2014年1月13日月曜日

陸(おか)の凪

 もうどうでも良いと投げ出したくなるくらいテレビの言葉は乱れている。いちいち上げつらっていたらキリがないのだが今週『最珍』の「パンダの来日」はヒドかった。日本にいるパンダの数が激減しているというニュースショーの取材録画の中でアナウンサーがスクリプト(原稿)を読みながら言ったのだが、『来日』は広辞苑を見るまでもなく「外国人が日本に来ること」だろう。いつからパンダは人間様になったのか。もうひとつ上げておけば「近くの小学校の学生さん…」と川崎の強姦強盗犯人の逃走事件のレポーターが口走っていたが「小学生は児童、中高生は生徒、大学生が学生」と日本語では決まっている。普通の感覚で小学生を「学生」と呼んだら違和感を覚えないか。とにかく現在の放送局の日本語は乱れている。若者言葉の新語や横文字のカタカナ言葉の取り入れには熱心だがその前に「話し言葉のプロ」として最低限の日本語の知識と言語感覚を身につけるべきだ。グローバル化で外国人の来日、定住も増えていくこれから、彼らのお手本として真剣に取り組んで欲しい。

 数年前、陸(おか)にも『凪(なぎ)』があるのに気づいた。朝まだき―日の出前の薄明の少し前、人の気配が消え車の往来もすっかり途絶える時間がある。微かな空気の動きがピタリと止み一瞬闇が深まる。夏なら5時前後、冬の今なら6時過ぎがその時間帯なのだが、ちょっと前に目覚めて闇に目を凝らしていると枕元の目覚まし時計だけが時を刻み音を震わしている。その音も闇の底に溶けてしまう―そんな瞬間が『凪』なのだ。数分続くのだろうか、わずかな時間でまた音が甦ってくる。やがて闇の底に太陽がのぞいたのか薄明が一筋、闇が徐々に解(ほど)けて窓の外が薄ぼんやりと明るんでくる。もう日の出までは僅かな時間だ。
 深夜寝覚めて目を凝らしていると「想念」が闇に溶け出していく。次から次へと想念が飛び交う。魂かも知れない。想念が収斂して思索に凝固することもある。そうでないときは不安がはっきりと形になってくる。そんな時、妻がいると思い娘がいると体が感じると、どうっと緩んで闇から解放される。
 コーランにこんな言葉がある。「深々と更(ふ)けわたる夜の闇の悪を逃れて、/結び目に息吹きかける老婆らの悪を逃れて、/妬み男の妬み心の悪を逃れて」。
 闇は人間の始原であり恐怖と隣り合わせだ。

 最近老人のストーカーなど性犯罪が多い。まだそんな状況にないから他人事に思っているが追い込まれたらどうなるか分かったもんじゃない。家族や親戚との付き合いが途切れ友人がいなくなったとき深夜の闇の中で想念が飛び交ったら孤独に耐え切れるだろうか。妻もなく子供とも疎遠になったら独りに竦んでしまわないか。行政の開く交流イベントに参加してちょっと愛想よく接してくれた異性がいればその存在は限りなく大きくなるに違いない。こちらが思っているのと同じくらい相手も意識してくれていると思って交際を求めてもそれは勘違い。相手にして貰えない。スレ違いが増幅されてストーカー的な行動をとってしまう。彼と彼女の感情の隔絶は限りなく深い。
 平均年齢が80歳とか85歳になった今、これまでの科学・医学の領域に想定されていなかった事象が広い範囲で増殖しているに違いない。それを旧来の医療体系に振り分けて治療し、それからはみ出たものは「異常」と決めつけてしまう。治療のメニューもないのに無理やり既存の治療仕様に押し込める。「歳のせいです」と診断されて不安を感じている老人は結構多い。
そんなこともあって整骨医によるマッサージの治療効果に可能性を感じている。病院の検査、施療、過剰な投薬という治療システムだけでは老人の病に対応しきれないし老人の性犯罪には多分無力だと思う。その辺を再考して革新を医療現場に齎して欲しい。切実にそう思う。
 

老人の病のかなりの部分は今の医学の想定外に違いない、と思うようになった。

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