2021年4月26日月曜日

ワクチンは何故遅れるのか

  国家公務員の人気が凋落しています。4月に発表された人事院の国家公務員採用試験の総合職(将来の幹部候補生)申し込み状況によると前年度比14.5%減の1万4310人だったと伝えています。これは今の総合職試験が導入された12年度以降で最大の減り幅で、深夜や休日に及ぶ長時間労働が問題視される職場環境が学生に敬遠される背景になっている可能性が指摘されています。

 この記事を読んだとき1960年代の公務員給与大幅アップを思いだしました。20年近い高度経済成長で民間給与が上昇を続ける中で公務員人気が年々低下し、優秀な人材が民間に逃避する状況を打開すべく大幅アップを打ち出したのです。その影響は徐々に表われ70年代に入って高度成長に陰りが見え始めたこともあって公務員の人材不況は解消に向かい今日に至っています。。

 しかし今回の公務員不人気は「働き方」だけが原因なのでしょうか。

 

 近代以降もっとも公務員が不人気だったのは――というよりもほとんど「憎悪」を持たれた時代がありました。それは明治維新初期です。廃藩置県が行なわれて旧の藩主統治から中央政府から派遣された「知事」が地方行政のトップとなる体制に変化しました。明治政府は薩長の藩閥勢力が牛耳っており地方に派遣された人材も当然その系統で、中央政府の主要ポストはトップクラスの人材が占めていましたから地方は中堅以下の権力志向の強い成り上がり者が配置されたのです。彼らは実績を認められて一日も早く中央の要職へ返り咲きたいとという思いで税金の取り立て等行政の執行は苛烈を極めました。旧藩主時代は永代支配でしたし農民などが逃散でもしようものなら幕府から懲罰が加えられ、最悪の場合は領地没収もありましたから統治は「仁政」を旨とする藩主が多く税の徴収にも温情がありました。また検地にも「目こぼし」があったりして税率設定にゆるい藩も珍しくなかったのです。ところが知事は杓子定規に農地を確定し税率も藩時代より高率でしたから農民の負担は過酷を極め、新時代に希望をもっていた農民・市民は期待を裏切られその反動で憎悪さえ抱いたのです。

 

 明治維新の地方行政制度が人民にとって最悪だったのに対して「内閣人事局」はお役人にとって最悪の制度になりました。戦後長い間政官のせめぎあいは「官上位」がつづいた結果官僚主導の悪弊があげつらわれ、それを正すべく「政治主導」を謳って内閣人事局が生まれました。たしかに上級官僚の権柄づくの振舞いは政治家にとって受け入れ難い屈辱であったかもしれませんから、政治と官僚機構が勢力均衡して切磋琢磨するようになればこの制度は国民にとって良い効果をもたらすはずです。しかし人事権という「魔力」を握った政治家は官僚の「角を矯める」挙に出てしまったのです。人事権を盾に「問答無用」の『隷属』を強いた政治家の言うがままにならざるをえなかった官僚は、政治家受けはいいが能力はホドホドの人材がトップに据わるようになりやる気のある――「出る杭」は打たれる制度に官僚機構が変質してしまったのです。その結果若手の優秀な才能は埋もれる惨状を呈しそうした状況を漏れ聞いた学生たちは官僚を忌避するようになるのは当然の成り行きです。

 明治維新の地方官僚の惨状を先に挙げたのは、官僚というものはヒエラルキーが体制内で完了しているうちは激しい権力抗争を通じて能力を切磋琢磨するのですが、外部評価で地位が決定されるようになるとたちまち腐敗してしまう通弊は道鏡や側用人重用の時代から変わらないのです。ということは官僚機構を再生するには内閣人事局制度を一日も早く廃止することが必須で、労働環境の改善、給与アップ以上に検討が急がれるのです。

 

 一方でサッチャリズム、レーガノミクスの後塵を拝して市場万能主義の新自由主義をアメリカに強いられたわが国は構造改革と市場開放に突っ走りました。〈官から民へ〉はほとんどの分野で実施され国鉄、郵政におわらず大学も医療にも及びました。その結果が今回のコロナ禍で一挙に露呈され、医療崩壊、ワクチン不足など本来「公共財」だったはずのものまで市場化した失敗があからさまになったのです。地方分権が声高に政治アジェンダに上げられながら遅々として進展しなかった結果、中央と地方の役割分担があいまいになり危機管理の脆弱さとなって表れ、税の中央と地方の配分が[6:4]という偏りの不合理性も明確になってしまいました。

 

 こうした状態を考えると学生の公務員不人気はいくつかの原因が錯綜しているからと考えた方が正しのではないでしょうか。

 政治主導は官僚の勢力範囲を削減しています。地方分権の拡大は中央政府の役割低下を招きます。自助・共助・公助のセイフティネットの序列は公的負担の削減を狙っているのでしょう。それに〈官から民へ〉も中央政府の権力剥奪につながっています。これらのすべてが「行政府としての中央政府の役割」を削減・低下させているのです。

 官僚の幹部候補生を目ざすような学生は「日本国を先導する」意欲の旺盛なタイプが多いはずです。ところが社会の情勢は中央集権を修正するような傾向を強めています。しかも「政治主導」で「公文書改ざん」まで強要される情勢では志ある若者が背を向けるのも当然ではないでしょうか。政治の枢要にある人たちは「学生の不人気」を深刻に受け止めるべきです。

 

 ワクチンの手配など二十年前だったら「国民の生命を守る」意欲に満ちた官僚がすべてお膳立てして政治家はただその「みこし(神輿)」に乗っておればよかったのです。それを素人の政治家が口出ししたり頭を抑えつけたりしたために、政治家の顔を窺ってしか仕事のできない役人ばかりになってしまった結果、最悪の事態を招いてしまっているのです。

 日本再興は官僚機構の立て直しが急務ですしそのためには優秀な人材が必須になってきますから学生の人気を高めることが重要になってくるのです。

 たかが「学生の不人気」では済ませておられないと危機感を抱く政治家が何人いるでしょうか。

 

 

2021年4月19日月曜日

連載800回を迎えました

  2006年4月13日の「二番札の知恵」が第1回でしたから15年で800回、ということは毎年53篇週1回のペースをつづけてきたことになります。毎週月曜日の朝8時にはアップするよう心がけてきましたから一応その決まりは守れているわけで、少しくらいなら誇っていいのではと嬉しく思っています。

 思い返すと2006年は私にとってエポックメーキングな年になっていて、1月11日に「禁煙」し、「コラム」連載をスタ-トした同じ4月に「テニス」を始めています。9月26日からは「公園のゴミ拾い」を開始しており、この縁で翌年から「野球場の管理」――といっても鍵の開け閉めをするだけのことですが――をするようになります。禁煙は今の私の「健康」の基礎になっていますしテニスをやって体力の衰えを思い知らされそれを補うためにインターバル速歩と軽運動、ストレッチ、食生活の改善に取り組んだ結果今の「体力」を獲得することができました。ゴミ拾いはこの公園のできた当初(昭和50年代中頃)から清掃を続けてこられた近所のご老人から後継を依頼されて仕方なく始めたのですが、今ではこれがあるから無理をしてでも早起きも運動もつづけていられるようなもので、「毎朝ご苦労さまです」と褒めてくれるひとがいますが感謝するのはむしろ私の方なのです。

 

 老いて「後期高齢者」と呼ばれる年齢になって、にもかかわらず人生で一番健やかで意欲をもって生活を送れているのは「健康」「ボランティア」「社会参加」「生涯学習」をバランス良く行なっている結果だと思います。健康は禁煙が引き金になって早寝早起き、早朝の運動、妻手作りの食事等の相乗効果のお陰です。公園のゴミ拾いはご老人との約束を守るためにやっているのですがひとから見ればボランティアと言えないこともないのでしょうか。野球場の鍵開けはゴミ拾いのついでにやっているようなものですが、利用者の少年野球の指導者や中学校の部活の顧問先生、生徒たちとの交流もあって社会参加の側面もあり、老人の生活に欠落している「社会とのつながり」を補ってくれて「社会的孤立」におちいらず精神的安定をもたらしてくれていると思います。コラムの連載はアンテナを張って社会の動きに対する感度を劣化させない必要があり、感受性と解析力を磨くための「読書」も必須ですから「コラム―読書」の「インプット」「アウトプット」のほど良い循環が生涯学習を充実させてくれているのだと思います。

 

 読書は体力充実のお陰で飛躍的に上達しました。幼年期の大病のせいで虚弱体質だった私は根気がつづかず三十分も集中力が保てませんでしたからトルストイやドストエフスキーの長編ははなから手に取ることもできませんでした。それが今では長時間読みつづけられるようになり藤村の『夜明け前』やドストエフスキーの『白痴』も読破することができました。

 読書については学生時代にエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』とピーター・F・ドラッカーの『ゆたかな社会』に出会ったことは僥倖だったと感謝しています。ヒトラーのナチスに隷属していったドイツ国民の社会心理的な心の闇を描いた『自由からの逃走』、格差と貧困がアメリカ資本主義の根底に潜む病理であることをえぐった『ゆたかな社会』の二冊は今の社会を理解するためにも有効な人文社会系の古典ですが、同志社大学で学んだこと、DSB(同志社学生放送局)の先輩、同期、後輩たちとの切磋琢磨で鍛えられた成果として知性を磨く柱となってきました。知性の鍛錬という意味では博報堂という広告会社に就職したことも重要だったと思います。隆盛期を迎えていた広告会社には東大京大をはじめ有名私立大学からの俊才が集まっており刺戟的な空間をつくっていました。博報堂で過ごした時間は今にいたる五十年の知的生活の基礎を築いてくれたという意味で有りがたい十年でした。

 当時の社会は博報堂に限らず多くの会社(官庁も含めて)に「若者(新入社員)を育てる」という企業風土がありました。生涯雇用と年功賃金制度という日本型雇用慣行のもとに社員教育制度が企業の基本的構成要素となっていたのでしょうが、この制度は今になってみれば非常に有効だったと評価できるのではないでしょうか。1990年代のバブル崩壊を経て、グローバル経済を勝ち抜く方策として「成果主義」が取り入れられ社員教育を大学に委ねる方向にモデルチェインジしてきましたが、結果をみれば先進国で唯一「ゼロ成長」国に陥るという醜態をさらしています。固定費が企業経営の足かせとなってグローバル競争に勝てないという理屈で日本型雇用慣行が崩されたのですが、ここまでのところ企業も国民も国も成長の成果を享受できないできているということは大いに検討されるべきではないでしょうか。百年二百年と歴史のある西欧諸国を後追いしても彼らを凌駕する可能性は低く、「失われた二十年」を検証してグローバル化に適した日本型の経営方式、修正した日本型資本主義体制を構築すべき時機に至っているのではないかという危機感を覚えています。

 

 振り返ってみれば私の人生は幸運であったと思います。チャンスにも恵まれていました。ところがそのほとんどを無駄にしてきたことが悔やまれます。なかにはそれが幸運ともチャンスとも気づかずに見過ごしていたのは意識していなかったけれど傲慢さがあったのだと悔恨の情に堪えません。そんな私に六十才半ばになって同志社の先輩が当時関係していた建設関係の業界紙に何か書いてみないかと薦めてくれたのです。それがこのコラムとなって今日につづいているのですからチャンスはどこに転がっているのか、いつ来るのか分からないものです。私は今年八十才になりますが健康を保ち知力と気力を充実させて千回まで連載をつづけることができればそれこそ人生最大の幸運と喜べるのではないでしょうか。今のペースなら八十五才になりますが可能性にチャレンジです。

 最後になりましたが妻との結婚は数少ないチャンスを生かした幸運でした。感謝して偕老同穴を全うしたいと願っています。

 

 こんな拙い、独断と偏見に満ちたコラムを愛読して下さった皆さま、本当にありがとうございます。これからも時々でもいいからご笑覧願えれば望外の喜びです。

 

 

2021年4月12日月曜日

大転換

  連日ミャンマー国軍による自国民虐殺が報道されています。国民の生命と安全、財産を守るべき軍隊がその国民を射殺したり惨殺するというのですから彼らは狂っています。一部の暴動者を排除しているのだと強弁していますが一部でないことは明らかです。また中国では新疆ウィグル地区でホロコースト的同化政策を強行し暴虐をふるっていますし、ロシアは反政府勢力の主宰者であるナワリヌイ氏を毒殺しようとしたり未遂に終わるや不当逮捕して睡眠を一時間ごとに中断、取り調べを強行して衰弱死させようとしていると伝えられています。民主主義大国アメリカもブラック・ライブズ・マター運動が沸き起こりアジア住民ヘイトが横行しています。

 まちがいなく今、世界は、人類は、『分岐点』にさしかかっています。

 

 最近つくづく思うのですが、よくもまあ中国という広大無辺の国と四年近くも戦争したものだとその『狂気』に信じられない思いを感じています。勿論あの戦争――第二次世界大戦はアメリカ、イギリス、ソ連などドイツとイタリアを除く世界を相手にした戦争ですが、発端は中国ですし最終的には中国を含めた東アジアを勢力下におさめようとした戦争だったと思います。そもそもをさかのぼれば1931年の柳条湖事件に端を発した満州事変、日中戦争とつづく十五年戦争の延長線上に第二次世界大戦があるわけですが、戦闘機はありましたが地上戦が基本ですから「兵站(武器と食糧の供給)」が戦局を決します。四年の戦争を戦えるだけの武器生産力はありませんでしたし食糧等に関しては国内生産力には限りがあり現地調達でしのぐしか方途はなかったのです。山本五十六が「短期決戦」を主張した通り半年、長くても二年までで講和する戦略であったらなんとか有利に終戦できたかもしれませんが、ズルズルと戦局を長引かせた当時の軍上層部、政治家、官僚は正気ではなかったと思います。疑問なのは軍上層部は何をもって「勝利」と考えていたかということです。地上戦で勝利をおさめようとしても、一旦戦線を後退されてにらみ合いにもち込まれたらまた追い詰める戦端を開かねばなりません。中国側はまた後退します。広大な国土で気の遠くなるようなこの繰り返しを続行していくだけの戦略と戦術を軍部はもっていたでしょうか。最終的な勝利の実態もそこへの長期的な方程式もないままに終戦する時機を失してズルズルとつづけた戦争があの戦争だったのです。7千万人の国家が5億人の大国を相手に230万人の兵士を死亡に追い込んだ終わりのない『狂気』の戦争だったと思えてならないのです。

 

 一体現在において戦争は何のためにするのでしょうか。先の戦争までは「資源」の獲得と相手国の「収奪」が戦争目的だったといっていいでしょう。しかし今のグローバル化した世界経済体制において「限りある資源」の独占、寡占は許されません。中国はそれを強行しようと世界常識を逸脱した行動に走っていますが必ず失敗するでしょう。また、世界が等しく「全体化」しているなかで、他国の「収奪」は国際世論が許すはずもありません。中国もロシアも、そしてアメリカも圧倒的な軍事力を背景にそれを実現しようとしていますが失敗するにちがいありません。

 すなわち、戦争して勝つことに「意味」を見出すことができない状況にある現在において、毎年200兆円を超える軍事費を世界の国々が費消しているのです。賢明な諸国は「核兵器禁止条約」を発効させましたがそれに力があったのは弱小国ばかりです。世界第3位の経済大国で唯一の被爆国わが日本は条約反対国の一員に甘んじています。

 コロナ禍で明らかになったのは世界の「貧困」です。国家間でも同一国内にも貧富の格差があって「貧困」が「分断」をひき起こしています。年間200兆円を超す軍事費の『無駄』を気づく賢明さに世界の権力者たちが目覚めれば一挙に世界は新しい『歴史』を迎えることができます。今はその正念場です、『大分岐点』なのです。

 

 もうひとつの変化は「情報革命」です。21世紀はまちがいなく「ICT――情報コミュニケーション技術」の時代です。文字の発明、印刷機の発明、電信・電波通信技術の発明とつづいてきた情報革命の最終形態が「ICT革命」です。「情報の送り手=発信者」の多様化と拡散の即時性を特長とするこの革命はそれ以前の「情報革命」と根本的に異なります。

 送り手の情報独占による「送り手⇒受け手」の一方通行の情報伝達は、「情報選択」過程で「権威」が介在しましたから受け手は「情報の真偽」判断を正確に行う「情報リテラシー」を磨けば必要な情報を獲得できました。書籍、新聞、雑誌、ラジオ、テレビというメディアの権威に依拠することで「確からしい情報」を手に入れることはそう困難な作業ではありませんでした。

 しかしICT時代のSNSやYouTubeはほとんどの情報(の発信者)の信頼性は保証されていませんからすべては受け手の情報リテラシー頼りです。「リアルとバーチャル」の見極めも相当困難になってきます。『権威』をどう形づくっていくか。あるいは『権威』を否定して新たな『秩序』をつくっていくのか、まだはっきりと見通せません。混乱の時代が相当長くつづくにちがいありませんが、いずれにしろ「分岐点」にいることだけは確かです。

 

 さらにお金についても語らねばなりません。通貨の発行が「金(きん)」のくびき(軛)から解放されて50年、1971年のニクションショックによってアメリカが金本位制から管理通貨制に移行して世界が中央銀行の裁量で通貨流通量を決定できる体制が確立しました。しかしそれは中央銀行の政治からの独立性の担保と「物価の安定(インフレ抑制と安定的な物価上昇)」という中央銀行の使命の範囲でのことでした。ところが50年の間に政治からの独立性があいまいなになったり政治の放漫な国家経営の尻ぬぐいを圧しつけられた「財政ファイナンス」のための通貨供給という側面も見せはじめています。特にわが国の国と地方の借金(2021年度末長期債務残高)は120兆円を超えGDPの2倍をはるかに超える危うい状況に至っています。しかもここにきて仮想通貨(暗号通貨)にも中央銀行が関与するような気配さえみえてきました。バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍と国際金融体制を揺るがす事件・事故が相次ぎ試練を迎えています。世界の周知を集めて効果的な対策を講じないと「通貨制度」も大転換を強いられるかもしれません。

 

 最後に、今回のコロナ禍で中央政府がみせた不甲斐なさを考えると「極端な」中央集権の見直しも否めない状況に至るかもしれません。ここにも転換を迫る「分岐点」がかいま見えます。

 

 戦後76年、戦争による破壊をまぬがれて富の蓄積の「格差」が拡大しています。格差が臨界点を超える時、『大転換』は必ず起こることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年4月5日月曜日

コロナはだれの責任か

  コロナ禍で一年が経って、第四波のぶり返しが予想外の拡大をみせ終息の見通しがまったく立たない不安に襲われて、「若い人たちはこれからコロナの後悔と反省で生きて行くのだろうな」という思いを持ちました。それほどコロナ禍に見えたわが国の「衰亡」ぶりは深刻でした。

 

 考えてみると世代によって行動基準となる「基本的な物の考え方」は変わるものです。

 私たちの親の世代、第二次世界大戦を戦った世代はやはり「戦争責任」だったと思います。それは相当深刻で、しかも、というか、それ故に、声を大きくして語られることは少なかったのですが男女を問わずほとんどの人たちの行動基準となっていました。

 その現われ方は「自信のなさ」でした。西欧先進国の身勝手な植民地主義で搾取されつづけたアジア・アフリカ民族の解放を謳った「大東亜共栄圏」のためという戦争の「正義」を信じて突入した世界大戦に殲滅された国土再興のために「黙々」と働きつづけた彼らは、息子・娘に「価値基準」を示すことはありませんでした。奔流となって日本を席巻したアメリカ型「民主主義」と「資本主義」に盲従しました。「戦前」は全否定され、明治維新の「伝統的日本文化」の全否定につづく二度目の「価値基準」の崩壊という「気の毒」な経験をした「父たち」は、結局いち早く戦争責任を忘却した――いや克服した「A級戦犯」に後事を託すという「無言の委託」で我々世代にバトンタッチしたのです。

 

 私は戦後教育の第一世代です、昭和22年に小学一年生になったのです。今につづく「六・三制」のスタートした年です。いわゆる「戦後民主主義」を教育理念とする「アメリカ型」教育の洗礼を学びの第一歩から受けたことになります。今から思うとそれは「真空」状態の「戦後民主主義教育」であったように思います。アメリカでも実験できなかった「理想型としての民主主義教育」をアメリカが主導して――GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)指導の下に教育改革が行われたのです。戦争悪を忌避して「戦力の放棄」という「世界人類の究極の目標」を国家目標――教育目標とした先進的教育を受けたのです。

 教育主体は「国民」であり、住民の選挙で選ばれた教育長の運営する教育委員会が責任者として教育を運営し、教師と保護者(PTA…本来の機能を剥奪されたPTAが漂流するのは至って当然のことです)が教育委員会の協力者となって地域教育を支える体制が採られました。教科書作成の自由度は相当広く採用権は学校に委ねられ、学校と教師が自由に副教材を利用することが許されていました。学習総時間や教科別の割り振りも地方の特性がゆるされていて、例えば農業が主産業である地方では収穫などの繁忙期に親の手伝いをするのは当然としてその時間が学習時間から割かれました(学校だけが教育の場とは考えられていなかったのです)。教育への国家権力の干渉はほとんどなく、教職員の労働組合組織率(日教組)は90%近くありました。

 「憲法」の精神が教育の中心を占め、部落教育など差別撤廃をはじめて教育として教えられた世代であり、アメリカ資本主義と「豊かな社会」を疑いもなく「いいもの」として目標にしました。もちろん三世代同居でしたから「長幼の序」は生活から学びいわゆる「道徳」は身についていました。それもあって「社会の歯車」となって会社のために働くことに抵抗感を感じることもなく企業戦士となって「国の成長」に寄与しました。高度成長の成果を享受し「持ち家」と老後の頼りになるくらいの退職金と生活維持に不足のない年金生活を保証されて今日に至っています。

 

 しかし、オーム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件で精神的に、3.11東北大震災の福島原発のメルトダウンで物質的に、我々の信奉してきた「価値観」の壊滅と否定を烙印されました。二大政党制も、小選挙区制も、大学の共通一次選抜制も、ことごとく失敗でした。

 

 東西冷戦が終わって、アメリカ型資本主義のグローバル化が世界を蹂躙した結果、地球温暖化をまねき、格差拡大と国民国家(Nation-state)を分断する事態をひき起こしています。コロナ禍はこうした歴史的流れの必然として招来したものであり、今回限りの事象ではなく今後も形を変えて繰り返し発生するものと覚悟する必要があります。

 アメリカ型資本主義のグローバル化が世界のすみずみにまで浸透したことによって、世界経済のプレーヤーがG7、G20という限られた国から世界のすべての国に広がった結果、野放図な「市場主義」は修正せざるを得ない状況になっています。中国やロシアの世界常識を無視した拡張主義は市場主義を前提とした「大国」のたどるべき必然の帰結であって、大国でありながら「先進国―富裕国」になれない「中進国」中露のジレンマを解消する市場主義の「修正」を国際協調で実現しなければなりません。

 

 環境を含めた資源を「公共財」として「国際管理」する体制を早急に構築する必要があります。先進国は自国の成長を抑制して途上国の「貧困解消」を世界共通の「人類の課題」として取り組むような「国連」に改革する必要があります。いつまでも第二次世界大戦の戦勝国を永久常任理事国という特権の既得権者として認めるような理不尽を改めることが今の「世界大」の『矛盾』を解決する第一歩になることでしょう。

 

 国ごとに異なってきた世代の行動基準をある一点だけは世界共通にする。それがコロナ禍を抜け出すための最少必要限の世界標準だと考えています。