2014年1月27日月曜日

人件費はコストか

1月20日の日経に労働者のスキル支援について興味深い記事があったので以下に概略を記す(「経済教室/慶大教授・鶴光太郎」より)。
「スウェーデンで失業者が新たな職業を見つけるために最も効果的な方法は、民間に補助金を与えて常用として雇い入れるようなプログラムであり、企業外でのフルタイムの授業による訓練は何も訓練を受けない失業者よりも就業確率がむしろ低いことを示した。これも実際に企業で責任をもって働くことが性格スキルの向上をもたらしたと解釈できよう(英財政問題研究会バーバラ・シアニージ)」。/欧州では若年失業の問題が深刻だが、ドイツ、スイス、オーストリアなど徒弟制度に起源を持つ職業実習が盛んな国の失業率が低い。/青年期の介入プログラムをみると、認知的・学問的な学びを中心としたものよりも、性格スキルの向上を狙ったもののほうが効果が大きい。
職業的スキルについてはこれまで「企業特殊的スキルと一般的スキル」という分類を用いることが多かったが、「認知スキル(ペーパーテストで測れる能力)と非認知スキル=性格スキル(テストなどで測れない個人的形質と関係する能力)」という見方もある。とりわけ性格スキル(真面目さ、開放性、外向性、協調性、精神的安定性)の有用性が大きく「性格スキルが、学歴、労動市場での成果(賃金など)、健康、犯罪などの幅広い人生の結果に影響を与える」ことを明らかにしている。特に「真面目さが様々な人生の結果を最も広範に予測している」。

経済のグローバル化が加速してアメリカ型資本主義の採用が最適であるかのように喧伝されている。とりわけ「労働市場の流動化」が景気変動対応力を高めるために有効性が高いと認識され、我が国でも「解雇規制の緩和」を推進する方向で『岩盤規制』改革が行われようとしている。しかし本場アメリカでさえ失業率の目標数値(FRBの)が6%という設定でありしかもその実現は相当ハードルが高い上に格差は限りなく拡大している。若年失業は20%以上あり黒人やヒスパニック系のそれは50%を超えるとも言われている。
我が国の失業率は一時を除いて大体4%台で収まっているがこれは本来失業者としてカウントされるべき余剰人員を企業が抱え込んでいるからで実際の失業率は6~8%近いのではないかという見方もある。一方で就業構造を見てみると非正規雇用が30%を超え以前のような「日本型雇用慣行」は大企業中心にアメリカ型に推移しており特に若年労働者に非正規雇用が多く、「労働力の劣化」が著しく「生産性の低下」が危惧されている。

近年「企業による労働者のスキル養成」がコスト面から嫌われ、大学や国(地方)による「職業訓練」が強く求められている。そしてそれはコスト面からだけでなく従来の企業内訓練では「企業特殊的スキル」が多く労働移動の激しい現状では有用性が低いという考え方が多数を占めていることによる。しかし上記の鶴教授の説くところに従えば「大学などの企業外での授業による認知的・学問的な学びを中心とした訓練の効果は極めて疑問」であり従来型の企業によるOJT(オンザジョブトレーニング―仕事を通じた実践訓練)の効果が見直されている。

高齢社会の進展で労働力人口の減少が必然である現在、労働生産性の向上は国家的課題であるにも関わらず「人件費をコストとしてみる」企業経営偏重の労働政策でこの難関を乗り越えることが可能なのだろうか。資本主義はアメリカ型一辺倒でなく多様で柔軟性のあるシステムであっていい。たとえば「アングロサクソン的な自由主義モデルと対比されるラインランド・モデルは、社会的団結、安定性、労働力の養成、長期的な科学技術的投資を特に尊重する、工業的な資本主義である(「帝国以後」エマニュエル・トッド著石崎晴己訳より)」のように。


給料は人間にとって人生を生きていくための基本的な原資であり、健康で文化的な最低限度の生活を営んでいく上で不可欠の収入である。決して『コスト』などであってはならないものである。

2014年1月20日月曜日

たかじんを悼む

やしきたかじんさんが亡くなった。日曜お昼の「たかじんのそこまで言って委員会」と、同じ日曜朝の「サンデーモーニング」は保守系右派と中道左派の教養報道番組として東西を代表する存在であった。とりわけ「たかじんの」は関西ローカル番組でありながら日曜昼過ぎという悪条件にも拘らず絶えず10%を超える視聴率を取る人気番組であったから安倍首相が下野していた頃番組に出演するなどそうそうたるメンバーがゲスト出演した。又キー局がタブー視するテーマにも果敢に取組むことが多かったから、例えば「地震予知」や「環境問題」なども一般の常識ではない見方を教えてくれる異色な一面があった。東京キー局の番組は「東京即日本」という感覚で番組制作する傾向が強いから東京圏以外の者にとっては「たかじんのー」がなくなると「反東京」を押し立てた番組がなくなってしまうようで少なからず寂しい気持ちがある。

 一昨年春から彼が病気で番組を休むようになって「たかじんのー」を見なくなった。全く面白くなくなったからだ。原因はふたつある。ひとつは共演者のパネラーを統御できなくなって番組が極めて散漫になってしまったからだ。たかじんさんは「饒舌で野放図」というイメージが強いが実はこの番組ではほとんど発言していなかった。ややもすれば右翼がかった放言をする傾向の強いパネラーに好き放題しゃべらせるように見えていながら彼の存在が無作法なパネラーを無言で「抑える」役目を果たしていたのだ。だから危ういところで番組としての統一感を保っていたのだが重しがとれて番組として成立しなくなってしまった。もうひとつは、例えば「靖国問題」などでも彼が居るから居酒屋の酔っぱらいの右翼的な放言に陥る手前で納まっていたものが、パネラーが勝手放題発言するから隣のおっちゃん同士の与太話に過ぎない極めて質の低い番組に成り下がってしまったことにある。
彼は本当は「中道左派」的な考え方だったのではないかと思う。しかし格差が拡大し偏狭なナショナリズムが拡散するのを何とか中和させる必要を感じて自己の立場を鮮明に打ち出すのを控えた「たかじんのー」のような番組をつくっていたのではないか。
 彼の死は「娯楽と教養」を巧みに指揮するマエストロのような存在がテレビ界からすっぽりと抜け落ちてしまったようで残念でならない。

 実は「サンデー―」も最近は見ていない。「サンデー―」はパネラーの質が同様の番組の中ではレベルが高く発言内容も専門性(これが「たかじんの―」と一線を画する最大の要因である)に裏打ちされた優れたものも少なくない。視聴者はパネラーの話を聞いて「尤もだ」と感心し代弁してくれていると安心する。これだけのメンバーがこんな優れた内容を話してくれているのだから政治家も官僚も気づいてくれているはずだと勘違いしてしまうが世の中は一向に変わらない。この番組が「ガス抜き」的働きをしているのではないか。そして実は「たかじんの―」も同様ではないのか。あるときそんな風に感じて、それもあって以来この二つの番組を見なくなってしまったのだ。
 
ところで、こんなことを言うと不謹慎とお叱りを受けるかもしれないが、たかじんさんが亡くなってほっとしているのは世のお医者さんたちではなかろうか。彼が放言していたような治療であったり養生でガンから再起できるようならこれまでのガン治療体系は根本的な見直しを迫られるに違いない。やっぱり、と皆どこかで「安心」しているのではないか。

 最後にこれはたかじんさんの責任ではないかも知れないが大阪市(府)政のトップ交代に少なからず彼の影響があったことは民主政治のあり方として、彼は本望であったのかはなはだ疑問に思っている。「何でオレ如きが……。政治家もみんなも、もっとチャントせなあかんでぇ!!」。今頃あの世でボヤキまくっているに違いない。

2014年1月13日月曜日

陸(おか)の凪

 もうどうでも良いと投げ出したくなるくらいテレビの言葉は乱れている。いちいち上げつらっていたらキリがないのだが今週『最珍』の「パンダの来日」はヒドかった。日本にいるパンダの数が激減しているというニュースショーの取材録画の中でアナウンサーがスクリプト(原稿)を読みながら言ったのだが、『来日』は広辞苑を見るまでもなく「外国人が日本に来ること」だろう。いつからパンダは人間様になったのか。もうひとつ上げておけば「近くの小学校の学生さん…」と川崎の強姦強盗犯人の逃走事件のレポーターが口走っていたが「小学生は児童、中高生は生徒、大学生が学生」と日本語では決まっている。普通の感覚で小学生を「学生」と呼んだら違和感を覚えないか。とにかく現在の放送局の日本語は乱れている。若者言葉の新語や横文字のカタカナ言葉の取り入れには熱心だがその前に「話し言葉のプロ」として最低限の日本語の知識と言語感覚を身につけるべきだ。グローバル化で外国人の来日、定住も増えていくこれから、彼らのお手本として真剣に取り組んで欲しい。

 数年前、陸(おか)にも『凪(なぎ)』があるのに気づいた。朝まだき―日の出前の薄明の少し前、人の気配が消え車の往来もすっかり途絶える時間がある。微かな空気の動きがピタリと止み一瞬闇が深まる。夏なら5時前後、冬の今なら6時過ぎがその時間帯なのだが、ちょっと前に目覚めて闇に目を凝らしていると枕元の目覚まし時計だけが時を刻み音を震わしている。その音も闇の底に溶けてしまう―そんな瞬間が『凪』なのだ。数分続くのだろうか、わずかな時間でまた音が甦ってくる。やがて闇の底に太陽がのぞいたのか薄明が一筋、闇が徐々に解(ほど)けて窓の外が薄ぼんやりと明るんでくる。もう日の出までは僅かな時間だ。
 深夜寝覚めて目を凝らしていると「想念」が闇に溶け出していく。次から次へと想念が飛び交う。魂かも知れない。想念が収斂して思索に凝固することもある。そうでないときは不安がはっきりと形になってくる。そんな時、妻がいると思い娘がいると体が感じると、どうっと緩んで闇から解放される。
 コーランにこんな言葉がある。「深々と更(ふ)けわたる夜の闇の悪を逃れて、/結び目に息吹きかける老婆らの悪を逃れて、/妬み男の妬み心の悪を逃れて」。
 闇は人間の始原であり恐怖と隣り合わせだ。

 最近老人のストーカーなど性犯罪が多い。まだそんな状況にないから他人事に思っているが追い込まれたらどうなるか分かったもんじゃない。家族や親戚との付き合いが途切れ友人がいなくなったとき深夜の闇の中で想念が飛び交ったら孤独に耐え切れるだろうか。妻もなく子供とも疎遠になったら独りに竦んでしまわないか。行政の開く交流イベントに参加してちょっと愛想よく接してくれた異性がいればその存在は限りなく大きくなるに違いない。こちらが思っているのと同じくらい相手も意識してくれていると思って交際を求めてもそれは勘違い。相手にして貰えない。スレ違いが増幅されてストーカー的な行動をとってしまう。彼と彼女の感情の隔絶は限りなく深い。
 平均年齢が80歳とか85歳になった今、これまでの科学・医学の領域に想定されていなかった事象が広い範囲で増殖しているに違いない。それを旧来の医療体系に振り分けて治療し、それからはみ出たものは「異常」と決めつけてしまう。治療のメニューもないのに無理やり既存の治療仕様に押し込める。「歳のせいです」と診断されて不安を感じている老人は結構多い。
そんなこともあって整骨医によるマッサージの治療効果に可能性を感じている。病院の検査、施療、過剰な投薬という治療システムだけでは老人の病に対応しきれないし老人の性犯罪には多分無力だと思う。その辺を再考して革新を医療現場に齎して欲しい。切実にそう思う。
 

老人の病のかなりの部分は今の医学の想定外に違いない、と思うようになった。

2014年1月6日月曜日

神の数式と氷の季節

 年末に撮りためた2つの録画を新年の早朝、静寂の中で見た。理論物理学の究極「神の数式」成立の歴史を50分4回にまとめたドキュメントと1973年に発売され130万枚を超えるメガヒットとなった「井上陽水・氷の世界」の製作過程とヒットの意味を問うどちらもNHK制作のドキュメントがそれである。

 「神の数式」とは、何故私はここにいるのか―ということは宇宙がどうして出来たのかと同じ意味だが、それを一つの数式に表そうとしたもので、これには二つのアプローチがある。ひとつは最小単位の存在を突き止めその構成体として物質を規定する方法であり「素粒子の数式」と呼ばれている。もうひとつはマクロのアプローチで「空間(タテ、ヨコ、高さ)と時間=4次元」の世界を数式化する方法でアインシュタインが確立し「相対性理論の数式」と呼ばれている。素粒子の数式は幾人もの科学者の研究の積み重ねの末に「電子、2つのクォーク、ニュートリノ、ヒッグス粒子」の4つの素粒子の発見と数式化で完成する。このミクロとマクロの数式を統合したものが「神の数式」になるのだがそこに至るまでには数々の難関が待ち受けていた。しかし超弦理論を援用することで、4次元ではなく10次元という異次元を作用させることによって統合は成功し「神の数式」は完成する。
 素粒子の発見には湯川博士や朝永振一郎博士が理論的に、小柴博士が実験で貢献した。二つの理論の統合に決定的な影響を与えたのが南部陽一郎博士であり益川敏英博士もこの分野での貢献者であった。そして数々の段階で神の数式の成立に貢献した「ホーキングのパラドックス」で有名な「車椅子の天才―スティーヴン・ホーキング」を記憶しておく必要がある。
 この難解極まるテーマをドキュメントとして制作するだけの科学的知見を備えた優れた陣容を擁しながら、何故報道番組では「阪神淡路大震災」と「3.11東日本大震災・福島原発事故」をその学問領域に取り込むことのできなかった「地震学」の、恣意的な1つの可能性に過ぎないシミュレーションの結果である「起こるかもしれない大地震の被害データ」を、厳密な検証もせずにタレ流すという愚行をNHKは繰り返すのだろうか、しかも原発の存在する危険性には一切触れることもなく。
 
「氷の世界」は1973年に発売された井上陽水のアルバムである。1973年は戦後歴史の大きな転換点であった。その『時代性』を陽水は13の作品に結晶させたがそれをアルバムとして音楽的に完成させたのはプロデュサーの多賀英典であり当時の最先端技術16トラックを駆使するミキサー大野進と星勝をはじめとする10人余のミュージシャンであった。「あかずの踏切」から「おやすみ」まで、タイトル曲「氷の世界」代表曲「心もよう」陽水が最も愛する「帰れない二人」など全曲についてリリー・フランキー等が陽水の回顧を含めて明らかにする制作現場は、25歳の若き天才の感性を喜び称えながらも少しでも完成の域に高めるために妥協のない試行錯誤を積み重ねていく熱気に包まれていた。
 1973年は高度経済成長の終焉したときであり、70年の大学紛争の敗北感と73年第1次石油ショックが成長神話を崩壊させた「不安と混沌」が横溢していた。方向感覚を喪失した人たちは「成功神話」を捨てきれないでいる旧世代と価値観を見い出せない新世代に分断されていた。その熱狂のあとの乾いた同時代人の心を引き掴んだのが「氷の世界」ではなかったか、文化人類学者中沢新一らはそう分析し、職業作詞家と作曲家の存在が否定された作品であったと作詞家なかにし礼は苦々しく振り返る。


 ひとつは歴史の蓄積の過程を経て実現された「知性の極致」でありもう片方は歴史の一時点に凝縮された時代転換のマグマを昇華させた「感性の極致」である。それを時間と金をたっぷりとかけてベストの製作陣が完成させた傑作を見終わったとき、お笑いとアイドルのタレント事務所に主導された低水準の番組に占拠されているテレビのメディアとして進むべき方向がはっきりと見えていた。