2021年4月5日月曜日

コロナはだれの責任か

  コロナ禍で一年が経って、第四波のぶり返しが予想外の拡大をみせ終息の見通しがまったく立たない不安に襲われて、「若い人たちはこれからコロナの後悔と反省で生きて行くのだろうな」という思いを持ちました。それほどコロナ禍に見えたわが国の「衰亡」ぶりは深刻でした。

 

 考えてみると世代によって行動基準となる「基本的な物の考え方」は変わるものです。

 私たちの親の世代、第二次世界大戦を戦った世代はやはり「戦争責任」だったと思います。それは相当深刻で、しかも、というか、それ故に、声を大きくして語られることは少なかったのですが男女を問わずほとんどの人たちの行動基準となっていました。

 その現われ方は「自信のなさ」でした。西欧先進国の身勝手な植民地主義で搾取されつづけたアジア・アフリカ民族の解放を謳った「大東亜共栄圏」のためという戦争の「正義」を信じて突入した世界大戦に殲滅された国土再興のために「黙々」と働きつづけた彼らは、息子・娘に「価値基準」を示すことはありませんでした。奔流となって日本を席巻したアメリカ型「民主主義」と「資本主義」に盲従しました。「戦前」は全否定され、明治維新の「伝統的日本文化」の全否定につづく二度目の「価値基準」の崩壊という「気の毒」な経験をした「父たち」は、結局いち早く戦争責任を忘却した――いや克服した「A級戦犯」に後事を託すという「無言の委託」で我々世代にバトンタッチしたのです。

 

 私は戦後教育の第一世代です、昭和22年に小学一年生になったのです。今につづく「六・三制」のスタートした年です。いわゆる「戦後民主主義」を教育理念とする「アメリカ型」教育の洗礼を学びの第一歩から受けたことになります。今から思うとそれは「真空」状態の「戦後民主主義教育」であったように思います。アメリカでも実験できなかった「理想型としての民主主義教育」をアメリカが主導して――GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)指導の下に教育改革が行われたのです。戦争悪を忌避して「戦力の放棄」という「世界人類の究極の目標」を国家目標――教育目標とした先進的教育を受けたのです。

 教育主体は「国民」であり、住民の選挙で選ばれた教育長の運営する教育委員会が責任者として教育を運営し、教師と保護者(PTA…本来の機能を剥奪されたPTAが漂流するのは至って当然のことです)が教育委員会の協力者となって地域教育を支える体制が採られました。教科書作成の自由度は相当広く採用権は学校に委ねられ、学校と教師が自由に副教材を利用することが許されていました。学習総時間や教科別の割り振りも地方の特性がゆるされていて、例えば農業が主産業である地方では収穫などの繁忙期に親の手伝いをするのは当然としてその時間が学習時間から割かれました(学校だけが教育の場とは考えられていなかったのです)。教育への国家権力の干渉はほとんどなく、教職員の労働組合組織率(日教組)は90%近くありました。

 「憲法」の精神が教育の中心を占め、部落教育など差別撤廃をはじめて教育として教えられた世代であり、アメリカ資本主義と「豊かな社会」を疑いもなく「いいもの」として目標にしました。もちろん三世代同居でしたから「長幼の序」は生活から学びいわゆる「道徳」は身についていました。それもあって「社会の歯車」となって会社のために働くことに抵抗感を感じることもなく企業戦士となって「国の成長」に寄与しました。高度成長の成果を享受し「持ち家」と老後の頼りになるくらいの退職金と生活維持に不足のない年金生活を保証されて今日に至っています。

 

 しかし、オーム真理教の引き起こした地下鉄サリン事件で精神的に、3.11東北大震災の福島原発のメルトダウンで物質的に、我々の信奉してきた「価値観」の壊滅と否定を烙印されました。二大政党制も、小選挙区制も、大学の共通一次選抜制も、ことごとく失敗でした。

 

 東西冷戦が終わって、アメリカ型資本主義のグローバル化が世界を蹂躙した結果、地球温暖化をまねき、格差拡大と国民国家(Nation-state)を分断する事態をひき起こしています。コロナ禍はこうした歴史的流れの必然として招来したものであり、今回限りの事象ではなく今後も形を変えて繰り返し発生するものと覚悟する必要があります。

 アメリカ型資本主義のグローバル化が世界のすみずみにまで浸透したことによって、世界経済のプレーヤーがG7、G20という限られた国から世界のすべての国に広がった結果、野放図な「市場主義」は修正せざるを得ない状況になっています。中国やロシアの世界常識を無視した拡張主義は市場主義を前提とした「大国」のたどるべき必然の帰結であって、大国でありながら「先進国―富裕国」になれない「中進国」中露のジレンマを解消する市場主義の「修正」を国際協調で実現しなければなりません。

 

 環境を含めた資源を「公共財」として「国際管理」する体制を早急に構築する必要があります。先進国は自国の成長を抑制して途上国の「貧困解消」を世界共通の「人類の課題」として取り組むような「国連」に改革する必要があります。いつまでも第二次世界大戦の戦勝国を永久常任理事国という特権の既得権者として認めるような理不尽を改めることが今の「世界大」の『矛盾』を解決する第一歩になることでしょう。

 

 国ごとに異なってきた世代の行動基準をある一点だけは世界共通にする。それがコロナ禍を抜け出すための最少必要限の世界標準だと考えています。

 

 

 

 

 

 

 

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