2009年10月26日月曜日

WBCと日米安保

 今年のプロ野球は絶対に中日に優勝させてはいけないシーズンだった。巨人のセリーグCS優勝でこの願いは叶ったが、何故中日にこだわるかといえば春のWBCへの出場拒否が面白くなかったからだ。ご存じの通り日本チームが連覇したが、激戦の後遺症に各チームが苦しんだことは記憶に新しい。あのイチローさえも胃潰瘍で開幕に間に合わなかったことを考えるとWBCの選手に与えた肉体的精神的負担が激甚であったことがわかる。もし出場拒否した中日が優勝することになれば大いに困ったのだが、幸いそうした事態は避けることができて一安心である。

しかしこれはあくまでも私の個人的心情であって「野球世界は契約社会。選手が時に社員のように扱われるのはあり得ない(落合・中日監督談)」という考え方には一理あるし、それよりもアメリカ野球の事情だけですべての運営が行われている現在のありようは早急に改善される必要がある。

アメリカの身勝手さは野球に限らない。地球温暖化ガス削減問題など枚挙に暇がないが、なかでも日米安保体制への姿勢はその典型だ。現在問題になっている普天間基地移転問題に関して、日米安保は両国の基軸であり、たとえ自民党政権との取り決めであっても国家間の約束であるから速やかに実施するべきだ、という物分りのいい意見が多いが果たして米国は日米を基軸と考えているだろうか。ニクソンショックに表れているように米国は日本の頭越しに中国へ接触する「裏切り行為」を繰り返してきている。とりわけここ数年の中国への接近は異常であって安閑と放置できるものではない。そもそも米国には「心地良い関係(ゲーツ米国務長官)」と我国を侮っている気配があり、とても「対等な国家関係」などとはいい難い。

現在の日米安保は極東に於ける平和維持、極言すれば『中国と北朝鮮の脅威』への備えが我国安全保障そのものであり、その中国へ異常接近している米国が、今のままで、その時に、我国の安全を保証してくれるかどうかは甚だ疑問である。日米と日中の賢明な関係構築こそ我国安全保障の要諦と考えるべきで、民主党の今後の対応に期待したい。

2009年10月10日土曜日

古事記の国

 できたばかりのオノゴロ島に新居を構えたイザナキノ命(みこと)とイモイザナミノ命。初めての夜、イザナミノ命が『吾が身は、成り成りて成り合わざる処一処あり』と。イザナキノ命こたえて『我が身は、成り成りて成り余れるところ一処あり。故、この吾が身の成り余れる処をもちて、汝が身の成り合わざる処にさし塞ぎて、国土を生み成さんとおもふ』。さて『みとのまぐあひ(媾合い:筆者注)』のうち『イザナミノ命、先に「あなにやし、えをとこを。」と言ひ、後にイザナキノ命「あなにやし、えをとめを。」』(おおざっぱにいえば「あれまぁ、なんと好い男(女)なりや」という意味になろうか)。という事態に至ったそうな。

そんな後に子を生したがひとり目は流産、ふたりめも五体満足でなかった。思い余って天つ神に相談したところ『女先に言へるによりて良からず。また還り降りて改めて言え』との教え。早速帰って改めて行為に及び教え通り『ここにイザナキノ命、先に「あなにやし、えをとめを。」と言ひ、後にイモイザナミノ命「あなにやし、えをとこを。」と言ひき。かく言ひおえて御合して、うめる子』が『大八島國』なる我が日本国であった、と古事記に記してある。(『』内は古事記の本文)。

何という「大らかさ」か!若干の好色さを交えながらノビノビと語られるこのような建国記は世界に比類無いであろう。

明治維新以来一世紀半に及んだ国の形が今、問い直されようとしている。マスコミは早くも「3兆円の補正予算削減が2.5兆円に留まっている」などと批判し始めている。しかし考えてみれば僅か1ヶ月足らずで2.5兆円もの無駄(何を基準とするかは別にして)があぶりだされた現実は、維新以来の官僚組織を中心とした中央集権体制が著しい制度疲労に陥っていたことの証に他なるまい。

「蜜月の100日」も未だ終わっていないのだから永い目で民主党政権を見守ろうではないか。何といっても「古事記の国」なのだから。