2021年4月12日月曜日

大転換

  連日ミャンマー国軍による自国民虐殺が報道されています。国民の生命と安全、財産を守るべき軍隊がその国民を射殺したり惨殺するというのですから彼らは狂っています。一部の暴動者を排除しているのだと強弁していますが一部でないことは明らかです。また中国では新疆ウィグル地区でホロコースト的同化政策を強行し暴虐をふるっていますし、ロシアは反政府勢力の主宰者であるナワリヌイ氏を毒殺しようとしたり未遂に終わるや不当逮捕して睡眠を一時間ごとに中断、取り調べを強行して衰弱死させようとしていると伝えられています。民主主義大国アメリカもブラック・ライブズ・マター運動が沸き起こりアジア住民ヘイトが横行しています。

 まちがいなく今、世界は、人類は、『分岐点』にさしかかっています。

 

 最近つくづく思うのですが、よくもまあ中国という広大無辺の国と四年近くも戦争したものだとその『狂気』に信じられない思いを感じています。勿論あの戦争――第二次世界大戦はアメリカ、イギリス、ソ連などドイツとイタリアを除く世界を相手にした戦争ですが、発端は中国ですし最終的には中国を含めた東アジアを勢力下におさめようとした戦争だったと思います。そもそもをさかのぼれば1931年の柳条湖事件に端を発した満州事変、日中戦争とつづく十五年戦争の延長線上に第二次世界大戦があるわけですが、戦闘機はありましたが地上戦が基本ですから「兵站(武器と食糧の供給)」が戦局を決します。四年の戦争を戦えるだけの武器生産力はありませんでしたし食糧等に関しては国内生産力には限りがあり現地調達でしのぐしか方途はなかったのです。山本五十六が「短期決戦」を主張した通り半年、長くても二年までで講和する戦略であったらなんとか有利に終戦できたかもしれませんが、ズルズルと戦局を長引かせた当時の軍上層部、政治家、官僚は正気ではなかったと思います。疑問なのは軍上層部は何をもって「勝利」と考えていたかということです。地上戦で勝利をおさめようとしても、一旦戦線を後退されてにらみ合いにもち込まれたらまた追い詰める戦端を開かねばなりません。中国側はまた後退します。広大な国土で気の遠くなるようなこの繰り返しを続行していくだけの戦略と戦術を軍部はもっていたでしょうか。最終的な勝利の実態もそこへの長期的な方程式もないままに終戦する時機を失してズルズルとつづけた戦争があの戦争だったのです。7千万人の国家が5億人の大国を相手に230万人の兵士を死亡に追い込んだ終わりのない『狂気』の戦争だったと思えてならないのです。

 

 一体現在において戦争は何のためにするのでしょうか。先の戦争までは「資源」の獲得と相手国の「収奪」が戦争目的だったといっていいでしょう。しかし今のグローバル化した世界経済体制において「限りある資源」の独占、寡占は許されません。中国はそれを強行しようと世界常識を逸脱した行動に走っていますが必ず失敗するでしょう。また、世界が等しく「全体化」しているなかで、他国の「収奪」は国際世論が許すはずもありません。中国もロシアも、そしてアメリカも圧倒的な軍事力を背景にそれを実現しようとしていますが失敗するにちがいありません。

 すなわち、戦争して勝つことに「意味」を見出すことができない状況にある現在において、毎年200兆円を超える軍事費を世界の国々が費消しているのです。賢明な諸国は「核兵器禁止条約」を発効させましたがそれに力があったのは弱小国ばかりです。世界第3位の経済大国で唯一の被爆国わが日本は条約反対国の一員に甘んじています。

 コロナ禍で明らかになったのは世界の「貧困」です。国家間でも同一国内にも貧富の格差があって「貧困」が「分断」をひき起こしています。年間200兆円を超す軍事費の『無駄』を気づく賢明さに世界の権力者たちが目覚めれば一挙に世界は新しい『歴史』を迎えることができます。今はその正念場です、『大分岐点』なのです。

 

 もうひとつの変化は「情報革命」です。21世紀はまちがいなく「ICT――情報コミュニケーション技術」の時代です。文字の発明、印刷機の発明、電信・電波通信技術の発明とつづいてきた情報革命の最終形態が「ICT革命」です。「情報の送り手=発信者」の多様化と拡散の即時性を特長とするこの革命はそれ以前の「情報革命」と根本的に異なります。

 送り手の情報独占による「送り手⇒受け手」の一方通行の情報伝達は、「情報選択」過程で「権威」が介在しましたから受け手は「情報の真偽」判断を正確に行う「情報リテラシー」を磨けば必要な情報を獲得できました。書籍、新聞、雑誌、ラジオ、テレビというメディアの権威に依拠することで「確からしい情報」を手に入れることはそう困難な作業ではありませんでした。

 しかしICT時代のSNSやYouTubeはほとんどの情報(の発信者)の信頼性は保証されていませんからすべては受け手の情報リテラシー頼りです。「リアルとバーチャル」の見極めも相当困難になってきます。『権威』をどう形づくっていくか。あるいは『権威』を否定して新たな『秩序』をつくっていくのか、まだはっきりと見通せません。混乱の時代が相当長くつづくにちがいありませんが、いずれにしろ「分岐点」にいることだけは確かです。

 

 さらにお金についても語らねばなりません。通貨の発行が「金(きん)」のくびき(軛)から解放されて50年、1971年のニクションショックによってアメリカが金本位制から管理通貨制に移行して世界が中央銀行の裁量で通貨流通量を決定できる体制が確立しました。しかしそれは中央銀行の政治からの独立性の担保と「物価の安定(インフレ抑制と安定的な物価上昇)」という中央銀行の使命の範囲でのことでした。ところが50年の間に政治からの独立性があいまいなになったり政治の放漫な国家経営の尻ぬぐいを圧しつけられた「財政ファイナンス」のための通貨供給という側面も見せはじめています。特にわが国の国と地方の借金(2021年度末長期債務残高)は120兆円を超えGDPの2倍をはるかに超える危うい状況に至っています。しかもここにきて仮想通貨(暗号通貨)にも中央銀行が関与するような気配さえみえてきました。バブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍と国際金融体制を揺るがす事件・事故が相次ぎ試練を迎えています。世界の周知を集めて効果的な対策を講じないと「通貨制度」も大転換を強いられるかもしれません。

 

 最後に、今回のコロナ禍で中央政府がみせた不甲斐なさを考えると「極端な」中央集権の見直しも否めない状況に至るかもしれません。ここにも転換を迫る「分岐点」がかいま見えます。

 

 戦後76年、戦争による破壊をまぬがれて富の蓄積の「格差」が拡大しています。格差が臨界点を超える時、『大転換』は必ず起こることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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