2024年3月18日月曜日

職業に貴賤はない

  私たちの子どもの頃職業に貴賤はないと教えられました。それも相当厳格だったように記憶しています。そして同時に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福沢諭吉の『学問のすゝめ』の言葉も教えられました。今の子どもたちも教えられているのでしょうか。

 

 いま改めて「職業に貴賤はない」などという言葉を持ち出したのは最近ほとんど聞かなくなったからです。それにもかかわらず今ほどこの言葉の意味の重要性が高まっている時はないと思うのです。コロナがあって、自粛になって多くの人が安全のために身を竦(すく)ませて生活をしているなかで、普段通りの市民生活を守るために仕事をつづけてくれた人たち――私たちは今これらの仕事に従事する人たちを「エッセンシャル・ワーカー」と呼んでいます――の有難さを改めて認識させられました。そうであるのにそんな仕事を黙々と担ってくれている人たちが低賃金と過重労働を押しつけられている現実があります。ゴミ収集の人たち、病院の看護師さん、保育園の保育士さん、宅配を届けてくれる配送業者さんなどどれをとっても無ければコロナ禍の生活が送れなかったにもかかわらずあまり恵まれていないのです。反対に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事(デヴィッド・グレーバー著岩波書店)』をしている人たちは恵まれた生活を保証されています。

 なぜこんな矛盾が起っているでしょうか。

 

 最も恐れることは私たちの心のなかに、いい仕事とそうでない仕事という「仕事のランク付け」があることです、仕事に貴賤ができていることです。そしてその根元をたどっていくと「いい会社(仕事)」があって「いい学校」があることです。「勉強してエエ学校入って立派な会社に就職せなあかんえ」と普通に言っていることです。親世代の心の中には職業に貴賤はないというモラルが今でもかすかに残っていますから若干の『罪悪感』がありますが若い人――子どもたちにはそれさえもないのではないでしょうか。

 

 戦争に負けて、何もかもを失って一面が焼け野原になって――ウクライナのプーチンの爆撃で破壊された「死の町」を見るときいつもあの焼け野原を思い浮かべます――、あそこからよく復興できたものだと思います。何もないからすべてを一から作り直していきましたから仕事にいいも悪いもありませんでした、どんな仕事も必要不可欠でした。みんなが貧乏でしたから身分に上下はありませんでした――人の上にも下にも人はいなかったから「職業に貴賤はない」も「天は人の上に――」が素直に受け入れられたのです。

 それが僅か11年(1956年)で「もはや戦後では」なくなって「高度成長」の時代に突入して19年間(1955年~1973年)、バブル期(1986年12月~1991年2月頃)を経てバブル崩壊(1991年3月~1993年10月)して「失われた30年」が「今」です。この間に「職業に貴賤」ができ「人の上に人」がいるようになったのです。

 この期間に何があったのでしょうか。「豊か」になって「給料の高い人と低い人」ができました。豊かさの尺度は「物を多く持つ」ことでそれは「給料の多さ」で計られました。『生産性』の高い低いで仕事が評価され「会社の成長度」が株価に厳しく反映されるようになりました。グローバル経済に勝って日本経済が成長続けるために「法人税率」が43.3%から22.2.%まで引き下げられイノベーションと投資が増加することで会社が儲かれば給料も高くなる――トリクルダウンを期待して、生産性向上のために「官から民へ」があらゆる分野で進められました。

 それが今の日本です。

 格差が信じられないくらい拡がって、非正規雇用が30年で2割から4割にまで増えました。そして「人手不足」時代になっていたのです。今年の大手の賃上げは軒並み「満額回答」でバブル崩壊後最高の5%以上を実現しました。パートなどの非正規雇用の賃上げも6%を超える高水準になっています。

 

 こうした労働市場の表面的な動きの下で大きな二つの「変革」がつづいています。

 1つは「ロボットとAI導入」で今ある仕事の49%が無くなる、というものです。実際メガバンクは3万人の人員整理をすすめています。

 もうひとつは「生成AI」の進化で多くの職種で仕事のAIへの「置き換え」が急速に進められる、という予測です。行政では職員サポートや企画事務活用(EBPM等)における生成AI活用の想定事例を作成して移行への準備が進められています。

 こうした動きのなかで「エッセンシャル・ワーカー」の必要性はますます高まっているのです。

 

 では具体的にエッセンシャルワーカーとはどんなものをいうのでしょうか。①医療従事者②介護福祉士や保育士などの福祉関連③教育機関に勤める教育者④警官や消防士の公務員⑤運輸業界や物流業者⑥小売業者や販売業の従事者⑦生活インフラの維持に関わる職種(電気、ガス、水道、通信、ゴミ収集など)⑧農業などの一次産業⑨銀行などの金融機関などがそれに相当します。

 生成AIの得意分野は文書(法律)やデータの多く流通している分野です。ということで最初に思い浮かぶのは「お役所仕事」です。先にも書きましたが行政が先行してAI活用に踏み出しているのはその表れでしょうし同様に法律を仕事の基本においている「士(さむらい)仕事」――弁護士、公認会計士、弁理士、社会保険労務士などは全部ではなくとも部分的にはすぐにも「置き換え」が可能になることでしょう。

 

 「昔は学校の先生とかお役人、銀行の人は信用できると思っていたけど今は誰も信用できひん」、 妻がよく言う文句です。それは結局、仕事が給料を稼ぐだけのものに成り下がったからです。以前東大理科三類(医学部)の学生に取材した番組で、なぜ3類を志望したのかという問いに「日本で最難関だから」と答えていました。医学医療に対する使命感もモラルもなく給料が多いから、社会的地位が高いからそして何より自分の学力(といっても受験学力ですが)の高さを誇示するために彼は医学部に進学したのです。

 

 今ある仕事の多くは消滅するでしょう。そして「生産性」を担当する分野はロボットとAIに置き替わるにちがいありません。そうなれば「生産性」が高いから給料が高いという価値基準は意味をなさなくなります。その仕事が好きだ、楽しい、面白い、価値がある、生きがいを感じる、そんな仕事だけが求められる社会になるでしょう。

 そのとき、仕事に貴賤はなくなっているにちがいありません。問題はそれで「健康で文化的な生活」が営めるかどうかです。

 多分人間はそんな社会をつくり上げていると私は信じています。

 

 

 

 

 

 

 

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