られることが多いが、そこで交わされる『戦争という言葉』のイメージにリアリティはあるのだろうか。国会の論戦やメディアでの論議の際には「戦略」や「戦術」として語られることが多く、仮想敵国との交戦が中国の脅威や北朝鮮の暴発への「個別的自衛権」更に同盟国との「集団的自衛権」の行使として戦争が語られるが、そこでは我国の自衛隊員が仮想敵国の兵士を殺傷し又我国の隊員が敵国によって殺傷される『総体』としての『戦争』というイメージはほとんど無く、国家という『非人格』なもの同士の勢力争いであるかのように『イメージ』される。しかし戦争は「ひとと人との殺し合い」に他ならない。
 それにしても、まだ、我々のイメージは、江戸時代の刃槍での対人交戦や火縄銃的な銃器での合戦か、せいぜい第二次世界大戦時の(今から比べれば)殺傷能力の弱い銃器での交戦程度のイメージに止まっているのではないか。若いゲーム好きの子ども(おとなも)たちならゲームの映像でしか戦争のイメージは具体的になくて、ひょっとしたらそのイメージの底には「リセット」して『再現可能な生命』が『刷り込み』として深層心理に残存し「戦争」というイメージが形成されていて、『柔らかくフワフワした』現実感の稀薄な感覚で戦争を受け止めている可能性も否定できない。
 
 最も殺傷能力が強い兵器は「原子爆弾」である。その被害の残酷さは我国が世界で唯一経験し『言語を絶する』ものであることは日本国民の共有するところである。死んだ人の死に方も、生き永らえた被爆者の酷(むご)さも、次世代への影響の悲惨さも我々は十分に『経験』した。
 『次の程度』の兵器がどんなものかは専門家に具体的に教えてもらうしかないが、イラクやアフガニスタンからのアメリカの帰還兵の自殺が夥しい数にのぼっていることや、後方支援しか経験の無い我国自衛隊の帰還兵の28人が自殺しているという事実からも、現代の兵器の殺傷能力の悲惨さは十分に想像できる。PTSD(心的外傷後ストレス障碍)として心に重大な損傷を与えずには置かないほど、殺傷状態は『残酷』なのだ。
 最新の兵器は「無人爆撃機」で戦争の残酷さの緩和策として考案された『善後策』であり、又一方では戦争請負企業による、企業に就職した『傭兵』の職務としての戦争という「緩和策」も用意されている。遠隔地からの『ボタン戦争』、無人爆撃機、傭兵。すべて戦争の『ゲーム化』による罪悪感の『希薄化』に他ならない。
 
 3.11東日本大震災の報道で被害のすべてが映像化されたわけではない。津波の威力は肉親でさえ判別不能なほど遺体を損傷していた。紛争地帯へ潜入した現地特派員の映像が無差別にテレビに映し出されることはない。テレビ局が視聴者への衝撃度を忖度し『選別』された映像が提供されて我々の『イメージ』は『柔らかくフワフワした』現実感の稀薄なものに『成型』されているのだ。
 
 自然であれ、戦争であれ、医療でさえも『暴力』による死は『残酷』である。
 そして残酷な『死体の累積』が戦争の『リアリティ』なのである。
 
 戦争は人類の歴史と同じぐらい古いが、平和は近代になって発明された(ヘンリー・メイン)。
 
  
 
 
 

 
 
  
 
 

2015年8月1日土曜日

テレビは甦るか

 「テレビのピンチをチャンスに変える」というフジ・テレビ系列の27時間テレビが7月25日から26日にかけて放送された。断片的にしか見ていないのでまったく個人的な感想だが、これではチャンスに変えるのは至難の業だろうと思った。彼らは真剣に「今日のテレビ」について考えているのだろうか?
 
 テレビの放送開始は1953年だが我々一般家庭にも普及した(普及率30%を超えた)のは1960年頃だった。それがカラーテレビに置換わった(カラーテレビ普及率30%超えた)のは遅れること10年、1970年頃である。その頃のテレビはニュース(情報)、娯楽、教養すべての分野で『王様』だった。とりわけテレビの威力を思い知らされたのは1972年2月19日から2月26日にかけての「あさま山荘事件」であった。多くの国民がテレビに釘付けになって事件の進展に息を凝らした。情報の即時性、現実感においてこれがテレビの最高潮時であった。
 娯楽としてのテレビが全盛期を迎えるのはこの後である。テレビドラマが平均視聴率30%を超え、紅白歌合戦の視聴率が毎年70%超を記録しお笑い番組や「11PM」などのエンターテイメント番組が視聴者に受け入れられた。
 テレビの製作現場でタレント事務所が勢力優位を築いたのもこれと時期を同じくする。放送開始当時「放送局・メディア主導」であったのが「広告代理店主導」に移行したのはカラーテレビの普及期と同じ頃だろう。放送内容から言えば「メディア主導」から「代理店主導」に移る前後が最も面白かった、というのは私の独断である。やがて「タレント事務所主導」に製作現場が変わると放送内容が『低俗化』した、と言われるようになり、タレント事務所も「歌手主体」の事務所が優位を保った時期から「お笑いタレント事務所」優位へ移行して今日に至っている。
 テレビの凋落が始まったのはパソコン(PC)の普及が大きく影響しているが決定的なダメージは携帯電話の出現であろう。PCとインターネット(IN)の普及は軌を一にしているが2000年前後には個人レベルでも普及した。携帯電話はそのすぐ後に普及期を迎え2005年頃には「誰もがもっている(普及率80%以上)」状態になっている。
 「テレビ全盛時代」は「みんなが同じテレビを見ていた時代」であり「テレビが一番新しい」時代でもあった。家族が楽しめる番組が視聴率上位を占め、「みんなが唄える歌」が100万枚を超えて売り上げていた。演歌のCDが最も売り上げたのが1995年だが、これを頂点として「みんなのテレビ」は消滅する運命を辿る。
 テレビが情報メディアとしての優位性を喪失しPCや携帯電話・スマホに取って代わられた理由のひとつは『通信費用』の大きさにもある。家計支出における「電話通信料(年間)」は大体11万2千円~11万3千円で携帯・スマホに限れば8万円~8万5千円になっている。単身者世帯の平均可処分所得27万5千円、平均支出18万円(総務省統計局家計調査2014年度の月平均)を考えるとスマホ代の負担は相当大きく非正規雇用者の平均年収は200万円以下だからその負担は更に大きくなる。こうした事情を考えると「テレビなし、新聞なし」の単身者が増えているのも肯ける。
 
 テレビを取り巻く事情は以上のように、情報メディアとしての優位性をパソコンやスマホに奪われ、視聴者が家族から個人に変わってターゲットを絞りにくくなっているなか視聴率低下はいかんともし難く、番組製作は「タレント事務所主導」を前提としなくてはならなくなっている。更にテレビ機器は「薄型デジタル」から「4Kや8Kテレビ」という高額化を強いられる状況になっており、機器の進歩は従来の「情報の一方通行」から「双方向」も考慮しなければならない時代へと変化している。
 こんな複雑かつ困難な状況を迎えているなかで、お笑いタレント総出演の番組構成で「テレビのピンチをチャンスに変える」などとはおよそナンセンスな挑戦であった。
 
 テレビ全盛期、テレビはいつも「新しかった」。『新しさ』にテレビはいつも挑戦していた。いまのテレビは『挑戦』しているだろうか。私の個人的な趣味でいえば最近のテレビで最も面白かったのは「NHK総合『生命の大躍進・こうして母の愛が生まれた』」だが、こうした「ターゲットを絞り込んだ」番組をSNSなどを使って大きな流れに変えて行く取り組み―多様な情報メディアと共存し、相乗効果を演出して新たな潮流を惹き起こす、テレビにはそんな力があると思う。
 視聴率1%が100万人に相当する『マスメディア―テレビ』。その威力は今でも『絶大』である。