2015年8月1日土曜日

テレビは甦るか

 「テレビのピンチをチャンスに変える」というフジ・テレビ系列の27時間テレビが7月25日から26日にかけて放送された。断片的にしか見ていないのでまったく個人的な感想だが、これではチャンスに変えるのは至難の業だろうと思った。彼らは真剣に「今日のテレビ」について考えているのだろうか?
 
 テレビの放送開始は1953年だが我々一般家庭にも普及した(普及率30%を超えた)のは1960年頃だった。それがカラーテレビに置換わった(カラーテレビ普及率30%超えた)のは遅れること10年、1970年頃である。その頃のテレビはニュース(情報)、娯楽、教養すべての分野で『王様』だった。とりわけテレビの威力を思い知らされたのは1972年2月19日から2月26日にかけての「あさま山荘事件」であった。多くの国民がテレビに釘付けになって事件の進展に息を凝らした。情報の即時性、現実感においてこれがテレビの最高潮時であった。
 娯楽としてのテレビが全盛期を迎えるのはこの後である。テレビドラマが平均視聴率30%を超え、紅白歌合戦の視聴率が毎年70%超を記録しお笑い番組や「11PM」などのエンターテイメント番組が視聴者に受け入れられた。
 テレビの製作現場でタレント事務所が勢力優位を築いたのもこれと時期を同じくする。放送開始当時「放送局・メディア主導」であったのが「広告代理店主導」に移行したのはカラーテレビの普及期と同じ頃だろう。放送内容から言えば「メディア主導」から「代理店主導」に移る前後が最も面白かった、というのは私の独断である。やがて「タレント事務所主導」に製作現場が変わると放送内容が『低俗化』した、と言われるようになり、タレント事務所も「歌手主体」の事務所が優位を保った時期から「お笑いタレント事務所」優位へ移行して今日に至っている。
 テレビの凋落が始まったのはパソコン(PC)の普及が大きく影響しているが決定的なダメージは携帯電話の出現であろう。PCとインターネット(IN)の普及は軌を一にしているが2000年前後には個人レベルでも普及した。携帯電話はそのすぐ後に普及期を迎え2005年頃には「誰もがもっている(普及率80%以上)」状態になっている。
 「テレビ全盛時代」は「みんなが同じテレビを見ていた時代」であり「テレビが一番新しい」時代でもあった。家族が楽しめる番組が視聴率上位を占め、「みんなが唄える歌」が100万枚を超えて売り上げていた。演歌のCDが最も売り上げたのが1995年だが、これを頂点として「みんなのテレビ」は消滅する運命を辿る。
 テレビが情報メディアとしての優位性を喪失しPCや携帯電話・スマホに取って代わられた理由のひとつは『通信費用』の大きさにもある。家計支出における「電話通信料(年間)」は大体11万2千円~11万3千円で携帯・スマホに限れば8万円~8万5千円になっている。単身者世帯の平均可処分所得27万5千円、平均支出18万円(総務省統計局家計調査2014年度の月平均)を考えるとスマホ代の負担は相当大きく非正規雇用者の平均年収は200万円以下だからその負担は更に大きくなる。こうした事情を考えると「テレビなし、新聞なし」の単身者が増えているのも肯ける。
 
 テレビを取り巻く事情は以上のように、情報メディアとしての優位性をパソコンやスマホに奪われ、視聴者が家族から個人に変わってターゲットを絞りにくくなっているなか視聴率低下はいかんともし難く、番組製作は「タレント事務所主導」を前提としなくてはならなくなっている。更にテレビ機器は「薄型デジタル」から「4Kや8Kテレビ」という高額化を強いられる状況になっており、機器の進歩は従来の「情報の一方通行」から「双方向」も考慮しなければならない時代へと変化している。
 こんな複雑かつ困難な状況を迎えているなかで、お笑いタレント総出演の番組構成で「テレビのピンチをチャンスに変える」などとはおよそナンセンスな挑戦であった。
 
 テレビ全盛期、テレビはいつも「新しかった」。『新しさ』にテレビはいつも挑戦していた。いまのテレビは『挑戦』しているだろうか。私の個人的な趣味でいえば最近のテレビで最も面白かったのは「NHK総合『生命の大躍進・こうして母の愛が生まれた』」だが、こうした「ターゲットを絞り込んだ」番組をSNSなどを使って大きな流れに変えて行く取り組み―多様な情報メディアと共存し、相乗効果を演出して新たな潮流を惹き起こす、テレビにはそんな力があると思う。
 視聴率1%が100万人に相当する『マスメディア―テレビ』。その威力は今でも『絶大』である。
 

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