2024年3月25日月曜日

市場の真実

  報道に接していて、それはそうだけど本当はこっちだろうということがよくあります。今の裏金問題でも、政治に金がかかるのは二世三世と政治が世襲化して地盤を継続するために後援会(地方議員含む)の維持費がかかるからでしょう(票の買収は問題外として)。ということは政治と金の問題を本気で解決する気があるなら前世紀の遺物である世襲化をぶっつぶさなければ「政治改革」を何度やろうと解決できないことは素人でも分かっていることです。それを知らんふりしてああだこうだ言っているのが今のマスコミなのです。

 そこで「本質はそこじゃないだろう」という視点で幾つかの問題を点検してみましょう。

 

 まずは「儲かる農業」について。

 止まらない「高齢化」と拡大する「休耕田と耕作放棄地」、加えて農村から大都市への若者の流出と農業を取り巻く環境は悪化の一途をたどっています。結果として食料自給率はカロリーベースで38%(生産額ベースで63%)と低迷し「食糧安保」からみたわが国の脆弱性が浮き彫りになってきました。そこで危機感を抱いた国の打ち出した政策が「儲かる農業化=農業の成長産業化」です。そのために「農林水産業の輸出力強化のための取り組み」「海外への日本食・食文化の普及の取り組み」「世界トップレベルの『スマート農業』の実現に向けて」「農地の集積・集約化によるコスト削減」等を戦術として打ち出しました。これ以前には休耕田・耕作放棄地を集約化して「農業法人」を設立し若者を「雇用者」として受け入れ、受け入れ側の地方自治体は空き家となっている古民家を無償・格安家賃で貸し出すなどの対策で若者の誘致に取り組み一定の成果も上がっています。とくに子育て世代には良好な自然環境と手厚い子育てサポートが魅力となって移住者が増え出生率も増加した地方も出てきています。テレワークの推進と相まって今後地方移住者は増える可能性は高まってくると思いますし「儲かる農業」が実現すれば農業に従事する若者も増加するかもしれません。

 しかしこれらの政策に欠けているのが『価格決定力』という視点です。今の農産物市場での価格決定力は「農家」にはありません。持っているのは大型スーパーマーケットであり大資本――コンビニや外食チェーン店です。スーパーの低価格政策や100円寿司などの圧力は農家の地道な生産性向上の努力を無視して「市場価格」を押しつけてきます。農産物だけでなく「養殖漁業」などにもその勢力は及んでおり、この現状を放置したままでは「農業サイド」がどんなに企業努力を続けても「低価格」を押しつけられて「儲かる農業化」は実現できません。そしてそれは「消費者の低価格志向の消費行動」に淵源があり更にそれは「上がらない賃金」「使い捨ての非正規雇用と低賃金」に行き着くのです。

 「儲かる農業」はこのように「価格決定力」が農家以外の市場関係者が握るという「いびつな市場」を解決しなければ実現は不可能であり、それは消費者の「低価格志向の消費行動」を崩すことが必要でありそのためには「賃上げ」が不可欠であることが分かります。「農(漁業)産物市場の適正化」は必須でありこうした視点を欠いたマスコミの論調は「底が浅い」と言わざるを得ません。

 

 そこで「賃上げ」ですが、「働き方改革」と「労働力の流動化」というここ30年の間に進められてきた「新自由主義的労働政策」を転換しない限り「国民すべてに賃上げ」の恵みをもたらす体制にはならないでしょう。新自由主義的労働政策を大ざっぱにまとめると、景気変動のリスク回避を「非正規雇用」というショックアブソーバーで経営側が「自由度」を保持することと、労働組織率を低下させることで労働市場での「賃上げ交渉力」を経営側が絶対的優位をもつこと、の二点に集約できると思います。「自由な働き方」とか「仕事と自己実現の両立」などの美辞麗句に踊らされて非正規雇用という働き方を「ウーバーイーツ」や「ライドシュア」を新しい働き方としてありがたいもののようにアメリカから輸入したり、企業に縛られない働き方をしたいと若者が「個人事業主」という選択をしましたが、その結果は賃上げ交渉に「政府が口出し」するという異常事態が出来(しゅったい)し「官製賃上げ」が常態化するようになってしまったのです。本来なら労働市場で「労使」が丁々発止の交渉を「戦わす」のがあるべき姿なのですが組織率が今や16.%台(最高は1940年代後半の55%超)に止まっているのですから企業側の圧倒的優位となって「交渉」にならないのです。自由な働き方を選んだ結果「企業」という「巨人」に対して「個人」という「弱者」が刃向かうのですから勝敗は戦う前から決まっています。

 マスコミは「派遣」とか「契約」とか「業務委託や請負」を新しい働き方として好意的に報道しました。ウーバーイーツもライドシェアも何の批判的論評もなしに受け入れを是認しました。その結果が「長期の低賃金」という現状です。

 働くものが「働き」に応じた正当な賃金を獲得するには「企業」と対等な「交渉力」をもつことが必要条件であることを再認識すべきです。「新しい働き方」もそれが「正当な賃金」が得られるかどうかが受け入れの判断基準であるはずですがマスコミは経産省や厚労省のニュースリリースを垂れ流すだけでした。

 

 もうひとつ「教員不足問題」があります。

 以前から問題視されてきたように慢性的な長時間労働や部活指導、モンスターペアレント問題、いじめ問題、教育委員会や文科省からの過重な調査業務など教員を取り巻く環境は他産業との比較において相当劣悪な状態にあります。教員不足を解決するためにはこうした環境整備が不可欠ですがそれとは別に次のような視点も必要なのではないでしょうか。

 ひとつは公立学校以外の教育関連分野との競合です。今や塾や予備校、家庭教師はほとんどの子どもが利用しています。ということは本来なら教員になるべき人材が塾や予備校の講師、家庭教師になっているのですからその分教員の成り手が減るのは当然です。もうひとつは「私立学校」の増加です。最近の傾向として「お受験の低年齢化」がありますが今後「私立志向」は高まっていくのではないでしょうか。そうなると公立と私立の「教員獲得競争」が激化するのは明かです。

 「教員不足」問題は「働き方改革」も必要ですが教育関連産業や「私立学校」との競合を見落としては本質的な解決を図ることはできません。しかしこうした視点はマスコミにはほとんど見られませんし本家の「文科省」も問題にしていません。これでは「教員不足」の根本的解決は実現不可能です。

 

 これまでなんども取り上げてきましたが「記者クラブ」という日本独自の報道体制がある限り「上質なマスコミ」は育たないと思います。

 

 

 

2024年3月18日月曜日

職業に貴賤はない

  私たちの子どもの頃職業に貴賤はないと教えられました。それも相当厳格だったように記憶しています。そして同時に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の『学問のすゝめ』の言葉も教えられました。今の子どもたちも教えられているのでしょうか。

 

 いま改めて「職業に貴賤はない」などという言葉を持ち出したのは最近ほとんど聞かなくなったからです。それにもかかわらず今ほどこの言葉の意味の重要性が高まっている時はないと思うのです。コロナがあって、自粛になって多くの人が安全のために身を竦(すく)ませて生活をしているなかで、普段通りの市民生活を守るために仕事をつづけてくれた人たち――私たちは今これらの仕事に従事する人たちを「エッセンシャル・ワーカー」と呼んでいます――の有難さを改めて認識させられました。そうであるのにそんな仕事を黙々と担ってくれている人たちが低賃金と過重労働を押しつけられている現実があります。ゴミ収集の人たち、病院の看護師さん、保育園の保育士さん、宅配を届けてくれる配送業者さんなどどれをとっても無ければコロナ禍の生活が送れなかったにもかかわらずあまり恵まれていないのです。反対に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事(デヴィッド・グレーバー著岩波書店)』をしている人たちは恵まれた生活を保証されています。

 なぜこんな矛盾が起っているでしょうか。

 

 最も恐れることは私たちの心のなかに、いい仕事とそうでない仕事という「仕事のランク付け」があることです、仕事に貴賤ができていることです。そしてその根元をたどっていくと「いい会社(仕事)」があって「いい学校」があることです。「勉強してエエ学校入って立派な会社に就職せなあかんえ」と普通に言っていることです。親世代の心の中には職業に貴賤はないというモラルが今でもかすかに残っていますから若干の『罪悪感』がありますが若い人――子どもたちにはそれさえもないのではないでしょうか。

 

 戦争に負けて、何もかもを失って一面が焼け野原になって――ウクライナのプーチンの爆撃で破壊された「死の町」を見るときいつもあの焼け野原を思い浮かべます――、あそこからよく復興できたものだと思います。何もないからすべてを一から作り直していきましたから仕事にいいも悪いもありませんでした、どんな仕事も必要不可欠でした。みんなが貧乏でしたから身分に上下はありませんでした――人の上にも下にも人はいなかったから「職業に貴賤はない」も「天は人の上に――」が素直に受け入れられたのです。

 それが僅か11年(1956年)で「もはや戦後では」なくなって「高度成長」の時代に突入して19年間(1955年~1973年)、バブル期(1986年12月~1991年2月頃)を経てバブル崩壊(1991年3月~1993年10月)して「失われた30年」が「今」です。この間に「職業に貴賤」ができ「人の上に人」がいるようになったのです。

 この期間に何があったのでしょうか。「豊か」になって「給料の高い人と低い人」ができました。豊かさの尺度は「物を多く持つ」ことでそれは「給料の多さ」で計られました。『生産性』の高い低いで仕事が評価され「会社の成長度」が株価に厳しく反映されるようになりました。グローバル経済に勝って日本経済が成長続けるために「法人税率」が43.3%から22.2.%まで引き下げられイノベーションと投資が増加することで会社が儲かれば給料も高くなる――トリクルダウンを期待して、生産性向上のために「官から民へ」があらゆる分野で進められました。

 それが今の日本です。

 格差が信じられないくらい拡がって、非正規雇用が30年で2割から4割にまで増えました。そして「人手不足」時代になっていたのです。今年の大手の賃上げは軒並み「満額回答」でバブル崩壊後最高の5%以上を実現しました。パートなどの非正規雇用の賃上げも6%を超える高水準になっています。

 

 こうした労働市場の表面的な動きの下で大きな二つの「変革」がつづいています。

 1つは「ロボットとAI導入」で今ある仕事の49%が無くなる、というものです。実際メガバンクは3万人の人員整理をすすめています。

 もうひとつは「生成AI」の進化で多くの職種で仕事のAIへの「置き換え」が急速に進められる、という予測です。行政では職員サポートや企画事務活用(EBPM等)における生成AI活用の想定事例を作成して移行への準備が進められています。

 こうした動きのなかで「エッセンシャル・ワーカー」の必要性はますます高まっているのです。

 

 では具体的にエッセンシャルワーカーとはどんなものをいうのでしょうか。①医療従事者②介護福祉士や保育士などの福祉関連③教育機関に勤める教育者④警官や消防士の公務員⑤運輸業界や物流業者⑥小売業者や販売業の従事者⑦生活インフラの維持に関わる職種(電気、ガス、水道、通信、ゴミ収集など)⑧農業などの一次産業⑨銀行などの金融機関などがそれに相当します。

 生成AIの得意分野は文書(法律)やデータの多く流通している分野です。ということで最初に思い浮かぶのは「お役所仕事」です。先にも書きましたが行政が先行してAI活用に踏み出しているのはその表れでしょうし同様に法律を仕事の基本においている「士(さむらい)仕事」――弁護士、公認会計士、弁理士、社会保険労務士などは全部ではなくとも部分的にはすぐにも「置き換え」が可能になることでしょう。

 

 「昔は学校の先生とかお役人、銀行の人は信用できると思っていたけど今は誰も信用できひん」、 妻がよく言う文句です。それは結局、仕事が給料を稼ぐだけのものに成り下がったからです。以前東大理科三類(医学部)の学生に取材した番組で、なぜ3類を志望したのかという問いに「日本で最難関だから」と答えていました。医学医療に対する使命感もモラルもなく給料が多いから、社会的地位が高いからそして何より自分の学力(といっても受験学力ですが)の高さを誇示するために彼は医学部に進学したのです。

 

 今ある仕事の多くは消滅するでしょう。そして「生産性」を担当する分野はロボットとAIに置き替わるにちがいありません。そうなれば「生産性」が高いから給料が高いという価値基準は意味をなさなくなります。その仕事が好きだ、楽しい、面白い、価値がある、生きがいを感じる、そんな仕事だけが求められる社会になるでしょう。

 そのとき、仕事に貴賤はなくなっているにちがいありません。問題はそれで「健康で文化的な生活」が営めるかどうかです。

 多分人間はそんな社会をつくり上げていると私は信じています。

 

 

 

 

 

 

 

2024年3月11日月曜日

かんの虫

  数日前娘から電話がありました。「Hくん、ゆうべ4回も5回も起きはるねん。泣かはるから抱きしめてあげたらスグ寝やはるから良かったけど、親は睡眠不足で眠たいわぁ」。やっぱり来たかと思いました、これは「かんの虫」なのです。しゃべるのが遅くて心配していたのですが今年になると徐々に話せる単語が多くなり2月になると急激に言葉数が増え2語文も達者になって、もうすぐ2才になりますがその頃には一人前にニクマレ口もたたくかも知れません。保育園での活動が多様になり外出が増えてはじめての体験が積み重なって、言葉と体験の情報が大量になり睡眠中の情報処理がうまくいかなかったり容量オーバーして起きて泣いて、寝てスイッチを入れ直して、起きて泣いて。むかしはこれを「かんの虫」と言ったのですが今は脳神経科学的な説明をしているようです。

 ことほど左様に我々の時代と「子育て方法」が変わっているのに気づきました。それは偶然と必然と必要に迫られてのことですが結果として順調に成長してくれていますからまちがってはいないのでしょう。そこで彼らの子育てで印象に残っているいくつかを記してみようと思います。

 

 まず「ベッドからの解放」は偶然の産物です。産後の休養をわが家で過ごして帰宅して、寝室が2階にあるため家事を1階でやっていると子どもに目が届かないことに不安を覚えたのですが、かと言ってベッドを毎日上げ下ろしするのも面倒なのでリビングに蒲団を敷いて寝かせることにしました。これが良かったのです。4ケ月になる前から「寝返り」をするようになりハイハイも標準より随分早かったように覚えています。考えてみれば「ベッドで寝かす」のは親の都合です。赤ちゃんにとって〈70cm×120cm(標準サイズ)〉の囲いは相当なプレッシャーではないでしょうか。寝返りの標準は生後4~5ヶ月といわれていますがそれはベッドの与える圧迫感でそうなっているのかもしれません。わが孫は早期にベッドから解放されたおかげで幼児期の余計な「ストレス」を受けずにすんだのは良かったにちがいありません。

 

 テレビを1年をすぎるころまで見せないようにしたのは夫婦の方針です。これが「集中力」と「根気」に良い影響を与えました。耳に入ってくる言葉はすべて「自分に向けられたもの」と彼は思いこんだにちがいありません。もしテレビを習慣的につけていたらテレビの音に反応することもあるでしょうが周りのおとなは対応してくれません、そんな繰り返しは言葉(音)に対する集中力を散漫にしてしまうでしょう。集中力の継続が途切れて周りへの働きかけが弱まってしまうかもしれません。自分に向けられているとはっきり分かる言葉、与えられる言葉にしか反応しなくなるかもしれません。テレビの習慣的な「つけっぱなし」は幼児の集中力と根気の養成に悪影響を与えるのではないでしょうか。

 こうしたこともあってか自分で「遊びをつくりだす能力」が目立ちます。先日も紙風船と吹き戻しを持って行ったのですがおもちゃよりも包装袋(7cm×12cmほどの紙製)に興味が向いて袋飛ばしを始めたのです。うまくいくとくるりと回転してスーッと着地します。4、5回に1回ほどの成功が嬉しいのかこっちが音を上げるほどしつっこく繰り返していました。

 おもちゃの数はおもちゃ箱(50cm程の立方体)1杯とちょっとしかありません。本は40冊ちかくあります。おもちゃは1つのおもちゃでいくつもの遊びをします。たとえば「おじゃみ」は投げる、落とす、落ちる、隠す、重ねる、つかむなどして遊んで今は重ねる(大小各3個)と6つ全部をつかむことが楽しそうです。6個重ねるのは大小あるので難しく5、6回に1回成功する程度ですが根気よくやっています。6個を一挙に全部つかんで箱に入れて、急いでつかみ出してまたつかんで入れる。何が楽しいのか何度も何度も繰り返します。おかしかったのはつかまり立ちができるようになったころ、自分の背より少し高いところにある1.5cm程の段におじゃみを置いて滑り落ちてくるのをキャッキャ言って笑っていました。隠す、はわざと後ろに投げて「どこいったのかなぁ」といった風をよそおいます、どこいったのかなぁと言いながらおとなが探すフリをして「あった」と見つけて渡してやるとまた後ろに投げて探すフリをする。姉娘が遊びに来た時30分以上付き合わされて閉口したと言っていました。

 おもちゃ遊び以上に好きなのが本です。読み聞かせを早いうちからやったせいで本好きになり、同じ本を何度も何度も繰り返し読むので内容が記憶されているのか「いちご」が出てくると他の本のいちごを探し出して「いっしょ」と示してくれます。それが得意で楽しいようです。

 子どもは大人の想像もできない遊びを作り出す、発見する能力を持っています。それを邪魔しない、気づいてやる。子どもは遊びの天才です。

 

 1才になって、育児休暇が終了して保育園にあずけるようになったのは親の必要からでした。1才になったばかりの幼子を親の庇護から放り出して集団生活に入れることに不憫を感じました。できることなら私どもが1~2年あずかってやりたい、そう本気で考えました。「子どもは3才になるまでは母親の手で育てるべきだ」という「3歳児神話」を強く意識しました。通園し始めた頃は保育士さんに預けると泣くことが多かったので「後ろ髪を引かれる」思いで涙が出たこともあったようです。

 しかし杞憂でした。1年経って孫は驚くべき成長を遂げました。子どもは親(おとな)が思う以上にたくましいのです。親や爺ちゃん婆ちゃっが育児していたのでは到底到達できなかった「成長度」を孫は達成しました。保育士さんたちのスキルもありますが子ども同士の「学び合い」も大きいと思います。

 大体核家族で子育てを親だけで行なうようになったのはここ30年40年のことでそれ以前は大家族で育てていましたし、古代では部族や集落で何人もの子供を共同で子育てしていました。母親と云えども貴重な労働力でしたから出産してすぐに採集や農作業をするのが当然で養育は「おばあたち」の仕事でした。そう考えると親だけに子育てを押し付けている今の方が異常なのかもしれません。

 今にして保育園へ預けて正解だったと思います。

 

 80才で授かった初孫、その成長のまぶしいこと。まちがいなくこの子が私を生かしてくれています。

 

 

2024年3月4日月曜日

ことばのちから

  わが国は、古来自然災害の大変多い国であり、先人たちは自然の恵みに日々感謝するとともに畏れも抱き、自然の中に神を感じて祭祀を行い、畏怖の心をもってつつましく生活を営んできた民族であります。

 これは石清水八幡宮宮司、田中恆清さんの能登半島地震で罹災された方々への慰謝の言葉の一部です(2024.2.29京都新聞)。この小さな記事を読んだとき、地震発生以来心の中で蟠っていたもやもやが一掃された気がしました。

 阪神淡路大震災、東日本大震災と福島原発事故、熊本地震と相次いだ中で、われわれは表面的な復旧・復興は行ないましたが根本的な思想の転換や経済・社会施策の方向転換には手をつけずに済ましてきました。福島原発事故直後原発の見直しを宣言し再生可能エネルギーへの方向転換を打ち出しましたが岸田首相はシレーッと「原発主電源化」に後戻りしてしまいました。能登半島地震にしても能登地方では近年何度も震度6や7近い地震が起こっていたにもかかわらず地震学者は大地震の危険性を警告しませんでしたし、大体日本海側の大地震予測はないがしろにされてきました。そして石川県知事はそんな状況であるにもかかわらず、地元民の不安の訴えがあったにもかかわらず、真摯に向き合わず地震への備えを怠ってきました。こうした為政者や学者の姿勢には、自然に対する傲慢さ、分からないこと(日本海側の地震調査の困難さ)に対するひたむきな学問的追求のなさ、怠慢さが顕著にうかがえます。

 仏教伝来までのわが国では自然神に対する信仰が主でした。今でも私たちは巨石や巨樹の前に立つと言葉にできない「畏れ」や「怖さ」が湧いてくるのを実感します。学問や科学の進歩はわれわれの生活を飛躍的に便利にし物質的豊かさをもたらしてくれました。しかしそれは科学や学問の「手の付けやすいところ」「得意な分野」で成し遂げられたことです。不得意な分野やまだ分かっていない領域は手づかずのままです。冷静に判断するなら自然界では「分かっていないこと」の方が断然多いのです。にもかかわらずわれわれは「自然を管理できる」と勘違いしてきました。だから「想定外」の災害を繰り返しているのです。

 自然の恵みに日々感謝する(略)畏怖の心をもってつつましく生活を営んできた、という田中宮司のことばにはわれわれに反省を促す強い「ちから」があります。

 

 「挫滅」。ざめつ、と読みます。この言葉は今度の能登半島地震で初めて知りました、災害状況の中間とりまとめの中に出ていたのです。挫のあとにつづく「滅」の字のなんと残酷な響きでしょうか。

 医療・ケア用語で「外部からの衝撃や圧迫によって、内部の組織が破壊されること」です。7万8千棟弱の住宅損壊があり241人の方が亡くなっていて92人の方が「圧死」されています。圧し潰されて骨が崩れて内臓が破壊される。なんという苦しさであったでしょうか、即死でなく徐々に痛み苦しみながら死んで行かれた被害者の状態を鮮やかに映している「挫滅」という文字(言葉)に衝撃を受けました。心が痛みました。「文字のちから」を知らされました。

 

 異常事態でも人々をつなぐ「きずな」を支えるのは言葉であり、言葉が「もうひとつのシェルター」になっている。

 ウクライナの詩人オスタップ・スリヴィンスキーの『戦争語彙集』(ロバート・キャンベル訳岩波書店)のなかにある言葉です。毎日新聞の書評欄(2024.1.20)に沼野充義さんが書いているなかにあった引用です。戦争下の市民に取材して普段使っている言葉が戦争によってどのように変化したかという視点で市民の体験がつづられています。例えば、「林檎」はかって恋人と聞いていた庭先に落ちる音とミサイルが落ちる音が重なる、以前見上げていた「星」は今は爆撃で窓が砕け散るのを防ぐテープを見て思い浮かべる言葉になった、という風です。

 まだこの本は読んでいないので上の引用がどのような文脈で語られているのかは分かっていませんが心に刺さったのです。「シェルター」とは、人を保護する施設や場所のことで、危険や攻撃から保護するだけでなく暑熱や風雨、駆け込み寺、難民収容所なども含まれます。しかしわれわれが今イメージするのは原爆から避難するシュルターです。ウクライナを侵攻するプーチンの脅しで原爆の脅威が緊迫感を増してきたためシェルターの必要性が高まっています。しかし物理的生理的脅威だけでなく現代では心理的な痛み苦しみも避けがたい状況になっています。そんなとき何気ない他人の言葉で「救われる」ことが少なくありません。絶望的な逃げ場のない状況に追い込まれることの少なくない現代において「ぬくもり」のある言葉は「シェルター」そのものです。

 

 齢のせいか最近言葉に神経質になっています。テレビやインターネットの言葉は暴力的に感じますし新聞や本の活字に敏感に反応します。そんななか京都新聞に連載されている冷泉貴実子さんの「四季の言の葉」に出会いました。わが国の古典に取材した「和語――やまとことば」(単語と表現)を、一つの季語―季節にまつわる言葉を取り出して100字ほどの短い文章で説明してくれるのですがこれが「豊潤」なのです。知らない言葉がいくつもありますし、その表現が多彩なのです。日本語がこれほど繊細、豊潤であったのかと驚かされます。

 一方で全盛のSNSは50字足らずの短文が主流です。おまけにテンプレート――標準化された文例――を駆使しますから独自の表現はむしろ嫌われます。今や「マルハラ(文中に読点“。”が書いてあると叱られているような圧迫感を覚えると“。”が忌避されているのです)」などという理不尽な傾向さえ起こっています。こんなことがつづけば「豊富な日本語」は絶滅するかもしれません。「ことばのちから」は学習と訓練で養成されます。しかしもっと大事なことは「伝えたいこと」を持つことです。

 

 今最もおそれるべきは「伝えること」を諦めることです。