2019年6月24日月曜日

学校を良くする唯一の方法

 天の原富士の煙の春の色の霞たなびくあけぼのの空これは新古今集にある慈円のうたである。歌意は「大空は、今、富士の山の噴煙がいかにも春だといった感じの色の霞の中にたなびきとけこんでいる曙の空だ。(小学館・日本古典文学全集43『新古今和歌集』より)」となる。慈円は1200年頃の人だから800年前に富士山が噴煙を上げている様を詠っているわけで、地球の歴史からいえば800年などつい昨日のことといえるほどの時間になろう。京都についていえば1830年8月19日(文政13年7月2日)にM6.5規模の直下型地震が起っていて死者280人負傷者1300人、二階建ての家屋のほぼすべてが倒壊したと記録にある。これはまだ200年も経っていない前のことであるから「京都は安全」などとはとてもいえないことが分かる。
 18日新潟、山形地方にM6.7、震度6強の地震があった。「3.11」以降全国各地で大規模な地震が頻発している。富士山ばかりかわが国は火山国であり地震国である、いつ大噴火があっても不思議はない。そうであるにもかかわらず、17日福岡地裁は九州電力川内原発に係わる半径160キロ以内にある5つのカルデラの噴火被害に関する原子力規制委員会の「安全判断」は合理的であるという判決を出した。もし規制委員会の判断に異論をはさむのならその科学的根拠を原告側が提示しろというのである。
 地震国火山国の我国に50以上の原発があり、これだけ地震が頻発し南海トラフでM7以上の巨大地震が30年以内に発生する確率が70%以上と喧伝し、その予知のために何兆円という予算をかけて学者連中と学会、大学が研究しているにもかかわらず、「だから、原発に及ぶ危険性は甚大なものがある」という『警告』は一度もだされたことがない。
 万が一、いや三十分の一、南海トラフ地震が発生して原発が「過酷事故」を起こしてもこの国の政治、行政は責任を負う体制になっていない。すべてが「他人事――ひとごと」なのだ。
 
 さて本題に入ろう。わが国の教育制度――学校を良くする唯一の方法。それは文部科学省の役人や全国の学校の先生、ひいては役人のすべてが「わが子をいかせたい」学校に「公立学校」を改革すること、これしかない。これまで中央教育審議会ほか多くの機関が「教育制度改革」を提案し実施されてきたが、改善は果たされず実質的には改悪の度を深め子どもたちの「教育格差」は拡がるばかりだ。なぜか?それは制度に携わっている役人たちが自分の子どもを「私立名門校」に通わせ、そのうちの何割かは東大(京大)に入学させたことを臆面もなく「誇らしげ」にすまし込んでいるのをみれば分かるだろう。これでは「改革」がうまくいくはずがない。私の周囲には教授や教員と呼ばれる人たちが多くいるが、そのなかには教育委員会の役人も少なくないが、そのほとんどは「私立名門校→東大(京大)」コースに子どもをはめこんでいる。そして、それに関して罪悪感を表している人はひとりも見当たらない。
 彼らにとって教育改革は「他人事――ひとごと」なのだ。これでは学校が良くなるはずもなく、教育改革が進捗することは望むべくもない。
 
 一方でここ何年か、東大卒の役人や政治家の不祥事が相次いでいる。そのたびに耳にするのが「東大のすべてが悪いわけではない。彼らはほんの一部の人なのだ」という言葉、「勉強が良くできる人たち」だから良い仕事ができるはずだ、とも。本当だろうか?五十年前、私は東京の広告会社に就職した。丁度広告産業の興隆期にあたり東大京大卒の人材が他企業から引き抜かれ多数中途採用されていた。勿論新卒採用にも東大京大卒は少なくなかったが、そこで私が知ったのは、東大京大卒といえどもズバ抜けているわけではない、ということと、私の知らない学校を出た人の中にも素晴しい人材が多くいるということだった。広告会社だから役人を根っから避けているような異色な連中ばかりだったから参考にならないが、中途採用の中年の人たちは広告会社という環境になじめない人が多かった。そのうち広告会社が就職希望者の人気業種になって、各校のトップスリーであったりトップテンクラスの採用が多くなっていった。二十年ほど前、その会社の偉いさんになっていた同期の連中とあって話したとき(私は早くに退職していた)、この頃の若い連中は頭ばかりが良くって面白い奴が少なくなったとこぼしていたのが印象に残っている。
 東大や京大の人たちを「頭がいい、勉強ができる」と評価する傾向が強い。しかしこれは誤っている。「受験勉強が良くできる」人たちと言い直すべきなのだ。勉強ができる、頭がいいのなら、面白くないとは言われないないだろうし政治家や官僚連中の信じられないような『失言』は出てこないはずだ。本当の勉強をしていないから、大学時代に学問をしていないから、ボキャブラリーが不足するし、いい仕事面白い仕事ができないのだ。なぜこんなことになってしまったのか。
 すべての元凶は「共通一次(大学共通第1次学力試験)」にある。すべての受験生がこの試験で高得点を取るためにそれまでの6年(12年)を一直線に突き進んでくる。当然学校もその線に沿って特化していく。ところがこの試験はきわめて特殊なもので現職の教師――大学の教授でさえ解くのが難しい試験で、むしろ予備校や塾の講師のほうが回答を導く能力を有っている。という事はこの試験が如何に特殊なもので、受験生の持っているであろう能力のほんの一部分しか『判定』できない試験になっていることを証明している。実際最近も京都のある経営者が、東大京大卒といっても企業で役立つ人材とはいえないと発言して自前で大学を持ってしまった。企業に役立つかどうかは大学教育とは直接は結びつかないから全面的にこの経営者の考えを良しとはしないが、共通一次の問題点はついている。「共通一次」を即刻廃止してもっと多面的に、各大学の教育方針に合致した能力を判定できる試験体制に『改革』すべきなのだ。AIや人工知能が本格的に導入されようとしている現在、共通一次で選抜される「能力」はそれらに『代替』される可能性の極めて高い能力を判定する試験である、と言っても過言ではない(これについて詳細はここでは言及しない。別の機会に論じたい)。
 
 「他人事――ひとごと」といえば今国会で論戦が交わされている「年金問題――老後資金2000万円問題」も結局そういうことで、年金などアテにしていない政治家や七十才になっても七十五才になっても高給で安泰な天下り先で生活が保証されている官僚が制度を司っているから「机上の空論」ばかりで、高齢者の約二割も占めている国民年金頼りの人たちのことなど一顧だにしていないのだ。
 
 政治家と公務員は子弟を公立学校に入れなければならない、という法律でも作ればこの国の学校制度改革は一挙に解決するだろうが、そんなことのできないことは彼らがいちばんよく知っている。
 
 
 
 
 

2019年6月17日月曜日

日本人の「原・心性」

 昨年の9月に『本居宣長(熊野純彦著・作品社)』という本が出た。一見固そうなこの専門書が一部で評判になって11月18日の毎日新聞の書評(橋爪代三郎)にも上った。それは「本居宣長」という数多くの知識人が挑み続けてきた「近世の知の巨人」に係わる明治以来の業績の総目録を専門外の学者(熊野は独仏を中心とした西洋哲学、哲学史が専門)が表したという異色さとA5版本文総頁876ページという長大なヴォリュームが読書好きの挑戦欲をそそったという一面もあったのかもしれない。
 橋爪の書評の影響もあって私も読みたくなったがなんといっても九千円(8,826円)もするうえに、買っても読み通すことができるかどうか自信もないし、たとえ読んだとしても再読はぜったいにしそうにないからできれば図書館で間に合わせたいと図書館の検索をかけてみたが蔵書されていなかった。そうだろう、いくら良い本でも大学の図書館でもない一般人相手の普通の図書館にはふさわしくない本なのかと一旦はあきらめた。一ヶ月たち二ヶ月経ってやっぱり気になって府のほう(いつもはもっぱら京都市図書館を利用している)をチェックしてみると、なんと蔵書リストに上っているではないか。すぐに予約を入れると「待機人数6人」となっている。ちょっと驚いた、こんな本にこれほどの人気があるとは思ってもいなかったからだ(ベストセラーだと200人はザラなのだが)。それから約四ヶ月、五月末に順番が回ってきた。バスと地下鉄を乗り継いで岡崎の図書館へ行って現物を手にしたとき、八センチちかいぶ厚い布表紙の粗い手ざわりの重厚感が「よし!」と気合をみなぎらせた。「ありがとうございます。6月9日までです」。えっ!二週間、これが!「延長はきかないのですか?」「あとに予約が入っていますので…」。
 いつも矛盾を感じるのだが、子供の絵本も小説も、詩人歌人の百ページ程度の本も、ぶ厚い専門書も一律二週間という貸し出し期間はおかしいのではないか?まして、書庫に眠っている何年も借り出した人のない専門書や古い時代の作家の全集などどうして一律二週間でなければならないのか?
 まぁ、そんなことを言っていてもしょうがない、とにかく14日で読み切らなくては。単純に計算して1日65ページ、しかし半分は原文(宣長の文や古事記、源氏物語からの引用)だから50ページでも手強い、よほど心してかからねば……。
 そして14日と3日(3日延滞してしまった)、読了した。私史上最長の専門書を読み切った(小説でさえこれほど長い物は読んだことがない)。達成観が湧き上った。充実感を感じた。予想に違わず「宣長学」の真髄に触れることができた。日本を戦争に追い込んだ「日本神道」が宣長の説こうとした「日本古学」とはまったく別物であることが分かった。ただし熊野はそれを自説として打ち出しているわけではない、彼は資料を提出しているだけでこの書はいわば「厖大な熊野メモ」だ。専門外の学者としての『矜持』、それが熊野の学者としての良心なのだろう。
 
 すべて上つ代の事にも、皆年月をしるし、又甲子にうつして、日次までをしるされたるは、いともいとも心得がたし。そもそもこれみな、後の世よりさかさまに推(かぞ)へて、長暦といふものをもて定めたりと、世の人はこともなげに思ふめれど、まず御世御世の年の数も、伝へ伝へのかはり有て、さだかならねば、其年といへるすらうたがはし(『真暦考』)。(p690)
 以前から不思議に思っていたことだが、文字もない文書としての記録が残っていない「古史」の事跡の歴史的時間がどうして一日も違わず特定することができるのかと。宣長はそれを学者にもかかわらず恥かしげもなく疑問を呈して、後代のものが当てずっぽうで歴史のない時代を暦に取り込んで、さも「そうであるかのように」『さかしら』顔をしている輩に苦言を呈している。古ごとは「神を信じるとは、語りかわされるその物語を信じることであり、みずからがその物語のなかで生きることである。(p400)」と諭している。まさしく「上つ代」に接する「正道」であり、神話と天皇を同じ次元に接続することの「誤り」を厳しく叱る宣長の学者としての科学的姿勢の「真率さ」に心打たれる。
 
 「世の中のよろづの事はみなあやしきを、これ奇しく妙なる神の御しわざなることをえしらずして、己がおしはかりの理を以ていふはいとをこ(烏滸…愚かな様、ふとどきなこと)なり。いかにともしられぬ事を理を以てとかくいふは、から人のくせなり。そのいふところの理は、いかさまにもいへばいはるゝ物ぞ。かれいにしへのから人のいひおける理、後世にいたりてひがごとなることのあらはれたる事おほし。またつひに理のはかりがたき事にあへば、これを天といひてのがるゝ、みな神ある事をしらざるゆゑなり(『玉かつま』)」(p623)。 
 わからないこと、信じられないことを「理解」しようとしないでそのままを受け入れるということを「拒否」する性向が我々には具わっている。というか、自分がこれまでに獲得してきた「経験⇒理屈」に当て嵌めないと「安心」できないのだ。それが長ずると「悪い」保守主義に陥ってしまう。しかし悲しいかな我々の大方は安心してしまわないと生きていけないので無意識のうちに『理』ですべてを「理解」してしまおうとする。宣長はそうした姿勢は「から人」すなわち漢人(中国人)の考え方だとして排除する。我々日本人の「原心性」はそうではなかったと「戒め」る。
 
 悪神(あしきかみ)と申すは、かの伊邪那岐大御神の御禊の時、予美国の穢より成出たまへる、禍津日神と申す神の御霊によりて、諸の邪なる事悪き事を行ふ神たちにして、さやうの神の盛に荒び給ふ時には、皇神(すめかみ)たちの御守護(おんまも)り御力にも及ばせ給はぬ事もあるは、これ神代よりの趣なり。(中略)世の中に、死ぬるほどかなしき事はなきものなるに、かの異国の道々には、或はこれを深く哀むまじき道理を説き、或は此世にてのしわざの善悪、心法のとりさばきによりて、死して後になりゆく様をも、いろいろと広く委く説きたる故に、世人みなこれらに惑ひて、其説共を尤なる事に思ひ、信仰して、死を深く哀むをば、愚なる心の迷ひのように心得るから、これを愧て、強て迷はぬふり、悲まぬ体を見せ、或は辞世などいひて、ことごとしく悟りきはめたるさまの詞を遺しなどするは、皆これ大きなる偽のつくり言にして、人情に背き、まことの道理にかなはぬことなり(p865)。
 宣長は「からごころ」と儒仏の考え方を「排除」して、我国の「原心性」に帰れ!とくどいほど諭す。漢人の理屈、儒学のいう「聖人の道」、仏の説く「悟り」を「こだわり」としてそれからの『解放』をすすめる。それは今、世界を不安定に導いている一神教――ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「原理」の『不都合』をも解放の対象としているにちがいない。
 宣長のいう「神を信じるとは、語りかわされるその物語を信じることであり、みずからがその物語のなかで生きることである。」という多神教への回帰は西洋にあっては「古代ギリシャの多神教」にも通じるだろう。
 
 「断章取義(だんしょうしゅぎ」、文章の一部を自分の都合のいいように引用すること。経済なり政治なり、今の世の中この断章取義と「フェイク・ニュース」で溢れかえっている。深い学びと素直な心を説く宣長の教えは今でも決して古びていない。
 
 
 
 

2019年6月10日月曜日

アベノミクスは失敗した

 老後資金 年金頼み限界―金融庁試算「2000万円貯蓄必要」という記事が新聞の一面におどった。それを受けてテレビでも特集を組んで詳細を報じていた。長寿化する「人生100年時代」に備え、計画的な資産形成を促す報告書を金融庁の金融審議会がまとめたものを3日発表したもので、かいつまんで内容を紹介すると、95歳まで生きるとすれば高齢者一人あたり950万円ほど不足が生じるから夫婦で約2000万円が必要になる、ゼロ金利時代の現在は銀行利子での運用は難しいから「株式の分散投資」で賢く運用して老後に備えよ、と金融庁の賢い人たちが庶民に教えを垂れたのである。
 しかし、ちょっと待てよ?年金「100年安心」ではなかったのか?2004年の年金法改正時に政府与党はこぞって100年安心を喧伝したではないか?公明党は今でもことあるごとに「100年安心」を訴えている。同じ政府の財務省と厚労省で言う事が180度違うのはどういうことなのか!
 大体専門家でさえ株式投資で利益を出すのは困難なのに素人がそんな利口な運用が可能なのだろうか?ゼロ金利時代がこのまま続けば10年以内に地銀は半減するとして金融庁は地銀の統合を進めているが、もし株式運用で利益が生み出せるなら地銀の担当者も金融の専門家なのだから地銀の赤字転落を防げるはずで、それができないから多くの地銀は経営不振におちいっているわけで、大体地域産業の振興に目利き力を持っている地銀は地場産業への融資を利益創出の源泉としていて、それが「ゼロ金利」などという「緊急避難的」な措置が五年も十年も続いて今や半永久的政策になろうとしている状況は、国が地銀をツブソウとしているといっても過言ではあるまい。それを「エラそうな顔」をして「地域金融の再編」などとどの顔して言えるのか。『理不尽』とはこういうことを言うのだろう。
 ゼロ金利でなければ、たとえ「年1%」でも庶民の資産運用は「銀行利子」だけでも安定運用できるはずで、大元の「ゼロ金利」を放置したまま「年金不安」をあおるような政府の姿勢は根本が間違っている。
 
 ところでその株式市場が今、異変を呈していることを識者は認識しているだろうか。東証一部の売買高は一日15億株前後がが標準とされているが、昨年の10月あたりから異変が起り今年になってからは15億株を超えた日は6日しかなくほとんどが12億株前後で10億株を割った日が5日もある。これは何を意味しているのか。日本株の人気が著しく低下しているのではないか。ちなみに東証の投資部門別売買動向を見ると2015年以降海外投資家は売り越に転じ2018年は5兆6300億円の売り越しで31年ぶりの高水準の売り越し(買い高から売り高を引いてマイナスになること。マイナスが長期に続けば市場に人気がないと言える)になっている。今年は米中の貿易戦争が激化し解決の見通しもなく、識者の一部は30年戦争などという向きもありIT関連を中心に業績悪化も見込まれる中、更に海外投資家は日本株を避ける傾向が強まりそうな気配である。それなのに、金融庁が一般庶民に株式投資を資産形成の有力手段として斡旋するかの様な報告書を提出するという事は一体何を目論んでいるのだろうか。そうでなくともGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)などという「巨鯨」が市場を攪乱している、不安定で恣意的な株式市場を放置したまま「貯蓄から投資へ」庶民資金の誘導をこうもあからさまに行う金融庁の姿勢に納得のいかない不健全さを感じる。
 
 さて、実際問題として今の情勢で一般庶民が2000万円という貯蓄は可能なのだろうか。
 家計調査報告(2018年)で平均を見てみると働く世帯の平均貯蓄額は1752万円となっている(一方で負債現在額は558万円になっている)。しかしこれはあくまでも平均値であるから所得分布を詳細に見てみると(国民生活基礎調査平成21年)、中央値は427万円で年収300万円以下の世帯が46.6%もある。勤労世帯の平均年収は平成10年を最高にして低落傾向にあり平成29年には10年に比べて約11%低下している。労働分配率(国民総生産GDPに占める雇用所得の割合)は2017年66.2%で43年ぶりの低水準に低下している(財務省・法人企業統計)。
 安倍首相は「アベノミクスの3本の矢」として大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略を打ち出し、市場にジャブジャブ通貨を流通させてデフレを脱却させる、企業の体質を強固にしてグローバル時代を乗り切り企業の儲けを増大させて、その結果働く人の給料も増えるようにする――いわゆる「トリクル・ダウン」の考え方で国民の理解を得るように働きかけた。そのお蔭で大企業の利益は毎年史上最高を記録しいわゆる「内部留保」は年々積みあがり2017年には前年度より40兆円以上増えて446兆4844億円になり第二次安倍政権発足以来164兆円積み上がっている。
 これだけ企業業績が良くなったにもかかわらず働く人の給与は横ばいで、非正規雇用者の割合は今や三分の一を超えるまでになっている。「トリクル・ダウン」――企業の儲けが増えればそれがこぼれ落ちて、ほうっておいても働く人の給与は自動的に増えていく――そう言ったはずなのに給与は一向に上らず、しかも不安定な非正規雇用の人が増え続けている。
 「アベノミクス」は失敗だったのではないか。
 
 「100年安心」を言い続けてきた年金制度を主管庁たる厚生労働省の頭越しに財務省が「年金だけでは老後が不安だから2000万円現役時代に貯金して下さいよ」と、そうでなくても年金制度に不信を抱いている若い人の不安を煽り立てるなどということが許されてよいものだろうか。
 財務省のお役人やその御用学者が机上の計算ではじき出した数字を閣内の調整も経ずに剥き出しにする。年金制度は国民生活のいわば根幹を占めるものであるのに、こんな無神経な形で国民に不安を与えるなど政府の態をなしていないのではないか。
 
 まずは政府の経済・財政政策を根本的に見直すべきだ。 
 
 
 

2019年6月3日月曜日

アジアと日本

 平成は「失われた30年」と言われた。ならば令和は新しい時代の模索とスタートの時代にせねばならない。それにしては価値観の多様化と情報の過多で「混沌」を極めていて一朝に方向性を見出すことはなかなか難しい。こんな時は一旦踏み止まって先賢に学ぶのも知恵というものだろう。そこで竹内好の『方法としてのアジア(竹内好全集第5巻)』をいてみた。(この論文集は1951年から75年の論文をあつめたものである
 
 この論文集で最も印象的だったのは次の一節である。
 日露戦争のとき孫文はヨーロッパにおりましたが、戦争のあと、中国へ帰った。その途中、船がスエズに寄港すると、荷役のアラビア人が(略)――日本が日露戦争に勝った。白人だけが優秀であると自分たちは諦めていた。(略)ところが、日本人が白人を戦争で破ったということを聞いて非常に嬉しい。解放の希望がもてた、ということを言ったそうです。孫文自身が語っております。ですから、日本の近代国家の建設というものは、戦争によって有効性が証明されたわけで、それが植民地解放にとって非常に大きな力になっているらしい。
 ヨーロッパの自己拡張の動きは、数世紀前から、航海術の発達とともにはじまっている。産業革命がそれに拍車を加えた。やがて非ヨーロッパ地域の大半が、日本だけを残して、植民地化された。このような運動の過程でつくられたアジア観が、侵略の対象としてのアジアということである。
 
 アジアという言葉は確たる概念内容があるものではなく上にもあるように「非ヨーロッパ」という「ヨーロッパ中心主義」的なもので、帝国主義時代には「侵略の対象」と彼らは考えていたにちがいない。そして日本以外ではタイが辛うじて植民地化を免れたがアジア、アフリカ、南アメリカのほとんどが植民地化されるか属領として辛苦を舐めさせられた。そんななかで日本がいち早く近代化(西洋化)に成功しなおかつ西洋列強の一翼――ロシアに勝利を収めたことが「非ヨーロッパ」の諸国民にどんなに大きな衝撃を与えたかは現在の我々の想像をはるかに超えるものであったに違いない。日露戦争の勝利は中国や朝鮮の若者にとりわけ影響を及ぼし日本への「留学生」が急激に増加した。そんななかに孫文もいたわけで、その孫文が辛亥革命を指導し1912年に中華民国が誕生するに至るのである。
 ここ数年インバウンド(海外からの観光客)が急増し昨年は3000万人を突破した。2020年のオリンピックまではこの趨勢は止まらないだろうがオリンピック後の落ち込みを危惧する向きが少なくない。しかし冷静に考えてみて、日本以上に安全な国はないのではないか。清潔な国があるだろうか。食の安心は今のところ保証してよいだろうし文化の蓄積は世界でも有数で保全体制も整っている。物つくりの水準は世界トップクラスである。高齢化の進行も世界有数でそれへの社会保障は相当高水準である。これだけの『資源』を有した国があるだろうか。インバウンドの相手国の所得水準は今後ますますアップしていくことが見通せる今、これだけの条件が整っていて、アジア諸国を中心としたインバウンドが減少に転ずるはずがない。
 明治大正期にアジアの若者が「日本に学べ」と留学したように、令和のわが国は「観光」と「成熟国のモデル国」としてアジア諸国民の『あこがれの国』に転換していく「道」が大きく拓けているのではなかろうか。
 
 中国人の日本観。これはいろいろに言えますが、日本人が軍隊ばかりでなく、一般市民が軍隊をタテにして行って乱暴を働いたということに、深い憎悪をもっていると思う。(略)日本の人民には罪はありませんと言っても、心の底ではやっぱり日本人を怨んでいると思う。その怨みは十年や二十年で消えないと思います。一世代かかって消せるかどうかむずかしい。百年かかるかもしれない。いわんや今のような国交の状態では、ますます憎悪感が強まるかもしれない。日本人一人が悪いことをすれば、被害を受けた人は日本人全体を怨むのは当然でしょう。(略)朝鮮に対しては特にそうですね。韓国との国交がうまくいかんのは、李承晩大統領はものがわからん男かもしれないが、あれだけ虐められていたら無理もない。十年、二十年じゃむつかしいかもしれない。けれども、努力なしなければならない。そうでなければ恥知らずです。民族が恥知らずになったのでは、世界に立てない。
 韓国の慰安婦問題や徴用工問題あるいは中国の反日抗日の執拗さはわれわれ日本人の常識を超えているが竹内の1960年の見方は「百年の償い」の覚悟を促している。現在の大方の論調は1965年の「日韓請求権協定」で解決済みだとしているがそれはあくまでも日本人の見方であって、南京虐殺など戦時の日本陸軍が大陸で行った残虐行為は、われわれがほとんど教育されず入手できるデータも限られている状況とは大きく異なって、小学校から歴史教育の中心として教え込まれた中国人民とは根本的に歴史認識がちがうのだということを改めて知る必要があるのだ。
 
 すから国民党と共産党が戦って共産党が勝ったといった見方はまちがっています。そうではないのです。民衆がどちらについたか、あるいはどちらの党が民衆を味方にしたかによって勝負がついたのです。したがって国家というものは防衛対象ではないし、防衛力の源泉でもない。行政組織も自衛組織も抵抗の必要から自分の力で作り出したものです。中共は最初からこういう考え方をとっている。既成の組織に頼るのはダメなんで、たえず中からそれを作り変える必要がある。
 共産党独裁の元に習近平の権力拡大が止まることがないようにマスコミは報じているが、この竹内の見解は中国国内での「静かなる反習近平」が少なからざることを教えている。とすれば、二期目に入ってからのあからさまの習近平独裁体制の強化はその裏で中国人民の体制離反がわれわれの想像を超えて進行していることの裏返しかも知れない。中国三千年の歴史をみるとき、王朝の度々の転換のなかでしぶとく生き通してきた中国人民の勁悍さは中国共産党の暴走がつづけば、その終焉は意外と突然に想像以上に早く訪れるかも知れない。
 
 竹内好の1960年代のアジア観の一端をみて、令和の我国の「道」を考えてみた。彼の影響を素直に受けいれれば、北朝鮮を含めたアジア諸国に犯した戦争責任はこれからも、少なくとも2050年くらいまでは引きずっていかなければならない覚悟を促している。そして中国人民の「体制選択」は共産党独裁が今後永久不変に続くという可能性をあやしくする。そのうえで「安全・安心・清潔」「ぼう大な歴史の蓄積」「少子高齢化先進国」という『資源』をいかに活用するかを中心に据えて「国家経営」を行うのが最も望ましい方向づけのように思われる。
 
 欧米中心主義、特に戦後のアメリカ中心主義は令和の時代そして21世紀の「国家経営の主方針」とすることには相当な危険性をはらんでいるを知るべきで、もういちど、アジアの中の日本、という視点を見直すべき時期を迎えているように思う。