2012年9月24日月曜日

過渡期のJRA

 秋競馬が始まった。来週のスプリンターズSを皮切りに年末の有馬記念までG1が続くこの期間は競馬ファンにとって最も楽しい季節である。

 鍛え上げられた『生きた芸術品』―サラブレッドが鞍上の騎手と共に繰り広げる直線のデッドヒート、勝負の瞬間に沸き上がる感動―これこそ競馬の醍醐味だ。競走馬の能力も年々向上し先日行われた京成杯オータムハンデ(GⅢ)1600mの走破タイムは我々オールドファンには夢のような1分30秒7という驚異的なタイムを記録するレベルにまで達している。今後競馬は益々面白くなるに違いない(ちなみに1970年ころのタイムは1分36秒であった)。
 ところがJRAが実力本位の競争体系に異質な制度を導入した。「自ブロック優先出走制」と呼ばれるもので「2(3)才平地未勝利競争および3(4)才以上500万円以下競争について、出馬投票の出走馬決定順位において『自ブロック所属馬』を優先する」というものである。関東(関西)のレースに関西(関東)馬が出走できるのは関東(関西)馬の登録が制限頭数以下の場合に限られる。事情はいろいろあるようだが全国同一基準による優勝劣敗の競争条件が歪められ結果として弱い関東馬が優先される一方で東西の交流が著しく損なわれることになりはしないか。
 栗東トレセンができたのは昭和44(1969)年11月だが1980年頃を境としてそれ以前―近代競馬の始まった昭和11(1936)年からの約50年は関東馬絶対優位の時代であった。それが栗東トレセンができトレーニング方法など関西陣営の努力が実って80年ころから関西馬優勢が続いている。関東にも美浦トレセンが昭和53(1978)年にできたが、以来30年経っても西高東低に変化の兆しはない。
競馬はより強い馬をつくり出すことに本質がある。下級条件競争の競争条件を緩和したところで強い関東馬が現れるはずもない今回のJRAの措置は見当はずれも甚だしいと言わねばなるまい。

政府が特殊法人独立行政法人等計114法人の給与水準の調査結果を公表した。これを見て驚いた。なんとJRAの職員給与が最も高く国家公務員の給与水準を100とした指数で140を超え平均867万円となっている。バブルの頃の競馬ブームに便乗してお手盛りで給与アップを続け今に至っているのだろうが、生産者の厳しい現状やファンの給与がバブル期から150万円以上減収していることを考えるとJRAの体質改善は急務である。

 強い馬をいかにつくるか、この原点へ生産者、厩舎、騎手を統合する。そんなJRAであって欲しいとファンは願っている。

2012年9月17日月曜日

想 滴滴

 古稀を超えたというのに未だにリアリティをもって死を感じることができないでいる。もし死を実感すると人間はどんな姿をみせるのだろう。「隠逸の詩人」陶淵明(365~427)は「形影神」という詩で死についてこんな風に詠んでいる(形影神、形はからだ、神はこころを表している。擬人化した形影神がそれぞれに死に対する考えを述べる)。

 まず「形」がこう詠う。「天地は長(とこし)えに没せず、山川は改まる時無し」自然は不変である。「人は最も霊智なりと謂うも、独り復(ま)た玆の如くならず」人は最も優れた存在だと威張っているが自然のように不変でいられるわけではない。「我に騰化(とうか)の術無ければ、必ず爾(しか)らんこと復た疑わず」私には不死の登仙の術などあるはずもないから死ぬことは避けられない。「願わくは君、我が言を取り、酒を得なば苟(いやしく)も辞する莫れ」君(影)よ、私の言わんとすることを汲んで、酒を手に入れたら決して飲むのを止めないでくれたまえ。―この「形」の死のイメージは死を恐れて酒に逃げる弱い人間の「死」に対する姿であり、淵明より古い漢詩人が詠った詩はこの型が多い。「古詩的悲哀」の死とでも名づけようか。
 「影」はこれに応えて。「生を存するは言う可からず、生を衛(まも)るすら毎(つね)に苦(はなは)だ拙し」いつまでも生きることなどは論外、この命を維持することさえうまくできないでいる。「身を没すれば名も亦た盡く」死んでしまえば生前の名声などすぐに消えてしまう。「善を立つれば遺愛あらん、胡為(なんす)れぞ自ら竭(つ)くさざる」思うに善行を重ねれば後世にも余恵を及ぼすという。ならば精一杯努力せずにおられようか。「酒は能(よ)く憂いを消すと云うも、此れに方(くら)ぶれば詎(なん)ぞ劣らざらん」酒は憂いを消してくれるというけれども善行を積むことのほうが優っていることは明らかだ。―この考え方は「儒家的」である。
 ふたりの考え方を聞いた神(こころ)がこう釈(かんがえ)をいう。「老少、一死を同じくし、賢愚、復た数うる無し」老いも若きも必ず一度は死ぬ、賢者であろうと愚かであってもそのことに変わりはない。そう述べたあと神はこう諭す。酒は百薬の長というけれどほどほどにしないと命を縮めてしまう、善行を積むのはいいけれど余り身を清く保とうと気を張り詰めすぎると体を壊してしまう、運を天に任せる位の気楽さでいいじゃないか、と。「大化の中に縦浪(しょうろう)し、喜ばず亦た懼れず」「応に尽くべくして便(すなわ)ち須(すべから)く尽くべし、復た独り多く慮ること無かれ」人生の大きな変化に身を任せ、喜びもせず懼れもせず、命尽きるときに尽きればいい、もうあれこれと思い悩むのはやめなさい、と。―これこそ老荘の「死生一如」の境地といえよう。
 そして淵明は別のところ(雑詩其の一)でこう覚悟を述べている。「盛年、重ねては来らず、一日、再びは晨(あした)なり難し」「時に及びて當に勉励すべし、歳月は人を待たず」盛んな若い時は二度とやってこない、この日が又明日やってくるとは限らない、今を精一杯生きよう、歳月は人を待ってくれないのだから。

 快楽主義といえば刹那的に捉えられ勝ちだが、今という時を精一杯楽しんで充実させようという考え方が、淵明の時代から今日まで中国には脈々と連続していることが分かる。(この稿は「陶淵明と白楽天(下定雅弘著)」を参考にしています)。

2012年9月10日月曜日

インフォームドコンセント

  弟が腫瘍を手術するのでインフォームドコンセント(以下IC)に立ち会ってくれといってきた。S医科大付属病院K外科のカンファレンスルームで診療科長が行ってくれたICはホワイトボードを使って図解を交えながら解り易く懇切丁寧なもので素人の私も納得し、ナーバスになっていた弟もすっか
り安堵してチェックシートに「よくわかった」と迷わず記入していた。
 翌日手術に付き添うため朝10時過ぎに病院へ行くと、興奮して中々寝付けなかったという弟は少し不安気であったがストレッチャーが来ると観念したのか黙って手術室に消えていった。

 病室に戻ってフト小卓を見るとクリアファイルがあった。開けるとIC関係の書類のまとめのようである。先ず「手術・観血的処置等に関する説明書(様式1-1)」を読んでみる。病名・症状、手術を選択する理由等々つぶさに説明してあり最後に「当診療科における成績について」書いてあった。それによると年間10例に満たない稀な症例であり死亡退院、在院死亡はほとんどないから「…でありますから上林様の場合には生命の危険はほぼないものと考えられます」と結んであった。昨日の診療科長のICもありさらに安心感が増した。
 「えっ!」ちょっと待て、上林様って誰のことだ?一瞬にして全てが吹っ飛んだ。カルテが間違っているのではないか、何か手違いでもないのか、次々に不安が募る。ナースステーションへ急いだ。事情を訴えると病棟長が飛んできた。PCを開いて数分すると少し安心したようにも見える風で説明を始めた。この説明書はカルテや診療関係の書類とは連動しておらず、本症例の場合のICに限定してアウトプットする書式で例文に記載があった氏名がそのまま残っていたものです。概略そのような説明を受けた。手術中でもありそれ以上その場に留まることはせず病室に戻った。
 IC書類をじっくり読んでみると「手術」「輸血」「麻酔」に大別されておりそれぞれに(様式1-1)から(様式1-4)で構成されている。1説明書、2ICのホワイトボードのコピー、3同意書、4ICチェックシートが標準様式だが、輸血は1と3だけ、麻酔も1と3だが「文書管理番号(様式1-1の符号)」が付けられていなかった。

 文書管理は総務部など管理(間接)部門の担当が普通であるがグローバル化の中、間接部門はアウトソ-シング(外注)されることが多い。ハード重視ソフト軽視が一般的な我が国の現状であるがこうした風潮がシャープでありソニーの惨状を招いた一因ではないのか。

 予定通り3時過ぎに病室に帰ってきた弟は涙ながらに「有難うございました」と執刀医、助手以下全員女性の手術チームに感謝していた。
この病院もハードは素晴らしいこと間違いないようだ。

2012年9月3日月曜日

身辺雑事

  白斑症の治療をしている。3ヶ月ほど前に右手の甲に一つできたと思ったらそれから一ヶ月もしないうちに今度は左手に3ヶ所一度にできた。フト鏡を見ると額の生え際1センチ程から頭頂にかけても脱色している。皮膚科の医師に相談した。「白斑症といってメラニンを生成するメラサイトが消滅又は機能停止して皮膚が白いままになる症状です。高齢者によく見られます。原因ははっきりしていませんが見た目以外に影響はありませんし、非常に治り難い症状ですからこのままでもいいと思います」ということだったが治療をお願いして塗り薬を処方してもらった。
 1ヶ月して症状に改善が見られ薬もなくなったので病院へ行った。一瞥して医師は「非常に治りにくい病気ですからなかなか結果が出ません。お薬をステロイド系に変えるとか紫外線治療をするとか、もありますが紫外線は症状のないところとの差が…」「先生、これ見てわかりませんか。半分ほどに小さくなっているし色もピンクに濃くなっているでしょう。今の治療を続けたいのでお薬を貰いに来たのですよ」と私。       
 1日に何10人も診察するのだから一人一人の症状を記憶しておくことは不可能かもしれない。それでも、治り難い症例であり施薬の効果も不確かであるなら、右手がオーストラリアのような形状で幅3.5cm高さ3cm、左手1.5×2.5cm位のが3ヶ所色はいづれも白色、程度の記録を録って次回に症状の変化を把握し治療の選択肢を判断するのがプロの医師ではないのか。そうした手順を全く踏まず治療の効果の測定もなく、まず言い訳し、他の治療法を提示して選択を患者に委ねるというのは一体どういう了簡なのか。治り難い症例だというのであれば、若い医師なら有効な治療法を発見したいという功名心がありそうなものだが。
 
 彼女もサラリーマン化したマニュアル医師だったということか。

 「今日はおっちゃんの言うこと聞いといたるは。そのかわり今度おっちゃんがルール違反していたら承知せんからな。」硬球禁止のグランドで親子で硬球のトスバッティングをしていた32、33才の若いお父さんの捨て台詞である。子供は昨日一人で硬球の壁投げをしていたのを注意した小学3年位の男の子である。多分帰宅して父親に「今日公園でよそのおっちゃんにキツー叱られた」とでも言いつけたのであろう。「ヨシ、明日お父ちゃんと一緒に公園行こう。お父ちゃんおったら、よう注意せえへんは。もし注意しよったらお父ちゃんが文句言うたる」。そんな会話があって、ところが意外にも注意を受けた父親は激昂して私に噛み付いたのだろう。

 要するに『幼稚』なのだ。ルールや常識、法律を守るように『躾ける』よりも、子供に『エエかっこ』したいのだ。子供と自分の世界しか見えていないのだ。こんな『おとな子供』が激増している。親の世代がだらしなかったのだろう。
 えっ!それって、我々の世代ではないのか?