2014年1月20日月曜日

たかじんを悼む

やしきたかじんさんが亡くなった。日曜お昼の「たかじんのそこまで言って委員会」と、同じ日曜朝の「サンデーモーニング」は保守系右派と中道左派の教養報道番組として東西を代表する存在であった。とりわけ「たかじんの」は関西ローカル番組でありながら日曜昼過ぎという悪条件にも拘らず絶えず10%を超える視聴率を取る人気番組であったから安倍首相が下野していた頃番組に出演するなどそうそうたるメンバーがゲスト出演した。又キー局がタブー視するテーマにも果敢に取組むことが多かったから、例えば「地震予知」や「環境問題」なども一般の常識ではない見方を教えてくれる異色な一面があった。東京キー局の番組は「東京即日本」という感覚で番組制作する傾向が強いから東京圏以外の者にとっては「たかじんのー」がなくなると「反東京」を押し立てた番組がなくなってしまうようで少なからず寂しい気持ちがある。

 一昨年春から彼が病気で番組を休むようになって「たかじんのー」を見なくなった。全く面白くなくなったからだ。原因はふたつある。ひとつは共演者のパネラーを統御できなくなって番組が極めて散漫になってしまったからだ。たかじんさんは「饒舌で野放図」というイメージが強いが実はこの番組ではほとんど発言していなかった。ややもすれば右翼がかった放言をする傾向の強いパネラーに好き放題しゃべらせるように見えていながら彼の存在が無作法なパネラーを無言で「抑える」役目を果たしていたのだ。だから危ういところで番組としての統一感を保っていたのだが重しがとれて番組として成立しなくなってしまった。もうひとつは、例えば「靖国問題」などでも彼が居るから居酒屋の酔っぱらいの右翼的な放言に陥る手前で納まっていたものが、パネラーが勝手放題発言するから隣のおっちゃん同士の与太話に過ぎない極めて質の低い番組に成り下がってしまったことにある。
彼は本当は「中道左派」的な考え方だったのではないかと思う。しかし格差が拡大し偏狭なナショナリズムが拡散するのを何とか中和させる必要を感じて自己の立場を鮮明に打ち出すのを控えた「たかじんのー」のような番組をつくっていたのではないか。
 彼の死は「娯楽と教養」を巧みに指揮するマエストロのような存在がテレビ界からすっぽりと抜け落ちてしまったようで残念でならない。

 実は「サンデー―」も最近は見ていない。「サンデー―」はパネラーの質が同様の番組の中ではレベルが高く発言内容も専門性(これが「たかじんの―」と一線を画する最大の要因である)に裏打ちされた優れたものも少なくない。視聴者はパネラーの話を聞いて「尤もだ」と感心し代弁してくれていると安心する。これだけのメンバーがこんな優れた内容を話してくれているのだから政治家も官僚も気づいてくれているはずだと勘違いしてしまうが世の中は一向に変わらない。この番組が「ガス抜き」的働きをしているのではないか。そして実は「たかじんの―」も同様ではないのか。あるときそんな風に感じて、それもあって以来この二つの番組を見なくなってしまったのだ。
 
ところで、こんなことを言うと不謹慎とお叱りを受けるかもしれないが、たかじんさんが亡くなってほっとしているのは世のお医者さんたちではなかろうか。彼が放言していたような治療であったり養生でガンから再起できるようならこれまでのガン治療体系は根本的な見直しを迫られるに違いない。やっぱり、と皆どこかで「安心」しているのではないか。

 最後にこれはたかじんさんの責任ではないかも知れないが大阪市(府)政のトップ交代に少なからず彼の影響があったことは民主政治のあり方として、彼は本望であったのかはなはだ疑問に思っている。「何でオレ如きが……。政治家もみんなも、もっとチャントせなあかんでぇ!!」。今頃あの世でボヤキまくっているに違いない。

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